「越前くん、明日用事ある?」

 きっかけはその一言

 

 通り雨のような人だと思った

 

 

 

 明日は休日。

疲れたね、と制服に着替えながら友人と他愛も無い話をしていた不二が、ふと思い出したように後輩に声をかけた。

 

 暇?と聞かないところが賢い。

 折角の休日、どうせなら心ゆくまでまどろんでいたい。

 例えそれが一般的に暇と言われる行為であろうとも。

「いえ」

 ただ、それが用と言えるものでもないのを知っているので正直に。

「そう、良かった。ならさ………」

 いつも浮かべている笑みをいっそう深く、不二が告げた言葉は部室を一瞬にして静寂に叩き込んだ。

「明日、僕とデートしてくれない?」

 と。

 

 

 

 

「ええええええー!!!???」

 いち早く沈黙を破ったのは彼のクラスメイト。

 その後は引火して大騒動。

「うるさいよ英二」

「だってデートって、え!?」

 大して親しくも無い下級生、しかも同性に声かけたんだから騒ぐのも道理。

「この前の紅白戦、雨で決着つかなかったのが気になって」

「あ、なーんだ。そゆ事か」

「何だと思ったの?」

 にこにこと、さも友人の早とちりを窘めるように対応しているが、今のはアンタの言い方が悪い。

「それで、どうかな越前くん?」

「はぁ………」

 図らずも周りの注目を集めてしまった今、しょうもない理由で断るわけにもいかない。

 いや、本当に図らずも………か?

「嫌?なら別にいいけど。どうせ僕が勝ってたし」

 後半部やや強調。

 ここで乗せられたら負けだという意識が一瞬働いたが、冷静に考えればそんな言い合いでムキになった方が負けかもしれない。

「いいっスよ」

 それに、実のところあの勝負が気になっていたのは彼だけじゃない。

 

 

 

 

 

 

 そして次の日。

「………で、雨」

 目覚まし止めたままの姿勢で呟く。

カーテン開けるまでも無い薄暗さと雨音。

「大雨」

 一応確認に窓の外を覗くと、バケツをひっくり返したようなという形容がとても似合う土砂降り。

 自分とあの先輩は雨に祟られてでもいるのか?

「聞くまでも無く中止、だよな。どーみても」

 今日使用予定だったテニスコート、そこに屋根はない。

「寝直そ」

 せっかく早く起きたってのに。

 布団を被って目を閉じた。

 

 

 

 チクタクチクタクチクタク

「………………………」

 チクタクチクタクチクタク

「………………………」

 眠れない、なんで?

 ころりと寝返りを打てば、視界に入る目覚し時計。

 今すぐ出れば間に合う時間。

 

来てないよ、この雨だし

 

 なのに針から目が離せない。

 無理にでも目を閉じれば音が気に掛かる。

 

 針が進む、進む……………

 

「ったく」

 身を起こした。

 

 

 

 

 

 ラケット一式は置いてきた。

 着替えだけ済ませて殆ど身一つの状態で待ち合わせの駅へと向かう。

 この分なら10分遅れといったところか。

 出掛けに母親に持たされた大き目のこうもり傘は殆ど役にたっていない。

 こんな日に、例え居たとしても10分以上待つだろうか。

 帰ってしまうに決まってる。

 

 考えながらのせいで自然歩みは遅くなり、駅が見えてきたのは約束より15分を過ぎたところ。

 

 いっそ、居ないで欲しかった。

 それで明日、学校で文句を言うのだ。電話の一本も入れろと。

 なのに、遠目に見える人影はおそらく彼の物に間違いはなく。

 

 近付いて、違和感を覚えたのはおそらく表情のせい。

 一人きりでいつもの笑顔を浮かべている筈も無く、

 かといって試合時のような鋭さもない。

 ただぼんやりと、焦点の合わぬ目で降りしきる雨を眺めているだけ。

 

 水色の傘。

 雨のせいで霞んで見える輪郭。

 色素の薄い彼はそのまま溶け消えてしまいそうな儚さを感じて、

 

「不二先輩!」

 思わず叫ぶと、一瞬意外そうに目を見開いて、

「遅いよ、越前」

 にこりと微笑んだ。

 

 

 

「てっきり中止だと思って」

「うん、今日は無理だね」

「じゃ、何でテニスバッグ持ってんスか」

「だってテニスやるって言って出てきたから。持ってないわけにはいかないよ」

「何ソレ」

 会話がかみ合わないのは今に限った事ではないけど、元々頭のいい人だから話すつもりがないと取っていい。

 

「来てくれるとは思わなかった。うれしいよ、すごく」

 ふわり、と印象の異なる笑い方をした。

 こんな顔もするんだ。

「残念ながら試合は持ち越しだけど、折角だから少し付き合ってくれるかな?」

「どこへっスか」

「お薦めの店があるんだ。奢るから」

 言われて、今日は何も食べていない事を思い出した。

 

 

 

 

「不二先輩、雨好き?」

 窓際の席を選んだのは不二だ。

 大分胃も落ち着いてきたあたりで気付いた。

彼は先程から外ばかり眺めている。

 ま、食べてるトコ見られてるよりかは遥かにマシなんだけど。

「嫌いじゃないよ」

 また、だ。

 自分で誘っておいて、この人は時折オレが居る事を忘れる。

 その後はそのことを誤魔化すように饒舌になる。

「雨の日特有の柔らかい空気は好きだし、なにより音が好き。

 自室に居る分には、雨の方が落ち着くかもしれない」

「なら、なんで今日はそうしないんスか」

「………何?」

「電話の一本も入れればそう過ごせた筈でしょ。わざわざ荷物まで持って待ってたのは何の為?家に何か?」

 ビンゴ。

 目線が絡む。

 確かに自分を向いている筈の茶色い瞳は、それでも本当に自分を映しているのかは判らない。

「この店嫌い?僕は好きなんだけど。紅茶の種類豊富だし、音楽も好みで、雰囲気も落ち着くし」

「いんじゃないスか。軽食もイケるし」

 皿を示して言うと、とろりと微笑んだ。

 意外に多彩な笑い方をする人だ。

「ケーキも美味しいよ。これとこれがお薦め。半分ずつしない?」

 

 

 

 注文したケーキをつつきながら、世間話のような口調で。

「雨の日に、お気に入りの店で好きな人とティータイムってのもいいかなって」

 あまりに自然に言われたから意味を取るのが遅れた。

 

「普通何か言わない?一世一代の告白したんだから」

 小首をかしげて。それでも笑みは絶やさなかったが。

「そうは見えなかったけど」

 でもって聞こえなかった。

 例えば、好きな人、の部分を好きなケーキと置き換えても変わりはしなかったように感じる。

 

「君が、好きだよ。大好き」

「その台詞、何人に言った事あります?」

 言い直されたけどやはり本気に思えなくて、フォークの運びを止めずに聞いた。

「あ、そっか。数え切れないかも」

 やっぱり。

「それなら………」

 

「愛してる」

 

「これなら家族くらいにしか言った事ないよ?」

「………レア物をどうも」

 店内の音楽が耳につく。

 落ち着くクラシックが妙に響く。

「帰ろうか」

 

 

 

「付き合せて悪かったね」

「いえ、ゴチソーサマでした」

「どういたしまして。じゃあまた明日」

 何の未練もなく背を向ける様子は、告白したとは思えない。

 

「………先輩」

「どうかした?」

「これからどこ行くんスか」

「え?」

「理由は知んないけど帰りたくないんでしょ、家」

 水色の傘が揺れる。

 水色の……違う。これは空色の傘だ。

 

 

「オレ、見たい映画あるんだよね」

「一日付き合ってくれるの?」

「先輩のオゴリならね。デートなんでしょ」

 

 

 

 何考えてるかわかんない人だけど、この人といても疲れない。

 特に盛り上がる事もないけれど、それは人付き合いが億劫な自分にとって悪いことじゃない。

 映画も、買い物も。

 ただぶらつくだけでも悪くはなかった。

 

 

 

 そろそろ帰る時刻だ。

 家は同じ方向らしい。

 一度預けた荷物を抱えて。

 

「金曜から裕太が帰ってるんだ」

 視線に気付いたか、ポツリと呟いた。

「ふうん?」

「昨日一昨日とずっと張り付いてたから、今日ぐらいはゆっくりさせてやんないと」

 僕が居ると落ち着けないみたいだから。

 軽く言ってはいるが、随分ややこしい兄弟だなと思う。

「だから家には居られなくて、でも気を使ってること気付かれたくないから理由が欲しかった?」

「察しがいいね」

 家族が一番。

 そんなところじゃないかとは思ってたけど。

 

 

 

 高級そうな家が立ち並ぶ一角で立ち止まる。

「じゃ、僕の家ここだから」

 また明日。

 小さく振る手を引き寄せた。

「え………」

「先輩、オレは言い訳のために呼び出されて黙ってるほど出来た人間じゃないんで」

「うん、ごめん」

「だから」

「うん」

「代償は払ってもらう」

 

 空色の傘が落ちた。

 コウモリ傘はもとより手放している。

 至近距離に見える茶色い瞳が見開いて、それから閉じた。

 

 長めの、けれども触れるだけの口付けを終えると不二は既に余裕の色を見せていた。

「これでいいの?意外と安いね」

 傘を拾いながらからかうような口調で。

 でも、甘いね先輩。

「まだまだ、これからっスよ」

 ニヤッと、越前の人の悪い笑みとその視線の方向に、不二の顔色が引く。

 まさか………

 シャッ!

 考えを裏付けるように、その方向からカーテンレールの鳴る音がした。

「裕太!?」

 予想違わず、振り向くと弟の部屋のカーテンが揺れている。

 見られた………。

「越ぜ………逃げたな」

 視線を戻す頃には既に遠くなる足音。

 

「やられた………」

 これで埋まりかけてた兄弟の溝はより一層。

 

 自分が唯一オープンにしている弱点。

それを的確に突いてこなくともいいじゃないか。

 

「明日、覚えてろよ………?」

 後には消えた方向に向かってなかなかに凄絶な笑みを浮かべた不二がいたという。

 

 

 空色の傘を拾い上げる。

 

 青い傘が好き。

 青空を切り取ったような気がするから。

 

 明日はきっと晴れるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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リョ不二シリーズ化計画第一弾、『雨』

このシリーズは基本的に不二の片思いでなってますが、今回はそうも見えないかもしれない。

越前視点ですからねー。そのうち越前の目から見てもベタ惚れなのが判るようになりますが。

越前から不二への感情は今回よくわかりませんが、

これだけは言えます。

越前の最後の行動は純然たる嫌がらせです!

他意はありません(きっぱり)。嫌な12歳だな……

次回も越前視点。テーマは虹。