夢を見ている。

 

 

 

 夢の中で、ああこれは夢だと気付く事がある。

 今が正にそれだった。

 その理由は多々あれど、今この時何故それと気付いたかといえば、これが過去の再現だったからだ。

 低い視点と、今よりも幼い周りの顔ぶれ。

 夕暮れの中、進む話はいつかしたものであり、己の身体も今のエルディの意志に従わず、この時の記憶の通りに動き、話す。

 

 強い既視感を覚えるものの、さて、この日は何か夢に見るほど印象深い事でも起こったのだったか?

 エルディの意識が考える間にも勝手に子供たちの話題は進み、誰かが何かを言い、

「寝る前とか起きた時にキスをされるんだ?」

 稚い質問者の声。

 ああ、とエルディは理解する。この時だったかと。

 これは幼い己の声。小さなエルディが、何気なく発した問いだった。先の発言者の両親は、その子に対しそうするものなのだな、と何の他意もなく。

 だけどもその瞬間、その場にいた殆どの子供が息を呑み、目を泳がせたのだ。

 

 小さなエルディは困惑した。

 誰かを怒らせたとか悲しませたわけではない。皆が『エルディが悲しんでいるから』という顔をしていた。

 そうして知る。幸か不幸か、エルディは察しの悪い方ではない。それはこの時は不幸な事に。

 ひとつは、両親にキスをされるのは先の子供だけではなく、当たり前な事であると。

 そしてもうひとつ、その当然の権利を得られないエルディの事を、皆は可哀想だと思っていると。

 

 もっともこれらは、今のエルディが改めて分析するとおそらく自分はこう思ったのだろうという結論であり、当時はただ漠然とした印象でしかなかったのだが、子供なりに感じるものがあったのは確かだ。

 

 小さなエルディは己の異質さを知る。そしてそれは、初めての感覚ではなかった。

 島の外から流されてきて、村長に育てられたエルディには始めから両親がいない。

 村長の育て方に不満はなく、己を不幸だと思ったことは無い。

 村の皆は優しく、エルディを排斥しようとする者は一人としていない。

 子供であってもその優しさは顕在で、……しかしその優しさが、このように己の異質を浮き彫りにする。

 そして優しさであるがゆえ、責める事はできない。

 エルディの困惑や憤りは、ぶつける先がない。

 

 オレは可哀想なんかじゃないのに、どうして皆そんな目で見るのだろう。

 どうして、腫れ物に触るような扱いをされるのだろう。

 リチアはどこ? どうして今この場に、オレの隣に居てくれないんだろう。

 

 エルディが居た堪れなくなっている内に、少年達は言葉を投げかける。

 別に良いものじゃないとか、むしろ恥ずかしいとか、自分はもうされてないとか。

 やがて中で一番の年長者が、カクカテイのキョウイクホウシンのソウイがどうとか言いだした。

 意味が分からなかったのはエルディだけではなく、大半の者が首を捻ったり眉間に皺を寄せたりしている。

 隣にいる一番仲の良い友人に目をやると、やはり何かを考え込んでいるようで、エルディはなんだか悲しいような苛立っているような複雑な気持ちになる。

 年長者が言った台詞に小さなエルディの知らない言葉が多分に含まれていたのはおそらく、わざとだ。言っている本人も使いこなせていないのが聞き取れるぎこちなさ。

 難しい言葉で、誤魔化そうとしているんだ。そう思ったらますます腹の辺りがムカムカとしてきて、エルディは家に帰る旨の事を告げると、背を向けて駆け出した。

 

 後ろからエルディを呼ぶ声がした気もしたが、聞こえなかった事にしてひた走った。

 走って、走って。

 息が切れて足が縺れそうになり、止まった頃には村長宅などとうに過ぎて、そこはもう村の端だった。

 

 

 

 ぜぇはぁと塀に手を当て呼気を整えていると、ふと、乱れた呼吸が自分ひとつではない事に気付いた。

「……レッ…ク…?」

 しゃがみこんでいるので顔が見えないが、この葉の色をした髪は一番親しい友のもので間違いない。

「エル……足、はやい…」

 苦しい息の中、訴えてくる土色の瞳に映る自分は、ひどく情けなく見えた。

「みんなも、追って、でも、おいつけ、なくて……」

 数度深呼吸。大分落ち着いたらしいレキウスは立ち上がり、ひたと目を合わせてくる。

「エルは足が速いから、ちゃんと周りを見ながら走らないと、誰もついてこれないよ」

「……レックはついてきたろ」

 むしろ一人になりたくて駆け出した筈だ。

 どうしてついて来ちゃうかな、という本音が滲んでいたと思うのに、

「エルのおかげで足速くなったから」

 にこにこと誇らしげに言われて毒気が抜けた。

 それと同時にムカムカしていたのもどこかに消え去って、

「帰ろう? エル」

 レキウスが差し出した手を、素直にとった。

 

 寂しかった、って事なんだろうな。

 意識だけのエルディはぼんやりとそう思う。

 追いかけてもらえたから、寂しくなくなった。ただ、それだけのことなのだろう。

 

 

 暗くなりかけの帰り道、小さなエルディはスタスタと足を動かし、小さなレキウスは一歩後ろから、手を引かれてついてくる。

 ああ、そうだ。小さな頃はこの構図だった。

 大人しい子供だったレキウスを、いつもエルディが引っ張りまわしていた。

 少々気の弱かったレキウスは、だけどもエルディが間違った事をすればちゃんと諌めてくれたから、エルディは彼が振り返ればすぐ傍に居てくれる事に安心していた。

 リチアと常に共にあれない寂しさも、レックがいれば一時的に埋められる。それは、今でも。

 

「そういやレックはさ、さっきの解った?」

 聞きたい事もすぐ聞けるしな。

 レックは自分よりも頭の出来が良いらしい、とこの時点で既に思っていたエルディは、昔から彼に聞く事に躊躇いは無い。

「……?」

 ただ、唐突過ぎれば通じないのは当然で、小さなレキウスは歩く足は止めぬまま、ぱちりと瞬いて首を傾げた。

「なんだっけ、キョーイクホーシン?…のソーイ、とかなんとか」

「ああ……」

 その話か、と頷いたレキウスが、また少し考えるような仕草をする。

「……村のみんなが、俺たち子供がどうすれば立派な大人になるのかを考えてくれてて、みんながそれぞれ一番正しいと思う事があるから、どうしてもやり方が違ってくるねって事………だと、思う」

「ああ、そんな話だったんだ」

 そう言われればしっくりと胸に収まる気がした。なんだ、誤魔化そうとしていたんじゃなかったのかな?

 それから、少し自信なさげではあるものの(でもいつもの事)、解りやすい言葉に置き換えてくれたレキウスに感心する。

 

「……あれ、じゃあレックさっき何で考えこんでたんだ?」

 言葉の意味が分からなかったのではないのなら、何を?

「ん……なにが、できるかなって、考えてた」

「なにが、って?」

「みんなが俺たちの事を考えてくれてるなら、俺は何ができるだろう、って」

「へぇ……?」

 

 と会話を続ける内に、村長の――ひいてはエルディの――家に着いた。レキウスの家はもう少し先。

「じゃあレック、またあした」

「うん。おやすみ、エル」

 手を振って、振りかえされて、それでさよならの筈だったのだけど。

「……なぁ、レック」

「なに?」

 ちょっと思い出してしまったから。

「おやすみのキスって、どんなの?」

 

 別に、そんなに気になったわけじゃないのだけど。

 ただ、レックになら聞けるかな、と思ったのだ。

 

 問われたレキウスは、また少し考えるような顔をして、

「……そっか」

 と呟いた。

 今何に納得した? と訊く間もなく、レキウスが一歩分あった距離を詰め、

「……おやすみエルディ、良い夢を」

 額に柔らかい感触を受けた。

「エルの眠りが安らかであるように」

 子供らしく高く幼い声はそれでも穏やかで、眠りに誘いそうに優しかった。

「眠って目覚めて、明日のエルの事も大好きだよ」

 またひとつ、今度は眦に。それにより、落とされたのが唇と知る。

 

 エルディはぱちりと瞬きする。

「……今のが、おやすみのキス?」

「うん。俺からエルへの、ね」

「なんで、じーちゃんはしてくれないんだろ」

 よくは分からないけど、何だか嬉しかった。あったかい感じがした。

 みんなが毎日してもらってるのに、エルディはこれが初めて。

 なんか、ズルイ。エルディは滅多に己と人を比較しない方だが、これは、羨んでいいものな気がする。

「村長は村長でエルの事いっぱい考えてそうしてるんだと思うよ」

「……レックは?」

「俺も、さっき凄く考えた。『レック』はエルに何ができるだろうって」

 レックが自分の事を愛称で呼んだのは、後にも先にもこの時だけだと思う。

 この呼称は、エルディだけではないものの、使う者の限られるもの。

 

 ……さっき言ってた何ができるかって、『オレに』だったのか。

 エルディは朧気ながらに理解する。

 あぁコイツ、オレの事大好きなんだなぁ、と。

 

「……明日もしてくれんの?」

「エルが嫌じゃなければ」

 にこにこと、即答。

「いつまで?」

 確かコレは小さな子供だけしてもらえる行為の筈、と思って訊けば、

「エルが、もういらないって言うまで」

 これも即答。

 いらないって、なるかなぁ……?

 小さなエルディはそんな事を思いながら、とりあえずニコニコしたままの友達の手をぎゅっと握ってみた。

 

 

 

 とりあえず、で掴んでみて……未だに手放せてないんだよな。

 意識だけのエルディはそう呟いた。

 

 

 

 と、そこで意識は途切れ、気付くと肩を揺すられ呼びかけられていた。

「……ル。エルディ、起きろ」

「ん……」

 穏やかな声がする。よく知っている、『今』の声。

 ……あ、オレ目が覚めたのか。

 その事もはっきり自覚して、寝起きで重たい頭を上げる。

 そうして最初に目に入ったのが、樹の民らしい土と葉を思わせる親しい友の色で、その事にエルディはなんだか嬉しくなった。嬉しくて、自然に笑みが零れる。

 ただ、それだけのことで。

 

 

 

 

 →3章

 

 

さーて、いくつなんでしょうねこの小さい二人は。どっちかというと、ちびレキウスは一人称『僕』キャラじゃないかという気がするのですが、まぁゲームに揃えた方が無難ですかね。

ウチの小さいレキウスは天然通り越してちょっぴり不思議ちゃん入ってるような……? リチアも同じくなので、がんばれ小さなエルディ!といった感じか。

普段は三人称の文章であっても視点キャラにあわせて文体変えるんですけど、この話はあえて変えずに書いてます。少しでも綺麗な文章になればいいなぁ。