「……くん、越前くん」 まどろみの中、知ってる人の声がする。 「越前くんってば」 ………出来る事なら無視したい。 どーせ殆ど毎日顔あわせるんだし、たまの休日にわざわざ夢の中でまで疲れる人と会いたくない。 「越前!」 いや、そろそろ夢じゃないって気付いてるんだけどさ。
目を開けると予想通りの笑顔。 「おはよう越前。いい朝だよ」 「何でいるんっスか。不二先輩」 「部活の先輩ですって言ったら快く通してくれたよ?」 「いや………手段じゃなくて、理由」 「ああ」 ぽん、と手を打つ。 ………忘れてたのか? 「そうだった、外出るから着替えて」 「ハイ?」 「はーやーく!急がないと脱がせるよ?」 「いや、いきなり何なん………」 「でもって恥ずかしい写真撮る」 カメラ片手に、目がマジだ。 従うのが無難。
「試合でもすんですか」 まあとりあえず縁側にでも、とタンタン軽やかに階段降りてる先輩に問い掛ける。 ホント言うと、何で人の家で家人より先に歩いてるのか何でうちの家の構造知ってるのかアンタはこの家初めてじゃないのかとか色々問いたい事はあったのだが、納得できる答えが返ってくる気がさらさらしなかったのでやめた。 「あ、それも良かったかも。残念、今日は手ぶらで来ちゃった」 「カメラ持ってるじゃん」 「これは首からかけてるから。手はフリー」 「………ホント、何しに来たんスか」
「せっかくの休みで、絶好の写真日和だったからカメラ持って外出たらいいもの見つけちゃってね」 「いいもの?」 「うん…………ほら」
示した先には連日の雨で澄み切った青空と かつて無いほど鮮やかな光の掛け橋
「虹……こっち来てから初めて見た」 「珍しいよね、気に入った?」 「ん、キレイっスね」 休日に叩き起こされるだけの価値はあるかもしんない。 「良かった、じゃあ行こうか」 「は?どこに」 「いい撮影場所探しに」 カメラを示してニッコリ笑顔。 ………しまった虹にほだされた。
「自転車なんスか」 「急がないと消えちゃうと思ってね。でも歩きで行こ」 「なんで」 「ゆっくりじっくり探さないと見つかるものも見つからないよ」 そんなモノかな。 でもマイペースなのはお似合いかもしれない。
人に殆ど合わないような時間帯。 いつもは小走りに通る道であったとしても。
確かに、こうして時間を気にせず歩いてると普段見えないものが見えてくる。
露を溜めて瑞々しく光る葉とか 虹まで映す水溜りとか 水滴のついたクモの巣なんてのもキレイに見える。
パチリ
シャッターの音がする。 これらに気付いたのも、前を行くこの人が時折立ち止まってはこうして写真に納めるから。
「先輩は………」 先輩は、いつもこんな世界を見てるんだ?
「なに?」 ふわりと振り向きざまに微笑む様は本当に楽しそうで。 聞く意味もないことなので首を振った。
時間の流れ方が違うのかもしれない。 この人の周りでは。 聞くところによると成績も良いらしい、いつも笑顔の天才テニスプレイヤー。 それも有り得ることかもしれない。
ふと だとしたら今この空間はいつまで続くのだろうと疑問に思った。 いつまで自分はここにいるのだろう? どこまで歩いていくのだろう?
「もう終わるよ」 不意に掛けられた声に驚いた。 「不二先輩、読心術の心得でも?」 「そんな便利そうで不便そうな特技はないけど」 「不便っスか?」 「だから無いってば。人間関係円滑に送りたいなら不要どころか邪魔だと思わない?」 勘はいい方だけどね、と言うけれどつまりは度合いの問題じゃなかろうか。
「けっこう歩いたから、そろそろ帰りたいかなって」 「別に」 「そう?それは嬉しいけど残念ながら時間切れなんだよね」 言われて空を見れば、なるほど随分と色の薄くなった虹。
消えてしまうのは惜しい気がした。
「完全に消えたら諦めるから、もう少しだけ付き合って?」 そう言って笑う姿からは、だけどもそんな執着は見えない。
「先輩は、なんでオレに見せたかったの?」 「見たかったんだよ、一緒に」 殆ど見えなくなった虹を仰ぎながら続ける。 「一人で見るには勿体無いから、前までは裕太叩き起こしてたんだけどさすがにルドルフまで行ってたら消えてるだろうし………」 初めて弟に同情するかも。 「あとは君の家が近かったから」 「近い?」 「うん、共有したい人の中で一番」 「共有………」 「だから、今日のことは他の人には秘密にしててね?」 「何で?」
「秘密にしとけば色褪せないから」 上を向いたままだった先輩が、時間だねとポツリと呟いた。
帰り道は行きより早い。 先輩は一度も立ち止まらなかったから。
代わりに、歌を聴いた。 呟くような、囁くような。 だけども楽しげな歌声は溢すことなく流れてきた。
I believe a morning sun Always gonna shine again and
声変わりは終えただろうに、どこか中性的な音。 女の耳に障る甲高さも、男の無神経な荒々しさも無いそれは耳に心地良く。
I believe a put of gold Wait at every rainbow’s end
いい発音してる。 ここしばらく無かった青い空を背景に、日本ではあまり聞かない滑らかな音と、日本人にしては薄い色の髪が揺れる。
その背中を見ながら、前回の休みの事が頭をよぎる。
(君が、好きだよ)
言われた事がないわけじゃない。 ただ、
(大好き)
日本語は世界屈指の美しい言語なのだと聞いたことがある。 それが本当かどうかは知らない。 けど、
(愛してる)
日本では随分と柔らかい音になるものだと知った。
You may say I’m a fool Feeling the way that I do
先輩らしい歌だね。 でも、 先輩はきっと、フールにはなれないよ。
「じゃあ、ね」 自転車に跨ってひらひら手を振る姿に、 虹はとっくに跡形もなかったけど、やっぱり何か惜しい気がした。 だから 「休んでいきません?飲み物くらい出しますけど」 声は自然に出た。
「虹のふもとには宝物が埋まっている、って知ってる?」 再び縁側にて、カラカラと透明なグラスを揺らしながら問われる。 唐突なのにも慣れてきた。 「聞いた事はあるけど………伝説だっけ」 味のしないグラスに口をつける気がしなくて手で玩びながら記憶を探る。 「伝説なのか御伽噺なのか知らないけど………裕太が昔信じててね」 彼の方は普通に飲んでいる。……まあこの人の好みを考えれば全然まともなのだけど。 家にある飲み物を羅列して何がいいか聞いたら、しばらく沈黙の後『水』という返事が返ってきた。 水道水でいいと言われたけれど、そうもいかないのでミネラルウォーター(氷入り)。
「虹に端なんか無いじゃん」 「うん、僕はその時点で光の反射率も、宇宙から見れば世界を囲む円に見えるとか言う事も知ってたから………」 「………話の腰折って悪いっスけど、先輩達年子ですよね?」 「そうだけどそれが何か?」 それぞれその時点でいくつだったのかは知らないが、兄が賢いのか弟が幼いのか。 多分、いや確実に前者だろうけど。 「いえ………知ってたから?」 「懇切丁寧に解説してあげた」 「うわ、ヤな兄貴」 「まあ、今なら子供の夢を壊す事は良くないってわかるんだけど、なにせ僕も小さかったから」 「先輩にも小さい頃あったんだ……」 「越前くん?今のもう一度言ってくれないかな?」 満面の笑顔。 「いや不二先輩ってそのまま生まれてきててもおかしくなさそうな気がして」 「………本当に言い直すとは思わなかったな」
「そんなんが続いて弟ぐれたわけっスか」 「容赦ないよね君って………」 「不二先輩相手に遠慮してたらバカ見そうなもんで」 「まあいいけど。でもうちの裕太はその位じゃへこたれないよ」 ふわっと、この人は弟の話の時に華やぐ。 「ある日『虹の基』を買ってきたんだ」 「虹の……モト?」 「そう、何だと思う?」 謎掛けをする様子は本当に楽しそうだ。 「ヒントは?」 「その虹は地面に作るもの。僕らもさっき見たよ」 さっき、とは二人で歩いていた時の事。 この人が足を止めたものの中で、該当しそうなものは……… 「ガソリン?」 一度、車の傍に出来た水溜りを見つめて結局撮影はしなかった。 「アタリ、さすが」
「騙されたみたいだねって僕は思ったんだけど、裕太はその油臭い虹を誇らしげに見せてくれたんだ」 今は無い虹を見るように、遠くを見つめる。
カラン、と彼の持つグラスが音を立てた。
「その時思った。裕太は虹を掴むことのできる人なんだって」 僕とは違って。 そんな、声にならない声が聞こえた気がした。
キン 手の中のグラスからは澄んだ音を立てて氷が割れた。
「先輩今日はらしくもなく弱気だね。何かあった?」 「ううん。何も」 にっこりと微笑む表情からは何も読み取れない。
「虹を掴む、なんて簡単なことだよ先輩」 言って、グラスの中身を全て彼のそれに移した。 「越前?」 訝しげな声はとりあえず無視して。 結露を拭い、氷を残して再び自分のグラスに戻す。
「ほら、ね」 「あ……………」
陽の角度と距離を調節して、 手のひらに収まる虹の出来上がり。
「どう?」 「越前………実は理系得意?」 「実はって何スか」
「難しく考えすぎなんスよ不二先輩は」 言いながらグラスに口をつけると、手を引かれた。 「何?」 「氷の分、多く持っていったから」 こくりと一口だけ飲んで返された。 「意外と細かい?」 「君と、同じ虹を共有したかったんだってば」
ふっ、と一瞬だけ笑みを消して、 「ありがとう、越前」 口の端、僅かに掠めるようなキスをして。
「また明日」 反応を返す前にもういなくなっている。
残るは最後に見せた輝くばかりの笑顔の印象のみ。
「虹みたいな人………」
そんな呟きが青い空に響いた。
秘密、だよ?
NEXT→晴
いやコップで虹つくるのでは掌には無理だろう? いやいや何とかなりましょう。なにせ主役ですから。←免罪符 ってわけにもいきませんかね。ってなことで次の話はこれの後日談になります。 珍しく不二視点で。 作中の歌はゲーム「MOTHER」のフィールドのテーマです。いい歌ですよ。歌詞カード見てないので間違っているかもですが。2ならともかく1を知ってる人……いないでしょうねぇ。なにせ発売時越前なんか生まれてもいない………。 と、思ってたらGBAに移植されましたね。よっしゃ! |