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空の山通信11

No.615  梅雨末期

 今年の中国地方の梅雨入りは6月8日だった。以来鳥取地方ではあまり多くの雨はなく,作物や花に水遣りをしなければならないような日が続いた。しかし,梅雨末期の大雨なのかここ数日は雨続きである。
 7月中旬の過去の記録を「山陰の気象の暦・統計」(日本気象協会中国支店)から見る。
 1796(寛政8).7.11 大雨・洪水 石見.美濃郡大洪水 家流失70余
 1975(昭和50).7.13 大雨・洪水 島根中部 死傷24家損壊流失50
 1988(昭和63).7.14 大雨・洪水 島根 死傷26 家損壊流失338
 1621(元和7).7.16 大洪水 出雲 大原郡大東 大乗寺流失住職死
 1460(寛正元).7.17 諸国大雨・洪水 伯耆,美作大飢饉 人肉を食す
 1964(昭和39).7.18 山陰北陸豪雨 島根東部 死110 家損壊流失3843
 1782(天明2).7.19 大雨・洪水 宍道湖畔一帯大洪水
 島根県に被害が大きいようだが,同じ山陰,鳥取地方にも何らかの被害はあったものと思われる。

 我が家のあたりは昔田んぼがあったり,沼地であったりした所である。私の記憶にも沼地があり,温泉が湧いていた所(今も泉源は生きている)もはっきりと残っている。つまり,低い土地だったのだ。もちろん家を建てるに際しては,土を相当入れて高くしているので,浸水するようなおそれはない。しかし,地上げが十分でない家は,今でも大雨の時には心配する。

 また,近くを流れる永江川は,川幅が狭く川底が平地と変わらない高さだったためよく氾濫した。堤防で水流をせき止めている状態なので,堤防を越すほどの水位になると,水は一気に町に流れ出すのだった。1959年(昭和34年)9月の伊勢湾台風のときの大水は大変なものだったし,それ以後も何度か大水を経験している。
 しかし,永江川の改修をし,直線で日本海に流す放水路を作ってからは,その心配はほとんどなくなった。
 
 そんな記憶がよみがえってくるので,大雨にはなんとなく敏感になる。
 雨どいが詰まっているのか下に流れなくてあふれ出している。はしごが架けにくいところなので,少し下の継ぎ目を抜いて針金を突っ込んでみる。木切れが一つつまっていたようだ。取り除くとよく流れ出した。どうして木切れがつかえたのかはわからないが,問題解決だからよしとしよう。
裏の狭い溝の流れが悪い。あふれると床下浸水になってしまう。少し掃除をしなければならない。
梅雨明けは間近か。暑い夏が待っている。