朝比奈みくるから古泉一樹経由で差し出された指輪は、アクセサリー入れに丁度良いだろうと渡されたそのまま、ブリキの缶に納まっている。 あの日、私が受け取ると二人は緊張を示す筋肉をやや弛緩させ、顔を見合せ笑顔を形作った。 「あ、ありがとうございます!」 朝比奈みくるが何故礼を言うのか理解不能。 それでも、何故かその時の二人の笑顔を再現している自分が居る。
「おや、後の方はどちらへ?」 文芸部室の扉が、掃除当番で遅れた古泉一樹により開かれた。 涼宮ハルヒは今から7分前に朝比奈みくると彼を連れ、買出しに出かけた。 私は本から顔を上げぬまま、涼宮ハルヒからの言付けを伝える。 「私とあなたは待機」 「そうですか。わざわざ伝言をありがとうございます」 古泉一樹はそう言うと、彼の定位置に鞄を置き、しかし座る事はせずに薬缶に火をかけた。
やがて湯が沸くと、二つ分の湯呑みを用意し玄米茶を淹れた。 「よろしければ、どうぞ。朝比奈さんには及びませんがね」 私の前に湯呑みを置き、しかしすぐに彼の定位置に戻る事はしない。 何か話があるのかもしれないが、私から水を向けることではないので私は読書を継続する。
「朝比奈さんから預かっているものがあります。『良かったら使ってください』だそうです。先日の指輪は常に身につけておくものなのだそうで、しかしご存知の通り涼宮さんもその効能を知っておられます。ですから、と」 朝比奈みくるの手作りと思われる、布製の小袋が差し出された。 家に置いたままにせず、これに指輪を入れて持ち歩けと言う事だろう。 「そう」 朝比奈みくるはやはり彼女の作成した袋に入れ、鞄に下げている。 古泉一樹のアンクレットは、身につけていても人目に付く箇所ではない。 そもそも、彼のアンクレットは涼宮ハルヒに贈られたものだ。涼宮ハルヒの目を気にする必要はない。 私は彼女らのように指輪に願掛けと呼ばれる行為をしているわけではない。だけども受け取った以上は朝比奈みくるに倣うのが良いのだろう。
小袋を受け取ると、古泉一樹は微笑を形作ってから、定位置であるパイプ椅子に腰掛けた。 涼宮ハルヒの居る時より、ほんの僅かに弛緩した様子で足を投げ出す。 その左足首に、 「いま、着けている?」 あのアンクレットは巻きついているのだろうか。
「は?・・・ああ、ええ。着けていますよ。ご覧になりますか?」 「いい」 裾に手を掛けた彼に、否定を返す。 「そうですか」 見る必要は無い。細部まで記憶している。 不確定要素はそれそのものではなく、身に着ける者の側にある。
「あなたは、何を願う?」 そのアンクレットに。
「長門さん?」 朝比奈みくるの願いは、告げる事。 古泉一樹は、朝比奈みくるに「同じ想いを抱えている」と言った。 ならば、願いも同じなのだろうか? だとするのなら、古泉一樹はどのような言葉にするのか?
「あなたは、流星に何を託す?」
『流れ星を見る事ができる』 それが涼宮ハルヒから古泉一樹に贈られたアンクレットの効能書き。
前回の涼宮ハルヒ曰くの「不思議探索」にて、古泉一樹が涼宮ハルヒに朝比奈みくるや私の所持する翠緑の指輪を贈った。 それに対し、涼宮ハルヒが古泉一樹に贈った物がそのアンクレットだ。 「古泉くん、星好きだったわよね?だったらコレね!」 と涼宮ハルヒは言った。 「安物とは言っても、元手がかかってるんだからね!じゃんじゃんお願いするのよ!」 とも。
七夕と同じく、流星に願掛けをし、それが叶えられる法則性は見出せない。 それでも人にはそういう認識がある事は書物でもよく目にする。私にそれを否定する意思は無い。 だからあのアンクレットは、『流れ星を見る』事ではなく、願いを叶えさせるための物である筈だ。 古泉一樹は、何を願う?
「・・・・・・何も」 長い沈黙の後、古泉一樹はぽつりと呟いた。 「では、流星を観測するのが目的だと?」 「ええ・・・・・・いえ」 遠い場所を見ているような目で、彼は首を振る。 「ああ長門さん、流れ星に願いを掛けると叶うと言われているのは何故か、ご存知ですか」 「諸説存在する」 私が即答すると、彼は目を細めクスリと有声音で笑った。 「その通りです。中でも僕が尤も納得した説は、流れ星が視認できるのはほんの刹那だからというものです」 古泉一樹は、やはり遠い目をしたまま窓を見やる。人の視力ではこの時間には星を確認できない筈だけれども、何かを見ているような眼差し。 「普通の人類には、流れ星が見えてから消えてしまうまでの短い間に願い事を唱えるなど、頭の中だけでも不可能です。それでも掛けられると言うのなら、その願いは咄嗟に口をついて出て来る程、常に己が内にあり想い続けているという事になるでしょう」 肩を竦める。おどけるように。 「全く実現不可能な願いを常に留めておく事はまずありえないと言ってもいい。だとすると、流星に掛けられた願いは努力次第で実現可能な事柄であり、それだけ強い願いならばそれだけの努力もするだろうという事です」 そう言って、古泉一樹は窓の外を臨んで頬杖をついた。
「あなたの望みは、実現の可能性が無い?」 そういう事になるのだろうか。
「いいえ。・・・・・・僕は言わば案山子、中途半端な性質ですから。そこまでの強い願いは持ち得ないのです」 「願いはある」 「・・・・・・ええ。案山子は案山子らしく、眺めているだけで何も考えずに居られたら、と。・・・・・・いや、逆かな」 ふふ。古泉一樹は笑った。 どこかに負傷を抱えているかのような笑顔に見えた。
その痛みは、朝比奈みくるの抱えているものと同一なのだろうか。
私は小袋に目を落とす。 朝比奈みくると古泉一樹の抱えているもの。 涼宮ハルヒのそれと同じ単語で表される、けれども同一と言うには異なっている感情。 私はそれを理解できない。
「それは、目的の達成を阻害する。それがある事による有益なものを生み出さない。無益なもの」 頬杖をついたまま、古泉一樹の瞳が私を映す。
「だけど」 見つめる瞳が瞬いた。
「あなた達にとっては無駄なものではない」 朝比奈みくるは捨てたくないと言った。捨てて欲しくないとも。 古泉一樹もそれを捨てられないでいる。 そして、
「私は、あなたと朝比奈みくるがそれを継続する事を望んでいる」
『彼』や涼宮ハルヒよりも色素の薄い虹彩が揺れている。 「・・・・・・何故です?」 「・・・・・・わからない」 この団に引き入れられてから幾度と無く私の身に訪れる不確定要素。 いずれ私を私でなくさせるかもしれない因子を、今この時も感じる。 けれどもそれは、不快であるとは言えない。
言葉が無い私を見つめていた古泉一樹が目元を綻ばせる。 「わかりました」 何を? 何が分かったの言うのか。
「ええ」 私の視線を受け、彼は深く頷いた。 「長門さん。僕たちを、羨ましいと思ってらっしゃいませんか」 「・・・・・・理解できない」 理解できない、不確定因子。 だけども私は、
「ですから、僕ら三人は共犯なのですよ」
「共犯・・・・・」 わたしはそれを、それごと理解する心を欲しているのかもしれない。
「あなたも、朝比奈さんも、僕も。全くもって」 ふふ。 古泉一樹がまた笑う。でも先程とは違う、楽しそうというのだろうか、軽やかに。
|