そらのやま「旅行記」Yukito Shimizu

海外旅行二人連れ 1『霧は釜山港に』

二.世界遺産の街キョンジュ(慶州)
 1.キョンジュから仏国寺
 2日目,コモド・ホテル8時30分出発ということだったが,15分頃に玄関ロビーに出て見ると,ガイドのハンさんはもう待っていた。ガイドにもいろいろ癖があって,気が急く人,のんびりした人さまざまである。ハンさんは時間に正確な人のようだ。
 プサンからキョンジュまで高速を突っ走る(実際マイクロバスは時速100km以上で走っている),と言いたかったが,通勤時間帯のため何ヵ所か渋滞にかかる。この辺りの事情は日本も同じだ。

 ハンさんとの話が言葉のことになった。なんでも彼女は東京まで研修に行って,1ヶ月日本の標準語を勉強したのだそうだ。だから,彼女にとっては東京言葉が「日本語」である。日本人ガイドになるために,一生懸命勉強しているのだ。カンボジアのガイドもそうだったな,と思い出す。
「私達の言葉は方言が気になるでしょう。」
と訊くと,
「いえ,そんなに気になりません。」
と言いながらも,昨日妻が使った〈なんぼ〉という言葉が気になったらしい。「〈いくら〉ということですねえ」と念を押す。
「そうですね,そう言えば〈なんぼ〉は関西かな。」
「大阪弁は分かりません。」
「日本語と言っても,青森・岩手や鹿児島・沖縄の方言を現地の言葉で話されたら私たちにも分かりません。韓国でも方言はありますか。」
「あります。ソウルとプサンでも発音の上がり下がりなどがずいぶん違います。」
 そんな話をしながらも車はキョンジュ(慶州)に近づいていた。

 慶尚北道のキョンジュはプサンから車で1時間ほどの所にある。紀元前57年からおよそ一千年にわたって権勢を誇った新羅王国の都,日本でいえば奈良のような王朝文化ただよう町である。
 まだ市街には入らないが,まわりを土塀で囲んだ古い瓦屋根の家が点在している。新しく建てたガソリンスタンドの屋根も瓦葺きである。
「世界遺産ということで,何か家を建てるのに制限があるのですか。」
と尋ねると,
「あります。市内ではそうなっていないところもありますが,この辺りはそういう決まりです。」
とハンさんは言う。しかし,それ以上は教えてもらえない。世界遺産に対しての,日本の町並保存というような制度があるのだろう。
「でも,家の周りを塀で囲んで暑くありませんか。」
「いえ,こういう建て方が住んでいる人たちの体にいちばんいいのだそうです。」
「そうですねえ。その土地にあった工夫がされているのでしょうから。」

 キョンジュの民家について司馬遼太郎は『街道をゆく二』(朝日新聞社刊)に次のように書いている。
「……なるほど新羅の工芸は華麗であり,国土は富み,その国都慶州の民家何千軒はことごとく瓦ぶきであったという。その時代,瓦ぶきの民家がびっしりならんでいるというような富裕な景観は,むろん日本にはない。日本で瓦ぶきが民家一般に用いられるようになったのは,江戸後期からである。」
 
 田んぼは田植えが終わったばかり,栗の花が山を白く染めている。どうしてこんなに日本と変わらない風景なのか,と不思議に思うほどだ。
 そんなことを考えているうちに,車は仏国寺に到着した。

 2.仏国寺
「仏国寺の朝鮮における貴重さは,わが国でいえば法隆寺とか唐招提寺とかいう存在にあたるであろう。それ以上に貴重であるのは,この国には仏国寺以外に古い仏教建築がほとんど遺っていないからである。
『たくさんあったが,みな清正(加藤清正)が焼いてしまった。』
と,いつか在日朝鮮人の若い人にはげしく罵られて閉口したことがあるが,これも朝鮮人の思考方程式といっていい。怨念が強烈な観念になって事実認識というゆとりを押し流してしまう。」(前述『街道をゆく二』より)

 ハンさんはそういう歴史の説明をしなかった。4百年以上も昔の話をしても何にもならないという,ガイドとしての我々に対する思いやりか。
 しかし,清正であったか他の誰であったかは分からないが,仏国寺はこの日本軍の侵略のときに焼け落ちた。わずかに戦火をまぬがれたのは本殿に上がる石段であった。観光客はそれを上がることはできない。下から見るとコンクリートとも見えるこの石段は,花崗岩で手すりを円柱形に丸く削るなど,実によくできている。

 ちょうど読経の時間なのか,どの建物に行っても僧侶がお経を唱えていた。再建された建築物,仏像は日本のそれと似通っている。仏教文化は中国から入ってきたものと,朝鮮半島を経由して入ってきたものがあるだろうから,そういう点でもルーツを同じくする兄弟のようなものと言えよう。
 カエデの新緑が陰を落として,さわやかな風を運んでくる。京都や奈良を散策しているような感じになる。この地の梅雨は6月末ごろからということで,今は過ごしやすい時期らしい。
「秋の紅葉もいいだろうな。」
と言うと,
「とてもきれいですよ。」
と,ハンさんが相槌を打った。

 仏国寺を後にして,近くの焼き物の店に立ち寄った。韓国の焼き物といったら青磁である。ここの店には小さいながらも登り窯(三國窯)があって,年に2・3度は焼くという。説明の人が出てきて,丁寧に説明をしてくれた。日本語がたいへんうまい。

 店の中には作業を見せるところがあり,素焼きにする前の削りをしていた。象嵌の手順も見本で示してもらう。
 この青磁象嵌の技術はもちろん日本にも伝わっている。福岡県の上野(あがりの)焼,熊本県の高田(こうだ)焼などである。文禄・慶長の役で加藤清正が連れ帰った朝鮮陶工尊楷が陶祖という。
 なんだかどこまでも清正がついて回る。

 店で,安くしときますからと壷や皿をすすめられたが,8万円が4万円になっても買う気にはなれない。妻が湯呑茶碗とコーヒーカップを買っただけだった。
 こんなことじゃあ商売になるまいなあ,と思っていたら,バスで1団体到着した。「あの人達で儲けて」とひとり言を言いながら次のところへ向かう。

 3.大陵苑
 この項を書くにあたって,ガイドブックを見ると「大陵園」とある。私のメモでは「大陵苑」。私だっていい加減な書き方はしていないつもりだから,この旅をするきっかけになった新聞記事を見ると「園」,でもしつこく入場券を探し出して見ると「苑」。意味はそんなに変わらないのだろうが,現地で使われているものを採用することにした。

 ここは,新羅王陵を初めとする古墳群を公園としているところである。円墳23基が点々と並ぶ。新羅の古墳には羨道がない。玄室を封じ込めるように周りに石を積み上げている。玄室に至るには回りの石を全部取り除いていかなければならない。そのためだろうか,ほとんど盗掘がないという。

 そのような古墳内部の様子は,天馬塚古墳で分かるようになっていた。この古墳は埋葬されているのが誰かは不明だが,埋葬品からその権力や生活ぶりがうかがえる。ついでながら,「陵」は埋葬者が分かっている古墳,「塚」は不明な古墳だという。
 古墳はきれいな緑の芝で覆われている。円墳が2つ並んだものもある。
「これは夫婦の古墳です。」
とハンさん。なるほど,あの世でも一緒というわけだ。
 鳥が飛んでくる。白と黒の羽の模様がはっきりしている。
「韓国の国鳥です。カササギです。」
 百人一首の歌を思い出した。
 〜〜鵲の渡せる橋に置く霜の 白きを見れば夜ぞ更けにける〜〜中納言家持
《天の川に鵲がかけた橋に置いた霜の白々としているのを見ると,もはや夜も更けたことだ。》(小学館『日本古典文学全集26』より)
「かささぎの橋」には二通りの意味がある。
@ 陰暦七月七日の夜,牽牛・織女の二星が会う時に,鵲が翼を並べて天の川に渡すという想像上の橋。男女の仲をとりもつもの。男女の契りの橋渡しの意。A(宮中を天井になぞらえて)宮中の殿の階段の意。(小学館『日本国語大辞典』より)

「あ,これは日本の国鳥です。キジ,日本の国鳥。」
ハンさんの声に,えっと思って見るがキジバトに違いない。
「キジはもっと大きくてオスはとてもきれいです」と言おうと思ったが,説明が面倒なのでやめてしまった。
 ガイドのハンさんはときどきこんな話題を持ち出す。
「これは韓国の国花ムクゲです。」
 日本の国花は言うまでもなく桜。

〜〜「道のべの木槿(むくげ)は馬に食はれけり」
という句がたしか芭蕉にあったように思うが,この木槿の花というのがなんと韓国の国花なのである。日本の国花とされる桜の花は,花盛りのみごとさは比類がないにしても,一夜の嵐で散りいそいでしまう。ところが木槿は,チマ,チョゴリの色のように,淡紅,白,淡紫といった淡い花をつけ,,それが凋んでもさらに咲き,夏から秋にかけて咲きつづけて耐えることがない。
 しかもこの潅木の枝は繊維が多く,折ろうにも折ることができない。(『街道をゆくニ』より)〜

 古墳の内部を見ることのできる天馬塚古墳に入る。1973年に発掘されたこの古墳は,白樺の皮に天馬を描いた馬具が見つかったところからこの名がついたという。玄室の様子や埋葬品(レプリカ)を見学して外に出る。少し暑くなってきたようだ。やはり盆地特有の気候なのだろうか。

 4.国立慶州博物館
 先史時代からの新羅のさまざまな文化遺産が展示されていた。特に天馬塚のものは,ここに本物がすべて展示されている。塚の中でハンさんが,
「博物館の本物の方がきれいです。」
と言っていたが,確かにその通りである。
 しかし,この辺りの地理・歴史に多少の知識がないと見ていても分からないことが多い。中学校・高校で習ったのは四・五十年も前のことで,思い出せない。「近くて遠い国」ということなのか。

 小学生がたくさん見学に来ていた。3年生から6年生までくらいの子どものようだ。見て回って熱心にメモを取っている子もあるが,走りまわっている子,ベンチで休んでばかりの子,引率の先生の後にくっついて並んで何を見ているやらいないやら分からない子など,日本の小学生の見学と同じような風景である。
 暑くなって少々くたびれた。