■自我得仏来 所経諸劫数 無量百千万 億載阿僧祇(無数)。私(=お釈迦様)が仏になって以来、
既に数えきれないほどの永い永い
歳月が経っている。
(久遠実成の仏陀)
■常説法教化 無数億衆生 令入於仏道 爾来無量劫。
※29歳で出家。
35歳で正覚(悟り)し仏陀(覚者)。成道。
一説において2月15日安祥として80歳で入滅(死去)。仏以来、常に法を説き、衆生を教化してきた。
無数億の衆生を仏道に入らしめた。
■為度衆生故 方便現涅槃 而実不滅度 常住此説法。
その時以来無量劫である。衆生を済度せんが故に、
方便で涅槃を現わした。
■我常住於此 以諸神通力 令顛倒衆生 雖近而不見。
つまり、実際には滅してはおらず、
常にこの娑婆世界にいて、常に説法し続けていたのだ。私はいつでもここ
(娑婆世界/ あなたの心の中) に居るけれども、
■衆見我滅度 広供養舎利 咸皆懐恋慕 而生渇仰心。
諸々の神通力により、
心がひっくり返った(自己を中心に物事を見る)衆生には、
私が近くにいるにも拘わらず、私の姿は見えないようなっている。普通の衆生は、私が死んで、
仏舎利に線香を上げ、いわゆる供養するときだけ
ことごとく皆、私を偲び、
逢いたいという渇仰の心を起こすだけです。
■衆生既信伏 質直意柔軟 『一心欲見仏 不自惜身命』。私を信伏している衆生は、
心も柔軟で素直であり、
■時我及衆僧 倶出霊鷲山 我時語衆生 『常在此不滅、
『私に逢いたいと一心に願う。
逢えるなら身命をも惜しまない、とまで考える。』そういう状況になった時、
私は弟子とともに霊鷲山に繰り出し、
衆生に言うのです。
■以方便力故 現有滅不滅 余国有衆生 恭敬信楽者、
『私はいつもにここに居て、死んでなんか、いないんだよ、 と。方便力によって、
滅と不滅とを現わしている (= pretend する) のだよ。
■我復於彼中 為説無上法』
だから、たとえ他国であろうが
私を敬い、法を学びたいと、心から願う人がいるならば、無上の法を説いてあげるために、
■汝等不聞此 但謂我滅度。
私はこちらの方から彼の所へ、出向く程なのだよ。』と。しかし、あなた方は、私が滅度したということ以上のことを考えようとない。
■我見諸衆生 没在於苦海 故不為現身 令其生渇仰。
だから、あなた方は私のこの言葉を聴くことは無い。私には、殆どの衆生は、
苦しみの海の中に沈んでいる、ように見える。
■因其心恋慕 乃出為説法 神通力如是 於阿僧祇劫、
だからといって、私は自分の姿を容易に見せる様なことはしない。
仏の教えを求める渇仰の気持ち(真の信心)が生まれるように、
逆に、敢えて、身を隠すのだ。
--- いつでも仏と逢える、いつでも教えを聴けると、一心に教えを求め、道を求めようとしないもの、だから。---どうしても私に逢いたいとの恋慕の心こそが、
私が説法に出向くかの要因なのです。
■常在霊鷲山 及余諸住処 衆生見劫尽 大火所焼時、
阿僧祇劫という無限に永い年月の間、
いつも、神通力是くの如し、である。私は霊鷲山と
他の国土に常に居たのである。
■我此土安穏 天人常充満 園林諸堂閣 種種宝荘厳、
年月が尽きてこの世の終りが来ると、
大火で全てのものが焼き尽くされるのだ、
と衆生が考えるとしても、実は、私の国土は安穏な世界であり、
常に天人で満ちあふれ、
■宝樹多華果 衆生所遊楽 諸天撃天鼓 常作衆妓楽、
美しい花園の中の御殿は、
皆種々の宝で荘厳に飾られている、宝の樹木は華や実に満ち溢れ、
衆生が楽しく遊ぶ所であり、
天人たちは天の鼓を打ち鳴らし
常にもろもろ(衆)の音楽を奏でる、
■雨曼陀羅華 散仏及大衆 我浄土不毀 而衆見焼尽、曼荼羅華の花の雨を降らせ、
仏や大勢の人々の上に散る。
■憂怖諸苦悩 如是悉充満 是諸罪衆生 以悪業因縁、
このように、私の浄土は壊れないのであるが、
しかし、衆生はこの世は焼け尽きる、と考えている、また、恐怖とあらゆる苦悩
そして、この類がことごとく世に充満する、と考えている。
■過阿僧祇劫 不聞三宝名 諸有修功徳 柔和質直者、
この多くの罪深き衆生は
悪業の因縁により、阿僧祇劫の歳月を経ても(= 永久に)
三宝 (仏[私の名前]・法[悟りの内容]・僧[坊主]) の名も聞くことが無いかも知れない。
■則皆見我身 在此而説法 或時為此衆 説仏寿無量。
しかし、諸々の功徳を修めた、
心が柔和で素直な者達は、すなはち皆、
私がいつも、この世に居て、説法している、
その私の姿を見るのだ。
■久乃見仏者 為説仏難値 我智力如是 慧光照無量、
私は、時にはこういう人達の為に
仏の寿命は無量だと、説くのである。また、久しい時を経て、やっと私を見れた人に対しては、
■寿命無数劫 久修業所得 汝等有智者 勿於此生疑。
それ故、仏の教えを得るのは難しい、と説く、のだ。
私の智慧の力はこのようになっているのです。
-- ( お釈迦様は、ちょっと、あまのじゃく。 ) --
つまり、智慧の慧光は照らすこと無量にして、
( or 無量の人を照らし、
仏の智慧の力で救われない者は居ない)、智慧の寿命は無数劫の永きにわたる、のです。
■当断令永尽 仏語実不虚 如医善方便 為治狂子故、
これらは、私が久しい間、修行して得た結果に他ならない。
真に智慧のある者は
これを疑ってはな(勿)らない。これは、断じて、永遠に尽き守るべき事柄である。
■実在而言死 無能説虚妄 我亦為世父 救諸苦患者。
仏である私の言葉は真実であって、決して偽りはない、と。
これは、
狂った我が子を救おうとした、
医善方便の譬えと同じである、実にはあれども、しかも死すと言うに、
能く、その医者をうそつきだと言う者はいない、の如し。
■為凡夫顛倒 実在而言滅 以常見我故 而生憍恣心、
我も亦、これ、世の父として、
諸の苦患を救う者なり。凡夫の心は転倒しているから
彼等には、実在していても滅したと言う、のです。
■放逸著五欲 堕於悪道中 我常知衆生 行道不行道、
、また、絶えず仏の姿を見ていると、
それが当たり前と思い、ありがたみの気持ちを無くす。
すなわち、おごりの心を生じ、勝手気ままとなり、五欲に執着し、
地獄・餓鬼・畜生の境界に堕ちてしまうのである。
■随応所可度 為説種種法 毎自作是念 以何令衆生
得入無上道 速成就仏身。
私はいつでも衆生が
道を行じているか、行じていないか、が分かるのです、だから、その人に応じた済度が可能であり
その為に、手を変え品を変た説法を実践するのです。
そして、私は、いつも念じているのです。
どうしたら衆生を
無上の仏の道に入らせて、
仏の境地に、速やかに成就 (= 悟りを得る)させてあげられるか、と。
© 徒温堤湾 F.IMAI as of Nov.17. 2007. Link: 方便品
一生、大往生,,憍 (小喬) (キョウ、おご・る) is only one unicode &x618d; の source ,,,,
劫こう or かつ--梵 kalpa の音写「劫波」の頭略、古代インド時間最長単位
而,爾=2, 此=4, 其=5, 為,以,謂=1, 無=6, 於=O/ To, 亦=89, 諸=所=処
三宝/寶名 -- text は、ぽう(P176)、方便力故のりっ/りき、も同様
前の五単語を読み切る前に、次の五単語の頭の発音を確認しておく、となめらかになる。
五音絶句の偈形式は、先頭と、真中の発音と、を確保すると、覚え易い??!!。
• Paradigm shift パラダイム シフト(枠組み移行)している。 ever lasting life. 『信心』が私に逢える keyword.
• 衆生が悟り(法)を得る、心をより深くする、のを助ける効果向上の為の方便として、入滅、というシチュエイションを組み入れた...
---- イエス・キリストが十字架の刑で、人類の罪を一身に背負って人柱になられた.... との、キリスト教の話、と、シナリオが似ている -- why?。
• 釈迦の命が∞、なんて理屈はどうでもよいことだ。神通力の性質(信心の法則性)を記している所が偉い。 ..我智力如是.. ココ goo.
2000年以上前(このお経は、そのタイムカプセル) にこのレベル、とは、スゴイ。鳩摩羅什も偉い。聖徳太子もこの漢文を読んだ。
• 釈迦の出家/正覚の年齢 29歳/35歳説 , 19歳/30歳説 -- どちらが正しいの?