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港湾空港技術研究所 地図

2003年11月13日、木曜日。 平日だというのに、港湾空港技術研究所の一般公開に行ってきました。 港湾空港技術研究所は横須賀市の久里浜港の外れにあります。 付近には陸上自衛隊や久里浜刑務所のある立地条件(関係ないけど)。 前は、港湾技術研究所だったのが、空港の文字が入ったみたいですね。 すこし曇がちの天気の中、港湾空港技術研究所に近づいたら、様子がへんでした。 手前でビルを造ってるし、海側は堤防が工事中。 てっきり、一般公開の日を間違えたか、中止になったのかと思いました。

港湾空港技術研究所の中に入ると、いつもの一般公開と様子が違うなぁと思いました。 背広姿の人が多い。学生がいる。 通常、一般公開は土日が多く、平日にするのは不思議だなぁと思っていましたが、 平日にすると、仕事や、学校見学に便利なんですね。

水中作業ロボット模型デモ 本館に入ってすぐ右ではロボットの展示が行われていました。 水中作業用のロボット、測量ロボット、油回収システムなど。 土木系の研究所なので、研究対象の海は海岸付近になります。

水中作業用のロボットは3本の指を持った腕型のロボットで、 ロボットといっても遠隔操作の機械です。 水中作業は、海中が濁ってしまうのでカメラは使えないそうです。 そのため、手探りで作業します。 海中側のアームに触覚センサーがついていて、物に当たると反応し、 コンピュータの画面上で記録表示されます(けっこう単純な表示)。 また、物を掴むと、つかめれば操作者へのフィードバックがかかり、 コンピュータの画面上で指が赤くなります。 操作者はこれをたよりに操作して、海中の物を掴んで移動させるようになっています。 ちょっとしたコツは必要みたいですが、結構簡単に使えるらしいです。

測量ロボット 測量ロボットは6本足のマシンで、頭の上に、測量で使う赤と白の縞の棒をつけています。 ロボットが、浜辺や浅瀬を歩き回り、それを離れたところの測量の機械で観察して、 測量をするそうです。 海の侵食などを測量する場合、季節毎に測量する必要があるそうですが、 現在はかなり大変なので、機械化をもくろんでるそうです。 現在の測量では、人やダイバーが、25m間隔の線上を歩き回って、 10m毎ぐらいに立ちどまって棒を立てて、測量していているらしいです。 目標はだいたい1km/sぐらいで、遅いようですが、 現在の測量よりは早くなる予定だそうです。

向かいの部屋ではパネルなどを使った研究解説をしていました。 ぷらぷら歩いていたら、液状化の危険がある地盤を強化する研究の説明をしてくれました。 砂の中に水が混じったような状態の土地は、地震が起きると砂が流動化し液状化が発生します。 液状化がおきると、上に乗っている建物は沈むし、土の中の管(特に中が空洞のもの)は、 浮き上がってくるという、大変の恐ろしい現象です。 地盤の強化は、水を固める薬品を注入して行います。 この薬品は昔からトンネル工事などで、掘り進む先の地盤を固めるのに使われていたものだそうです。 どんなものかは知らないけど、白い液体だったので、 寒天か紙オムツの中身みたいなものかもしれません。 薬品の配合によって10分で固まるのから、数時間で固まるのまでいろいろできるそうです。 使われる場所は、主に建物を建ててから後で液状化の危険がわかった所でだそうです。 最初からわかっていれば別の対策が出来るみたいです。 実際に、江ノ島の弁天橋の橋柱の下に注入したり、羽田空港の滑走路の下に注入したりしたそうです。

2つに割れる船 次に見に行ったのは関西国際空港実験棟です。 あまりにも具体的な名前がついていますが、 関空の埋め立て工事に関する仕事をしている所らしいです。 現在2期工事の埋め立てがかなりほとんどできていて、 それ関係の説明をしていました。 埋め立て工事と言っても、素人の私には土を海中に投げ入れているだけだと 思ってしまうのですが、そんな簡単ではない様でした。 関西空港の下の海は水深が16〜20mで、その下に18〜24mの粘土層があります。 粘土層は水を多く含み、上に土を盛ると水が抜けながら地盤沈下を起こします。 これを調整しながら土を海中に入れていくそうです。 この時使う土運船は、GPSで10cm単位に位置をコントロールしていて、 船底に蓋がついたタイプや、船が2つに割れるタイプなどあり、へぇ〜、と感心します。 大体、海面下3mぐらいまで埋めると船が入らなくなるので、 今度は船からベルトコンベヤーが延びたような、揚土船で土を盛って、陸地を造ります。 最後はダンプやブルドーザを使って埋めていきます。

水をかけて変化を計測してるのかな? 会場に、期限内に盛り土をするという、土運船の簡単なゲームがありました。 適当に土を落としたら、海中で土砂崩れが起きてゲームオーバーになってしまいました。 素人には無理、と言いたいにかな(笑)。 説明員の人と少し話をしました。 関空にはホテルがあるのですが、テロ対策の理由か何かで飛行機が見えないそうです。 ターミナルビルにも展望デッキがないそうです。 離れたところからは見れるけど、面白くないと言われるとか。 一期工事と二期工事の間は200m位のみぞがあり、 これは二期工事の地盤沈下の影響を、運用中の空港に与えないためだそうです。 分割工事にしないで、さいしょから全部造れば、こんな溝を作る必要がなかったとか。

シャツ 緊急セット マグネット ペンセット 携帯ストラップ

関空関係のグッズがいっぱいおいてあって、 どうぞいくつでも持って行ってくださいといわれました。 土日の一般公開だとグッズの出がいいから、いくつでもという事はなかったので、 ちょっと感激しました。 ペンとかTシャツとか役立ちそうなものがありました。

干潟実験施設 少し先の干潟実験施設は、公開していたけど人がいませんでした。 ここは少し経路の違う実験みたいで、湿地の浄化メカニズムを研究しているそうです。 浅瀬にを模した水槽に、藻や小さい生物をいれ、波を起こしていました。 パネルがあったので見てみると、こんなことが書いてありました。
アサリを食べて海を浄化しよう
アサリが干潟で活動している間は、ろ過を通して有機物の除去機能が発揮されます。 しかし、アサリが死んでしまうと体内の有機物は分解され、いずれは海水中に戻ってしまいます。 したがって、より直接的に海をきれいにするためには、有機物をとりあげてしまうこと、 すなわちアサリを漁獲することが効果的です。 ・・・(中略)・・・ したがって、アサリ汁を1杯飲むことによって、みなさん1人1人が1日 に東京湾へ流す有機物の5%を回収する事ができるのです。
こんな言い方されると、ゴミを食べてるみたいな気がしてきます。

波動地盤水槽 波が来たところ 波が引いたところ

研究所の敷地の奥のほうに、細長い建物があります。 平成12年にできたもので、 長さ184m、幅3.5m、深さ12m、標準水深5mの巨大な実験水槽です。 最大3.5mの波、最大20立方m/sの流れを生成できます。 従来の小型水槽では、例えば砂粒を小さくすると性質が変ったり、 水のしぶきや、材料の強度が変るなどして、 なかなか実験で再現できなかった事象の研究に使ってるそうです。 これまでいくつかの大規模実験をして、例えば、台風の後に消波ブロックが沈下してしまう現象を再現し、 防波堤下の砂の吸出し現象を確認したり、 注水して液状化した柔らかい砂で波を消したりといった成果をだしてるそうです。 ちょうど、消波ブロックの衝突でケーソンが破損する現象の実験をしていました。 消波ブロックは海岸によくある、4つの突起があるコンクリートブロックです。 置き方によっては2本の突起が支点となったシーソー状態になります。 かなり重いブロックですが、波が寄せたり引いたりする力で、動いて、 ちょうどハンマーの様にケーソンにあたります。 これを500回とか1000回とか行い、ケーソンにどのような破損が生じるか実験してるそうです。 実験していた波は多分1mもない小さなものでしたが、ガッコンガッコン大きな音をたててケーソンに当り、 ケーソンも揺れていました。

水の動きの観測 その奥に、台風防災実験水路がありました。 この建物は、まともな入口がないのかもしれませんが、 窓の様な所から中に入りました。 これは実験水槽ですが、他の水槽と違い風で波を起こしていました。 風の吹き出しでは小さな波が、進んで行くうちにだんだん大きくなります。 実験水槽は大きさに限界があるので20mほど進んで、長さが50cm、高さ10cmぐらいの波になる程度ですが、 自然界では波は数百キロ以上行くので何mもの波になるそうです。 どっかで限界が発生して波が崩れるて消えるそうですが、そのへんがまだわかっていないのだそうです。 実際の海では、海面上で水が動いているのは波の長さの半分程度の深さまでで、それ以下の深さでは水は動かないそうです。 実験水槽では、端があるため、風に押されて最後まで行った水が戻ってきてしまい、 実験水槽の海底に水の流れが出来てしまうのが悩みだそうです。 実験水槽の観測する所では、小さなプラスチックの玉を水に混ぜて、暗幕で覆って、下から帯状のレーザ光を当て、 反射する光の点の動きを測定していました。 とてもきれいな光景でした。 研究とは別に、ショーウィンドウで使えそう、などと思ってしまいました。

粗品 戻りながら見てると、端のほうに机や椅子が野積みになっていました。 ちょっと汚い感じ。 最後にアンケートを書いたら粗品をくれました。 箒みたなものや、ツボ押しなど、研究所とはかんけいなさそうでしたが。

置いてあったパンフレットを見たら、第三海堡の撤去というのがありました。 第三海堡は明示大正時代に作られた東京を守るための軍事施設で、 関東大震災で崩壊し、暗礁と化していたものです。 着工は明治25年8月、竣工は大正10年、崩壊は大正12年9月です。 江戸時代の末期、まだ航空機がなかったころ、東京を守るために防御線として、 観音崎−富津岬と、品川に、船を攻撃する砲台の設置が計画されました。 品川台場は、6番台場が現在のお台場の目の前、レインボーブリッジの脇に残っています。 また、観音崎や富津岬や猿島にも砲台の跡が残っています。 観音崎−富津岬間はかなり距離があり、防衛力が不足していると、 第一海堡、第二海堡、第三海堡が建設されました。 第一海堡は富津岬の先端の水深5mほどの所に建設されました。 明治14年8月着工、明治23年12月竣工、埋立造成費38万円(現在の価格で約35億円)。 第二海堡は、第一海堡の西2500mほどの、水深8〜10mの所に建設されました。 明治22年8月着工、大正3年6月竣工、埋立造成費79万円(現在の価格で約50億円)。 第三海堡は、第二海堡の南2600mほどの、水深39mの所に建設されました。 高波で100〜150トンのコンクリートブロックが流され、 1500トンのケーソンも移動や傾くほど、潮流も激しく、かなりの難工事でした。 明治40年までの工事費だけでも249万円(現在の価格で約140億円)かかっています。 大正12年の関東大震災は、海堡に打撃を与え、特に第3海堡は4.8m沈下し、 1/3が水没し、機能を失ったため、その後利用される事はありませんでした。 水没した第三海堡は暗礁と化し、昭和49年から26年間に海難事故が15件発生し、 また航路を狭くするなど問題になってきたため、 国土交通省が平成12年から平成19年にかけて撤去し、 水深23mを確保しようというものです。 第三海堡は軍事施設であったため、当時の図面が残っておらず、 撤去と同時に港湾技術史・近代土木史の観点から調査が行われ、 CGを使って当時の様子の復元が行われています。

関連リンク

港湾空港技術研究所(http://www.pari.go.jp/)


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Presented by Ishida So