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記念館三笠地図

記念艦三笠全景

船首からの光景 2005年5月5日、記念館三笠に入ってみました。 横須賀の海側に三笠公園があり、そのなかに戦艦三笠があります。 イギリスのヴィクトリー号やアメリカのコンスティチューション号と並ぶ、世界3大記念艦の1つだそうです。 平成4年に、造船史上価値の高い船舶として、英国の世界船舶基金から海事遺産賞を受賞しているそうです。

甲板上は大砲などがあり、復元された副砲の一部は動かせました。 もちろん撃てるわけではないのですが、動くと結構楽しいものです。

動く副砲 記念館三笠は日露戦争の連合艦隊の旗艦だった船です。 明治38年5月27日の日本海海戦で、戦力的に勝るバルチック艦隊を全滅させた偉業を記念しての艦だそうです。 世界的に見ても白人に対しアジア人が勝利したという意味で大きな影響を与えたそうです。

明治32年起工明治35年2月竣工のイギリス製です。 当時の日本の技術力ではこのサイズの戦艦が作れなかったためイギリス作ったそうです。 値段は当時のお金で880万円だそうです。

記念館になるぐらいの船ですがいろいろ災難にあっているそうです。

明治38年には火薬庫が爆発して沈没事故を起こしています。 大正10年にウラジオ沖で座礁し、そのご横須賀で係留中に関東大震災で損傷しました。 ワシントン軍縮会議の結果、廃艦が決定するが国内外の保存の声で、 絶対復帰できないようにするとの条件で記念館として保存される事になりました。 船首は皇居を向いているそうです。

第2次大戦で米軍は横須賀基地を接収する予定で攻撃しなかったため、三笠も戦火を逃れる事が出来ました。 しかし、連合軍が上甲板を撤去されてしまい、ダンスホールや水族館にされてしまいました。

昭和30年にイギリス人の日本を訪れたジョン・ルービン氏が無残荒廃した三笠を見て、 ジャパンタイムズに投稿したのをきっかけに、米・大平洋艦隊司令長官だったニミッツ元帥の働きもあり 国内やアメリカからの募金で復元したのが、現在の形です。 従って、上甲板の上は復元したものです。

船内に入ってみると指揮艦らしく、船尾のほうに船長室だけでなく、 司令長官室などがありました。 長官室はかなり豪華なつくりで、外国要人の公式の応接に使えるようになっていいました。

一角に昭和60年に学生だった秋篠宮殿下が来たときの写真が展示してあり、 誰が誰だか私にはわかりませんでしたが、 妃殿下や黒田さんも写っていると書いてありました。

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