「・・・・・・・・・」 「だ、大丈夫か?」 「・・・あ、はい」 反射的にだろう、呆然とした様子はそのままに頷いて腕を上げかけたその袖が、ビチャリという音を立てた。
まずは、こうして古泉が濡れ鼠になっている経緯を話すべきだろうか。
今日は良い日だ。 何故って?恒例のSOS団駅前探索にて、見事朝比奈さんと同じ班になったからだ。しかも午前・午後共にだぞ。これを良き日と言わずして何を言う。 まあ午前と違い、オマケとして古泉も居たりするのだが、今日は話しかけるつもりが無いらしく黙って俺と朝比奈さんの数歩後ろ付いてくるだけなので、些細な事としてやろう。 黙って、とは言っても機嫌が悪いわけではなく(そんなレア古泉ならむしろ俺は面白がるぞ)、逆に何かいい事でもあったのか、いつも以上にニコニコ・・・・・・を通り越して花でも飛ばしそうにほわほわした微笑で幸せオーラを撒き散らしている。 ・・・・・・正直、全く気にならなくは、ない。朝集まった時は普段のニヤケハンサムだったので、午前にハルヒや長門と何かあったんだろうか。古泉に影響与えられるのはハルヒか? ああ全く、折角の朝比奈さんとの会話が、古泉なんぞにかまけて疎かになったりするなどあってはならないのに。
「どうしたんでしょうねぇ、古泉くん」 やっぱり朝比奈さんも気になりますか。そうか、俺だけにわかるレベルではなく傍から見て明らかに浮かれてるのか・・・・・・。 って、いや、俺の観察力は長門を筆頭とした女性陣に発揮されるものであるので、古泉に関して俺が読み取れる事は他の面子も分かる事柄でしかるべきなのだが。 そう、だから今一瞬何となく面白くなかったのは、俺との会話中だというのに朝比奈さんの意識を古泉に持っていかれたという事だろう、きっと。 あんな奴気にしなくてもいいじゃないですか朝比奈さん。不調そうならともかく、上機嫌だというのなら放っておいてやりましょう。
「傍に居る人がご機嫌だと、こっちまで笑顔になっちゃいますね」 ナイス笑顔。このエンジェルスマイルを引き出した功績として、ほんのちょっとだけでかした古泉。でもそれ以上近寄るなよ。俺は今この、人に共感できる優しさに溢れた天使様だけを視界に収めていたいからな。 ふふ、と朝比奈さんが口元に手を当てて微笑む。その仕種も上品さと愛らしさを兼ね備えた素晴らしいものである。ああ眼福。
「・・・・・・ん?」 その際、朝比奈さんの白魚のような指に指輪が嵌っている事に気付いた。
別に薬指だとかいう訳ではないので気にする事はないのだが、その指輪は朝比奈さんに分不相応に安っぽく見えた。朝比奈さんの神々しいまでに細く美しい手にあればどんな豪華な指輪も見劣りして当然という気もするのだが、そういう比喩無しに妹の買う菓子のオマケみたいなチャチさだ。これはあんまりだろう。 いやいや発想を逆にしろ、朝比奈さんの指に掛かれば、どんな玩具の様な指輪であってもダイヤの如き輝きを放つ筈だ、よく見るんだ俺。・・・・・・ううむ、エメラルドでも模したいのだろうか、石部分にはガラスどころかどうみてもプラスチック。どうしても安っぽい。 そんな訳で無意味に凝視してしまっていたらしく、朝比奈さんはハッとしたようにもう片方の手で指輪を隠すように押さえた。
「ち、違うんです!」 そう言って、あわあわと指輪を外そうとなさる。何が違って、何を焦っているんです?もしやどこぞの男から、と思わず邪推しそうになる心を宥める。と、
「あ・・・・・・!」 慌てるあまりどう力を込めたものか、朝比奈さんの小さな悲鳴とともに指輪が弾け飛んだ。
「あ、あ・・・・・・」 ついでにブレスレットも。着々とドジッ娘ランクを上げていってらっしゃるようだ、とか言ってる場合ではない。指輪とともに宙を舞うこちらは普通に値が張りそうに見えた。 ところで俺達は今川べりを歩いていたわけで、放物線を描く先には川があった。俺は反射的に掴もうと腕を伸ばすが届かず、無常にも二つは水の流れに巻き込まれ・・・・・・
る筈のところが、一つは横手から伸ばされた手に収まった。
「古泉!?」 「古泉くん!」 その手の持ち主は後ろを歩いていた古泉のものであり、その場所は既に川べりからはみ出ていた。よって当然の帰結として、 「あ・・・・・・」 悲鳴ともつかぬ小さな声を残して、大きな水音が辺りに響いた。
以上、回想終わり。 水も滴るニヤケハンサム一丁上がり。
「古泉くん、怪我してます・・・・・・!」 「いやぁ、情けない所をお見せしまして」 未だ川の真ん中で座り込んでいる古泉が、軽く赤くなった手の甲を晒しつつ苦笑して前髪を掻き揚げる。 そうしてゆっくりと立ち上がり・・・・・・ん? 「左足、痛めたか?」 「・・・・・・いいえ?」 「そうか?」 足首を庇うような仕種を見せた気がしたのだが。 まあ気のせいというならそうなのだろう。 「にしてもお前、どうせならもう片方を掴めなかったのか?あっちの方が明らかに高そうだったぞ」 「はは、仰る通りです」 川べりから手を差し伸べると、やはり苦笑したまま俺の手を取る。浅い川で良かったな。 浅いとはいえ、今言った通り朝比奈さんのブレスレットは既に流されてしまった。辛うじて古泉が手にしたのはチャチな指輪の方だった。 どうにも労力と価値がつり合ってない気がするが、朝比奈さんの所有物に対してそんな事は口が裂けても言えない。 無事に引き上げてやると、古泉は真っ先にそれを朝比奈さんに差し出した。 ところがどうしたことか、朝比奈さんは泣きそうな表情で指輪を受け取らない。 「・・・・・・そうですよ。そんなに頑張ってもらう価値なんてないのに。こんな100円の指輪の為に怪我する事なんてなかったんです。もう捨てようと思っていたのに、どうして・・・・・・」 朝比奈さんらしからぬ言い方だ。確かに100円程度の指輪に見合う行動ではないが、ここは一応謝って礼を言うべき場面ではないだろうか。この気配り天使さまはどうしてしまったのだろう。
「すみません」 お前も謝る事じゃないだろう古泉。また朝比奈さんが余計な気を使ってしまうじゃないか。 と、思ったのだが、古泉の謝罪はその事ではなかった。
「すみません、朝比奈さん。でも、捨てないでください」 「え・・・・・・」 「持っていてください。お願いします」 古泉が繰り返し頼み込む。 何だ、まさかあの指輪お前が贈った物だとか言わないよな?
「どうして・・・?」 当然の事として戸惑い露な朝比奈さんに、古泉はすみません、と3度目の謝罪をした。 「すみません。僕、その指輪の効能知っているんです」 「え・・・・・」 朝比奈さんが息を呑む。そして部分的に紅潮しつつも全体的には青ざめるといった器用な芸当を披露してくれた。 「ち、違います、わた、わたしは、そんな」 「すみません。だから、僕の自己満足なんです」 動揺最高潮といった彼女の台詞を遮って、古泉が穏やかな声音で語りかける。 「え?」 「持ち続けていて欲しいのです。朝比奈さん、あなたには。いつかあなたの願いが叶う事を僕は望みます。実りはなくとも、その程度の自由は得られるように。辛い事かもしれませんが、せめて今はまだ捨てないでいて下さいませんか」
朝比奈さんは、古泉と指輪に向けて視線を交互に行ったり来たりさせ、 「・・・・・・・・・古泉くんも、持っているんですね」 そう、確信を持った口調で呟いた。
言われた古泉は、やや寂しげな微笑を浮かべて首を振る。 「生憎と、女性物の指輪を身につける趣味はないですね」 何の話かはさっぱり分からないのだが、古泉が今はぐらかしたのだろう事くらいはわかる。だが、何を?
それを受けた朝比奈さんもまた首を振り、 「駄目です、古泉君。わたしに持ち続ける事を望むなら、古泉君も認めてくれなくちゃ」 そう言った朝比奈さんは普段とはかけ離れた強い眼差しだった。 いつもは小動物に例えたくなる彼女が、今は雌獅子の如き気高い凛々しさを備えていた。是非とも牡丹でも捧げたい。 そういう神々しいまでの朝比奈さんの美しさも、存分に目に焼き付けて置きたい光景ではあるものの、
「なぁ、何の話なんだよ」 蚊帳の外な状況に耐え切れず口を挟むと、二人は良く似た表情でピシリと固まった。 そしてやはりよく似た、ギギギと音のしそうなぎこちない動作で俺を見る。まるで「ヤバイこの人居たんだった」とでも言ってそうな色を瞳に湛えて。 ・・・・・・朝比奈さんはともかく、お前までどうした古泉。午後になってからこっち、隙だらけだぞ。
「そうですね・・・・・・・・・朝比奈さん、どうぞ」 しかし、やはりというか何と言うか、先に我に帰ったのは古泉で、 「え?・・・・・・ああ、はい」 促された朝比奈さんは一瞬慌てた後に理解したように笑んで、見覚えのあるポーズをとった。
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