薄暗い空に一陣の光。 しばし遅れて轟く雷鳴。
「うわ………」 部室内にて、その音に軽く引きつる者数名。 激しさを増した雨に顔を顰める者数名。
そして
「派手だにゃ〜」 「30秒経過。なんだ、遠いね」 やたらと楽しそうな者、若干数名。
二学期に入り、三年生は形式上引退したとはいえこの学園はエスカレーター式。 内部進学ならば受験勉強など必要ないと、指導に顔を出す者も少なくない。 本日訪れている元レギュラーは二名。 その二人とも、どんな事象も目一杯楽しむことのできる者達だった。
「あ、また光った」 「………音は25秒後、さっきよりは近いかな」 ひとり、またひとりと下校していくなか、ゆったりとした会話が続いている。
「不二先輩も英二先輩も、帰んないんっスか?」 備え付けのベンチに座ったまま、窓の外を眺めている二人に声をかける者もいる。 「そういう越前くんは?」 というか、もう殆ど誰も残っていない。 不二と菊丸と、越前。それから……… 「桃先輩待ちっス」 目線で示せば、なるほど桃城がロッカーを漁っているのが目に入る。
「………で?」 「困った事に今日は傘持ってきてなくて。皆意外と用意いいよね」 全く困ったように見えない不二の微笑み。 これが、ソツが無いように見えてなかなか天然だったりすると知っているのは一部だけ。 「オレも持ってませんけどね」 「オレも〜。 んでも待ってても弱まりそうに無いし、今日見たいテレビあるからそろそろ帰るわ」 「風邪引くよ?」 「ダイジョーブだって、走って帰るし。全力疾走にチャレンジ!」 気合充分!よし行くぞー!と扉を開けた背中にひとつの声。
「雷はより高くより速く動く物に落ちやすい」
「へ………?」 無論、不二だ。 その内容に思わず菊丸が固まる。 「今度は光ってから二十秒後、近付いてるね」 ギギギッとぎこちなく振り向くと、語尾にハートマークでも付きそうな口調と表情で手を振られた。 「全力疾走、頑張ってね」
………………………………。
「……………青い空なんか嫌いだ〜!!」 叫びながら雨の中走っていった。 「英二!今日は曇ってるよ!?」 「いや不二先輩、それ突っ込み所違うと思うんスけど」 青少年の叫びはいつの時代も変わらないものらしい。
「あ、そっか。英二!冗談だからちょっと戻っておいでー………あーあ、行っちゃった」 「まあ引き止めてどうなるってもんでもないですけどね」 「ちょっと待ってくれれば一緒に帰れたのに。せっかちなんだから」
「っていうか不二先輩ー。今の話オレにも恐いっスよー」 「あ、桃」 ロッカーにいた桃城が何時の間にか後ろに立っていた。 「ワリィ越前、傘なかったわ」 「役に立たない先輩だね」 「テメ、そういう言い方はねーだろっ」 どうやら置き傘を探していたらしい。
「二人とも、傘ないの?」 「ハハ……まあ濡れて帰りますよ」 「桃先輩、あんまスピード出さないでくださいよ。オレを降ろした後なら存分に出しても構わないっスけど」 「ほんっと、いい性格してるよなお前」 速く動くものに落ちると聞いた直後にこれだから今年の一年(限定一名)はスゴイ。
「だったら、今英二に言おうと思ってたことなんだけど、二人とも時間ある?もう少ししたら姉さんが車で迎えに来てくれるんだけど乗らない?」 ああだからこの人はこんなに余裕だったのか、と納得しつつも桃城は首を横に振った。 「折角ですけどオレは自転車明日使うんで。コイツだけお願いします」 「って、え、桃先輩?」 押し出された越前がやや驚きの声を上げる。
「………桃っていいお兄ちゃんだよね」 「何スか先輩いきなり」 不二にしみじみと言われて、微妙に照れつつもまんざらでもないらしい桃城が顔を掻く。 「いいなぁって思って。目指して出来るものじゃないしね」 「あ……………」 その言葉に彼の複雑な兄弟仲のことを思って、一瞬部室内の空気が重くなる。
「ああゴメン、何でもない。じゃあ越前くん、それでいい?」 「……っス」 取り繕うのに慣れた笑顔で同意を求められる。 もとより越前には殆ど選択肢など、ない。 「あ、じゃあお先失礼します。越前も」 「お疲れっス」 「風邪引かないでね」
二人だけになった部室に雨の音が響く。 「さっきのはイマイチだったっスね」 「そう思う。桃はあれでいて気遣いあるからね」 ふうっ、軽く息をついて不二はクスリと笑った。 先程までと微妙に雰囲気が変わる。 この変化は、嫌いじゃない。
「ああ、また光った」 先程まで菊丸が居たベンチ並んでに座ると、不二が時計を見ながらクスクス笑って近いね、と言った。 「先輩、雷も好きなんスか?」 「ん、割と」 「好きなもの多いっスね」 「人生楽しいよ?」 「そりゃ結構なことで」 コツンと、脱力したように目の前の肩に頭をぶつけると、笑い声が深くなった。
「あ、役得」 「とか言って、ホントはこんな状況望んでないくせに」 「どうして?」 好きな人と二人きり、不二の立場から言えばたしかにそうなるわけだけど。 「先輩が好きなのは成長してるオレっしょ?」 「まあ、ね。特に試合中とか。誰かと話してるの聞いてるのも好きだけど」 ただし自分は論外。 僕と話してもあまり得るものはないだろうし……と思ってるのがバレたかな。 「君と話すのも楽しいよ?」 嘘じゃない。 実際、越前との会話は楽しい。 気を使わないで話していられる貴重な人材ではあるし。 いや、僕がというよりも相手がなんだか畏まってしまうことの方が多いんだけど。 越前はそういった気遣い無用でいいなぁ。 この、後輩とは思えないふてぶてしさが何ていうか………
「でも惚れてない、と」 やや思考が飛び気味になっていた所で憮然とした越前の声。 「どうしてそう思うの?」 「別にそのこと自体はどーでもいいんだけど、この手」 「あ」 言われて気付いた、無意識に僕の手は彼の頭を撫でていた。 まるで小さい子をあやすように………… ああこれは怒るかも。 「ごめん、つい愛玩動物相手にしてるような気になってた」 「全然フォローになってないし」 「今更フォローしたところで遅いかと思って」 「だからって………」 「もう少し下だったらセクハラだったね」 その方が愛の証明になった?とクスクス笑う先輩には何を言っても無駄。 「だったら遠慮なく殴ってたケド」 判ってるけどね、と越前は小さく息をついた。
「どーせ、何にも……望んでないくせに」 この人からオレに向けられる感情は、とても単純で、キレイ。 見ていられれば幸せ、とか。傍にいられれば何も望まない、とか。 そんな、よく耳にはするけども実践してる奴なんて見た事無かったのに。 肉欲だけでなく、支配欲、独占欲。それら全てを一切ともなわないレンアイ、なんて。 とうてい信じられるものでは無かった筈、なのに。
「うん、でも………好きだよ。好き」 「それはもう疑ってマセン」 ふわりと降ってくる言葉を否定する事がもうできない。
「あのさ、そりゃわざわざ僕と二人きりっていうのは望んでないけど、君の事少しでも長く見てられる今は、確かに嬉しいんだよ?」 口説くつもりではなくこんな台詞が言えるのはある意味才能かも………。 でも。 「だからこの手」 「あれ?ゴメンつい。越前くんいい毛並みしてるよね」 ……………毛並み?
また光った。 「5秒。姉さんまだかな?」 不二が首を傾げたと同時に電子音。 「来たみたい。行こうか」 「っス」
移動の最中にも鳴り続ける雷に、不二が口を開いた。 「車に居れば落ちても平気らしいよ」 「ふーん」 「特に真ん中辺り。というわけで越前くん後部座席ね。なるべく内側座るように」 「んー」 こんな時にも発揮される越前第一主義。 アンタはオレの保護者か? 「返事は?」 「先輩も後部座席なら」
着いてみると、予想通り高そうな車。 「ありがと姉さん」 「お願いします」 「いいのよ。その子が越前くん?」 でもって予想通りの美人。 「うんそう、よく判ったね」 「周助がいつも話してる印象の通りなんだもの」 どんな風に話されてるんだろう………?
ちょっと先に家に寄る事があるとの事で、今はいつか見た不二の家に停まっている。 当然のように不二は降りない。 ここで居なくなられても彼女と二人では会話ができない事は明白なわけだけど。 「先輩、家では『オレ』なんスか」 一人称が違う。 「え?……ああ、そうだね。あまり使い分けてるつもりはないけど」 「お姉さん美人っスね」 「よく言われる。越前くん年上好みだったりするの?」 「そーっスね。まぁ………」 チラ、と横目で窺って、
「先輩よりか好みっスね」 だけどもやっぱり一般的な反応はない。 「そりゃね。健全な中学男子が年頃の女性より同性が好みって言ったら、それこそ心配するけど?」 にこにこと応える。 「ごもっとも」
ほら、好きだと言っておきながら、好かれる事すら願っていない。 何を考えて行動しているのか全くわからない。
「でも、姉さんに言ったら喜ぶよ。姉さん僕と同じくいい趣味してるからきっと君の事気に入ってると思うし」 「いい趣味って、自分で言う?」 「少なくとも人を見る目についてなら。かなり自信あるよ」 「そーですか」 「だって、君の事好きなんだよ?見る目あると思わない?」 ニッコリと、一切照れもしない。 まあもっとも、思わずこちらが照れてしまう……という程言われた方も可愛げがある性格ではないが。むしろ逆。 「それは認めるケド」 堂々きっぱり、それでこそ越前リョーマ。
その様子にクスクスと笑いを零して、不二が続ける。 もう何度も言ったその言葉を。 「自信家だね。そんなところも大好きだよ」 「身の程を知った上での自信っスから。確かに見る目あるよ、先輩」 ニヤリと不適な笑み。 しばし、双方笑顔のまま沈黙が支配する。
二人して裏のありそうな笑顔の、傍から見る者がいれば慄きそうな車内を一変させたのはやはり偉大か自然の脅威。 要するに雷鳴。
光ったと同時に響いた音は今までに無く近く、思わずビクリと震えた不二を見逃す後輩ではない。 「雷、好きなんじゃなかったの?」 「そうだけど、今のは不意打ちだったから……」 からかうような口調に、歯切れ悪く返す。 「不意打ちって、雷ってそういうもんじゃん?」 「じゃなくて、我ながら珍しく無防備だったかなって」 「先輩?」 いつになく言い淀むような不二に訝しげな声が掛かる。 「あ、だから………」 何かを言いかけ、また口を閉じて。 そのままコツンと越前の肩口に額をつけた。 「え……不二先輩?」 「見とれてた時に鳴るんだもの。驚くよ」 相変わらず照れた様子は無いが、笑ってもいないようだ。 見えないけど。
「見とれてたんだ?」 「最近多いよ。加速度つけて好きになってる」 くす、と笑った拍子に触れた面が擦れ、なんとなく飼い猫に擦り寄られているような気になった。 ああ、つまりこんな感覚なのかなと髪に手を伸ばせば、カルピンとはまるで違うサラリとした手触りを感じる。 スルスルと逃げるような感触はしかし悪くなく、再び捕らえる。
「気持ちいい」 髪を梳く感覚にクスクス笑って不二が呟いた。 「先輩、撫でられるの好き?」 「そうだね。越前くんは嫌いみたいだけど」 「嫌いってんじゃないけど、ちょっとムカつく。どうせならこの方がいいかも」 子ども扱いされることは今更だけど、攻撃こそが我が基本。
「うん、ならもう少しだけこのままでいいかな」 囁かれる声は、甘えを含んでいながらどこか控えめで、 ……なんだ、何を考えているのか判らないと思っていたけど。 もしかして恐がっていただけなのかもしれない。 性格からも行動からもすごく不似合いな言葉だけど、この人は多分とても臆病。
「………いいよ」 そう思えば、途端に優位にたてたような余裕も生まれて。 どこかピリピリと張っていた緊張感が消えた。
クセの無い細い髪を梳く。 穏やかな息遣いを感じる。
彼の家の戸が開くのを認めるまで。 いつになく柔らかい空気に包まれていた気がする。
いつの間にか雷鳴は遠くなっていた。
NEXT→雪
あ、受攻決定。 いや元より決まってましたけど、アレ(撫でるか撫でられるかの会話)で不動のものになった感があります。 引き続き話を決めないで書いていたら不二さんがいかにベタ惚れかを語っている話に………。ホント素直っつーか直球ですよねウチの受キャラって。 一歩間違えばバカップルに成り果てかねない(つーかなってる?)けれども、未だ片思いな事を忘れてはいけない。……私が一番忘れてはならない(おい) 段々毒されてきてはいるようですが。
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