空の山通信11

No.568  棟方志功展

 小学校の卒業式が午前中にすんで,午後の時間が空いたので,この間休館のため見られなかった棟方志功展に行くことにした。山陰も自動車道が次第に整備されて,米子まで1時間半もかからないくらいになっている。途中羽合町の道の駅で昼食をとる。
 米子市美術館の大体の位置はこの間確かめてあるが,駐車場の位置がはっきりしない。以前図書館の研究会などで来ているのだが,自動車道の方から入ったので分からなくなってしまった。いい加減に入ると合同庁舎の駐車場が空いている。まあ,ここなら文句を言われることはなかろう。

 ここは,市役所,市立図書館などもあって米子市の中心地となっていた。それらの施設の専用駐車場もあった。
 入館料一人800円なり。中に入ると平日なのにかなり多くの鑑賞者があった。19日までの催しなので,私たちのようにやってくる人も多いのだろう。

 独学で版画や油絵を習得していた志功は,柳宗悦,河合寛治郎,濱田庄司ら民芸運動の指導者たちに出会い,民芸の思想を得ることになる。その作品は自由・奔放,まさに天才とも言えるものだろう。
作品は4つの部屋に分けて展示されていた。難解である。宗教色が強く感じられる。去年だったか島根県立美術館の「ルオー展」で感じたものと同じような感じを受ける。あれはキリスト教だったが,ここでは神仏だ。天才には共通するものがあるのかもしれない。
説明が作品の所々にあるが,さっと読んだだけでは理解ができないので,本を一冊買った。「週刊日本の美をめぐるno.12 棟方志功と民衆芸術の展開」(560円 小学館)というのだった。帰ってじっくり読むことにしよう。
 
 棟方志功は,自分の版画のことを「板画」という。〜志功は板から作品の生命をもらっているとし,自分の版画を板画と名付けた(「週刊日本の美をめぐるno.12」)〜
 1枚1枚の作品タイトルに「柵」という字がついている。「倭建命の柵・やまとたけるのみことのさく」といった具合である。「週刊日本の美をめぐるno.12」を見ると,〜制作への「信念」を寺に納めていく,「納札,柵を打つ」ことで〈一柵ずつ,一生の間,生涯の道標を一つずつそこへ置いていく。作品に願いをかけておいていく,柵を打っていく〉ことで使っている〜とあった。並々ならぬ作品への思いが,これらのことからも分かるような気がする。
 彼は昭和50年(1975)に亡くなっているので,50年以上経っているわけだが,人気は高く評価もますます高くなっているような気がする。これらの作品を見て,納得できるものがあったような気がした。