Volkes Wagenの部屋

私のファーストカーは1966年のビートルで21年間の間、(5年程ライセンスプレート無しでしたが)私の半生を共に過ごさせてもらった大切な友なのです。
赤裸々な体験談といかにVWが面白かったか御紹介しましょう!

第1章

重なる引っ越し等で処分したり、資料をどこにしまったのか覚えがないので記憶の糸を脳細胞がまだ生きているうちに書き留めようと思いスタートします。

初めのVWとの出会いは18歳の時でした。
(それがマイカー第1号なんですが。)
中古車屋さんに古い1966年のダブルバンパーのタイプ1が売りに出ており、10年を経過し最期の2年車検が付いていました。(当時はその後は毎年車検という具合でした)

免許を取ったばかりの青年は何の迷いも無くこの車と決めました。
これが私とVWとの始まりでした。

お婆ちゃん子の私はお婆ちゃんに免許取れた事を報告しに行くと気前の言いお婆ちゃんは50万円を僕にくれましたのでそれを元にすぐさまそのオンボロVWを購入!
(確か50万円だったと記憶しています。)

なんせ自分の始めての車です。
可愛いのなんの、VWを含め車の事は全く知らない。
足代わりにと考えていましたが(当時のクラスメートの話題は車か女かファッションてな具合でしたが私スが最新だか何がいいのかわからずにただ思い付きとそのVWとの出合いでおつきあいのスタートが始まりました。)

何かデコレーションをとステッカー張ったり、あげくの果てに白いビニールテープをVWに『おかん』と張ってジーンズのステッチ仕様にしてみました。
これが2000年9月のFREE & EASY誌の『その時、俺は風だった』企画に『おかん』が勝手に投稿し、月刊チャンピオンになり掲載されました。


10年経過したオンボロ車で愛知から鳥取まで行くなんて今考えるとなんて無鉄砲な事をしたんでしょうか。(でも全くトラブルなかったですが。)
これでVWを信じたのがこの先深みにはまる1つの原因でした。

オリジナルの1966年のVWです。
当然エアコンなんてありません!3角窓を開ければ自然の風がスピードに比例して入ってきます。
通学の足として毎日お世話になりましたが、それからの2年はほとんどトラブル無しでした。66年のVWはヘッドレストもリクライニングもしないシートでしたのでこれをスクラップヤードのカローラか何かのシートに交換しました。(捨てずに取っておきましたがその後ビンテージものの流行りのシートでしたが最期まで戻しはしませんでした。)
ギヤ−シフトロッドのカップラ−のブッシュがへたっており、シフトはゆるゆるでどこに入っているのかは触らないとわからない代物で1stと3rdはシートから背中を離さないとギヤを入れる事が出来ませんでした。(外人体型の設計もあるんでしょうが、170cm未満の私には苦痛でした。)最近になって一緒にバンド活動をしている『俊ちゃん』に始めて出会い、彼を乗せたのもこの頃でした。

第2章へ続く

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