七つボタンを訪ねて
5月3日〜7日 茨城・埼玉


陸上自衛隊武器学校敷地内にて
1日目 ひたすら走りに走る

 さて今年も恒例のGWがやってきた。毎年毎年少しずつ旅の予算は削られ、今年も厳しくなったところにガソリンの値上げ。遠くにはいけないなぁ〜と考えたが、東北からは出てみたい。ということで、行ったことのない茨城県に高速道を使わずに行ってみることにした。
 朝5:30起床、6:00出発。ルート7を碇ヶ関まで走り、小阪、鹿角、安代を通り盛岡に抜ける。盛岡からはひたすら走りなれたルート4を南下。しかしさすがに一般道を400kも走るとあきてきたので、白石からは東北自動車道にのり矢吹まで走る。矢吹からは県道44号、国道118号を通り茨城県・大子の道の駅【奥久慈だいご】に18:35に到着。
 今日はここで車中泊。まずは我家の定番、うどん入りココリキーで夕食をとる。ここには温泉もあるのだが19:30までの入浴という事で間に合わなかった。駐車場は車中泊でほとんど埋め尽くされていたが意外と静かであった。最近はセダンで泊まる人もかなり増えてきたようだ。

途中で見えた残雪の残る北東北の山々をご覧下さい。
青森市から見た八甲田山 ルート7からの岩木山
西根付近からの岩手山 大子奥久慈道の駅


2日目 滝と公園

 今日も青空、天気が良い。朝食はいつものホットサンド。簡単に済ませ近所にある月待の滝を見に行く。
 説明文によれば、落差15m、幅10mで滝の裏側がえぐれていて、裏から滝が見れるという事だ。車道から坂道を降りていくと上品な雰囲気の良い滝が現れてくる。それではと裏側に回ってみる。まるで大雨の中、笠から覗いているような風景だ。マイナスイオンをわんさか浴びれそうだ。(前に群馬県の同じように滝の裏側に回りこめる、裏見の滝へ行ったのだが、道の崩壊でまわりこめなかった。今回は初めて滝の裏が見れて満足)
月 待 の 滝 月待の滝を裏側より見る

 上品な滝を見た後は、スケールのでかいのを見ていくかと袋田の滝に向かう。この滝は日光華厳の滝、南紀の那智の滝と並ぶ日本三名瀑だそうだ。滝に近い方の駐車料金が高いが、ちょっと離れたところだと一回100円で一口田楽が人数分無料となっていた。当然ここに停めた。滝にはトンネルを抜けていくと観覧所にたどり着き、つり橋を渡るとトンネルを通らず戻れるようになっていた。トンネル利用料は大人300円、子供150円となっていた。 トンネルを抜けて行った観覧所は滝をまじかから眺められ迫力満点。
 駐車場に戻り、一口田楽をご馳走になり、息子はどうしても鮎の塩焼きが食べたいという事で1匹だけ買って食べた。う〜〜〜ん、儲けた感じ!!

袋 田 の 滝

 滝を見た後は、ここまで来たら水戸納豆。水戸市へ行ってみる。ここまで来たらやっぱり偕楽園でしょうな。公園の脇の駐車場に車を停め中を散策してみる。本来ならば梅の咲くころが良いのだろうが、ちょうどつつじの花が見ごろとなっていた。隣の千波公園まで足を伸ばしてみた。
水戸偕楽園・つつじ
園 内

 公園散策の後は水戸納豆をゲットするべく街中に行ってみる。とりあえず入ったKEISEIデパートの地下食品売り場で探してみる。いろいろな納豆があったが写真の3種類を買ってみた。後に食べた感想としては、黒豆納豆(300円)が歯ごたえもあり一番美味しく、わらに包んでいたのはわらの匂いが強かったそうだ。ちなみにパックに入っていたのは青森で買うのと同じとの事でした。(俺は納豆が嫌いでたべなかったのでカミさん談です。)
 あとは、やはりありました水戸といえば黄門様、「黄門ばやし」の酒。いいなぁこういうのって!!
納豆三連発 やはりあったか

 さて、納豆ゲットのあとは霞ヶ浦を目指して南下する。土浦ちかくなり渋滞に巻き込まれ夕方になってしまった。今宵はどこに泊まろうか地図とにらめっこ。南東の湖畔に無料の浮島キャンプ場を見つけとりあえずそこに行ってみる。
 着いて場内を散策してみるとすでに4・50組のテントが立っていた。敷地の広さの割りにトイレと炊事場が少ないが、無料だと思えば仕方ないかも。にぎやかそうなので我家もここの駐車場で車中泊をさせていただくことにした。

夕日の霞ヶ浦湖畔を散策した後静かに眠りにつく・・・・・・・・・・・・・・・

3日目 七つボタンとは
 今日も青空、晴天だ。朝食のあとは家族全員で、湖畔を散歩する。琵琶湖についで日本第2位の大きさという事で確かにデカイ。
 さてキャンプ場を後にし、もっとも興味は引かれているのだが、二の足を踏んでしまう所が湖畔にある。、しかしここまで来たのだから寄ってみることにした。それは今現在は陸上自衛隊武器学校の中にある。
朝日の霞ヶ浦 ボート疾走

 時代に散らされた、若き翼たち・・・・・


 予科練というのをご存知だろうか? 俺の死んだ父は戦中派だったので、子供の頃車のカーステでたまに軍歌が流れていた。そのなかには若鷲の歌「若い血潮の予科練の〜、七つボタンは桜と錨」というのがある。親には、「予科練ってなに? 七つボタンは桜と碇ってどういう事?」と聴いていた記憶がある。後に予科練を知るにあたり非常に胸に来るものがあった。
 陸上自衛隊武器学校敷地内の予科連記念館(雄翔館)を訪ねてみる。朝9時に自衛隊で受付を済ませ見学コースを歩いてみる。ちなみに男女平等の時代、門兵は女性隊員だった。敷地内には各年代の戦車が展示され、その中に記念館はあった。

申し訳ございませんが、予科練については俺などがつたない言葉で説明するより、検索エンジンなどで他のHPで調べてみてください。

 記念館の中には、若くして各戦地で散っていった若者たちの遺書・写真が飾られていた。写真の顔はどの顔も若くりりしく、目はどこか遠くを見つめ涼しげでさえある。何通か両親に宛てた遺書を読んでみたが、自分の死よりその後の両親の気持ちを気遣う言葉が多く、読み進めることができなかった。館内の天井のスピーカからは、ハーモニカで演奏された若鷲の歌とナレーションが流れる。特攻隊の主力構成員とされた彼らの思い、祖国への想い、今の俺たちにはさっするに余りある。こんな若者たちを大勢死なせてしまったことは日本の大きなる損害だったと思った。子供達にこの館の意味を説明しようとしたが、胸に重いものがこみ上げてきてできなかった。会津白虎隊もそうだが、時代を信じ、時代に散らされた純粋さに言葉もない。

若鷲の歌の1番の最後の歌詞は、「霞ヶ浦には、でっかい希望の雲がわく。」なのだが、本当に希望の雲は見えたのだろうか?とカミさんが一言ポツリ・・・・・・・・・・・・・

 館内には一着だけ、桜と錨の七つボタンの軍服が展示されていた・・・・・・・・・・
 七つボタンとは予科練のことをさすのだそうだ。

館内は撮影禁止のため写真はない。

記念館を出た後、隣にある売店(自衛隊・予科練グッズをおいてある)で、息子には今風にブルーインパルスの下敷きを買ってやった。
各年代の戦車です 雄翔館(左側)


 七つボタンに別れを告げ、次につくば学園都市に行ってみた。晴天の下、街路樹の緑が皐月の風に吹かれ気持ちが良い。
 地質標本館、サイエンス・スクエアなどアカデミックな所を、息子・娘が走り回らないよう気を使いながら、おう〜なるほどと感動しながら駆け足で回る。昼過ぎになりどこか食事のできる場所を探し、センタービルに行ってみる。格安な十割蕎麦の店を見つけ久々の外食をし、その後はぶらぶら散歩をしてみた。
 近くにあった岩山のオブジェでは、子供達が猿のごとく駆け回り、間欠しない間欠泉のような噴水がありしばし子供達を遊ばせる。こんな場所に来ると親はハラハラするのだが、子供達は実に生き生きと飛びはね遊びだす。ここが一番のお気に入りかも。
岩山のオブジェを猿のごとく このまんまの噴水
 子供達の息抜きをさせた後は、筑波宇宙センターへ行ってみる。着てみたら子供達の多いこと、そうか今日は5月5日、こどもの日だったのねぇ〜。
 宇宙センターでは人工衛星や宇宙ステーションの模型など、すごいオブジェでおおはしゃぎ。
エンジンだそうです 人工衛星 だったかな?
人工衛星 ステーション内
 センターを出た後は、今日の宿泊地、高校時代からの友人で若かりし頃はバイクツーリングのパートナーだったH・K君の新築の家に向かう。彼の家は埼玉県の鴻巣市だ。筑波からは80kmくらいかな。なれない道をカミさんナビを頼りに向かうが、やはり途中で間違えてしまった。機械のヤツが欲しい。
 夕方にようやくたどり着くと、すでに屋上でバーベキューで盛り上がっていた。ちなみにこれまた高校時代からの友人C・Y君も一緒だ。その後はエンドレスで飲み続け、家族ともども泊めていただく。



4日目ですよ
 2日酔いで目が覚めた後は、近所の公園にお互いの子供達を遊ばせに行く。昼食をとった後も「せせらぎ公園」に行ってみる。ここの公園にはSL C11が展示されていた。以前Nゲージに凝っていた俺としては実物に感激だ。
 夕方になりご迷惑をおかけしたH・K君の奥様に挨拶をし、この次は青森で会うことにして出発。
 東北道に乗り、青森を目指すがどっと疲れが出てきた。運転をカミさんに任せていたが、安達太良SAに着いたあたりで車中泊。

5日目ですよ
 青森に向かって一直線。昼には到着。走行距離は1500kmちょいになっていた。今年のGWはこれにて御仕舞い。