かかること世に聞えて、いとうたてあることを言ふ中に、ある上達部(かんだちめ)の
御子(おほむこ)、うちはやりてものおぢせず愛敬(あいぎやう)づきたるあり。この姫君
のことを聞きて、「さりとも、これにはおぢなむ」とて、帯のはしのいとをかしげなる
に、くちなはのかたをいみじく似せて、動くべきさまなどしつけて、いろこだちたる懸
袋(かけぶくろ)に入れて、結びつけたる文を見れば、
はふはふも君があたりにしたがはむ長き心のかぎりなき身は
とあるを、なに心なく御前(おまへ)に持てまゐりて、「袋など、あくるだにあやしくお
もたきかな」とてひきあけたれば、くちなは、首をもたげたり。人びと、心をまどはし
てののしるに、君はいとのどかにて、「なもあみだぶつ、なもあみだぶつ」とて、「生
前の親ならむ、な騒ぎそ」とうちわななかし、「かろがろし。かやうになまめかしきう
ちしも、けちゑえんに思はむぞ。あやしき心なりや」とうちつぶやきて、近くひき寄せ
たまふも、さすがに恐ろしくおぼえたまひければ、立ちどころ居どころ蝶のごとく、ま
たせみ声にのたまふ声のいみじうをかしければ、人びと逃げさわぎて笑ひ入れば、しか
じかと聞(きこ)ゆ。
|