Diary of 21st Australia & 4th Hong Kong | ||
毎年、当たり前のように行っているオーストラリア、しかし、ここ数年は、あまりの居心地の良さに、ヤプーンに入り浸って(?)ばかり。 5年に1度の休暇の取得時期に、タイミングよく、羽田国際線の本格的な復活。これを機に、久々のシドニー滞在をどう楽しくするか、仕事以上の検討し、実行しました。 |
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出発まで…5年に一度の機会 | ||
僕が今の勤務先に転職して、満5年が経過した。 転職してから今日に至るまで、公私を問わず、以前の職場以上に、さまざまな経験をしてきた。 新しく知り合った仲間たちと楽しいひと時を過ごすときもあれば、あまりにも目まぐるしく移り変わる毎日に付いていけるかどうか自信を失うときもあった。 そんな自分に、会社は5年に1度のまとまった休暇を取る機会を与えてくれた。 (もちろん、謹慎などと言った後ろめたいものではなく、制度に則った立派な休暇である) 前回のヤプーン滞在の直後より、誰よりも充実した休暇を過ごしてやる! せっかくだから、ここ数年、8月はヤプーンへの里帰り…と決めている僕は、普段行けなくなった、ご無沙汰の場所への旅を考えた。 この年の11月より、羽田空港の国際線ターミナルがオープンし、キャセイ航空(Cathey Pacific, CX)の便が発着することになっていた。CXを利用すれば、羽田からオーストラリアに行ける…じゃぁ、しばらくご無沙汰していたシドニーに行こう、あ、CXに乗るんだから、香港も…。 まだ羽田発のフライトはネット販売の準備ができてなかったため、CXのオフィスに電話を入れて、申し込んだ。 何度とも無く訪れている目的地への旅だが、また新しい経験ができる! 僕は、少しずつテンションを上げ、日本の遥か南にある心の故郷へ出発した。 |
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2010年11月13日(土) 羽田空港 | ||
自宅の最寄り駅から、横浜線に乗り、新横浜へ。 ここからリムジンバスで羽田に向かう。…のだが… あちこちに警察車輌とお巡りさんの姿が。 今日はよりによって、横浜でのAPEC開催の影響で最も交通規制が厳しい3日のうちの1日。 時間通りの運行の保証はないとのこと。 バスの運転手さんがこんな会話をしている。 「会社から、湾岸線でなく、横羽線経由で行けって指示が来てる」 「今は規制が解除されたけど、中国のエラい人が急に帰るって言い出したら、また規制が始まっちまうよね」 おおぅ、勘弁してくれ。 しかしながら、バスはさくさくと羽田に到着した。 …が、国際線ターミナルにたどり着くには、羽田に入ってからが長い。 国内線の2つのターミナルを回った後に、国際線ターミナルである。 グルグルと空港内を10分くらい走った後にやっと到着という感じである。 |
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ターミナルの中は土曜日と言う事もあってか、人はそれなりにいる…という感じか。 成田で感じている喧騒感はない。 CXのカウンターでは、誰も並んでいなかったので、すぐにチェックイン。 話が飛ぶが、僕は最近、古き良きものを求めることがある。 世の中は大変便利になったことは認めないといけないだろう。 しかし、便利さと引き換えに失ったものもあると思う。 それは旅に出ても然り。 以前だったら横に細長く、ペラペラの紙が何枚もの複写式になっていた航空券を手にして家を出て、ワクワクしながらそれをチェックインカウンターに見せて、搭乗券を受け取ったものだった。 それが今では、航空券がeチケットに変わり、場所によっては自動チェックイン機でチェックインが出来てしまう。 便利さは本当にとてもよく理解できる。 だけど、僕は人を相手にしている気になれないeチケットも自動チェックイン機はもあまり好きではない。 時計の針を戻して、昔のスタイルで旅に出たい。 最近、そう感じることが多くなった。 普段の生活でも、時計の針を少しだけで良いから戻したい…僕はここ数ヶ月、いつもそう思っている。 シドニーまでの搭乗を手続きをしている最中、隣の中国のグループが何やらモメていた。 聞こえてくる話では、どうやら、成田発のチケットを持って、羽田にやってきたようだ。 「乗せてくれ」「できません」の押し問答が続いている。 ご愁傷様です。 チェックインの後、出発ロビーのエスカレータを昇り、お店を見て回った。 規模については、国際線の枠相応という感じか、成田をふた回りくらい小さくしたような印象である。 チェックインカウンターは人が少なかったにも関わらず、ここは人が多く、ほとんどの飲食店で行列。移動目的ではなく、オープン間もない空港ターミナルそのものを目的に来ている人たちが多そうだった。 人の多いところはイヤだし、特にこれと言った用も無いので、案内所でラウンジの場所を聞いて、出国手続き。 僕のパスポートにHANEDA A.P.のスタンプが。 何だか、うれしいぞ! イミグレーションを出て、エスカレータを昇り、ラウンジへ。 ここは、ビジネスクラスの乗客だけでなく、クレジットカードのゴールド会員も使用可。 ただし、クレジットカードのゴールド会員でも、プロパーのカードの会員のみで、提携カードは不可、また、ビジネスクラスの乗客とクレジットカード会員のラウンジは、部屋が違うようだった。 僕はゴールド会員のラウンジへ。 まだまだ認知度が低いためか、ガラガラ。 まったり出来て、とても居心地が良い。 あと1時間ほどで、香港へのフライトが出る。 ラウンジを出て出発ゲートに向かった。 土曜日なのに意外と人が少ないのは、出発ロビーも同じだった。 夏休みのようなピークシーズンでないから? 「羽田から国際線」が浸透してないから? 今回の旅で利用する航空会社は、プロローグでも書いたとおり、羽田発着便が設定された香港のフラッグ・キャリアであるCathay Pacific(CX)。 CXでは、航空券番号があれば、one worldに所属する航空会社のマイレージの番号の登録、食事、連絡先など、ウェブサイト上でさまざまなリクエストが可能である。 これを利用して、僕は座席のリクエストを済ませていた。 羽田から香港に向かう便は、エクストラ・レッグ・ルーム用の追加料金(短距離線のため、US$24-、決済額は\2,100-)、らくらくなエコノミーのフライトである。 非常用の出口の前のシートのため、座席横の窓は無い、万一のために英語が理解できることなど、さまざまな条件があるシートだが、同じエコノミークラスでも、居心地は断然、良い。 あっと言う間の4時間のフライトだった。 香港に到着。 香港で乗り継ぎをしてシドニーに向かうが、その間、約3時間ある。 僕が所有しているクレジットカードの特典に、「Priority Passの無料会員」がある。 このパスを持っていると、世界中のラウンジを無料で使用できる。恐らく旅好きの人間にとっては、たまらない特典だと思う。 8月の旅でもブリスベンで利用させてもらったのだが、大変良かったので、香港でもこの特典を利用させてもらった。 長い夜便に備えて、シャワーを浴びてから、軽食を食べ、その後はパソコンをいじりながらぼーっとしていた。特に退屈することなく、搭乗時刻がやってきた。 土曜日の深夜出発の便だったが、ほぼ満席だった。 このフライトではエクストラ・レッグ・ルームの座席は指定しなかった(長距離線では1万円近い負担となるため)が、幸い、エコノミーの1番前の座席を事前にリクエストできていため、やはり足元に余裕のある座席で一晩を過ごす。 今回のエコノミークラスの旅は、本当に楽チンである。 JALの成田ーブリスベン便が今年の9月で廃止となり、来年の8月、ヤプーンにどうやって行くか、早くも検討しているのだが、事前の行動次第で旅を楽に出来る、Cathayの旅もアリだな、などと考えながら、眠りについた。 |
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2010年11月14日(日) 7年ぶりのキリビリ住民 | ||
6時間ほど眠ったかな、モニターを見ると、飛行機は既にオーストラリアのクイーンズランド州上空に入っているようだった。 シドニーまであと2時間強。 オーストラリア上空で車窓から飛び込んでくるのは、森林地帯、その中を曲がりくねる川、赤茶けた大地、広大な牧草地帯が殆どだが、そんな景色の中に少しずつ人家や動く車が見え始めたら、それは到着が近いことを意味する。 朝食を軽めに食べ、窓を開けると、景色の中に人家らしきものがパラパラと見え始めた。 シドニーは近い。 左の窓側の座席の僕は、カメラを握りながら、外の景色を見入った。 上空から、オペラハウスとハーバーブリッジの風景を納めるためだったのだが、コースが良くなかったようで、シドニーの東端にあるマンリー(Manly)を納めるのが精一杯だった。残念! シドニーには定刻より5分ほど早く到着した。 時間は正午過ぎの12時5分。 入国審査に向かいながら、携帯電話の電源をいれ、シドニーでお世話になるぴっかぶーのアニキ(以降、アニキ)に電話を入れた。渋滞に巻き込まれながら空港に向かっているとのことだった。 日本からの到着便が集中する朝一番と違い、正午の入国審査はガラガラだった。 入国後の税関も、行列になってはいたが、かわいいものだった。 香港から来た人たちは、たいていがカバンの中までチェックされていたが、日本のパスポートを持っていた僕は、食べ物ありの申請をしていたのに、「こっち来んさい」とばかり連れて行かれ、何事かと思ったら、職員に出口を指差され「out!」と言われた。カバンを空けられるどころか、荷物のスキャンさえもされず、税関を素通りした。 空港の駐車場に出た。 11月のオーストラリアは暑い。31度だった。 しばらくすると、アニキが来てくれた。 荷物を積み込み、僕の宿泊先に向けて車を出してもらった。 シドニーは4年ぶりだが、アニキとは昨年、恵比寿のパーティーで会っていた。 車の中で、近況や趣味の話などをしているうちに、宿泊先であるキリビリ(Kirribilli)に着いた。 |
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キリビリは、"City"と呼ばれるシドニーの中心部とは海を隔てた反対側にある、便利さと閑静さを備えた大変魅力のある住宅街で、シティからは、橋やトンネルを渡って向かう。 有名な高級住宅街で、この辺の一軒家は1億、2億は平気でする。 そんな高級住宅街にあるかわいい安宿が僕の宿泊先である。 部屋にはベッドとテレビがあり、エアコンは無く、頭上にファンが回っているだけ。 景色が望める窓の有無や、バス・トイレの有無は、部屋によって変化するし、インターネット環境の有無を聞くと、近所のネットカフェを案内される。宿自体は、人によって好みが別れるような気がするが、僕はこれで十分。何よりも、レジデント気分で「生活」できる立地や環境が大変魅力的なのだ。 宿からは事前に空港を出発して宿に向かうときは、電話を入れてくれと言われていたのだが、いくらかけても電話中。「電話中ってことは宿に誰かいるんだなって」ことで行ってみると、レセプションには誰もいなかった。 さすが、オージーは、こう言う風にテキトーじゃなくちゃ! ドアのインターホンから、自宅にいるスタッフを呼び出し、やっとチェックイン。 僕は晴れて、7年ぶりにキリビリ住民になれた。 何だか、うれしい! 身軽になったところで、アニキにドライブに連れて行ってもらった。 キリビリから続く高級住宅街をずっと通るため、1億、2億はすると言う家並みが続く。 キリビリから海外駐在の日本の方が多数住むニュートラル・ベイ(Nuetral Bay)を通り、ノース・ブリッジ(North Bridge)に行った。ここには、アニキのブログに時折登場する、「東京マート」と言う日本人向けのスーパーが入っている。 運び賃や通関料が入っているためか、商品は軒並み日本の市価の2倍~4倍はするものばかりで、毎日のように買い物するには厳しい感じはするが、品揃えは十分すぎるくらい充実していて、恐らく、日本の人にとっては、存在すること自体に大きな意義があるお店だろう。困ったときにここにくれば…と言う信頼感は大きいんじゃないかと思う。年に数回、全品2割引のセールをやっているらしいが、その時期にアニキのブログのネタになるのも、よく分かる。 その後、中国系の人たちが多数集う町、チャッツウッド(Chatswood)へ。 ここのWestfieldと言う巨大なショッピングモールでアニキとランチ。 ランチの後、カンタベリーで掘り出し物の買い物を…と思ってお店を探したのだが、どうも撤退したようだった。残念! その後、アニキと別れ、チャッツをブラブラしてから、一旦宿に戻った。 往路のフライトがいつもより楽だったとは言え、やはり疲れていた。暗くなるまで、一眠りしてしまった。 夜、何もしないのはもったいないので、食事をしようと、シティにあるチャイナタウンに向かった。 シドニーとは4年間ご無沙汰、その間に結構変わってしまったところがあるなと、シドニー着いてから感じていたが、チャイナタウンは全然変わっていない。喧騒は半端ではないものがあるが、それがここでは昔のままと言うこと、うるさいのに、何だかホッとしてしまう場所である。 「夜に炭水化物はどうか」と思ったが、誘惑に負け、"Gow Gee Dried Noodle"と言う、水餃子の載った汁なしそば、撈麺を平らげてしまった。 かなり多めの量の食事をしてしまったので、一旦宿に荷物を置いてから、カメラだけ持ち出して、夜景撮影を兼ねた夜の散歩を2時間ほどした。 宿はハーバーブリッジから程近い場所にあり、写真撮影には絶好の場所、撮りまくった。 どんな感じでしょう? |
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2010年11月15日(月) 雨のウェスタン・サバーブ | ||
窓を開けたら、曇っていた。 う~ん、何だか、残念。 宿の庭で、朝食をとりながら、昨日までの旅日記をパソコンでまとめることにした。 ポツッポツッと雨粒が腕に落ちてきたようだ。 今日は天気を期待しちゃいけないな。 部屋に戻り、片付けをし、シャワーを浴びてから、外出した。 ミルソンズ・ポイント(Milsons Point)駅近くにある日本人経営のすし屋さんがまだ営業しているかを見てきてくれと、マイミクのbuokaburraさんに頼まれたのでチェック。 以前と変わらず営業しているようだった。一安心。 確認が終わってからミルソンズ・ポイント駅に向かうころにはパラパラと雨が降り出した。 情報収集をしに、シドニーの鉄道の中心であるセントラル(Central)駅に。 地図や時刻表を入手し、最初の行き先をシドニー西部郊外最大の町パラマタ(Parramatta)に決め、ホームに向かうと、既に本格的な雨になっていた。 ここで先を案じても仕方が無いと、ひとまずは来た電車に乗ることにした。 40分ほどでパラマタ駅に到着した。 駅の一部が改修され、ホームが近代的になると同時に、改修前まで鉄道で寸断されていた駅の南北がホームの下で自由に行き来できるようになっていた。 雨は強くなっていた。散策はあきらめ、途中コンビニで傘を購入してから、少し早い昼食を取りに、遠い記憶を頼りにコリアンBBQのお店に向かった。 お店の前に来たが営業している様子は無い。 張り紙を見たら、「ランチは事前予約があったときのみ」…残念。 駅を挟んで反対側の、Westfieldと言うショッピングモールの奥のアジアンのレストランが集まる一角に向かった。いくつかのお店を見て回り、悩みに悩んだ結果、ベトナム料理のお店に入った。 ご飯の上にニンニク風味で焼かれたビーフが載ったものと、ベトナム式のレタスにミントやもやしと一緒に包んで食べる春巻きをオーダー。 |
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うん、アジア飯は本当にうまい。 シドニーに来るときの僕の楽しみの一つである。 お店を出ても、雨はまだ降っている。 雨でもそれなりに楽しめる場所を…と考えた結果、南半球最大のベトナム人街である、カブラマタ(Cabramatta)に向かうことにした。 パラマタから、シティに向かう電車に乗り、2つ目のグランビル(Granville)で降り、カブラマタへ向かう電車に乗り換えた。 カブラマタに来るのは、これで4回目かな、もう何年ぶりになるだろう? ベトナム語の看板や言葉が飛び交い、オーストラリアにも関わらず9割5部以上がアジア系の、独特のディープな雰囲気は全然変わっていなかった。 パラマタでの食事でパワーが付いたので、雨の中、傘をさしながら1時間くらい、町を散策した。 |
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どこも活気であふれている。彼らのこのパワーはどこから来るのだろうか? 自分も見習わないといけない。 雨が止みそうにない。今日の散策はもう止めよう。 時間はたっぷりあるので、乗客が少ない遠回りルートでぼ~っと流れる車窓を眺めながら、ゆっくりとシティに戻った。 シティ中心のウィンヤード(Wynyard)駅直結のColesで、翌朝食べるサラダを買い、宿の部屋に置いてから、宿の近くのインターネットカフェで情報収集。 酷いスペックのPCで回線の状態も悪いため、ちょっと苦労…と言うか、イライラさせられたが、メールや、2日後の香港行きのフライトの変更の有無を何とかチェックできた。 雨の日のシドニーの雰囲気は嫌いではないが、かと言って、ブラブラと歩く雰囲気ではないくらい強い雨なので、ネットカフェの用が済ませ、宿に戻った。 暗くなってから、夕食を食べにチャイナタウンに行くころには、雨はすっかり止んでいた。 前日と同じ場所で麻婆丼と春巻きを食べた。 ダーリングハーバー(Darling Harbour)などを散歩して宿に戻るために駅に戻ると、メンテナンスのため、宿に向かう電車は動いておらず、代替バスでの対応になるとのこと。 やれやれ、シドニーに来るといつもこれだ…だと思う反面、ノロノロ走る電車よりも、代替バスの方が早く着くので、これで良しとすることにした。 明日は天気が回復してくれるだろうか? |
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2010年11月16日(火) シドニーの最高の歩き方 | ||
朝起きて窓を空けてみると…残念ながら、空は曇っていた。 今回のシドニーは、天候には恵まれないのか? 少し、暗い気持ちになったが、昨日と違い、雨が降る気配は無い。 外出できる状態になっただけでも良しとしよう。 昨日と同じパン、サラダ、バナナの朝食を部屋で摂った。 テレビを観ながらの朝食の合間に、窓から晴れ間がさして来た。出かけるチャンスが来たと思い、食事を早々に済ませ、ぴっかぶーのアニキが段取ってくれている夜のお食事会への持ち物を大き目のショルダーに入れ、支度を終えた。 外に出ると、青空が少しずつ広がり、同時に肌寒さが少しずつ暖かさに変わり、僕の大好きなキリビリ(Kirribilli)が少しずつキリビリらしくなってきた。 前の日記でも書いたが、キリビリは、日本で言えば田園調布や芦屋のような閑静な高級住宅街で、首相官邸もこの地に存在するような場所である。 ジャカランダと言う藤色の花が、春から初夏にかけたこの時期、シドニーでは満開になっていて、キリビリの家並みと、そして抜けるような青空と見事なコントラストを構成していて、何とも素晴らしい光景で描いてくれる。 |
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こんなチャンスは、キリビリに永住している人たちでも、1年に何日も無いはず。 フェリーの時間が来るまで、心行くまで、キリビリの町を散策することにした。 |
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日差しが多少強くなっても、キリビリでは海からの風がそれを和らげてくれるので、大変に心地が良い。 あぁ、俺はこの最高の爽やかさを思い出すためにここに戻ってきたんだ。 キリビリに里帰りが出来てたことを、心から喜びながら、ジャカランダに囲まれた町をゆっくりと歩いた。 右の写真は、途中出会った、キリビリに町で気ままに優雅に暮らす猫。 ネコちゃんと遊んでいると、飼い主が朝のエクササイズから戻ってきた。 「ソロモンと遊んでくれて、ありがとう」 へ~、 名前はソロモンて名前なんだ。 日本のことに詳しくて、少しだけビックリしながら、5分くらい話し込んでしまった。 その後も1時間は散策を楽しんだような気がする。 フェリーに乗る時間がやってきたので、乗り込んだ。 シドニーは美しい港の町、バスや電車と並び、フェリーや水上タクシーも、シドニーの生活の重要な足であり、このフェリーで心地よい海風に吹かれながら贅沢(?)な通勤をしてい人たちも多い。 僕が乗ったフェリーは、キリビリと同じ入り江に点在するニュートラル・ベイ(Nuetral Bay)やノース・シドニー(North Sydney)、クラバ・ポイント(Kurraba Point)で乗客を拾い、サーキュラー・キーに向かった。 |
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サーキュラー・キー(Circular Quay)はシドニーの旅客用の船舶のターミナルである。 ここから、さっき乗ったキリビリの他にも、ミルソンズ・ポイント(Milsons Point)、タロンガ動物園(Taronga Zoo)、 マンリー(Manly)、パラマタ(Parramatta)などの各方面に行くことが出来る。 そんな数ある行き先の中で、一番訪問間隔が長くなっているワトソンズ・ベイ(Watsons Bay)に行くことにした。 ワトソンズ・ベイに到着した。 時間はちょうど昼飯時。 シドニーに来てからアジア料理ばっかり食べていたので、違うものと食べたくなっていた、 ここでなぜか、毎年ヤプーンでお世話になるかちょー。さんがブログに書いていた「世界で一番美味しい」…はずだったパンケーキのことを思い出した。 せっかくオーストラリアに来たのだから、かちょー。さんの声も聞いておこうと思い、パンケーキのお店の場所を聞きがてら、電話を入れてみた。 ここのところ、かちょー。さんがいるクイーンズランド州も天候が不安定だと言っていた。 かちょー。さんとの電話を切った後、世界一のパンケーキにするか?目の前にある有名なシドニーのシーフードレストランのドイルズ(Doyle's)にするか? 本当に真剣に悩んだ挙句、かなりの空腹具合に負け、目の前にぶら下がっているシーフードを食べることにした。 どう? 結構美味しそうでしょ? 揚げたてなので、もちろん、すごく美味しかったです。 ワトソンズ・ベイ(Watsons Bay)は、シティの東に位置する細長い半島状の場所で、幅が数百メートルくらいの公園を挟んで、穏やかな入り江と荒々しい波が岩を削る太平洋の両方に出会える場所である。 |
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こちらが穏やかな入り江。 何もせずにのんびり過ごすにはもってこいである。 公園からは、シティのスカイラインを一望できる。 |
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こちらは、太平洋側。切り立った崖、岩に砕け散る波、全てが荒々しい。思わず立ちすくんでしまう迫力である。 |
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これ、飛び降りたら、絶対に助からないでしょ! ワトソンズ・ベイを後にし、再びサーキュラー・キーへ。 夜の食事の約束に備え、そろそろ西の方に向かわなければ…と言うことでパラマタに向かうフェリーに乗ろうと考えたのだが、残念ながら、時間が合わない。仕方が無いので、サーキュラー・キーから電車に乗り、ウィンヤード(Wynyard)で乗り換え、アニキと約束したオーバーンに向かった。 オーバーン(Auburn)はシティから電車で西に30分ほどにある。 シドニー滞在12度目にして初めて訪れる場所である。 |
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電車を降りると、いきなり異国情緒あるれる看板郡が目に飛び込んでくる。 何だかワクワクしてくる。 オーバーンはトルコの人たちの町だそうである。 これまで、チャイナタウンを皮切りに、コリアンタウン、ベトナム人街、インディアン・タウンなど、シドニーで数々の外国人街を訪れてきたが、トルコやその周辺の中近東の文化が混合するこの雰囲気は、初体験。男女比率は、男性の方が高いだろう。レストランからは独特の香りがし、看板にはアラビアっぽい文字が踊っている。 このあとアニキの車で別の場所に移動したので長い時間はいられなかったが、今度機会を作って、ゆっくり街歩きをしてみたい場所である。 アニキと駅の改札近くで落ち合った。オーバーン集合にしたのは、アニキの職場が近いから。アニキもシドニーで必死に頑張っている。 アニキの車で、クオーカーズ・ヒル(Quakers Hill)にあるインディアンのレストランに向かった。 すでにあぐ姫さんが着ていた。レストランがあるクオーカーズ・ヒル在住の由美子さんもすぐに来てくれた。 その後、しゅりさんとこあらオヤヂさんも来て、全員が揃った。 そういえば、こあらオヤヂさんとは今年2度目の再会。 前回はブリスベンで会って、今回はシドニー。何だか不思議な気分である。 博物館さながらの置物がたくさん置いてある、退屈しないお店。 メインの料理は結構イケた。 スイーツは…好みが分かれるところだと思う… オーストラリアではまず手に入らないマクドナルドのおまけのリアルなフードストラップを僕から皆さんに渡したり、皆さんの地元シドニーでの生活のよもやま話(切符切られた!とか銀行でたらい回しにされた!…などなど)であっと言う間に時間過ぎていった。 スイーツを出されたときは、日本語が通じないのをいいことに、全員が言いたいことを言っていた。 お店の前で皆さんとお別れし、こあらオヤヂさんにキリビリの宿まで送ってもらった。 途中、こあらオヤヂさんがノキアのスマートホンを持ち出し、カーナビとして使い始めた。 ケータイに搭載されたGPS機能で案内は完璧。 で、なぜか、スマートホンから聞こえてくる言葉は、台湾マンダリン。 世界の携帯市場で孤立した日本の言語はフォローされていないとのこと。 日本はこの状況に危機感を感じているのだろうか? こあらオヤヂさんともキリビリの宿の前で握手をして別れた。 明日は早くもシドニーを発って、香港に向かう日。 8月のブリスベンから出国する日の朝に、大寝坊をやらかして冷や汗をかいたばかりなので、夜中の11時を過ぎる遅い時間だったが、寝る前に可能な限り片付けをして、ケータイの目覚ましをちゃんとセットしたことを確認してから、ベッドに入った。 抜けるような青空と満開のジャカランダの下での散策、ディープな外国人街の訪問、シドニーの友達との楽しい食事…シドニーの最高の歩き方をした、充実の一日だった。 |
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2010年11月17日(水) シドニーから香港へ | ||
オーストラリアを出る日の朝。 結局、目覚ましが鳴る30分前に目が覚めた。前回の苦い経験は、身体がしっかり覚えていた。 ちゃんと目が覚めれば、この日の予定の90%は成功したようなものである。 シャワーを浴び、軽く朝食を食べ、身支度を整えて、3日間お世話になった宿を後にした。小雨がパラパラ降っていた、到着した日と昨日に好天に恵まれたことを本当に感謝している。 空港へは、ミルソンズ・ポイント(Milsons Point)駅から鉄道で向かった。 今回のシドニー滞在時は、シドニーの公共交通機関のかなりの部分が使い放題となる、My Multi2と言う47ドルの切符を利用した。空港にもこのパスで行けるのだが、空港駅利用するには、運賃とは別に、Airport Access Feeなる料金が加算される。 金額にして、AUD11.80-。ちょっとしたボッタクリである。オーストラリア発着の航空券と一緒に払う諸税の高さにはいつも閉口させられるが、これだって、別に払う必要の無いお金ではないだろうか? できることなら、一日でも早く廃止して欲しい料金制度である。 少なくとも、決して安くないお金を人から徴収するのだから、その内容を誰にも分かるようにきちんと説明してほしい。 ターミナルに到着してからの、チェックイン、出国手続き、セキュリティチェックは特に何事も無く、いつも通りサクサク進んだ。 出発ロビーに入ったところで、出発まで2時間以上の余裕があった。JCBのシドニーの事務所に電話をし、「クレジットカード会員用のラウンジはないか?」と聞いたみたところ、特にシドニーでは準備していないとのこと。 どこかで時間を潰さないといけないのだが、改装してからそれほど経っていないこのターミナルには、誰でも利用できるゆったりソファがいくつも並ぶ、広々とした「オープン・ラウンジ」とでも呼べるようなエリアがあったので、そこでこれまでの旅日記をまとめた。 退屈することは全く無く、搭乗時刻がやってきた。CX162便の香港行きは定刻どおりに出発した。 飛行機の中でも昼食が済んだ後に、ノートパソコンを開いて日記の続きを書いたり、日本から持ってきた本を読んだりしながら、この旅で自分の内面に何かの変化が無かったかを反芻してみたが…答えは何も出なかった。 飛行機は定刻よりも少しだけ遅れて香港に到着した。 ここで、すぐにしないといけないことがあった。 それは、明日参加するマカオ行きのツアーの担当者が誰か、現地の代理店に電話を入れること。 営業時間の終わりが近かったので、入国審査場まで歩きながら携帯で確認をした。これで明日のツアーは大丈夫だ。 入国審査は行列になっていた。ヒマだったので、携帯メールをチェック。 お土産リストのメールが。……………面倒くさい。 入国審査を終えて、空港連絡鉄道(Airport Express, 以下、AEL)のホームに向かった。 海外の交通機関って、大抵鉄道は高くつくものだが、それは香港のこの鉄道も同じ。 ただ、僕は鉄道での移動が好き。だったら、少しでも安く…と言うことで香港で鉄道を運営するMTRのサイトで事前にクレジットカード払いで、5%引きの価格での往復の切符を申し込んでいた。 海外の鉄道を、日本の自宅でクレジットカード払いで手配できる。出発時には時代の変化への抵抗を感じたものの、これについては、便利さが先となった。 空港では、決済後に届くメールのコピーを手にして鉄道に乗り、目的地のカスタマ・センターで帰路の切符と市内の地下鉄で使えるパスを受け取った。 このあと、AELの九龍(Kowloon)駅から、無料のシャトルバスに乗り、ホテルに向かう。車窓に飛び込んでくる、4年ぶりの喧騒、本当に懐かしいなぁ。 今回の香港の宿泊先のロイヤル・パシフィック(Royal Pacific)に、到着した。 朝早くからの移動で少し疲れていたが、香港の夜に何もしないのはもったいない。 …と言うで、軽く晩御飯を食べた後に、ホテルの近くの宿でもらったチラシを頼りに、マッサージのお店で指圧をしてもらうことにした。 疲れている肩や腰を気持ちよく揉んでもらい、ついでに名物(?)の足裏もやってもらおうと思っていたのだが、甘かった。 足裏は痛いのは分かっていたが、普通の指圧も、気持ち良いどころか、かなり痛かった。 おばちゃんなのに、すごい力!肩甲骨の腕の付け根の部分、肩のこっている部分、腕、ふくらはぎ、かなりの力で揉まれるか、肘でグリグリやられるかのどちらかで、本当に涙が出そうだった。「痛い」って言うのは何だか悔しかったので、力が加わる度に、「うっ、うっ」と自然のリアクションのフリの声を出して、地味にアピールして、力を弱くしてもらおうと考えたのだが、 「ドウ?イタイ?イタイネ~」と笑われるだけだった。 じゃかましいわい! でも、終わってみると、確実に体が軽くなった。 部屋に戻ると、すでに深夜12時半。 明日のツアーは、シャングリラ・ホテルに7時15分集合、ヤバい、早く寝ないと! 8月のブリスベンでの大寝坊がまだトラウマに残っていたので、携帯電話の目覚ましを6時にセットして、レセプションにも6時のモーニング・コールをお願いし、シャワーを浴びてから寝た。 |
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2010年11月18日(木) マカオ | ||
朝6時。携帯の目覚ましとモーニングコールがほぼ同時に鳴り、目が覚めた。
ふぅ、何とか起きられた~ これから、マカオを観光するツアーに参加する。 パンと牛乳で軽く朝食を済ませて、朝の散歩を兼ねて、集合場所のシャングリラ・ホテルまで20分くらい歩いた。 「なぜ、マカオ?」と聞かれると、特に強い動機は何もない。 理由は、パスポートにたくさんの出入国のスタンプを集めたかった、ただそれだけ。 出発1ヶ月前から、会社や家のパソコンで、香港ナビを眺めて研究していたのだが、あそこも行きたい、ここも行きたい…と想像が膨らみ、けど不慣れな場所で自力で見て回るのは大変だな~、と言うことで、このサイトを経由して申し込めるツアーに参加することにしたのだ。 元々目的がパスポートへのスタンプ集めだったので、当初はマカオに加えて深センと言う中国本土も一日で見て回る、何とも欲張りなツアーに申し込んでいたのだが、最少催行人員2名に対し、申し込みが僕だけだったみたいで、出発直前まで催行が確定されず、止む無くキャンセルし、1名からでもやってくれるマカオだけのツアーに参加することにした。 マカオで本当に良かったところはこのマカオだけのツアーにしか無かったし、夕方解散で夜はフリーとなり、昨日電話した現地在住の方とも会うことができ、結果的にはこれが正解だったと思う。 シャングリラ・ホテルで香港側のガイドさんと合流し、バスに乗った。他にも数箇所のホテルを回り、参加人数は19人となった。単独参加は僕だけ、あとは全員、2人ずつ。何だか寂しいぞ! 香港島、上環(Sheung Wang)のフェリーターミナルでガイドさんから切符を受け取り、一旦別れる。 香港出国のスタンプを押してもらい、ロビーから船に乗り込む…のだが、係留されている船、すっごい揺れている。大丈夫か?酔わないか?と、少しビビッてしまった。 しかし、乗って席に着くと、意外と揺れを感じないものだった。 フェリーは1時間ほどかけて、マカオに向かう。 朝もやとフェリーのエンジンから吐き出される水しぶきのお陰で、窓からの景色に何も望めるものは無かった。 マカオに到着し、入国審査。 こんなところで、写真を撮っている、ポルトガル人っぽいおっさんがいた。 すぐに審査官にこっぴどく怒られたのは、言うまでもない。 日本人で、こんな大胆なことが出来る人は、いないだろうな。 マカオ側のガイドさんと合流し、バスに乗り込んだ。 ターミナルの前は、自動車レースの会場に変わっていて、本番前の様々な調整や練習が繰り返されていて、中々賑やかだった。 ツアーは、まず、マカオ市内めぐり。 |
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朝は曇っていたが、この時間になると晴れ間が見え出し、空が見えていた。 しかし、スモッグのせいか、場所によっては、晴れているのか、曇っているのか、よく分からないときがあった。空気はそれほどキレイな場所ではないのだろう。 空の色は、やはり、オーストラリアが一番である。 |
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マカオタワーにも行き、58階にある展望台に昇った。 マカオやその周辺を一望できる。 下を見渡せるガラス張りの箇所がある。 あまりの高さにその場でへたれ込む観光客の女性がいた。 この後、長~い橋を渡り、タイパと言う場所にあるカジノが併設されたホテルで昼食。 ホテルの食事だからマズくは無いのだが、エントリーがトマトスープとパン、メインがパスタと、炭水化物攻め。よっぽど切り詰めた予算であることを痛感した。 特に語るべきことは何も無いので、得意の食べ物の写真もなし。 この後、カンジノ組と観光組に分かれた。 僕は、観光組。 コロアネ島(Ilha de Coloane)に向かった。 小さな漁村で、中国本土の「殊海」と言う町が、数百メートルを隔てた海の向こうに見える場所。 街歩きが大好きな僕にとっては、最高の場所だった。 |
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こう言う旅を僕はしたかったんだ!すばらしい! このように、地元の生活感を体感できる場所を歩くのは、最高に楽しい。 次にマカオに来たら、世界遺産もカジノもいいから、この場所をゆっくり時間をかけて歩いてみたい。そう思った。 この後、名物のエッグタルトを食べて、ツアーは終わり。 マカオのガイドさんと握手して別れ、出国のスタンプを押してもらい、香港へ。朝、別れたガイドさんに再び合流し、送迎バスに乗った。 昨日電話したYさんと会うため、朝とは違う場所でバスから降ろしてもらった。 Yさんと合流、免税価格からさらに割り引かれた価格で買い物できるカードを受け取った後、免税店はもちろんのこと、様々な場所でお得な買い物をし、地下鉄で香港島の上環(Sheung Wang)に行き、小汚いレストランで食事(こう言うところのほうが香港は美味しい)、さらにリクエストの品物を探して回った。 Yさんはこの後、職場の人との会食があるとのことだったが、時間の許すいっぱいいっぱいの時間、夜の香港を案内してもらい、その後、尖沙咀(Tsim Sha Tsui)で別れた。 Yさんのお陰で、買い物の80%近くを済ませることができ、明日は久々にゆっくりとできそうだ。 だから、今日は遅くまで、香港の夜を楽しもう! |
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2010年11月19日(金) のんびり香港 | ||
1週間の休暇を利用してのシドニー&香港の旅も終盤に入った。 水曜、木曜と、朝早くから夜遅くまでの行動だったため、この日は久々にホテルで朝寝坊をした。 目が覚める頃には、街は動き出していた。 9時少し前に、ホテルのレストランで朝食。 ホテルの朝食って、優雅な雰囲気が良いよね。 何べんやっても、止められない。 朝から結構、食べてしまった。 食事が終わった後、すぐに外には出ず、部屋でゆっくりして過ごした。 |
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香港に到着して、二晩が経過してやっと、自分が決めたホテルの部屋で自分だけの時間を送る。 ここを決めたのは、マカオに行くフェリーターミナルが直結していることだったが、最終的には、香港島の上環(Sheung Wang)から出発する昨日のツアーに参加したため、意味は無くなった。しかしながら、それを差し引いても居心地が良い。 次回、マカオに行くときは、恐らくツアーを使わずに一人旅になるだろうから、また香港に行くときに、このホテルにお世話になる可能性は高い。 午後に入ってから、買い残しの片づけを兼ねて、外出した。 意外と見つからなかったのが、計り売り用の缶がたくさん並んだ、お茶の専門店。 その代わりなのだろうか、干しあわびなどの滋養強壮を目的とした薬膳のお店ばかりが目に付いた。 お土産リストにあったジャスミン茶を求めて、20分歩き回って、やっとそれっぽいお店を見つけた。 お店に入ると、おばちゃんが「こんにちは」と日本語で話しかけてきた。 ストレートにジャスミン茶を欲しいと言うと、3種類の缶を見せてくれた。リクエストが「一番高いもの」だったので、買うものは最初から決めていたのだが、値段と味の違いに大変興味があったので、「試し飲みをさせて欲しい」とお願いした。 すると、おばちゃんは、正しい飲み方をレクチャーしながら、丁寧にお茶を淹れてくれた。 値段と味の違いは、素人の僕でもすぐに分かった。同じジャスミン茶でも、スッキリさとか、ジャスミンの香りの強さとか、上品さとか、全てが違った。 味は値段だけでなく、同じ茶葉で淹れた回数でも違う。 大変勉強になった。 写真撮影にも気さくに応じてもらった。 |
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おばちゃん、ありがとう。楽しかったです。 残りの買い物も全て片付けた後、道でもらったチラシを頼りに入った飲茶の店でランチ。 坦々麺とにら饅頭を注文した。 |
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B級グルメ、最高! この後は自分の趣味に合わせたお店回り。免税店での香水も買い物とか、電気屋さんでの価格調べなどなど。 その後、おとといとは別の指圧の店に入り、今度は「ソフト」とリクエストをして揉んでもらった。背中を押されると、骨がボキボキ鳴りまくる。疲れていたんだなぁ。 お店を出ると、暗くなってきた。ホテルに買い物したものを置き、一息入れてから、晩飯を食べにもう一度、外に出た。 撈麺と言う、汁の無いそばを食べた。 ゆる~い香港の一日が終わり、明日は早くも帰国。 いつもの哀しさが次第に… |
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2010年11月20日(土) 旅の終わりは旅の始まり | ||
帰国する日の朝は、いつも哀しい。 今回も、多少なりとも、そんな感情が湧いているのだが、この日の朝は同時に「やり切った」感もあり、いつものように後ろ髪を引かれる感覚は少しばかり薄かった。 それだけ中身の濃い旅だったんだろう。 チェックアウトの時間は、正午。 帰りの飛行機の香港出発は、16時10分。 憂鬱になることなく、時間が来るまで楽しもうと、心に決めた。 8時に目が覚め、8時半にホテルでの優雅な朝食。 朝食が終わっても、チェックアウトまで3時間弱の時間が残っていた。 パソコンのメールチェックを一通り終えてから、最後の散策に出かけた。 ホテル周辺。 ホテルの下は、マカオに向かうフェリーターミナルになっていて、ホテルからはもちろん、直結。 ホテルの外観。は、趣味の悪い色のパソコンサーバが並んでいる感じ(笑) 部屋はとても居心地が良いんだけど、ね~ |
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ホテルの入り口を出てすぐの場所で撮影した、お気に入りの一枚。 チョウ・ユンファ主演のの「男たちの挽歌」でポスターに使われそうじゃない? |
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九龍公園(Kowloon Park)も中々良い。 昼は都会のオアシス。 海外の公園って夜はコワい場所になるけど、この公園はカップルの溜り場、夜だって全然コワくない。 |
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佐敦(Jordan)からMTRに乗って、旺角(Mong Kok)へも足を伸ばした。 この辺りも、女人街など、歩いているだけで楽しいマーケットがたくさんある。 |
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旺角(Mong Kok)散策中に残り時間が30分になったため、急いでホテルに戻った。 チェックアウトは、11時53分、ちょっと焦った。 チェックアウト後、無料のシャトルバスでAELの九龍駅へ。 羽田行きのフライトをAELの九龍駅でチェックインし、ボーディングパスを受け取ってから、AELで空港に向かった。 空港のセキュリティチェックの直前で、僕は一つ、アホなことをやらかしていたことが判明。 お土産にと頼まれて買ったマンダリンのジャム、箱をツブしたら、帰国後に説教されると思い、丁寧に手で運ぶことにしたのだが、考えてみたら…そう、瓶詰めのジャムは機内持ち込み禁止。 巡回している係員に言って、一旦、セキュリティゾーンを逆戻りさせてもらうことにした。 キャセイの荷物のドロップゾーンで段ボールをもらい、丁重に梱包し、FRAGILEのシールをベットリ貼り付けてもらってから、預け、再度セキュリティチェック。 羽田やシドニーでは鳴らなかったのに、香港では、ベルトの金具で引っかかった。 出国手続き後、シドニーに行くときとは違うラウンジでホッと一息。 ふ~ 飛行機は定刻通りに出発。 東京ー香港線は、大陸からの偏西風の影響で、香港に向かうときより、追い風になる東京に向かうときのほうが、運行時間が短く設定されているのだが、今日はその偏西風が強かったのか、羽田には、定刻より早く着いた。 入国手続きを終え、税関へ。 行き先は?と聞かれたので、正直に、「オーストラリアと香港です」と答えると、「え?休暇で1週間の間に2カ国も?」 それぞれ3泊ずつしかしていなく、更にジャムを段ボールに入れて単独で持っているのが怪しさに拍車をかけたのか、ボディチェックをされた。 失礼なヤツだ、バカGメン!(←違う?) バスターミナルから、新横浜行きのバスに乗った。 バスは国際線ターミナルが始発、このとき、僕を含め、二人しか乗客がいなかったが、国内線のJALとANAのターミナルでお客さんを拾ったら、ほぼ満席になった。 考えてみたら、羽田は国内線メインの空港だから、当たり前か。 新横浜から横浜線に乗り、無事、自宅にたどり着き、いつも以上に充実した1週間の旅は終わった。 |
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Epilogue | ||
帰国した日から一晩が明けた日曜日。 9時に目が覚めた。 洗濯、荷物整理をしたら、あっという間に昼。友人に写メで戦利品の報告をしたあとテレビを見ていたら、知らない間に昼寝。 3時くらいに目が覚め、篭ってたらいかん、出かけなくちゃと自分を奮い立たせるものの、またもや眠気が襲い、次に目覚めたのは、夜の8時半。 よっぽど疲れていたんだな。 翌日から会社に復帰した。 今回の旅は、やり切った感が強く、旅の終わりのダメージを引きずることなく、仕事を淡々とこなしていた。 そして、その翌月、ふとしたことがきっかけで、自分の家を探しはじめ、半年後に首尾よく、新築のマンションを見つけ、引越し。 慣れない生活にてんやわんやしながら、2011年があっという間に過ぎ、次の里帰りは2012年8月となった。 |
2012年8月の里帰りの様子を見てみる | ||
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