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 東部(5) 雨宮地区

■雨宮の御神事(あめのみやのごじんじ)

3年に1度の4月29日、雨宮坐日吉神社(あめのみやにますひよしじんじゃ)を中心に平安時代からつづく豊作祈願の祭り。
祭りのクライマックスの「橋がかり」では、沢山川にかかる橋の上から獅子が逆か吊りになって獅子頭を流れにつっこみ、水しぶきをあげて踊る。「奇祭」といわれ国の重要無形民俗文化財である。
次回は08年4月29日

■川中島の合戦と「雨宮の渡し」
「雨宮の渡し」は、昔、北国街道の要衝にあって千曲川渡船場として川中島平と結ぶ重要な場所であった。このため天文永禄年間、10年にもおよぶ武田信玄・上杉謙信の合戦のうち、最も有名な永禄4年の攻防においても、この「雨宮の渡し」を制するか否かで、その後の戦術、戦況を左右した重要な地点となっていた。
今は、千曲川の流れも北に移り、雨宮渡は、住宅地と成り、謙信奇襲の川中島合戦を詠んだ頼山陽の直筆の碑が、当時の場所を偲ばれる。

鞭 聲 肅 肅 夜 過 河
   曉 見 千 兵 擁 大 牙
遺 恨 十 年 磨 一 劍
   流 星 光 底 逸 長 蛇

詩吟や、歌謡曲「霧の川中島」に出てくる「べんせいしゅくしゅくよるかわをわたる」の漢詩は、上杉謙信は敵武田信玄の策略を事前に察知し、人馬ともに声なく鞭声粛々とこの雨宮渡を渡り川中島平に兵を展開し、主力同士の戦いが両雄一騎打ちで知られる夜襲の様子を詠まれている。

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