落日・第二章  後編




春爛漫−3回



瑞希は東京に行くのに『荷物』の持って行き方に悩んだ。ジュラルミンケースのま
ま新幹線に乗るのはあまりにも無謀だしリスクが大き過ぎる。飛行機は論外で、車
で運ぶにしても信頼出来る運転手は東京の地理に疎いから無理だと思っていた。
瑞希はアブドールに電話を掛けて協力を頼んだ。アブドールは笑いながら了解して
何が欲しいのかを聞いた。
「M89‐SRかガリルを2つ欲しい」瑞希の言葉を聞いてアブドールの声が一瞬
詰まった。
「1つなら手元に有るが2つとなると・・・・暫く待ってくれ」アブドールはそう
言うと電話を保留にした。5分ほど待たされてアブドールが電話に出た。
「ミズキ、何とか準備するよ。明後日で良いんだったな」アブドールの返事を聞い
て瑞希はホッとした。そのあと野村に貰っていた地図を見ながら場所を説明して時
間を指定した。受け渡しの場所や方法を細かく打ち合わせをした。

「浩貴、明日から2日間アイリーンと留守にするからな。圭爺も久しぶりに友人に
会うからと一緒に行くからな。ところでナターシャは何時帰ってくるんや」火曜日
の午後社長室でコーヒーを飲みながら聞いた。
「明日の夕方帰って来るわ。圭爺も行くって、大丈夫か?」浩貴が老齢の圭爺を気
遣って笑った。
「まだまだ老いぼれる年やないやろ。しかし圭爺の気力には感心するなぁ」瑞希も
笑いながら言ったが圭爺の元気さには驚かされる。朝起きたら太極拳とやらを毎日
欠かさずしているし、昔習った棒術という訓練も欠かさない。あの体力は何処から
来ているのか不思議で仕方なかった。圭爺は今年で78歳になるはずだ。奈津子に
子供が出来た事が分かってからは特に元気になっているようだ。圭爺の友人とはど
ういう人物かは知らないが、政府の関係者だろうと思っていた。

翌朝、瑞希、アイリーン、圭三、佐伯優子の四人はタクシーで伊丹空港へ行き、羽
田行きの飛行機に乗り込んだ。羽田空港には黒塗りの車が迎えに来ていて圭三と優
子が乗り込んだ。優子は圭三の護衛と世話のため同行していた。
「瑞希様、東京へようこそ。青木様は益々元気そうですね」圭三を送った瑞希とア
イリーンの前に車が止まり、運転席から笑いながら野村が声を掛けた。
「瑞希様、荷物は?」瑞希とアイリーンがショルダーバッグだけだったので、野村
が不思議そうな顔をしている。
「すでに手配してあります。ゴルフ場の近くで待っています」瑞希が笑うと野村も
安心したように頷いた。羽田から多摩川トンネルを抜け、首都高湾岸線の本牧ジャ
ンクションで神奈川3号狩場線に入ると、新保土ヶ谷という所で一般国道に降りた
が、瑞希は何処をどう走ったのかさっぱり分からなかった。

多摩市にあるゴルフ場の看板が見えてくると、少し走った所で1台のトラックがハ
ザードランプを点滅させて止まっていた。手前に工事用のカラーコーンが3本置い
てある。
「あのトラックの前に止めて」瑞希が言うと野村がトラックの前に車を止めた。瑞
希とナターシャが降りてトラックに近づくと、後ろの幌を開けて男が呼んだ。
運転席には日本人が座っていたが、後ろから呼んだ男はアブドールの会社で見かけ
た事が有る男だ。相手も瑞希たちの顔を覚えていた。荷台からゴルフバッグを2つ
降ろすとグッドラック、と言って手を握った。瑞希とアイリーンも男の手を握り返
した。トラックのナンバープレートにはタオルが掛けられていてナンバーは見えな
い。野村の車のトランクにゴルフバッグを入れるとゴルフ場に向かった。
ゴルフ場への進入道路の角にガードマン姿の男が居て、野村が合図をするとガード
マンは黙って頷いた。坂を登りきった所にゲートが有り、『コース整備の為3日間
休業します』の看板が掛かっていたが、野村の車を見て係員がゲートを開けた。駐
車場には7、8台の車が止まっている。

「とりあえず先に食事をしましょうか」野村の案内でクラブハウスに入ると小林が
出迎えた。
「ようこそ、当ゴルフクラブへ」と笑った。窓側のテーブルに座るとコース上で何
組かがプレーしているのが見える。
「いらっしゃいませ」クラブハウスの制服を着た女が水の入ったコップとおしぼり
を持って来た。その女もクロークの男も知らない顔ばかりだ。ここは東京だから当
然といえば当然だ。だが、野村の話では今日は全ての社員が特務機関の人間、或い
は協力者だけだと聞かされていた。いくら特務機関といってもゴルフ場を丸ごと思
いのままに出来るとは思えなかった。コップの水をひと口飲んでコースターに目が
移った。コースターに写真が貼り付けてある。瑞希とアイリーンは写真の顔を頭に
焼き付けた。

「実はこのゴルフ場、政界の大物の持ち物なんですよ。その男も伊瀬を目障りだと
思っているんです」小林が笑いながら耳打ちした。瑞希たちが食事を終ったころ6
人の男が入って来た。ゴルフウェアに身を包んでいるが、そのうちの2人は写真の
男だ。瑞希たちより離れた場所で笑いながら食事を始めた。
「6人のうち2人はこの後体調を崩して救急車で運ばれます。残りの4人をお願い
します」野村が耳元で囁いた。奥の6人が食事を終るころを見計らって瑞希たちは
クラブハウスを出た。車のトランクからゴルフバッグを出すとコースに出た。
10番コースの後ろの方から15番コースに向かい、11番コースと15番コース
の間にある林の中に身を潜めた。暫く待つと野村の無線に連絡が入った。
「今ハウスを出ました。まもなく着ます」野村の言葉を聞いて瑞希とアイリーンは
ゴルフバッグを開けた。瑞希のゴルフバッグにはガリルが、ナターシャのゴルフバ
ッグにはTCI M89‐SRが入っていた。

2人はシートを敷いて銃床を組み立てるとスコープを装着し、マガジンをセットし
て消音器を取り付けた。暫くすると救急車のサイレンが聞こえて直ぐに遠ざかって
行った。腹ばいになって11番のティグラウンドの方を見ていると程なく4人の男
がティグラウンドに姿を現した。
「2人は救急車で病院に向かいました。標的はボディガードを含めて4人です」野
村が双眼鏡を覗きながら小さな声で言った。
11番のティグラウンドに姿を現した2人の男がティショットを打つとフェアウェ
イをキープし、瑞希たちの潜んでいる林から200メートルくらいの位置に落ちた。
2人のボディガードと思われる男がゴルフバッグのカートを引き、2人の男は笑い
ながらボールの地点に向かっている。ボールの地点に着くと1人の男が素振りを始
めた。瑞希が素振りをしている男を、アイリーンが横で見ている男を狙う。

瑞希とアイリーンはスコープをセットして照準を合わせた。男は2、3度素振りを
繰り返し、ボールの前に立ってスタンスを取った。
レディ、アイリーンが横で囁いた。レディ、アタック。瑞希の声と同時に、ブッ、
ブッ、ブッ、ブッ、サイレンサーの鈍い音が4度響いた。スタンスを取っていた男
がスイングを始めようとしてそのまま崩れ落ちた。横の男、ボディガードの2人も
何が起きたのかを思い巡らす余裕は無かった。
「お見事です。行きましょうか」2人の横で野村が言った。2人が狙撃銃をゴルフ
バッグに仕舞い、カートに乗せているとヘリコプターの音が聞こえてきた。コース
上に着陸すると倒れた4人をヘリコプターに積み込んで飛び去った。何時もながら
鮮やかな手際だ。駐車場に戻るとクラブハウスの電気は消え、駐車場にも野村の車
以外の車は無かった。
ゴルフ場を出ての帰り道、来る時と同じ場所に同じトラックが止まっていた。あれ
からずっと待っていたのだ。野村が車を止めると瑞希とアイリーンがゴルフバッグ
をトラックに運んだ。

後ろの幌から男が顔出し、親指を突き上げて笑いかけた。瑞希とアイリーンも親指
を突き上げて笑うと男の顔が更に嬉しそうになった。相変わらずナンバープレート
にタオルが掛かったままになっている。瑞希とアイリーンが車に乗り込むと野村が
発進させた。トラックがクラクションを鳴らすと野村は苦笑いしてクラクションを
鳴らした。
都内に戻って来た時は6時を回っていて、野村が赤坂の料亭に車を着けた。
「瑞希様、青木様がお待ちです」野村が笑って振り返った。瑞希とアイリーンが驚
いていると料亭から女の人が出て来て車のドアを開けた。瑞希たちが降りると野村
はそのまま走り去った。女の人に案内され、廊下を曲がりくねって奥の座敷に着く
と圭爺と他に2人の男が待っていた。
「瑞希お嬢様、アイリーンさん、どうぞ」圭爺が笑いながら席に促した。瑞希たち
が座ると圭爺が2人の男を紹介した。

「瑞希お嬢様、こちらは元総理の倉田重蔵であちらは現総理の大山です。こちらが
一之宮瑞希とアイリーンさん」圭爺が4人を紹介したが、瑞希は現総理と元総理と
聞いて驚いた。
「大山です。瑞希さんの事は青木さんから伺っています。この度はご苦労様でした。
全ては野村と小林から聞きました。あなた方のお力で我が国はテロの脅威から解放
されました。ありがとう」大山が瑞希とアイリーンに頭を下げた。瑞希とアイリー
ンは総理大臣に頭を下げられて恐縮したが倉田は笑いながら頷いている。圭爺がど
ういう関係で現役の総理大臣や元総理大臣と知り合いなのかは知らないが、元々政
府関係の仕事をしていたからその頃からの知り合いらしい。3人の話を聞いていて
そう思った。圭爺は孫娘に子供が出来た事を嬉しそうに話している。

「あんたもそろそろ引退してのんびりしたらどうです。隠居も悪くないですよ」圭
爺が大山に言うと、大山もそろそろ考えていますよと笑った。瑞希は一国の総理大
臣がプライベートな時間を楽しむ事はそんなに無いだろうと思った。毎日政務に明
け暮れ、総理の一言が国の威信に係わるだけに言葉も慎重に選ばなければならない。
テレビのニュースで時々見るだけだが、何時も難しい顔で記者会見をしているが、
目の前の総理大臣は腹の底から楽しんでいるように見える。国を動かす政治家とは
庶民が考える以上に激務だと思っている。その中で僅かな時間を割いて旧友と酒を
酌み交わす。目の前の大山はテレビでは見る事のない安らぎに満ちた顔をしている。

          *

桜が終わり、玄関横のツツジが赤や白の花を開き始めるころ離れの工事が終った。
今日は日曜日でささやかな祝いの席を設けていた。10時過ぎにタクシーが2台入
って来た。
「本日はありがとうございます」迎えに出た瑞希と浩貴にタクシーを降りた大原さ
んと太田さんが挨拶した。今日は大原さんと太田さんの家族が来る事になっていた。
大原さんと奥さんの有希さん、希ちゃんと弟の翔ちゃん。太田さんと奥さんで大原
さんの妹の智美さん、子供の繭子ちゃんと菜々美ちゃんだ。
「お姉ちゃん、ありがとう」希ちゃんが言うと翔ちゃんや太田さんの子供もありが
とうと挨拶した。ダイニングには圭爺と芳江婆や、奈緒子、優子と瑠美が祝い膳を
用意していた。
「長い間お疲れ様でした」みんなが席に着くと瑞希と浩貴が労をねぎらった。大原
さんと太田さんがありがとうございます。と礼を返した。みんなのグラスにビール
が注がれると子供たちのグラスにジュースを注いだ。

乾杯。圭爺の音頭でみんながグラスを合わせた。希ちゃんは大原さんの横に座って
嬉しそうな顔をしている。
「先日は翔の入学祝、有難うございました」大原さんと有希さんがお礼を言った。
「ありがとうございました」希ちゃんの横に座っていた翔ちゃんが大きな声で言う
と、希ちゃんが嬉しそうに翔ちゃんの手を握った。希ちゃんは大原さんの横で美味
しそうに料理を食べている。大原さんのグラスが空になると希ちゃんが注ぎ、浩貴
や瑞希にも注いで回った。ありがとう。浩貴が言うと嬉しそうに笑った。奈緒子は
妊娠中なのでアルコールは控えてお茶を飲んでいる。
「お姉ちゃん、可愛い赤ちゃんを産んでね」希ちゃんが奈緒子に言いながらウーロ
ン茶を注ぐと、奈緒子も嬉しそうにありがとうと微笑んだ。
希ちゃんがおじいちゃん、おばあちゃん、と言いながらビールを注ぎに行くと2人
も嬉しそうな顔で喜んでいる。
「希は小さい頃から注いで回るのが好きだったんですよ」有希さんが笑いながら言
うと、希ちゃんも笑いながら振り向き、大原さんの横に座ると嬉しそうな顔で大原
さんを見上げた。



               TCI M八九‐SR
           


                   

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