暑いと思って頭を振ると、ビチャリと何かがずり落ちた。 「・・・・・・?」 やけに重たい瞼を持ち上げて、それで眠っていた事に気付いた。
普段から規則正しい飛鳥らしからぬ目覚めに違和感を感じるが、ぼうっとした頭では分からなかった。 張り付いた前髪が鬱陶しくて掻き揚げると、サラリとした筈の黒髪はじっとりと湿っている。 障子から透ける光は赤く、いつもの朝焼けとは違う気がした。 そこはかとなく痛む眼球を無視して隣を見るが、居る筈の本人どころか布団すら無い。
「何、だ・・・・?」 搾り出した声はひどく掠れていて、喉が痛い。 ようやく、どんな状況なのか分かってきた気がする。
「あ、起きてる」 茜色に染まった障子が、カラリと音をたてて開いた。 「・・・・・・・・・羽鳥」 「起きない起きない。でもって無理に喋らない」 身を起こそうとした飛鳥を制止し、小走りに寄って来る。 その割に体重を感じさせない動きで羽鳥はふわりと膝をつき、そっと覗き込んできた。 「鬼の霍乱」 「やかましい」 「気分はどう?正直に申告するように」 「なぁ、風邪か・・・?」 「そうだよ。原因はわかるね」
原因・・・・・・呆けた頭で思い出す。 確か、寒かった。何故かというと濡れた服で長い事居たからで、その経緯は・・・・・・
「川・・・・・っそうだちょーこは!?」 「だから大人しくしてろって」 飛び起きかけた所を、額を押さえられて止められる。 その手がやけにひやりとしていて、力が抜けた。 いつもなら体温の差など殆どないのにな、と思っていると、羽鳥が僅かに顔を顰めた。 先程頭を振った際に落ちたらしい手拭いを拾い、傍に置いてあった桶に浸し、絞る。 それを飛鳥の額の上に置き直して、今取り替えてきたらしい氷嚢を乗せた。 そこまで無言で行ってから、ようやく口を開いた。
「まーだ混濁してんのかね。確かにそれが原因だけど、君が倒れたのはその次の日でしょ」 「あ・・・・ああ」 そうだった。確かに助けた覚えはあった。 「それにしても、ちょーこもよく川落ちする子だよね。その割に水を怖がる気配が微塵も無いのは良い事かもしれないけど。きっとまた落ちるよ、予想じゃなくて勘だけど」 「不吉な予言をするな」 縁起でもない。
「ちょーこは、元気か?」 すぐに着替えさせて暖かいようにさせたが、なにしろ冬の川に落ちたのだから心配だ。 「君が自分後回しにして面倒見たおかげでね。少なくとも風邪引いたりはしてないけど?」 にっこりと笑ってはいるけれど、声もあからさまにではないけど平坦で・・・・・・これは、 「羽鳥、何か気に入らないならもっと分かりやすく怒れ」 指摘してやると一瞬、目を眇めた。 「バレたか。うん、怒ってるよ。治ったら分かりやすく責めるつもり」 「心配、かけたなら悪かったと・・・・・」 「してねーよ。この程度でどうにかなるようなタマじゃないだろ」 ・・・・・・その割に口調が崩れてきてるようだが。 別にこれが素だというわけではないが、実は相当怒っているようだと思えて少し背筋が寒い。
それを感じ取ったか、羽鳥が落ち着くように一度大きく息をついた。そうして続ける。 「自己管理の甘さで体調崩すくらいはいいよ。でも具合悪いと思ったらすぐに言いなさい。 いきなりぶっ倒れるんじゃない」 「・・・・・・ああ」 否と言わせぬ様子は、珍しく兄らしい姿だなと妙な感心をしてしまった。 「心配・・・・・・じゃなかったか。迷惑かけて悪」 「違うっつってんだろ!ちょーこが・・・・・・!」 飛鳥の台詞を遮った声は、だけど途中で途切れた。 「ちょーこが何だって・・・・!」 「ね・て・ろ・って言ってんだろ!」 また布団に逆戻り。病人相手に手加減がない。
「あー、治ってからって思ってたのに・・・・・」 失言だったらしい。 「うつしては、ないんだよな?」 「さっきも言った通り。でも・・・・・」 「でも?」 歯切れの悪い羽鳥を、辛抱強く待つ。
「・・・・・・川落ちしても水を怖がらないようなあの子が、怖がるものって何だと思う?」 「何・・・・・?」 「ちゃんとした記憶としては覚えてないだろうけど、どっかに残ってるのかなぁ・・・・」 言いながら、羽鳥はどこか悔しそうだった。 握り締めた掌に、何となくそうした方がいい気がして、飛鳥は自分の手を重ねた。 袖を引いて先を促すと、少し震えて羽鳥がキッと睨みつけてきた。 「お前が、あの子の目の前で倒れるからっ・・・・・・・泣き止まないじゃないか!」 「え・・・・・・」
ちょーこの一族が病死しているのは充分肝に銘じている。 だから、ちょーこの体調に関しては必要以上に気を使って――――――
自分の体調ことは、後回しにするくらいに。
「自己犠牲精神ってけっこう傲慢だよね」 「犠牲、なんてのじゃ・・・・・・・・・」 だってこの程度、命にかかわるようなものじゃない。 「僕らは知ってるけど。あくまで僕らは」 「ち、ちょーこの所に―――」 「却下」 「俺は大丈夫だって顔見せに行かないと」 「そんないかにも病人顔してる奴が何言ってるんだか。自覚ないだろうけど顔色悪いんだよ。 そんでまた目の前で倒れたら今度こそどつくよ?」 「だ」 「問答無用!うつす可能性もあるんだから全快するまで面会謝絶! 悔しかったら大人しく体休めてさっさと治す!!」 「わ、わかった・・・」 有無を言わせぬ迫力があった。
了承させたら気が済んだのか、羽鳥はスッキリしたような顔で分かればよし、と笑った。 「そうと決まれば僕も張り切って看病するよ。あんまりない機会だもんね。して欲しいことある?」 何だか楽しそうだ。感心するほど切り替えが早い。 「いや」 「遠慮しないでいいからね。・・・・・・・・・たまには、甘えなよ?」 あ、さっきとは違うがまた兄の顔。 滅多にみせないこれも、まぁ確かにたまには悪くないのかもしれない。 「・・・・・・・・・ああ」 「食欲なくても何か腹に入れといた方がいいよ。消化に良い物・・・・・・お粥とうどん、どっちがいい? 番外として病人の定番、卸し林檎ってのも有り」 「それより、まず喉が渇いた」 「OK、ちょっと待っててね。今水持っ、て・・・・・・・・・?」 立ち上がりかけた羽鳥の動きが止まった。 どうしたのかと視線追うと、
「あ・・・・・・・・・?」 しっかりと羽鳥の袖を掴んだままの己の手。
「ぷっ・・・・くっ・・・・・うくくくくっ・・・・・・!」 「笑うな!離し忘れただけだ!!」 「う・・・うんうん、わかったわかった。そーだねー恥ずかしくないよー」 「あああ腹立つ!いっそ堂々笑え!!」 「いやいやいや。ごめんごめん」 うん、ゴメン。 まだ少しクスクス言いながら、羽鳥かがみこんだ。 まだ殆ど融けていない氷嚢に手を伸ばす。 袋の口を開けると、これだと冷たすぎるかな、と呟いて氷を一つ口に放り込んだ。
寄せられる顔に意図を察して真上を向くと、ひやりと冷たい唇を受け止めた。 口付けじゃないから、目は閉じない。 茶色い髪がサラリと零れるのを眺めながら、羽鳥の融かした水を飲み下した。
「もっといる?」 「・・・・・・もう少し」 「うんうん、弱ってる時って人恋しくなるもんだよね」 「言ってろ」
悪態をついたついでに目を閉じて、そのまま冷たいそれを待った。
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飛鳥に風邪引かせようというのは決定だったんですが、羽鳥が2パターン思いつきました。
『優しいけど楽しそうで張り切りすぎて非常にウザイ』・・・ねぇ起きてる?何かして欲しいことない?やる事なくて暇だから何でも言ってね。寝てなきゃダメだよ、とか言ってくるタイプ。
『怒ってて不機嫌だけど看病は的確』・・・概ね今回の話。もっとあからさまに不機嫌でしたが。
どちらがいいだろうと考えて、結論が出なかったので混ぜ気味で書いたら案の定印象が分裂しました。というわけで今回の羽鳥はブレてますね。後者が勝ち気味ですが。
一番やりたかったのは口移しシーン。わざわざその手のシーンをの入れるなよと思われるかもですが、病気ネタと言ったら色気でしょう(きっぱり)!はっきりヤオイな方向に持って行かないのだったら、せめてこれを書かなきゃ病気ネタの意味がない!!(断言)