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 中部(1) 屋代地区         07.9.1  更新

■【茅の輪祭】
屋代の須須岐水神社では毎年7月31日に「茅の輪」の行事が行われます。
夏を越し次の季節を迎える為の行事で子供がくぐると丈夫で頭が良くなると言われ「知恵の輪くぐり」とも言われています。
「茅の輪」の行事は1年を2季に分けて、「夏越」と「年越」の2つの年越が行われ、旧歴6月晦日に邪神(じゃしん)を和(なご)め暦を改めるための祓いの行事で、蘇民将来が疫病を免られるため身を祓い清める「みそぎ」の儀式として茅萱で作った2mほどの輪をくぐる、慣わしのものです。
左回り右回りと8の字にくぐり最後もう1度左回りにくぐり、拝殿に向かい拝礼し子供は巫女さんから額に墨を入れてもらうと知恵がつくといわれています。
古くから屋代の須須岐水神社に伝わる伝統行事で、夜店や浴衣姿の参拝客など夏の風物詩となっています。「茅の輪」は8月7日(日)まで行われています。

 屋代 須須岐水神社(すすきみずじんじゃ) 05.7.31  撮影


■「屋代(やしろ)駅」 小島

千曲市の玄関駅
「屋代」の由来は駅舎の後ろの山(一重山)に屋代氏(現在子孫は静岡県に在住)の居城があり、明治になり埴科郡の中心地的存在で郡役所が置かれた屋代町が誕生し地名が残っています。

★駅は市民ギャラリィ−と市役所の窓口
駅舎の半分は千曲市の施設であり出勤時に窓口で書類交付の手続きをして帰宅時に受け取りが出来るサ−ビスと市民のサ−クルに市民ギャラリィーが開放され写真展や絵画展などに無料で貸し出しを行っています。









■「市民まつり」 どんしゃんまつり
毎年8月第一土曜日に市民まつり「どんしゃんまつり」が屋代駅前を中心に行なわれ夏の暑さを吹っ飛ばしています。
各地域や職場で100名程度で「連」を組み約30連が参加し、それぞれ支度やデコレ−ションを考え夏の一晩を楽しんでいます

■満照寺のこたつ

屋代駅裏の屋代氏の城跡の西麓に、1522年に屋代政国(父満照)が建立した曹洞宗の寺に、けちな住職さんがいてコタツには火を入れずに底の赤いお椀を伏せて灰で被せ客が来れば灰を退かしあたかも炭が真っ赤に起こっているがごとく見せ寒い冬を過ごしたと言う伝説があり、地元の人はぬるいコタツや暖房のことを「満照時のこたつ」と呼んでいます。
 伝説では「けちな住職さん」となっているが当時の満照寺は御天領であり、時の加賀の前田公も参勤交代のおり、立ち寄ったときの、江戸中期から後期にかけての逸話です。前田公でも御天領には馬・駕籠に乗っては入られず、夏の暑いさなか長い参道を歩かれ、お寺ににて一休み、時の和尚は百万石の殿様に、「どうぞ殿様、この炬燵にお入り下さい。」
 何を血迷ったかこの暑いのに炬燵に入れとは、御天領和尚の言うこと聞かねばならぬと、半信半疑、足を炬燵に差し入れた、ところが昔の炬燵は堀炬燵でしたので、涼しく長旅の足の疲れも吹き飛び、布団を捲り灰を覗けば真っ赤な炎が見えている、よく見ると、そこには朱塗りのお椀が伏せてあり、この頓知に偉く御満悦にて江戸に向かわれた。その計らいは、江戸にて広まり、「ぬるい炬燵は信州信濃の満照寺」として世間に紹介されたと言います。 
 
■優雅に泳ぐコハクチョウ        06.3.1 追加

新潟県に大雪が降り餌が乏しく千曲市に飛来、流れも穏やかなこの場所は彼等にとっては住み良い環境だったのか又、一般市民も、写真撮影や観察は遠くの対岸から行い驚かさないよう配慮しておりその結果、街の中央に関わらず居着き、北帰行に備え、餌を摂ったり羽を休めています。
千曲橋付近 : 06.1.29 撮影 


屋代駅から発着する市営循環バス
南  北  線 しなの
○屋代駅→更埴中央病院→鋳物師屋→内川公民館→長野保健所千曲支所→  千曲市役所→屋代駅
○屋代駅→更埴中央病院→千曲市役所→更埴IC→雨宮渡し→屋代高校前駅→  屋代横町→屋代駅

東  部  線 あんず
屋代駅〜更埴中央病院〜千曲市役所〜横町〜屋代高校前駅〜雨宮〜生萱〜あんずの里〜屋代駅

大 田 原 線 やまぶき
屋代駅〜更埴中央病院〜千曲市役所〜稲荷山温泉〜治田公園〜桑原〜佐野〜中原〜大田原西

姨  捨  線 めいげつ
屋代駅〜更埴中央病院〜千曲市役所〜稲荷山温泉〜八幡〜姨捨駅〜代〜上



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