その六、まつわれにくし虫のすがたは
 
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【本文】
「いとあさましく、むくつけきことをも聞くわざかな。さる物のあるを見る見る、みな
立ちぬらむことぞあやしきや」とて、大殿(おとど)、太刀をひきさげてもて走りたり。
よく見たまへば、いみじうよく似せて作りたまへりければ、手にとり持ちて、「いみじ
う、物よくしける人かな」とて、「かしこがり、ほめたまふと聞きてしたるなめり。返
り事をして、はやくやりたまひてよ」とて、渡りたまひぬ。
 人びと、作りたると聞きて、「けしからぬわざしける人かな」と言ひにくみ、「返り
事せずは、おぼつかなかりなむ」とて、いとこはく、すくよかなる紙に書きたまふ。仮
名はまだ書きたまはざりければ、片仮名に、
  契りあらばよき極楽に行きあはむまつわれにくし虫のすがたは
  福地の園に。
とある。

 
 
【現代語訳】
「全く、ずいぶん気持ちの悪い話だ。そのような物があるのを見ておきながらみなその
場を離れるとは、けしからん」
と言って、大殿は太刀を引き下げてかけつけました。
よく見れば、とてもよく似せて作った作り物でしたので、大殿は手にとって、
「なかなか器用な人がいたものだ。感心して、おほめになると聞いてしたことだろう。
返事をして、早く捨てておしまい」
と言って、戻って行ってしまわれました。
 女房たちは作り物と聞いて、
「けしからぬことをする人ですね」
と憎らしげに言いましたが、姫君は、
「返事をしなければ、きっと気がかりになります」
と言って、堅そうな飾り気のない紙に返事をお書きになりました。
それには、平仮名はまだお書きになれないので片仮名で、
  「ご縁があれば、良き極楽で出会いましょう。
   お側に居づろうございますよ、蛇のお姿では
   福地の園に…」
とありました。