一.ちょっと釜山
1.SARSが怖くてどうする
旅行社に旅行を頼んでも,なかなか旅行が成立しない。最小催行人員2人というのなら,私たち夫婦で即成立するのだが,そんなのは少ない。一昨年のアメリカにおける同時多発テロ,今年のイラク戦争,さらに新型肺炎(SARS)が追い討ちをかけた。
旅行会社の新聞広告やパンフレットには「もうすぐ成立」などとあるが,実際にはそうではない。学校が夏休みになる前に今年も二人で楽しんでこようかといろいろ調べてみたが駄目だった。こんな状態では,私たち旅行者よりも旅行会社,航空会社,空港などの方がピンチなのではなかろうか。
そんなとき新聞広告に載ったのが「がんばれ!アシアナ航空」という米子・ソウル便応援ツァーであった。米子・ソウル便は一昨年開設された便である。鳥取県もこの便の開設・充実にはずいぶん力を入れていて,私も一昨年の12月にはソウルを中心に三日間の旅をした。県からの補助もあり個人負担は少なくてすんだ。米子・ソウル便開設当初70数%の利用率があり,大丈夫やっていける,と思っていた矢先の海外旅行へのダメージである。日本人観光客の利用は最近では20%台とか。なんということだ。SARSは確かに怖いかもしれないけれど,あまりにもうわさに左右されすぎていないか。同じ広告に次のようなことが書かれている。
〜〜韓国は日本と同じでSARS(重症急性呼吸器症候群)の発症患者は出ていない。検疫体制も万全で,安心して観光ツァーを楽しめる。実際に韓国を旅していても,空港職員ら一部を除いて,有名観光地や繁華街でマスク姿は見かけない。〜〜
最小催行人員4名,これならなんとかなるだろう。全行程4日間,2・3日目は自由行動,オプションも組まれている。費用も激格安だ。コースとして,ソウル,プサン,済州島があったが,プサン(釜山)に決めた。
一昨年,ソウルを中心に見て回ったときの印象を私は全校朝会で次のように話している。
〜〜 ソウル市内や郊外を見て,印象に残ったことを二つだけお話します。
一つは,ソウル市内にある刑務所です。いや,今は刑務所として使われてはいません。昔の刑務所を博物館として見せているところです。今から50年以上も前,日本は朝鮮を自分の国のものにして治めていた時期がありました。そのころ作られた刑務所です。そして,そのころの日本のやり方に反対する朝鮮の人たちを捕まえてその刑務所に入れたのです。厳しい取調べをしたり,拷問をしたり,死刑にもしました。そのころの日本のやり方を決して忘れてはいけないと博物館として残されているのです。私たち日本人としては加害者としてつらい思いをしながら見るところです。しかし,私たちはそのことから決して目をそらしてはならないと思います,いくらつらくても。
もう一つは,北朝鮮,朝鮮民主主義人民共和国と大韓民国との国境,正しくは停戦ライン近くの見学です。朝鮮半島はもともとは一つの国だったのですが,50年位前に北と南に分かれて激しい戦争がありました。その戦争は今も終わっていません。しかし,戦争を少し休みにしようという話し合いがされて,その時決められたお互いの国の境が停戦ラインです。その線から攻め込んではいけないということです。現在は北朝鮮と韓国は少し仲よくしましょうという話しができるようになりました。でも,停戦ライン付近は厳しい警戒の状態が続いています。自動小銃を持った兵士もたくさんいます。展望台から北朝鮮を見ることができました。500mほどしか離れていませんが,そこにはお互い近寄ることのできない朝鮮の人たちの悲しみや苦しみを感じることができました。
わずか3日間の旅行でしたが,日本にいちばん近い国の昔と今,朝鮮の人たちの思いを見ることができて,とてもよかったと思います。〜〜
(2002年1月15日(全校朝会の話「隣の国」より)
ソウルは韓国の政治の中心,プサンにはまた違う韓国の顔が見えるかもしれない。さらにキョンジュ(慶州)もオプションに入っているので,歴史的なものも見えることにも期待する。
台風6号がフィリピンの北を北上中,というちょっと気になるニュースもあった。4月に沖縄旅行をしたとき,現地のガイドが話していたのを思い出す。
「デイゴの花がきれいに咲いた年は台風がよくやってくると言われています。今年のデイゴはきれいだった。台風が心配です。」
でも,まだ南西諸島にも近づいていない。大丈夫だろう。
2.バラバラツァー
このグループは6人。4名以上で催行ということだったから,やっと成立したツァーである。まあ,それでも成立してよかった。
米子まで車で1時間半。余裕を持って出たら時間を持て余してしまった。羽合青谷道路ができて,15分くらい早く走れるようになったことも原因しているようだ。
受付が始まったので係のところに行くと,
「前の人がいますからちょっと待ってください。」
よく見ると3人の男性が荷物検査のところにいた。その荷物というのが尋常でない。スーツケースはもちろんだが,それ以外に段ボール箱が数個積まれている。「これって観光ツァーのお客さん?」と思いながらこちらも手続きを済ませる。もう一人は60代後半の男性一人旅。なんだかちぐはぐなグループだ。
プサンへの直行ではなく,仁川空港から金甫空港まで移動し,プサンへ向かう。雲がかかっていて途中の景色はほとんど見えない。約40分のフライトでプサンへ。ようやくそこで6人顔合わせ。もう夕食時になっている。マイクロバスでレストランへ移動する。
ガイドはハンさん。旅行客がこうして減った今も,韓国旅行をするのは日本人が最も多いという。
「韓国は初めてですか。」
「ソウルには来ましたが,プサンは初めてです。」
というのは私たちとKさん。
「プサンに何十回,何百回かな,来ています。」というのは3人組。
韓国語が少し話せる3人組の一人は,ガイドに盛んに話しかけている。どうも女に関する話らしい。ガイドも答えを渋っている様子だ。
「夕食キャンセルして明日の朝食に回してもらえないか。」
と3人組からガイドに申し出があった。
「それはできないと思います。海鮮鍋をもう準備しているはずですから。」
とガイド。
「前のガイドはやってくれたよ。」
「一応連絡をとって頼んでみますが。」
夕食はコースの中に入っていて,それを承知でこの旅行を頼んでいるはずだから,今から変更なんて無茶な話だ。
結局3人組は夕食を一緒にせず,荷物を別の場所に下ろさなければならないからと,バスに頼んでどこか移動していった。どうも,半分ビジネス半分観光で来ているようだ。あのたくさんの荷物も,見本商品か何かではなかろうか。
さて,こうなると残ったのは私たちとKさんの3人だけである。6人分の夕食を3人で食べる。ガイドや運転手にも一緒に食べてもらうことにした。そのKさんも,友達とホテルで会う約束をしているのでゆっくりしていられないという。明日もその友達の案内で観光を予定しているらしい。なんだかこの旅行はバラバラツァーという感じだ。
3.世界は狭い チェさんと再会
食事をしながらKさんとポツポツと話をする。20年ぶりに会う友達というのはテグ(大邱)の人で現在はデパートに勤めていて,部長か課長かなんでも管理職だという。
そこまで聞いて,私はふと思い当たった。
「私の知り合いの友達に同じような人があるのですが。」
私は一昨年の12月にソウル観光をしたとき,いろいろとお世話になったチェさんを頭に浮かべていた。いっしょに旅行したF先生やチェさんとのことなどを話すと,完全に一致した。
「ああ,その人です。」
当時T小学校に勤務していたF先生もチェさんも,赤十字の関係でKさん達といっしょに活動したらしい。
私は,今回の旅行に際して,F先生を通してチェさんに連絡をとろうかとも思ったのだが,この旅行自体急に決めたことなので,かえって迷惑になってはいけないと考えて連絡しなかった。
食事中ガイドのハンさんに携帯電話でチェさんと連絡をとると,もうホテルで待っているとのこと。食事もそこそこにホテルに向かう。
「私は20年ぶりなので,顔もわからないかもしれない。清水さんの方が最近会っているからよく分かるでしょう」
と,Kさんは言っている。ロビーを見回すがそれらしい人はいない。
しばらくして,チェさんがレストランの方からやって来た。あのふっくらした眼鏡の笑顔はすぐに分かった。Kさんも分かったらしく握手。私が近づいて手を握ると驚いて,
「ああ,F先生と一緒の学校の。」
と,すぐに思い出したらしかった。
「あの時はお世話になりました。さっきKさんと話をしていて,テグの人でデパートに勤めている,と聞いてチェさんのことだと話が一致したんです。偶然です。」
「世界は広いようで狭いものですね。F先生は元気ですか。」
「ええ。元気にしていますよ。今年は研究発表会があるので,忙しそうですが。」
ほんとうに世界は狭い。こんな形でチェさんと再会するとは思ってもみなかった。
やっと部屋に落ちつく。9階の部屋からはプサン港が見えるはず(広告にそう書いてあった)だが夜の町が見えるだけで,どこが港か分からない。もう9時を回っている。時差はなく,テレビも衛星テレビが入るから日本のニュースも見ることができ,日本にいるときとそう違った感じはない。コモド・ホテルの部屋は広く,ゆったりと眠れそうだ。
明日は8時30分出発,キョンジュに足を延ばす。
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