「僕はあなたを殺してでも止めるべきなのかもしれませんね」 えらく物騒な事を言われた。 ハルヒの耳に入れないためか、台詞の割には穏やかなウィスパーボイスではあったけど、正直俺はかなり面食らった。 だって、古泉だぞ? ハルヒのイエスマンのみならず、SOS団の裏方事務何でも笑顔でお引き受け、忠犬状態の副団長が、俺に対して危害を加えるような言葉を発するとは。 「あいにくと、僕にはSOS団とやらや機関・・・・・・に、所属していた覚えはありませんので」 もっともだ。いかんな、さっきまでの学ランでなく、季節感丸無視とはいえ曲がりなりにも北高指定の衣服を身に着けているものだから一瞬混同しそうになる。 「そりゃあこの真冬に半袖短パン、しかもお前からすりゃ初対面の奴のモンを着させられたのには同情するがな、殺意まで滾らせることはないだろ」 でもって、もし向けんならハルヒにしとけ。強制したのはアイツだろ。 そう思ってハルヒに視線を向けると、朝比奈さんを引っ張った背中が遠い。いや部室が何階かは伝えたけどな、何故お前が先行できる。ここの敷地に入った事がないお前が。 「それもありますが、そうではありません。 先に述べた2つの可能性の内、あなたがパラレルワールドからいらしたのでしたら何ら問題ありません。お好きにお帰りください。ああ、晴れて異世界旅行者の属性を獲得ですね。おめでとうございます」 いるかそんなオモシロ属性。・・・・・・いや、もう帰れれば文句は言わん、どんな属性が付こうと俺は俺だ。こうやって古泉が超能力者であろうとなかろうとムカつく事と同じようにな。 「問題となるのはもうひとつの可能性の方です。世界があなたを残して変容していた場合」 古泉が迷うように前髪を一筋弄る。口にするか躊躇する気配が伝わってくる。 「僕は、この世界が好きなんです」 気まずそうに呟いた。 そりゃ一介の高校生が口にするには抵抗のある言葉だろうよ。まず『世界』が恥ずかしい。 俺の知ってる古泉だったらサラッと言うけどな。実際言われた。 言い方はともかく、台詞選択は古泉らしいってことか。 「あなたが変容した世界を許容できず元に戻そうとする事は、今ある僕達を全否定する事に他なりません。僕たちの世界を消そうとするあなたを、僕は止めるべきなのかもしれません」 「そういう事か」 しかしそれが、かもしれない程度に留まって、お前もどっか諦めたような微笑を湛えているだけって事は、俺の話を信じていないからか。いや、本当に信じてなければこんな話もしないよな。どっちだ? 「半信半疑、といった所ですかね。正直、涼宮さんを信じさせた件に関しては懐疑的です。文字の意味は涼宮さんが無意識の内に口にした可能性がそれなりですし、それがジョン氏の耳に入り、あなたは彼からその話を聞いたと考える方が自然です」 ムカつくが、俺が古泉の立場でもそう思うだろうな。 「で、半信半疑のもう半分は?」 「………僕が超能力者というお話でしたが……」 またも、歯切れが悪い。 「ああ」 「『閉鎖空間』に『神人』……とても、恐ろしい話でした」 古泉は搾り出すようにその2つの単語を口にした。 古泉の肩が細かく震える。えっと、寒いんだよな?そんなカッコだから。 だって、怖いって?閉鎖空間の事なんて30秒も話してないぞ。何より話し手だった俺は怖くないのに。いや、あの場に放り出されたら怖いどころの騒ぎじゃなかろうが、案内人の古泉が落ち着き払っていたため俺は驚いているだけでよかったからな。 こいつは、目の前の古泉は、何を怯えているんだ? 「失礼ながら、子供だましとしか思えません。荒唐無稽に過ぎる与太話だと。そう、思うのに、怖くてたまらない。自分で訳がわかりません。だから」
「だから、あなたの話を信じてしまいそうです」
さぁ、どっちだろう。 この古泉は、果たしてパラレルワールドの自分とシンクロをしてしまったのか、それともあの8月のように忘れていた経験が記憶の綻びから顔を覗かせたのか。 しかし、俺の知ってる古泉もこんなに怖かったのか? 随分と怖い思いもしました、と言ってはいた。最初のころ、そう俺が閉鎖空間に招待された日に。 だが、断じてこんな顔はしていなかった。 こんな、ああ、今は下向いたせいで前髪で隠れたか。
「古泉」 「なんでしょう」 「悪いな。お前なんかに謝るのは業腹だがな。今の内に言っておく」 俯いていた古泉の顔が上がる。 その表情は訝しげな色を呈してはいない。その瞳は俺が何について謝罪したのか理解しているように見える。さすが解説役、物分りがよろしい。 「お前がどんだけ怖かろうと嫌がろうと、俺は俺の世界を求める。妨害すんならしろ、殴ってでも俺は進む」 まぁ多分そんな展開にはならんだろうが。そう思った通り、古泉は諦念混じりの微笑をゆるゆると浮かべた。 「しませんよ」 「なんでだ」 そう言うんじゃないかと思ってはいたものの、やはり聞いてしまう。 どうして古泉は、俺の知ってる古泉ならともかく、目の前のこいつでさえ、こうも物分りが良過ぎる。 「涼宮さんが笑ってくれるのなら、それでいい気がしまして」 いいのか、それで。 ここのハルヒはお前ら……いや、『機関』曰くの神でも何でもないんだろうが。いつまで信者をしている気だ。
「そちらの僕は、笑っていますか?」 何だ突然。ああ笑ってるとも。いつでもどこでも無駄にニヤニヤニヤニヤしてくれやがる。無理言われて困ってようが、もしかしたら怒っていようが、本っ当ーに無駄に爽やか笑顔貼り付けてるぜ。 「そう……ですか」 古泉は、それは予想外、といった顔をした。こっちの古泉は読みやすいな。ハルヒの前ではやっぱり作ってたようだが。 眺めていると、思案顔に移っていた目がこちらを向く。 「やはり……妨害してもいいでしょうか」 いいかと訊かれたら嫌だと答えるに決まってるだろ。つか、何故だ。 「もっともです。いえね、楽しそうにしているのではないかと思ったのですが、あなたのお話を聞くにどうかと思いまして」 「楽しそうだぞ」 無論仕事ではあるのだろうが、少なくとも俺の目には楽しそうに見える。基本笑顔に何が混じるかはわからなくとも、社交辞令100%じゃないのはわかる。その不純物がプラスかマイナスかも。 特に最近ははしゃぎ気味だったぞお前。・・・・・・じゃなかった、あいつ。ああ紛らわしい。 「少なくとも、お前よりは余程な」 そうやって、今も諦めたような苦笑を浮かべるこの古泉よりは。 「好きな人一人笑わせる事ができない、どうすればいいのか思いもつかない自分が情けないんです」 それで、もう諦めたのか。 「そんなつもりは無かったのですがね。そうだったのかもしれません」 古泉が、よく知る動作で前髪を弾いた。 「あなたに止めを刺された気分です。あんなに輝かしい涼宮さんは初めて見ました。この世の楽しみを知って欲しかったけれど、僕は橋渡しになれません。そちらの僕が羨ましい限りです」 マジか。いいのかそんな小間使い人生で。 「小間使いは女中ですよ。まぁ、雑用は嫌いじゃないですし、涼宮さんの楽しみの・・・・・・橋とまでは行かずとも、足場の一部くらいにはなれていそうですからね」 繰り返すが、いいのかそれで。男ならどっしりと大地を目指すべきじゃないのか。せめて橋を。どれにしろハルヒに足蹴にされる運命のようだが。 「橋はあなたでしょう。いや、エスコート役ですかね、涼宮さんの手を引いて。 いいんですよ僕は、涼宮さんが笑ってくだされば」 勝手な役を振るな。 「・・・・・・俺は、俺の知ってる古泉曰く鍵らしいぞ。何の事だかさっぱりだがな」 「ああ、なるほど」 何がなるほどだ。何を納得できたと言うんだ。お前は俺の知ってる長門・・・・・・ああもう全くもってややこしい、いちいち長い。俺の長門みたく俺の古泉と『同期』でもしたのか。 「言っている事はおそらく同じですから。・・・・・・ところで、関係性を略さないでください。所有代名詞みたいになってるじゃないですか」 うるさい。長くて鬱陶しいんだよ。長門や朝比奈さんならともかく、古泉のくせに煩わすな忌々しい。 「・・・・・・・・・」 なんだ、何か文句あっか。 「・・・・・・いいえ」 古泉は疲れたように長い息を吐き、長い指が再び前髪を遊び始めた。 「・・・・・・その辺、俺の古泉と同じだよな」 「どれがですか。文句を呑み込む事が?」 やっぱりあるか文句。あぁそうだろうとも、聞く気は更々無いがな。 「前髪弄るやつ。癖だよな」 「え・・・・・・」 クルクル絡めていた指をピタリと止めて、まじまじと見ている。 「気付いてなかったのか」 まぁ、気付かないからこその癖なのかもしれないが。 「いえ、知っていました。・・・・・・でも」 なんだ、何を考え込んでる。 「はい・・・・・・あの、ひとつお尋ねします。あなたの古泉一樹は―――」 「略すな気色悪い」 「・・・・・・・・・」 黙るな、続けろ。 理不尽な物言いな自覚は残念ながらあるが、仕方ないだろうその顔と声で『あなたの古泉一樹』とか言われるとキモかったんだ。おそらく当人も嫌だったからこその他人事のようにフルネーム呼びだったのかもしれないが、余計キモい。 「・・・・・・あなたのご存知の僕は、額に何かあったりしますか」 何かって何だ。第三の目はなかった筈だぞ。 「そのような懸念はしていません。そうですね、傷とか」 知らん。何でだ? 「何故か、気になるんですよね。人の目も、自分でも。 だから鬱陶しいのに切れないし、つい手をやってしまうんです」 そう言って掻き揚げた先に一瞬だけ露になった額を、見た事がない訳じゃない、筈だ。よく覚えてはいないが、例えば古泉の前だけで突風が止むわけでもなし。ハルヒや長門ならあり得るかもしれないが。あぁそういえば、強風の日に風に煽られる姿がSOS団麗しの三人娘と並んで絵になっているのがムカついたような覚えはある。その後、必死にスカートを押さえる朝比奈さんの愛らしさにすっかり上書きされたが。 何にしろ、見た事がある筈なのに記憶に残ってないという事は、目を引くものは無かったのだろう。古泉の無駄に整った面に相応しいデコである筈だ。 「知った事じゃない。古泉のニヤケハンサム面なんざ直視したくない。 寄って来るのを避けるので精一杯だ」 憎々しげに言ってやるも、目の前の古泉はやっぱり苦笑で。 「先程から、随分な言われようですね。お嫌いですか?」 その質問はキモいぞ。 「自分より背も面も成績も上の男にムカつかんわけがない。 性格も物腰もキモい。もって回った口調がどつきたくなる程鬱陶しい。あと・・・・・・」 「もう結構です」 まだまだあるがな、俺の古泉に対する不満は。 「いいですよ、もう。僕も涼宮さんも楽しそうなら、もうそれで充分です」 さっきも聞いた気がするが、なんでそんなにハルヒ信者だお前は。 「運命を感じたんです。一目見て、ああ僕はこの人の為に生まれてきたのだと分かりました」 それって・・・・・・。 つか、こいつ段々開き直ってきたな。顔は下がってきたが。 「僕が涼宮さんの為の存在でも、涼宮さんはそのような小さな次元の方ではない。 ならば、僕にできる事はそう多くない。・・・・・・だから」 古泉は話しながら目線を下げて行き、谷口の上履きまで達すると一度目を瞑り、すぐに勢い良く顔を上げた。 「あなたにゲタを預けてしまっていいと思っています」 これまた古泉らしい台詞セレクトだなおい。 しかし、あの時の古泉は色々背景事情の上での個人的発言だった筈だが、お前実はただの面倒くさがりじゃないのか本当のところ。
「ですので、僕はいいですから」 ・・・・・・は?何か聞き逃したか俺? 「何が」 「涼宮さんを笑わせてくださるなら、それを保証してくださるならば、僕はそれでいいですから」 その台詞、何度目だよ。今日だけで耳タコだ。 「すみません。でも、それが僕の意思だという事だけ知っておいてください」 どういう意味だ。いや、どういった意図の発言だ。 「僕はあなたを信じるわけではないですけれど、あなたに託す事にします。それが僕の選択です。 ですからあなたは、例えどうなったとしても、少なくとも僕の事だけは気になさらないでけっこうです。 いえ、しないでください」 完全に開き直ったような爽やか笑顔。 「決して、しないでください。これでも相当腹立たしいので」 顔と台詞が合ってないぞ。 胡乱げな俺の眼差しを受け、古泉特有の爽やか笑顔が一部だけ緩く崩れた、気がした。
「ですから、大丈夫です。それだけ覚えておいてください」
「・・・・・・古」 「何してんのよジョン!古泉くん!!ちんたらしてんじゃないわよ!!」 呼びかけた声はハルヒの怒声にかき消され、伸ばしかけた手は空を切った。 ・・・・・・何を、言おうとしたんだったか。 思い出そうにもままならず、また、この分析は危険だと俺の中の何かが告げたため、俺は何も言わずに苦笑する古泉と見合わせたのち、ハルヒの元へ歩くしかなかった。
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花写真でお題より ネモフィラ(るりからくさ・瑠璃唐草)
花言葉・『私はあなたを許す』
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花言葉「どこでも成功」「可憐」「愛国心」「清々しい心」「荘厳」「私はあなたを許す」
名前は、ギリシャ語で「森を愛する」を意味する言葉から。