そらのやま「旅行記」Yukito Shimizu

海外旅行二人連れ 1『霧は釜山港に』

三.プサン(釜山)見て歩き
 1.テジョンデ(太宗台)
 3日目はプサン市を中心にした5時間ほどの観光である。テジョンデは,プサン港の南にあるヨンド(影島)の最南端,玄界灘に突き出た岬にある。ヨンドはその名の通り「島」であるが,現在はプサン大橋で結ばれている。遊園地や展望台も整備されており,ハイキングでも1周4kmあまりの道を楽しむことができる。我々も展望台の少し手前でバスを降り,5分ばかり歩く。
 テジョンデの名前は,新羅の太宗武烈王が三国統一を果たした後訪れたことから付けられたという。

 道の両脇には松や椿が生え繁り,その南側は断崖絶壁になっている。たいへん景色がよく,自殺の名所でもある。そう言えば日本にもそんな名所はある。
 そんな崖の途中にトイレがある。私たちは利用しないが,どうしてこんな離れたところにあるのだろう。そう言えば,昨日仏国寺でも外のトイレは藪の中にあった。風情があるといえばそうだが,もっと近くにあってもいいのじゃないか。
 そんなことをハンさんに言うと,
「こちらの諺に,『家内(妻)の実家とトイレは,遠いほどいい』というのがあります。」
 うーん,なるほど。おもしろい。

「天気がよければ日本の対馬を見ることができるのですが。」
とハンさん。
 展望台から南を見るが,今日は霧が深くて見えそうにない。何艘かの船が霞んで見え,その向こうは白くぼやけているだけ。しかし,対馬との距離はわずかに50qばかりだそうだ。
 歴史的に見ても,対馬と朝鮮との関係はたいへん深かったらしい。どちらかといえば対馬の方が朝鮮に助けられる関係の中で,日本と朝鮮のさまざまな交流(よきにつけ悪しきにつけ)の出入り口としての役割を果たしていたようだ。
 
 2.龍頭山公園
 龍頭山公園は,プサン大橋の近くにある。韓国の公共施設はどこに行ってもとてもきれいだ。清掃している場面にもよく出会った。国や市の考えもあろうが,国民・市民の性格なのかもしれない。
 この公園には大きな花時計があり,その後ろに忠武公李舜臣将軍銅像,さらにその後ろに釜山塔が空に向かって突っ立っている。
「小学生の頃,私たちもこの時計台の花を植えました。」
とハンさんが話す。多分今もそのような形で植え継がれているのだろう。鳩に餌をやっている人もある。

〜〜竜頭山にのぼると,この丘上の公園は近郊から出てきたひとびとで雑踏していた。
 その頂上に,この生存中不遇だった提督の銅像がそびえていた。中国風の甲冑を鎧い,大剣を左手にもち,はるか南方をにらんでいる。南方とは釜山の海であり,いうまでもないがそのむこうは日本である。李舜臣はまぎれもなく朝鮮半島の守護神にちがいない。
(司馬遼太郎『街道をゆく 二』より)

 李舜臣(1545〜1598)は,朝鮮中期に活躍した武臣で,豊臣秀吉の朝鮮の役(朝鮮では壬申の役)に,朝鮮の水軍を率いて日本の水軍を撃破し,全般の戦局に重大な影響を与えた人物である。明治後の日本海軍では,敵将であった彼を研究し,多いに尊敬したといわれる。しかし,朝鮮の人々からは認められていなかった。
 戦後韓国が独立してから,民俗的英雄として李舜臣は大きく取り上げられ,ソウルにもプサンにも立派な銅像が建てられた。

 高さ120mの釜山塔の展望台からプサン港やプサンの町を見下ろす。天気が下り坂で,遠くの海は霧で見えないが,貨物船,客船,漁船が行き交うプサン港は,日本との交流の玄関口でもあった。海から山へプサンの町並はせり上がって続いている。私たちのコモド・ホテルも,これから訪ねる市場も眼下に見える。

 3.二つの市場
 国際市場という名のビルを中心に,小さなビルが広がる市場で,「国際市場」と総称されている。衣類,皮革製品,日用雑貨品,おもちゃなどなんでもある。
 妻は,今回の旅行で眼鏡を買うと決めていた。鳥取で作ったものが,だんだん合わなくなって(要するに度が進んで)新しくしたいらしい。「韓国の眼鏡は安いと評判だから今度買おう」と前々から言っていた。

 通りに入ると呼びこみが激しい。ガイドは2つ3つの店に案内したが,私たちは特にほしいものもないので目的の眼鏡屋へ。
 商談が成立したらしく,目の診察を受けて眼鏡ができあがるまで市場を見て回る。ブランド物のコピーも堂々と売っている。それなりの人が持てば,コピーも本物に見えるそうだが,我々が持って歩くと,本物もコピーに見えるのかもしれない。

 眼鏡もようやくできあがって,支払いを済ませると,次はチャガルチ市場に行く。
 ここは水産物市場である。釜山は韓国最大の漁港であるから,市場の規模も大きい。タイ,ハマチ,タチウオ,イカ,タコなど,3階建てのビルの外(中も市場であるがそれは見なかった)でさまざまな魚介類が売られている。と言っても海の向こうは九州・山陰,獲れる魚の種類は同じようなものである。境港や賀露港の市場とそう大きな違いはないような感じだ。
 盛んに水をかけているのは鮮度をよく見せるためか。何人かがテーブルを囲んで焼酎を飲みながら話をしている。日本でもよく見かけそうな市場の風景である。

 4.プサン港はどこに
 今日の観光は昼食を済ませて終わった。後は自由行動である。実は昨日から私たちが探しているところがあった。それはプサン港である。ホテルからは港がよく見えるし,釜山塔からも見たのだが,港の近くで見たいと思っていたのだ。

 昨日はホテルを出て坂を下へ下へと,とにかく下ったのだが,港に入っている貨物列車の鉄道に阻まれてしまった。近くで働いている人に,
「プサン港に行くにはどこを行けばいいか」と聞いて見るが,どうも言葉半分しか通じない。結局は,「タクシーで釜山塔に行けばよく見える」という答えだった。昨日はそこまでで引き返してしまった。
 プサンは坂の町である。行きはよいよい,帰りは怖い。急な坂道どころか階段を上って帰らねばならない。階段の途中にも,道の横には人家が並び店もある。

 プサン港めざして2日目,昨日の失敗を検討した結果,方向を少し変え,できるだけ港に直角に下りていくことにした。地図を持たずに歩いているので,何を目印にすればよいのか分からない。階段を降り坂を下り,いくつかの通りを横断して行きついた建物の上に上がると,そこはフェリーの乗り場だった。
 博多,下関,広島などと釜山を結ぶフェリーは1日何便か出ている。ちょうど広島からの船が到着したところで,乗客が降りてくるところだった。向こうには貨物船も見える。埠頭に立つことはできなかったが,船をすぐそこに見ることができたので満足して帰ることにした。
 夕方近くなって,霧が深く空模様が怪しくなってきた。

 5.キムチも慣れれば
 韓国料理といえばキムチである。ガイドに言わせると,韓国にSARSがないのはキムチのおかげだという。キムチを食べると感染しないというのだ。でもどうだか,科学的な根拠はないし一般にキムチを食べる習慣のない日本だってSARSは入っていない。インチョン(仁川)での入国審査も特別な保健検査はなかった。その点では米子空港は体温検査をしていたから,よほど日本の方が予防に努めている。

 まあ,それはそれとして,何を食べてもまずキムチの皿が5つ以上は並ぶ。トウガラシで真っ赤,ニンニクたっぷりのキムチを見て,初めての人はたいがい驚くが,前菜というわけだ。もちろん食べたいだけ食べればいい。私はきらいではないが,妻の舌には馴染まないらしい。家でもほとんど食べたことがない。それでも3日間も並べられると,少しずつは食べるようになったから,味はやっぱり慣れかな。

 1日目の夕食が海鮮鍋の食べ放題だったことは既に書いた。
 2日目の朝はホテルでバイキング,万国共通みたいなものだが,お粥がうまい。米は日本と同じような種類で,今田植えどき。
 昼はオプションに入っていて,石焼きビビンバ。トウガラシ味噌の具合によるが,結構いける。食べ終わるころに店の人がやってきて,チヂミを食べないかとすすめる。
「ここのチヂミは韓国一うまい。」
 その言葉に釣られたわけでもないが,2人で一皿頼む。食べ終わると,
「どうだった。?」
「おいしかったよ。韓国一かどうかは比べるものがないけどねえ。」
 夕食はホテルで焼肉にしようかとレストランの前に行くと,3人組の一人が立っていて,
「ここよりホテルの前の店のほうが安くてうまい。」
 とんだ営業妨害だが,我々は安くてうまければそれに越したことはない。
 牛カルビの炭焼きが一人1万ウォン(千円あまり)。ホテルのものは1万8千ウォンだったから確かに安い。
 3日目の昼はやはりオプションに入っている牛カルビの炭焼き,昨日と重なってしまったが,店によって味も違うからこれもいい。あわび粥もすすめられて食べる。夕食はサムギエタン(若鶏の腹の中にもち米,高麗人参,ナツメ,栗などを詰めこんで煮込んだ料理)。あっさり味でなかなかおいしい。せっかく韓国に来たのだから韓国の味をしっかり味わう。
 もっとも,3・4日目の朝食は持ってきたインスタント物ですませたが。

 6.台風6号に追われて
 大丈夫だと思っていた台風が,予想以上に近づいていた。
 4日目の朝,昨日港に停泊していた船が一つも見えない。テレビで見ると台風6号は対馬の辺りを通過して,日本海を山陰方面に進みそうだという。コースで言えば最も危ない。
「もし飛行機が飛ばなかったら,そのことを電話しなければいけない。」
と,妻は仕事のことを心配している。

 出発予定より20分以上早くフロントに行くと,後の4人ももう集まっていた。
「今朝,4時からテレビを見たり,日本に電話をかけて様子を聞いたりしているんだが。」
「今日米子行きが出なかったら,明後日まで出ない。」
 米子・プサン便は月・木・土しか出ないので,土曜日まで足止めということになる。
「そうなればソウル辺りの観光をして待つしかない。」

 ガイドも心配はしてくれたが,彼女はプサンの空港までが仕事だから,キンポ行きの手続きを済ませるとさっさと行ってしまった。
 そこから後はニュースも入らない。しかし,定刻通りインチョン空港を飛び立った飛行機は,なんの支障もなく米子空港に着陸した。台風のコースが予想より少し西に変わったこと,進む時間も遅くなり,勢力も弱まったことなどがよかったらしい。

 3泊4日という小さな海外旅行だったが,隣の国の,ほんの隣の街の文化や歴史を学ぶよい旅となった。

(このシリーズは終わります。次はどこをめざそうか,考えています。)