となり町の寒山

 私は現代絵画を描く画家である。最近水墨画のモチーフである「寒山、拾得」を描いて
いる。現代的な描き方でこれを書く。寒山、拾得と言っても、若い人は知らない。昔の中
国の人でぼろぼろの服を着ている。ニタニタ笑い、うす気味が悪い。一人はほうきを持っ
ている。他の一人は巻き物を持っている。この絵は唐の時代書かれた、寒山詩という詩を
テーマに後世の人が作者の寒山、作中人物の拾得を絵に描いたものだ。寒山詩を描いた人
物はとても変人で、人里離れた山奥の寒山に一人住み、月、山、川、木を愛し、石の上に
寝るのを好んだ。

 寒山、拾得図は一昔前は掛け軸になって一般家庭の床の間によく見られたものだ。誰で
も知っていたモチーフでもあるが、近年これを知っている人は少なくなった。江戸時代、
明治、大正、昭和、それも戦後のしばらくの間の昭和までは誰でも知っていたであろう。
急に知っている人が少なくなっている。

 朱鷺(とき)という鳥が日本に沢山生息していたのが、突如として絶滅した。この世に
まったく自然に、ごく常識的に存在していたのが、急になくなってしまう、そんな事が
現代になって非常に多くなってきていると思われる。

 現代文明の中にある日本の社会では生活水準も上がり、食物にもめぐまれ、着るものも
沢山ある。何でもかんでも沢山ある。最も幸福な時代を過ごしているように思われる。で
も何かがなくなっていく。知らないうちにすいすいなくなっていく。そして、心が空漠に
なって、生きていても死んでいてもどうでもいいような気分になってくる。どうも変だ。
寒山、拾得も忘れ去られ、この絵の精神も忘れ去られるのだろうか。

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