その五、立ちどころ居どころ蝶のごとく
 
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【本文】
 かかること世に聞えて、いとうたてあることを言ふ中に、ある上達部(かんだちめ)の
御子(おほむこ)、うちはやりてものおぢせず愛敬(あいぎやう)づきたるあり。この姫君
のことを聞きて、「さりとも、これにはおぢなむ」とて、帯のはしのいとをかしげなる
に、くちなはのかたをいみじく似せて、動くべきさまなどしつけて、いろこだちたる懸
袋(かけぶくろ)に入れて、結びつけたる文を見れば、
  はふはふも君があたりにしたがはむ長き心のかぎりなき身は
とあるを、なに心なく御前(おまへ)に持てまゐりて、「袋など、あくるだにあやしくお
もたきかな」とてひきあけたれば、くちなは、首をもたげたり。人びと、心をまどはし
てののしるに、君はいとのどかにて、「なもあみだぶつ、なもあみだぶつ」とて、「生
前の親ならむ、な騒ぎそ」とうちわななかし、「かろがろし。かやうになまめかしきう
ちしも、けちゑえんに思はむぞ。あやしき心なりや」とうちつぶやきて、近くひき寄せ
たまふも、さすがに恐ろしくおぼえたまひければ、立ちどころ居どころ蝶のごとく、ま
たせみ声にのたまふ声のいみじうをかしければ、人びと逃げさわぎて笑ひ入れば、しか
じかと聞(きこ)ゆ。

 
 
【現代語訳】
 このような事が世間に知れてひどいことを言う者の中に、血気盛んで物怖じせず顔立
ちの良いある上達部のご子息がいました。
この姫君のことを聞いて、
「それでも、これには怖がるだろう」
と言って、いかにもそれらしい帯の端を蛇の形そっくりにこしらえて、動くように仕掛
けをして、鱗模様の懸袋に入れました。
それに結び付けた手紙を見れば、
 「這うようにしてでも、あなたのお側に付いていましょう。
  この長い姿のように長く変わることのない心を持った私ですから」
とあります。
女房が何気なく御前に持って参ったので、
「袋など。開ける前から妙に重たいですね」
と言って姫君が引き開ければ、蛇が首を持ち上げました。
女房たちは驚いて騒ぎ立てるのですが、姫君は落ち着き払って、
「なもあみだぶつ、なもあみだぶつ。生まれ変わる前の親かも知れません。騒がないで」
                                   ↓つづく
 
 
 
 
 
そして声を震わせて、
「軽率です。このようにみずみずしい姿の間でも、私なら血縁だと思いますよ。考え方
が間違ってます」
と、ぶつぶつ呟いて近くへお引き寄せになりました。しかしさすがに恐ろしく思われた
のか、立ったり座ったりするところはまるで蝶のよう。その上、蝉のようなうなり声で
おっしゃるのがとてもおかしくて女房たちが逃げ騒いで笑いこけるので、この騒ぎは父
親の耳にも入りました。