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Science of Formula Vol,1 Frame | ||||||||||||||||||
「サイエンス オブ フォーミュラー・・・・」なんか、ディスカバリーチャンネルのような名前ですね!!まぁ〜そんな事はエエとして・・・・。 第一弾は「Frame:フレーム」についてお話したいと思います。ちなみにモノコックとフレームは違うんちゃうの??っと揚げ足を取ろうとする方がいますが、モノコックの正式名称かっ??っはモノコックフレームといい、またシャシーという呼び名は逆にエンジン以外の車体を構成する構造物全ての言うので、やはり今回の場合、フレームと称するのが、一番正しいようです。 責任逃れのために言っておきますが、ここまでの話は私の卒業大学「大阪産業大学」のシャシーの先生が授業で話していたので、クレーム、文句などはそちらへお願いします!! まず、モノコックという存在が、世に現れたのは1962年のロータス25においてそれまで主流だった鋼管スペースフレームからアルミのシートをリベットなどでつなぎ合わせ、ドライバーを囲い込む様な箱状のモノを生み出したのが始まりでした。しかし、70年代後半に入り空力の新技術「グランドエフェクト」が採用されたからは、コーナーリングスピードも大幅に上昇し、それに伴いコーナーリング時にマシンにかかる強烈な遠心力によりアルミモノコックでさえも、剛性不足が深刻化され始めました。
その問題を解決すべく登場したのが、80年のイギリスGPにデビューしたF1界初、っというよりは自動車業界初のカーボンファイバーモノコックです。マクラーレンでのそのカーボンモノノックの成り立ちは、レーシングカーコレクションのマクラーレンMP4にて詳しくお話していますので、そちらをご参照下さい! では、カーボンとはそもそもなんぞいな??っという疑問もあるでしょうから、まずはそれからご説明しましょう! カーボンファイバーモノコック、正確にはCFRP(Carbon Fiber Reinforced Plastic:炭化繊維強化プラスチック)を用いたカーボンファイバーコンポジットモノコックと言います。製造方法としてはまず、アクリル繊維を折り重ねて出来たシート状のものを、高温で熱をかけて炭化させればカーボンファイバーが出来上がります。そのカーボンファイバーを更に合わせて糸を作り、その糸を折り合わせるとカーボンシートが出来上がり、それに特殊な樹脂(エポキシ系の熱硬化性樹脂)を染み込ませて加圧、加熱処理(いわゆるカーボンを焼くという作業)を経て出来上がったのがCFRPというわけです。 この時点で、CFRPはアルミに比べて4〜5倍の強度があると言われています。それを更に六角形の芯材(コア)を両サイドからCFRPで挟んだハニカム構造(ダンボールのような感じと思って頂ければ言いと思います)にすることで、その強度はアルミ素材とは比べようも無いほどの高強度を実現させられるというわけです。それを独自の形状に製法していくことでカーボンファイバーモノコックが出来上がるわけです。 ハニカム構造自体はすでにアルミモノコックの時代から採用されており、その有能性は実証済みでしたが、アルミハニカムのモノコックの剛性が高いもので800〜900kgm/degだったのに対し、初期のカーボンモノコックですら1650kgm/degっと、単純にアルミの倍ほどの強度があったわけです。それにアルミよりも20パーセント近く軽かったそうです。しかしながら、当時は今ほどカーボンの加工技術が進んでいなかったため、初期のマクラーレンではカーボンのシートを特殊なリベットで繋ぎ合わせてモノコックを構成していたようです。 その後、カーボンの加工技術が進歩し、89年のマクラーレンMP4/5などでは2800kgm/degほどの数値を達成していたようです。そして現代では3500kgm/degものとてつもない数値の高剛性を達成しているようです。
かつては型にシートを貼り込んでいく際には、ローラーなどで職人さんが手作業で張り込み&エアー抜きをしていたらしいですが、その方法では樹脂の量のコントロールが難しく、またカーボンシートと気泡との色が同色で保護色であったため、エアー抜きが非常に難しく、結果的に出来上がりの個体差が激しくなるため、現在ではプリプレグという予め樹脂を染み込ませたシートを張り込んでいくことにより、飛躍的にその出来上がりのクオリティも高くなったようです。ちなみにこのカーボンファイバーのシートは日本の東レのシェアが大きな割合を占めているそうです。さすが繊維業のトップですね!物作り大国日本!を代表する企業です。 ここまで、カーボンの優位性を主にお話してきましたが、ではカーボン自体に性質上の欠点がないかと言えば、そういうわけでもありません。っというのも、カーボンファイバーは非常に硬い材質でありながらも、その反面、非常に衝撃に弱い、いわゆるモロいという性質があります。早い話、粘りがないわけです。よって、カーボンファイバーだけで製作されたモノコックは耐衝撃性という点では難点であるわけです。 そこで、ケブラー(アメリカのディポンという会社の商品名だそうです)という伸びがあり、粘りのあるアラミド繊維という素材を併用することで、耐衝撃性を合わせもたせているわけです。 具体的な製造工程ですが、まず最初に型に張り込んで行くのがモノコックの一番外側・・・・・いわゆる外皮の部分で、前途のプリプレグを場所にもよりますが、大体10層ぐらい重ねて張り合わせて行きます。しかし、フォーミュラーのモノコックといのは、非常にその造形も複雑で、プリプレグそのままでは張り合わせ辛いので、まず適度な大きさ裁断し、それをドライヤーでプリプグレに染み込ませてある樹脂を溶かし、その状態で張り込んで行く事で溶けた樹脂が接着剤の役割を果たし、ヘラなどで上手く貼り付けられていけるわけです。 外皮が出来上がれば、その上からアルミのハニカムを貼り合わせて行き、最後にモノコックの内側に再度、プリプレグを今度は5層ほど貼り込んでいくわけです。 ここまでの工程の途中にオートグレープという巨大な圧力釜で加熱・加圧が施されます。その作業の際、製品となるモノコックはナイロン製の袋に入れられ、内部を真空にすることで大気圧をかけ、プリプレグ上の余分な樹脂が吸いだされ、また素材同士の密着度も高められるわけです。また前途のような型とシートの間に噛んだエアーも、この時点で完璧抜き出されるわけです。 オートグレープでの詳しい作業内容ですが、一般的に圧力は3気圧程度かけられ、また加熱温度は徐々に上昇させることで素材同士を密着させて、最終的には135℃くらいまで上昇させ、一時間くらいかけて樹脂を硬化させて行くそうです。もっとも、これらの圧力や加熱温度の数値及びその時間などはチームによってマチマチなようですが・・・・・。 こうした工程を経て、強靭なカーボンファイバーモノコックが出来上がるわけです。そしてご存知の通り、このカーボンファイバーモノコックの登場のおかげで、アルミモノコック時代とは比較にならないほど死亡事故は減少し、特に1982年のカナダGPでのスタート直後にフェラーリのディディエ・ピローニの背後に激突し死亡したオゼッラのリカルドパレッティの事故以降、死亡事故はゼロが長らく続きました。(ご存知、1986年のポールリカールでのテストでブラバムのエリオ・デ・アンジェリスが事故死というのがありますが、あれは消火作業時における窒息死だったそうですので、ちょっと省きます・・・・・) とはいえ、いくら安全とはいえど、現在のモノコックとはその形状も大きく違い、ドライバーの肩は丸出しに近かかったことから、安全性はもちろんある程度確保しながらも、それよりコンパクトでかつ重心の低さがより求められていたような気がします。特にターボマシンでは最強と称されたマクラーレンMP4/4はとてつもなく重心を低く抑えられ、そのためドライバーの肩が少し外側にはみ出している感がありました。しかし、当時はターボパワーを駆使してのストレートスピードを重視し、またタイヤや空力性能も今より格段に低かったため、絶対的なコーナーリングスピードが低かったこともあり、大クラッシュは多かったものの、死亡事故に至るようなことはありませんでした。
そんなモノコック安全神話を根底から揺るがす事件が、遂に起こってしまいます。そうモノコック自体がが、粉砕されるという最悪の事故が起こってしまったのです。今となってはあまり語られることはありませんが、1990年のスペインGP予選で起きた事故を覚えておられる方も多いのではないでしょうか。スペインGPの行われるヘレスサーキットでの予選、ロータスのマーチンドネリーが180kmの速度でコースアウトし側壁に激突、車体後部を残して、モノコックは粉々に砕け散り、ドネリーは背中にシートを貼り付けられたまま、路面上に投げ出されました。両足があらぬ方向に曲がり、複雑骨折、その他、内臓にも大きな負傷を負ったようでしたが、奇跡的に一命はとりとめましたが、その後、彼が再びグランプリシーンに戻ってくることはありませんでした。 その様子を見に行ったアイルトン・セナは非常に鎮痛な表情を示し、確かその後のタイムアタックを取りやめたように覚えています。 しかし、当時は事故の当事者が、すでにB級チームであったロータスの若手で、まだ実績も乏しかったドネリーが起こした事故!ということから、さほど大きな問題としては取り上げられなかったようです。 やはりこの時点においても、カーボンファイバーモノコック、強いてはF1そのものに対する当事者の安全への過信があったことは明らかでしょう。 そして運命の1994年を迎えるわけです。94年シーズンはそれまで装着されていたアクティブサスペンションが禁止され、またレース中の給油が解禁されたことを受け、マシンそのもののバランスが大きく変わった年でもありました。しかしマシンの基本コンセプト自体は昨年と大きく変わるはずはなく、外見的にはむしろ前年型のモディファイに近い状態であったように記憶しています。そしてそれが何を意味するのでしょうか?それはアクティブサスがなくなったことでのコーナーリング時の安定性の低下、そして給油が解禁されたことにおけるマシンの重量バランスの大きな変化、結果的にマシンの挙動が非常に神経質な特性になったことを意味しました。そしてその弊害はすでにシーズン前に起きていました。ベネトンのJ・J・レートが大クラッシュし、重傷を負い、その後、回復しシーズン中、何度かは出場しましたが、結局、波に乗れず、新鋭のヨス・フェルスタッペンにそのシートを譲ります。更にフェラーリのジャンアレジも大きな怪我はしませんでしたが、あわやの大クラッシュを起こしています。 続いてサンマリノGPを迎え、その後のF1そのものの行方を変えてしまうような大きな事件が起きてしまうのです。それは言うまでもなく、アイルトン・セナとローランドラッツェンバーガーの死亡事故です。この件については、他の多くの文献で述べられていますので、そちらへ譲りますが、まさにセナでさえも当時のマシンバランス、特にコーナーリング時のマシンのコントロールは難しかったのかも知れません。 とはいえ、鈴鹿のラップタイムだけを見ると、予選タイヤ(通称:Qタイヤ)の使用が許された1991年にマクラーレンのゲルハルト・ベルガーがマークした1分34秒台のレコードは2000年代に入って、フェラーリのシューマッハが破るまで、そのレコードは生き続けましたから、もしかしたら死亡事故は逆に91年ごろの方が起こりやすかったのかも知れません・・・・。もっとも、Qタイヤによって危ういコーナーリングバランスが保たれていた!っとの考え方もありますが・・・・ 92年に入り、ウィリアムズがアクティブサスペンションを導入したことで、鉄壁のコーナーリング性能を披露したのは皆さん、ご存知の通りですが、当時もモノコック性能自体はさほど向上していなかったようです。むしろQタイヤの使用が禁止されたことで、サーキットのよって3〜4秒近く、ラップタイムは落ちています。ただ、気になるのはこのシーズンを戦ったマクラーレンのMP4/7はデビュー前のクラッシュテストで一度、不合格になっているということです。それまで空力という面ではホント無頓着だったマクラーレンが、空力の魔術師エイドリアン・ニューエイがデザインした、前年のウィリアムズFW14の快進撃を見て、同チームデザイナーの二ール・オートレイもそれを無視出来なくなったのでしょう!もっとも、ルノーの熟成が進み、パワー的にもホンダと遜色ないまでに進歩したことから、それまでのようにホンダエンジンに頼りっきり!っていう風には出来なくなったという説もあります。確か当時でホンダ、ルノーとも13500rpmくらいで735〜750馬力くらいを発していたような・・・・・。
ご覧のように、91年のマクラーレンMP4/6に比べると、92年のMP4/7は格段にドライバーズキャビンからノーズにかけてがシャープになっています。もちろんこれは他チームと同様にMP4/7からハイノーズ化されるとともに、フロントノーズからキャビンにかけての空力の要求により、その幅はどんどん狭められているわけですが、さすがにこれだと強度的にも苦しくなるわけです。そこでFIAはこの流れに歯止めをかけるべく、1998年になってモノコックの外形寸法が定めれるようになりました。一方でコクピット開口部も当然ながら面積が小さいこしたことはないのですが、そうなると事故のときドライバーが救出される(脱出する)際も、時間がかかって危険であるため、その最低開口面積も決められるようになりました。事実、それ以前、80年代〜90年代中盤くらいまではウィリアムズやマーチ(レイトンハウス)などのマシンは、ドライバーの手の部分が完全に隠れるほど、その開口部が小さかったですからね。もっともこれらの両マシンをデザインしたのは他ならぬ今をときめくエイドリアン・ニューエイなんですがねぇ・・・・・。 マーチをドライブしていた当時のドライバー、マウリシオ・グージェルミンは自らの巨漢のせいかもるけど、年々小さくなる彼のデザインのモノコックに不便を喫し、次第に成績も下降していったらしいです。最近では、元マクラーレンのテストドライバーで来期はウィリアムズのレギュラーシートに座ることが決まったアレクサンダーブルツもマクラーレンMP4/18(テストカー)には、乗り込む時、体を傾けないと乗り込めなかったことが、取り上げられました。ちなみにこのMP4/18も一度クラッシュテストにも落ちたそうです・・・・・。 全くの個人的な意見なんですが、ハイノーズに関して、実は持ち上げる高さにもよりますが、ハイノーズにすると衝撃の強さ=ドライバーにかかる負担は大きくなるような気がするんですね。っというのも、正面からのクラッシュの時(実際は斜め横からの方が圧倒的に多いですが・・・・)、衝撃の方向:ベクトルはドライバーの方向に垂直であればあるほど、その衝撃力はモロにかかり、ベクトルが↓方向であれば、その衝撃力も↓方向に分散されます。 だから2000年のフェラーリのF2000や02年のアロウズA23なんかは異様にノーズが高く、「コレって危ないんちゃうの??」っとよく思いましたね。その後は翌年になってフェラーリの鼻先が垂れ下がったノーズ形状を採用し、またフロントウイングのマウント位置もレギュレーションで引き上げられたことや、昨年のマクラーレンのMP4/20が先駆けになったフロントロアーアームの取り付け位置がゼロキール化にすることが流行っていることにより、異様に高いノーズっていうのは少なくなりました。とはいえ、A23を流用するスーパーアグリのSA06はやっぱり高いですね・・・・・。
結論から言えば、空力を煮詰めていくと安全性はキツくなる!っということなもかも知れません。その状況を受けてFIAは98年にレギュレーションを改定し、モノコック内のドライバーズスペースの占める割合を拡大させることになるのですが、結果的にこれが現在のトーションバーを用いたサスペンションの普及を促進し、更なるノーズのスリム化に繋がるのですが、またこれはについては空力及びサスペンション編にてお話したいと思います。 では具体的に現在のモノコックの安全規定では、その強度はもちろんのことながら、寸法や構造などが非常に細かく規定されています。例えば、前方からのクラッシュの際、ドライバーの足がアーム類などで怪我を負わないように前車軸から後ろにあることが規定され、少なくとも足先から300mm前方までモノコックが伸びていることが規定されています。またモノコックの内部構造においても、外皮(アウタースキン)の厚さは3.5mm以上と決められ、また衝突の際もアーム類が内部に貫通しないように、2.5mmのケブラー層を含むことが義務付けられました。とはいえ、02年でしたっけ??当時、ウィリアムズのラルフ・シューマッハがモナコで前方からのクラッシュの際、アームが内部に突き出てきて足を負傷していましたけど・・・・・。 最後に衝突実験(試験)、いわゆるクラッシュテストについてお話したいと思います。先端にノーズコーンを装着し、ダミーの人形を載せた状態で壁に激突させ、変形や衝撃の吸収度の度合いを調べ、一方でノーズコーンは潰れることで衝撃を吸収しながらも、モノコック本体には危害が及ばないことは当然ながら、衝突時の最大Gが規定値以下であることも求められるわけです。 具体的に衝突実験時の速度及び環境は、75kgのダミーを乗せたモノコックを秒速13m(そのときの衝撃Gは66KJ)で行われているようです。 またセナの事故を受けて、95年からはモノコック左右の衝撃構造、97年からはギアーボックス後部の衝撃吸収構造についても厳しく実験テストが行われています(これについては重りをぶつけるという至極原始的なやり方なんだそうです!!) 以上の実験テストを受けて合格したモノコックには、トランスポンダーと呼ばれる発信機が埋め込まれ、サーキットではその発信機から発射される電波をセンサーによってキャッチし、適切なモノコックが使われているかが随時チェックされているようです。 このようにして1981年のカーボンファイバーモノコックの登場以降、事故による死者は格段に減りましたが、それでもアイルトンセナの事故死など、その安全性を過信したころに悲劇を起こるなどをして、今日に至るまで、その安全性と戦闘力は両立しながらも進歩を遂げてきました。 現在ではよほどの大事故を起こしても、ドライバーが救急車で運ばれる!というような事態はほとんど起きていません。が、しかしここ数年、インディアナポリスではラルフシューマッハがスピンしながら、後方から激突し、負傷をしています。よって、今後は後方の衝突に対して、更なる厳しい安全性が求められるのでないでしょうか!! |
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