『吾眠ハ猫デアル』

  -- タイムスリップした漱石猫 --

  原作(猫語): 書き猫知らず

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その1  人間語翻訳:第48代我輩

 気が付くと、あたりの風景がすっかり変わっている。ただでさえ狭かった庭が姿を消し、代わりに巨大な墓石が所狭しと並んでいる。まるで大谷本願寺の裏にある墓地だ。もしかして、吾輩は鼠に生まれ変わったのか知らん。だとしたら鼠と云うのは残念だが、人間に生まれ変わらなかっただけで善しとせねばならぬ。
 と、その時気付いたのだが、生まれ変わるなら、墓地ではなく、巣とか家である筈である。よしんば墓場に巣食う鼠に生まれ変わったにしても、いきなりこんな光景が目に入るのは妙だ。のみならず、吾輩は閻魔王に会った記憶が無い。吾輩の記憶にあるのは、自称美学者と玉擦りの落第生と危険な3人娘の巣食う、冴えない英語教師の家で、彼の放任のままに、大平の逸民の言動を観察かつ記録した事だけだ。
 ここまで頭が覚醒した時、全てを鮮やかに思い出した。そうだ、吾輩はビールとかいうものを飲んで陶然となったままたらいに落ちたのだが、しばらくもがいた後、もがくのを止めた途端に身体が楽になって、水の中だか畳の上だか分からない奇妙な感じがしたのだ。てっきり往生するものとばかり思っていたが、実際のところ往生した記憶はない。代わりに心臓のドキッドキッという音が、段々機械的なドッキンドッキンという音に変わって、変だなと感じたばかりである。陶然と機械音を聞いているうちに、いきなり覚醒したら、こんな変な所に来ていたのだ。
 これらの事実を吟味すれば、結論は一つ、吾輩は死んではおらんし、閻魔王に会っておらんし、鼠に生まれ変わってもおらん。ようするに何かのはずみで墓場に来たのだ。吾輩が死んだと思って、埋葬をする積もりでここに連れて来たのかしらん。それならそれで良いが、このざわつきは下せない。墓場とは閑寂なところな筈である。にもかかわらず色々な音が空から降って来る。もちろん主人の家にしたところで、始終人間の罵声とか、烏の泣き声とか、往来を行き交う人の雑踏とか、塀向こうの中学生の遊び声とか聞こえてはいたが、いま吾輩が聞く音は全然違う。路面電車のモーターのような音や、その警笛のような音、それに銅鑼を叩いているような音ばかりが聞こえている。こんなに騒々しいところに墓場を作る連中の気が知れない。
 今にして思えば、吾輩の経験したのは時間旅行というものだったのだろう。玉擦りの落第生によれば、吾輩の生まれた翌年に、アインシュタインとか言う酔狂な男が、一般相対論とかいう算術のお遊びの仮定として、未来には行く事ができるが過去に戻る事は出来ない、と言ったそうだが、その原理の実験台第1号だったに違いない。そういえば、あのビールがあやしい。あれは実験の前に打つとかいう麻酔だったのではあるまいか。この麻酔というのいうのは我々猫族にとっては危急の大事である。このあいだ会ったシャム猫のミー子によれば、麻酔とかいうものを打たれるのは大抵が避妊手術とかいうものをするらしい。ある大学病院から命からがら逃げてきたという雑猫のハル君によれば、それで麻酔を打たれたが最後、マトモな猫生活は遅れなくなるそうだ。
 これらの証言を勘案するに、吾輩の飲んだビールというのは麻酔の一種に違いなく、あのたらいと思ったのは実験装置に違いなく、水に溺れたと思ったのは幻覚に違いない。要するに吾輩は態の良い実験台にされたのだ。何かというと、人間は直ぐに猿猫鼠を実験に使いたがるが、我々は実験される為に生まれたのではない。猫は眠り遊ぶ為に生まれ鼠は猫に追われる為に生まれ猿は猿真似をする為に生まれたものだ。実験台にするのは我々のしもべたる人間の更にしもべたる犬で十分ではないか。ともすると連中は我々猫族を迫害する為に生まれてきたものだと自惚れるから、さっさと連中を実験なり召し使いなりに使ってくれたまえ。そうすれば天下は何時までも猫の為に回ってくれる。
 しかし、この時はそのような知識も無かったので、吾輩は目の前の墓石を呆然と眺めるばかりであった。それにしてもこの墓石は奇妙だ。どれもこれも、その土台の下に黒くて丸いものがついている。しかも、色が滅茶苦茶だ。大抵は白だが、時々変な色だの変な模様だので彩られている。もっとも、墓にも色々流行があって、元々は木の立て札1枚だけだったのが、小さな石となり、やがては、武士とか庄屋とかが巨大な石墓を作るようになって来たものだから、これも流行の一つかも知れない。そう思っている内に一つの事に気が付いた。そういえば墓の上には文字が刻み付けられている筈だ。それを見ればここが何処だか分かるだろう。そう思って墓の上に飛び上がった。
 この時、妙だと思った感じが今でも残っている。第1に、墓の中段に着地するや、あの墓石独特の石の感触が全くなく、ボトンという空虚な音と共に熱気が伝わって来た。吾輩はいままで色々な墓石を知っているが、湯たんぽのように暖かい金属で出来たものは知らぬ。のみならず、家の名前だの南無阿弥陀仏だのの文字の彫ってあるべき正面が薬缶のようにつるつるで、しかも少し中が透けて見みえる。暫く考えて、これがガラスというものである事にようやく気がついた。墓にガラスを使うとは、斬新なデザインを考えた奴もいるものだ。斬新は良いが、墓石は丈夫なもので無ければならない。千年とは言わないまでも最低でも百年二百年は頑丈で無ければならない。その墓石にガラスを使うのは理解できない。
 暖かい墓石の上でぬくぬくとしていると、突然巨大な音が近くで聞こえた。岡蒸気のボイラーのような出来の悪い大砲のような爆発音である。講和したはずのロシアが攻めてきたのか、或いは政府の言論弾圧に反対する自由民権論者がゲリラ戦を始めたのか知らぬが、危険な事には変わり無いので、条件反射で墓石から飛び下りた。するや
「あ、ネ・コ! 気を付けて」
という女の声に続けて
「この、バカネコ!!」
という太い声が正面の墓石から聞こえてきた。
 吾輩はバカという名前では無い。バカネコという名前でも無い。れっきとした名無しである。断っておくが、あの自称美学者の云う猫又でも、車屋の黒の云う正月野郎でももちろんない。にもかかわらず、かの見知らぬ男は吾輩の事をバカと呼んだ。理不尽にバカというのは主人だけではないらしい。人間とは、どうして見るもの全てにバカと名付けたがるのであろう。吾輩から見れば墓石なんかの中に入り込んでいる人間の方が余程バカである。しかも公平の見地に立てば、人間がバカというべき対象は人間に限るべきだ。人間以外の動物に対して言べき言葉ではない。但し、人間と言うのは公平という概念を全く理解しない動物だから、ここで吾輩が怒ってみたところで無意味に相違ないのでそのままにしておいた。公平が理解できるなら、はじめから植民地だの、何処かの国だけ武器を持ってよいとかいうルールだの、2重スタンダードだのといったものが生まれる筈が無かろう。
 人間の不公平について考察は、しかるに次の事件で中断を余儀無くされた。というのも、あの奇妙な墓が勝手にものすごい加速で動き始めたからである。墓石の回りには誰もいない。押す人も引く人も無くいない訳である。しかも、ここには電線と言うものも煙突というものも無い。電車なら電線が必要な筈だし、岡蒸気なら煙突というものがある筈だ。つまり、何の力学的理由も無く墓石が動いたのだ。もちろん、文明の最先端を知る吾輩が、輸入自動車というものを知らない筈がない。現に、かの角向こうの金満家の家でも見かけた事がある。しかるに、あの自動車と、ここに並んでいる墓石とは似ても似つかない。これが、21世紀人の乗る自動車というものの見始めであろう。吾輩のタイムスリップの先は駐車場だったのである。この駐車場が、かつて吾輩の主人の住んでいた所に作られたものであるという事は最近になって知った。
 但し、そのような考えは思いもつかなかったから、吾輩は墓場の墓が物理法則に反して勝手に動き出したと思ったばかりである。とすれば、これは幽霊以外にあり得ない。文明開化の明治に幽霊が出るとは思えないが、現にこうして目の前で墓石が勝手に動いておる。目の前の事実は事実として認めなければならぬ。かの物理学士寒月先生ですら心霊の話をしておった訳だから、幽霊は確かにいるのだろう。そして、先ほどの男女は幽霊に相違ない。そういえば、墓石のガラスの向こうで良くは見えなかったが、日焼けをすべき身体が真っ白で、しかも妙ちくりんなピラピラ服を来て、身体の殆どを露出しておったようだ。
 これはいよいよ幽霊に極まった。真昼に堂々と出て来るのは下せないが、場所が変われば幽霊も変わる、別に不思議では無い。化け猫なら話せば分かろうが、人間の幽霊となれば、これは逃げるに如かず。こんな無気味な墓場から一刻も早くおさらばした方が良い。墓場より駐車場の方が遥かに危険な事は論に及ばない。しかしそれは21世紀の知識だ。当時の吾輩にとっては、幽霊の出る墓場ほど危険な場所はない。動く墓石の出て行った方向と逆の方に一目散に駆けて行った。
 この目論見は裏目に出た。というのも、出口と思しきところから、いきなり墓石が入って来たからだ。全面に狼後面に虎とはこの事だ。肝を潰した吾輩は、どこでも良いからと、墓場の間をくぐり抜けて境界の塀に飛び上がった。だが、ここで吾輩は白状せねばならん。この時の墓石は、吾輩にとっては生みの親のようなものである。この時、あの車が駐車場の入口から入って来なければ、吾輩はそのまま通りに飛び出して車に轢かれていたに違いないからである。