空の山通信11

No.589  シルクロード旅日記11

「ゴビ砂漠」と私たちは言っているが,「ゴビ灘(タン)」と中国では呼んでいるらしい。草も木もない,たまにあっても生きているのか枯れているのか,地面にしがみついている草や木だ。
朝日が昇って私たちは敦煌に到着した。駅近くのレストランで食事。食後トイレに行く。隣との仕切りはあるが高さが1mもないくらいなので,となりに入っている人の表情は丸見え。トイレについては何にも感じない人たちのようだ。民家だけでなく,ホテルでも鍵のかからないトイレはふつうである。

市内を眺めながら莫高窟(ばっこうくつ)に向かう。敦煌のガイド代(タイ)さん(この旅行初めての女性ガイド)は,バスの中で外を見ながら砂漠の植物の説明をしてくれた。こんな環境なので,種類は少ない。
ラクダソウ・名前のとおりラクダのえさになる。
セキセキソウ・箒の材料になるという。
カンソウ(甘草)・のどの薬とか。
タマリスク(紅柳)・燃料にするという。ビヨウヤナギのことだと言っていたが,どうだか分からない。「タマリクス」と椎名誠は探検記『砂の海』で述べているが,現地ガイドは「タマリスク」,どっちが本当やら。紅い花が咲いている。
バスで走りながらの説明なので,はっきりしない。敦煌辺りの農業はワタの栽培が盛んという。莫高窟近くなると,タマリスクの他にスナナツメ,レンギョウ,大きなニレの木も見られる。

「砂漠の大画廊」といわれる世界遺産莫高窟は,敦煌の南東25kmのところにある。現在確認されている石窟の数は492に上っており,未確認のものも多数あるという。伝説では,366年に楽?(らくそん)という僧が始めたと言われている。その後も元の時代まで途切れることなく造られ続けたという。そして,時代によって窟の構造,彫刻の様式,壁画の画題などが違っており,ここを見るだけで中国の仏教美術史が分かる,とまで言われているそうだ。

 私たちはそのうちの数か所を見ただけであった。仏教美術の何たるかを知っているわけではないが,確かによくもここまで造ったものだと感心する。その信仰心の強さと技術,美意識の高さに驚く。ただし,ここも盗掘,破壊によってその全体像を見ることのできないものが多かった。二十世紀初頭には列強各国の探検調査の名のもとに,壁画が剥ぎ取られて持ち去られているものもある。日本の大谷探検隊(1902〜1914に3次にわたる探検を行っている)もその1つに上げられていた。
 そのことがよくないこと,悪いことは確かだが,それでもその国できちんと保存・保管されているのであれば,十分の一くらいは「よし」としていいのかもしれない。完全に破壊され,修復もできない状態に比べればだ。