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2004年4月29日。 横須賀港の沖に無人島の猿島があります。 縄文時代から人の立ち入った形跡があるそうです。 伝説では日蓮上人が上総の国から鎌倉に行く途中に嵐にあい、避難した所と言われています。 ペリーはこの島を地図にペリーアイランドと書いていたそうです。 江戸末期には日本初の「お台場」が建設されたそうです。 以降日本軍の管轄下で、首都東京を守る要塞となりました。 戦後は主に海水浴場として使われてきました。 平成5年9月から平成7年7月まで立ち入り禁止となり、現在は横須賀市が海水浴場や観光地として整備しています。
猿島には船でわたります(往復大人1200円、子供600円・・・観光地価格の気もする)。
猿島は全体的に周囲が崖で、南側に砂浜があります。
ゴールデンウィーク中は人出が多いためか、30分に1本出ていました。
『シーフレンド1』『シーフレンド2』と名づけられた2隻の船は、あまり大きくはありませんが、双胴船だそうです。
短い航海で猿島の南側の砂浜にある桟橋に付きました。
桟橋は鉄製ですが、海水でボロボロに錆びていて、踏むとふにゃふにゃしています。
いつか踏み抜く人が出そう。
砂浜はバーベキューがOKなので、かなりの人が楽しんでいました。
少し上にある広場でお弁当を食べました。
四隅の柱の中にコンクリート製のテーブルとベンチがありました。
天井は撤去されたのでしょうか?
景色を見たら、湿度が低いためか遠くまでよく見えました。
ここから見える観音崎や第一〜第三海堡や富津岬は全部昔の要塞です。
猿島は前は要塞跡が廃墟と化して、いかにも「跡」という感じだったのですが、
今は、きれいな歩道がめぐらされて、随分と整備されていました。
その分、怪しげな印象がなくなったのは残念。
猿島の頂上付近に、ボロい展望台があります。
もしかしたら、軍の観測所だったのかもしれません。
ショッカーの基地との噂も聞きました。
上まで登ってみると、米軍基地がよく見えました。
その先を降りていくと、地面が直径10m弱の、コンクリートで円形に固められているのが4箇所あります。
高射砲の置いてあった砲座跡です。
もう一箇所あるみたいですが、わかりませんでした。
そして、トンネルがありました。
戦前のものにしてはしっかりと残っています。
トンネルの先には露天掘りの通路があります。
通路の両側は石やレンガ積みになっています。
通路に横穴があり、明治時代に作られた兵舎や弾薬庫や司令部になっています。
レンガ積みは、全国で4件しか現存していない明治時代のフランス式のレンガ積みだそうです。
多分、攻撃されても耐えるためなのでしょう。
中を見てみたかったけど、入口は塞がれていました。
当時、ここに詰めていた兵士はけっこう辛い暮らし(湿っぽそう)だったのでしょう。
道をどんどん進むと崖に出て、下へと階段があります。 階段を下りると日蓮上人が立ち寄ったと言われている洞穴があります。 かなり大きく平らなので、数十人が寝る事ができそうです。 奥は暗くてわからなかったですが、カメラのフラッシュで見た限りでは、奥深そうです。 洞穴の前を少し下ると海に出ます。 人が泳いでるマークの看板があったので、泳げるのか、と思ったら「きけん 泳ぐな!」と書かれた赤い文字が消えていました。 危ない危ない。 ゴールデンウィークという事もあり、親子連れがいっぱいいて磯採集に励んでいました。
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