Audioの部屋へようこそ!

(途中までですが.......)

(注意:なんせ古いことなんであいまいですのでお許しを!)
かれこれ30年位前でしょうか、家にはセット物のステレオがありましたが、自分の部屋にも欲しくなり初めての自分のセットを買ってもらいました。
SONY マトリックスセンターというアンプとスピーカーの一体のもので、1つの箱でスピーカーが横に並んでいるのにステレオ感を出すようになっていました。
出力は10Wあるなしでした。それにラジオSONYの全天候型のラジオのADVENTURE(当時のSONYのTHE 11とほぼスペック的には同じ)を繋ぎ、レコードプレーヤーはソニーの(PS-48型)クリスタルカートリッジだったと思います。

その後、もっと大音量で聞きたかったので近所の電器屋さんで中古のアンプ(パイオニアのプリメインで20Wだったかな?)(3年位前に粗大ゴミで破棄)を¥9、800で購入。(定価¥29、800)
スピーカーはナショナルの壁掛け型の2ウェ−だったと思います。
テープデッキはソニーの一番安いやつでした。

当時の愛読書の音楽専科にオーディオコーナーがあってJBLのD130の入ったハ−クネスを絶賛していました。
そのシステムにバックロードホーンがロックには最適で凄い低音が出るとの説明にいつか買おうと心に決めました。
バンド仲間と西尾市のロック喫茶で8”ユニットが1箱に2本入ったバックロードホーンスピーカーで聞いたロックに惚れ込みました。(確かアルテックのユニットが入っていたと記憶しています。)
ちなみにこのスピーカーは友達のドラマーの自宅に現在でも使われずにありますが。
当時のオーディオ屋さんにはスピーカーユニットやキャビネットのキットまで売っており、(当方の愛知県の片田舎でも)FOSTEXの8”ユニット1本の入るバックロードホーンのエンクロージャー(箱)キットとFOSTEXのフルレンジ1本を買い組み立てました。
音のバランスが下の方にあるので、数カ月のちにツイータ−とネットワークを購入して追加してかなり良い音になってしばらく楽しんでいました。

当時学生の私は2〜3件の家庭教師、バンドでのバーの仕事が結構あってそこそこの小金がありましたので、次にJBLのコンシュマ−のD203を購入し、余りの素晴らしさに知り合いを呼んで自慢したもんです。この違いを知った人間は深みにはまるもんですよね。
確か次にマイクロのターンテーブルを購入し、聞こえなかった音が聞こえたのでまた深みにはまっていきました。
勿論、カートリッジも幾つか試し、聞き比べなんかを例外なくしました。

バンドのギターの仲間は5歳以上年上でしたのでアンプもマランツなんかを使っており、
私も影響されてマランツの250Mと3300を中古で購入。
またまたびっくりの連続!
今まで聞こえなかった音が聞こえ、今まで聞いていた愛聴版を全て聞き直しといった具合です。
もともと楽器をいじっている音楽愛好家としては今でもそうですがステレオは下駄に過ぎないのでしたが、ここまで違うと凝り性の性格としてはある程度までやったろう!と
オーディオの深みにはまってゆくのでした。

学生の最期の夏休みにカリフォルニアに1ヶ月短期語学留学なる”遊びの企画”で始めての渡米。ここでMade in USAのオーディオを買わないわけがないじゃないですか!!
JBLドライバーD175とホーン、レンズを2組と130Aを1本(なぜかここまでが精一杯)をかついで帰国。
確かにレコードも200枚位持ち帰ったような。当時¥270/$
このユニットはその後3年程使わない。

学生の最期の頃、近所の電器屋の軒下に15”のバックロードホーンのキット(ビクター?)を組んだものが1ペア並べられており、3万円で交渉し、自宅へ!!

東京の会社に就職し、ここから叉一層のオーディオ地獄です。

JBLのオリンパスの最終ロットの入荷を知り、当時10万足らずの給料で2本で定価132万円の”御買い物”。(衝動買いの始まり)
当然当時はそんなどでかいスピーカーを置ける部屋もあるわけでなし、自宅の愛知県に送りつけました。母親から到着した品にびっくりして電話がかかり、到着を知りました。
自分は運送会社の人が家の中に入れてくれているものと信じておりましたが、なんと雨ざらしでしたが、さすがJBLの木箱梱包は開梱の私を梱包箱のクオリティーから驚かせられました。
(使うのはそれから2年以上あとの愛知県に引き上げるまでお預けで36回のローンをただ払い続け=それから結婚した家内に毎月1万円送ってもらって支払いの足しにしていました。)

アンプも色々浮気し、Sitation(Harman)の300W、SEAなんかに買い替えましたが、どうも気に入った音がせず、真空管のパワーアンプそれもでかい物をとダイナコのマーク6
(片チャンネル125W)を購入、ほぼ同時にプリアンプに JBLのSG520Eを購入
これらが今のメインのアンプになります。

その他、クラシック音楽聞く訳でもないのにタンノイのバークレーを購入し、2週間で手放すなど今考えればなんと無駄ばかり衝動買いしたものかと今になってあきれます。

その後、やはりバックロードホーンをJBLで組むべくスピーカーユニットのマグネットがフェライトに変更になる前に2440、2405,ゴールドウイングを購入、どうしてもウーファーはA130を使用したくもう1本購入。この時点で未使用のアメリカから持ち帰った175を下取りに出す。ネットワークは資金不足でまだ買えませんでした。

この頃、ターンテーブルをラックスのシングルアームを従兄弟のダブルアームと交換、
アームもFRの物を入手。SMEとダブルで使用。

これが現在のターンテーブルです。
実家の仕事を手伝う為に仕事をを変わり、東京から愛知に戻り、ようやくオリンパス、SG520、ダイナコでようやく鳴らし始めました。
実家での仕事での収入は寂しく、オーディオの趣味はここで取りあえず切れてしまいます。でも買い溜めたシステムが素晴らしい音を聞かせてくれるので、レコードを聞きまくりました。
それから10年は全く変わらず。

実家の仕事を辞め、渡米し、3年後の帰国時点で真空管のスペアや JBLのネットワークを買って帰国。これでようやく10年使わなかった(買っただけ)のバックロードホーンシステムを鳴らす事になります。
ただし、仕事がきつく、音楽をゆっくりと聞く余裕も無し。
時代はCDになり、LPの出番が段々と無くなってきました。

基本的にギターと声の中域がいかに生々しく聞こえるかが最重要で低音は未だに解決してはいません。

最近になってネットオークションで山水のD907を購入し、オリンパスを鳴らしてみますとなんて音楽な音がするんだと感動しました。

この原稿をしたためてアップせずに半年近くの内に真空管のパワーアンプが聴感上の異常は感じないのですが、バイアス調整ができなくなり四半世紀使用したアンプの修理よりは他のアンプをと浮気の虫が騒ぎだし誰にも相談無しに四半世紀前の憧れのM4を中古で購入。
Aクラス25W+25Wはやはり貧弱で、どっかの好い所のお嬢さんみたいに綺麗にすましているだけで僕には耐えられない相手でした。
昔の憧れは今には通用しない事がアンプでも証明されてがっかりでした。
これは1週間後にオークションで売り払い、とにかくデカイアンプで音が前に出る事が条件のアンプ探しをしていた処に候補としてアンプジラ、マランツ500、SEA、マッキントシュが上げられ、最終的にマッキントシュの2300を購入しました。とにかくひとことで言いますと、 これは「真のマッキンサウンド」 と言うのに相応しいマッキントッシュでしょう!
私も他に色々なアンプを使ってきましたが、これほど「押しの強い」アンプはおそらく あまり存在しないのではないかと思うくらいです。
広大なスケール(存在感)、圧倒される「暴力的」とも言える 底力には驚かされます!小音量の安定感においてもこのシリーズでもっとも優れていると言えるのではない でしょうか。

「マッキン真空管技術の結晶」とも言えるMC3500【1968年】のシャーシを(基本的には)そのまま利用し ソリッドステート化されたこのモデルは、ステレオ300W+300Wのオートフォーマー出力トランス搭載。 馬鹿デカイMallory39000μFコンデンサー【x4】それにドライバー段から分けられたパラレルプッシュプル をダブルで使用!!!これはMC2105がちょうど2台を一つのシャーシに詰め込んだのといっしょです! 1973年当時としては「バケモノ的」なパワーアンプでスゴク注目を寄せた製品でもあります。  続きは....

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