草木も眠る丑三つ刻………

 

 

 かどうかは定かではないが、ともかく一般的な人間は確実に眠っているであろう時刻。

 ここ青学テニス部の合宿場でもそれは例外ではない筈だが………?

 

 波音と、複数の寝息のみが響く大部屋に、気配を殺して忍び入る影ひとつ。

 音を立てずに扉を開き、そっと一歩を踏み出そうとして………

「何してんスか不二先輩」

 ギクッ

 

 

「越前くん………どうして君が廊下にいるのさ?」

「トイレ行ってたんスけど」

「そんな、駄目だよ可愛い子はトイレなんか行かないって法則があるんだから」

「何ソレ?じゃあ先輩は霞でも喰って生きてんですか」

「それは仙人。………時々思うんだけど君ホントに帰国子女?」

「褒め言葉として受け取っておきます。………で?」

 逸らさせてはくれないかぁ………。

 

「えーっと………………」

 この間、たっぷり10秒。

 

「あ、じゃあ夜這いってことで」

 考えてソレかい。

「ってことで、ってそれ以上にヤバイもんなんてそれこそ怪談話になりそうなもの位だと思うんスけど?カメラ持ってる訳もわかんないし」

「怪談ねぇ。鎌でも構えて一人一人心音調べて『さっき見たのはお前か』とかやるの?要望があるならやってもいいけど」

「要望は無いけどやりたいなら止めませんよ?」

「…………………」

「…………………」

「わかった、白状するよ」

 とりあえず場所を移そうか、という提案に従って廊下を歩いた。

 

「ところで言ってから気付いたけど『鎌でも構えて』って洒落になってたかな?

 どっちにしろ寒いから僕としてはどうでもいいんだけど」

「どーでもいーって結論まで出してから話し振るのやめて下さいって。コメント困るから」

「おや、意外と律儀だね」

「おかげさまで」

 よくわからん会話が暗い廊下に響いた。

 

 

 

「寝顔、ねぇ」

「あとは一年部屋で全員分コンプリートなんだよ」

 不二は語尾に音符でも付いてそうな声色だ。

「コンプリートしてどうすんの」

 代わって越前は呆れ声。

「無意味な事に労力を惜しまない事こそ青春だと思わない?」

「そーいった情熱は有意義な事に労費してください」

「でもあると便利だよ?いざって時に人によっては意外と取引の材料に………」

「いや、いいって分かったから」

 一体どんな取引なのか、あまり詳しく聞きたくない。

 

「だって、例えば手塚の寝顔なんかこんな機会でもなきゃ見れないし」

 その台詞にピクリと越前の眉が上がる。

「………部長とか乾先輩とかって寝る時はさすがに眼鏡外してますよね?」

「うん勿論」

「印象変わります?」

「気になる?見たい?」

 不二の瞳がイタズラっぽく揺れる。

 

「………じゃ、オレは何も見なかったという方向で」

「わかった、現像したら送るね」

 あっさり共犯関係成立。

 まあ元より越前には告げ口するつもりなど無かったのだけど。

 

 

「じゃあそうと決まった所で、外行かない?」

 何で。

「一年部屋はいーんですか」

「まあ、一年はどうせこれからあんまり会う事もないし、君のは持ってるし」

 彼ら三年はこの合宿で形式上引退だから………とかいうのはこの際関係なく、後半の発言だけが気になる。

 他人がどうなろうと知った事じゃないが、自分は別だ。

「いつの」

「地区予選打ち上げの。面白かったから撮って、焼き増しして皆に配っちゃったけど知らなかった?」

 知らないって。

「肖像権………」

「そうだね、訴えれば勝てるよきっと。こんな些細な事にいちいち届け出るほど心の狭い人はこの部にいないだけだし」

 言外に、そんなに小人物ではないだろうと問われている。

 まあもう過ぎたことだし、いいのだけど。

 

「という訳で外行こう?」

「流れがさっぱり読めないんですけど」

「そんなもの、有って無きが如し」

「無いんっスね」

「いや、説明するのがかったるいだけ」

「不二先輩今日キャラ違いません?」

「夜の魔力にやられたとでも思っておけば?」

 とするとアンタは毎晩このテンションか?

 どう返そうか悩んでいると、沈黙を是と取ったか腕を引かれた。

「ちょっ………」

「今年は女テニと合同じゃないから見張りが緩くて助かるよ。

 去年は抜け出したのがバレると停学処分だったからね」

 ズルズルと後輩を引きずりながら笑顔で物騒な事を言っている。

 とはいえ、振り払おうと思えば出来なくも無い程度の力加減なあたりは、一応の自由意志が問われている。

「理由も知らずそんな危険を冒したくないんっスけど」

 まあこれが最低条件。

 事を好んで大きくする不二だが、実のところ自分が原因での迷惑を嫌う事を、この数ヶ月で知っているから。

 そう持ちかけると不二は足を止め、大事な内緒話でもするように耳元へ口を寄せた。

「今日、何の日か知ってる?」

 

 

 

 

 

 

 

「夜の海っていうのも良いよね」

「何もここまで来なくても……」

 宿舎は海に面しているとはいえ、砂浜までは5分ほど要する。

「障害物は極力無い方がいいから」

 そう言って、突然パタリと仰向けに倒れる。

 視界確保とはいえ、砂塗れでどうやって布団に戻るつもりなのだろう。

 そんな疑問も浮かんだが、越前は大人しく横に座って夜空を見上げた。

 

(今夜は月が隠れる日、月蝕だよ)

 

 

 変に抉れたような月が見える。

 波の音が耳につく。

「越前くん、時計持ってる?」

「いえ。って先輩持ってないんっスか?」

「ん、まあいっか。多分これからだと思うし」

 一応答えろよ、と不二の方を見やると、いつもとはまた一風雰囲気の異なる彼が目に映った。

珍しく見下ろすような体勢であるというのも一役買っているが、それ以上に夜に会うという事が無かったのが大きいか。

 歩いている最中も、柔らかな色合いの髪は月明かりに映えた。

 いつでも、この人の纏う空気は他と違う………。

 それを強く感じたのはいつだったか?

 

(見たかったんだよ、一緒に)

 これは、いつか虹を見たときの声。

 状況的には今と似ている。

 

 

「越前くん?」

 黙りこんだ越前に、訝しげな声がかかる。

「………不二先輩、本当はどっちが目的だったの?」

「はい?何のこと?」

「わざわざ忍び込んできたくせに、あっさり一年生のは要らないって言うし。最初からオレを誘い出したかったんじゃないの?」

「………ふぅん?」

 肯定とも否定ともつかぬ声を出して、不二はうっすらと目を開いた。

 

 ゾクリとする。

 普段は隠れて見えないそれが自分を映していると思えば。

 その瞳がいつかの試合と同じ色を放っている。

 

 さっきより、世界が暗い………。

 それが月の変化によるものだと思い出すのに時間がかかったのは、多少なりとも呑まれたためか?

 

 

 

「………満ち欠けから、移ろい易いだの気まぐれだの言われる月だけど、実は僕たちに同じ面しか見せていないって、知ってた?」

 クスリと微笑みながら唐突な問いかけをする。

「………一応」

 少し躊躇って答えると、その間も何がおかしいのかクスクスと笑い続けている。

「それゆえに二面性の象徴とされる訳だけど、それもまた人の勝手な解釈だよね」

「………何が言いたいんですか」

 その問いかけに、それまでの笑みは一瞬でなりを潜めた。

 

 

 

「自惚れるな、一年」

 それは、普段の柔らかな声と同じものと思えない温度の無い音。

 その響きに似つかわしい硬質な表情で、不二は身を起こした。

「僕が、君なんかを好きだって。本当だと思った?」

 

 段々と暗くなっていく世界で、口端を上げて笑うのが見て取れた。

 思い上がりも甚だしいと、嘲るように。

 

 嘲笑を浮かべた不二と、無表情に見つめる越前の視線がしばしの沈黙を支配した。

 

 

 月が完全に地球の影に入り、僅かな赤みを見せる頃。

 口を開いたのは越前だった。

 

「思いますよ」

 いつものように、口元に不適な笑みを浮かべて。

「自惚れじゃなくアンタはオレに惚れてる。違うとは言わせない」

 反論を許さぬ口調で言い切って、挑むような目で。

 

 

 不二はそれをしばし受け止め、やがてふっ、と目を和らげた。

「当たり、だよ。どうしようも無い位に君が愛しい」

 

 

 

 

「あーあ、バレてたかぁ。絶対本気にされてないと思ってたのに」

 くすくすと、しかし今度は苦笑に近い。

「実際さっきまで本気にしてませんでしたけど」

 波の音が戻ってきた気がする。

 それだけ集中していたということ。

「あれ、そうなの?じゃあさっきのはカマかけ?」

「いえ、あの時点で確信したから言ったんっス。

月蝕ったって真っ暗になるわけじゃないんっスから」

 ………って事は、

「うわ………僕どんな顔してた?」

「別に、変な顔はしてませんでしたよ。ただ………」

「ただ?」

「真剣だった。冗談だったらありえないくらい」

「そっか………」

 

「それに、先輩は愉快犯だけど嘘つきじゃない。そんな性質悪い上に無意味な冗談しないでしょ」

「よく判ってるね。それって初めから信じてくれてたって事にならない?」

「嘘と思ってたわけじゃないけど、てっきり発火点が低いんだとばかり」

「ひどいなぁ、そんなに惚れっぽそうに見えた?」

 ひどいと言いつつもくすくす笑う様子は決して非難していない。

 

 

「そうじゃないけど、今実感した。不二先輩、本当に俺の事好きだったんだ」

「そうだよ。好き、本当に好き。大好き」

 まるで淀みなく、歌うように。

 それでももう、その意味が軽くは聞こえなかったけれど。

 

 

「最後の牽制、のつもりだったんだ」

 弱い光の中、波の音と混ざりながら笑い声は響く。

「これで、もう後がない。お互いにね」

 不二は目を閉じた。

 笑いながら、それでも祈るように。

 

「どういう意味」

「逃げ道は君が潰した。覚悟してね」

 とろりと開かれた瞳に、微かに赤い月。

 

 背筋を走ったのは悪寒かそれとも………

 

 

「上等」

 結果の見えない勝負は嫌いじゃない。

「だから好きだよ、越前」

 

 

 

 

 互いの口元に浮かんだ笑みを、

 光を取り戻し始めた月だけが見ていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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場繋ぎの突発のためストーリーをしっかり決めてませんでした。

よってキャラクターが動くに任せていたら、このシリーズでは異色なものができあがってますね。台詞回しとか。私らしいですけど。

意味も無く濃いというか。

にしても一体何分見詰め合って(睨み合って)いたのでしょうねこの人たちは。

あ、うちの不二さんはあまり二面性なたちではないです。割とオープン気質。

皆既月食ならば完全に影に覆われた際、光の加減で赤くなるはず。相変わらず調べてないので本当にそうかは自信ないですが。緑とかも見られるらしい。

確かめたいけど今年2002年は月蝕がない年らしいですね。