『吾眠ハ猫デアル』

-- タイムスリップした漱石猫 --
    第9話

  原作(猫語): 書き猫知らず

  人語翻訳:第48代我輩/BUTAPENN/とっと

 かの疑似殺人事件から1週間になる。
 疑似と言ったのは、第一に被害者が人間でないからであり、第二に我々が食べてしまって死体が存在しないからであり、第三に料理された筈の豆腐がその後も時々顔を出すからである。死体が存在しなければ事件にはならず、殺された筈の者が生きていては殺人とは言えない。もっとも、あの翌日に豆腐が顔を出した時は、吾輩は幽霊かと思って復讐を恐れたものである。幸い、直ぐに爆弾攻撃の巻き添えにあって、そのかけらはおでんの中身と消えたので、吾輩に実害はなかった。
 かの豆腐がおでん鍋に入れられた時に気付いた事がある。それは彼(豆腐の癖にオスである)が幽霊ではなく妖怪である筈だという事だ。妖怪と幽霊とは同類ではあるが、幽霊は妖怪と違って実体が無く、おでんになって客の空腹を満たすという事は有り得ない。と、そこまで考えて、吾輩の思考は邪魔された。美味しそうな湯豆腐が目の前に盛られていたからである。その後は、かの豆腐のかけらをむさぼり食った事しか覚えていない。
 この豆腐は、顔を出す度に地雷で吹き飛ばされたり、おでんの材料になったりする。しかも、飛ばされては翌日にしゃんとした体で顔を出し、食べられても翌日には四角満足で顔を出す。よく懲りないものだと思うが、人間とは無駄を繰り返す為に生きている愚かな動物であるから、このくらいの酔狂は大目に見なければなるまい。第一、この豆腐は確かに美味しいのであるから、文句を言うべきではないのである。特に一晩目の料理は非常に旨かった。その後、この店で色々な食事をあてがわれたが、あの時の豆腐ほど美味しく感じられたものはなかった。
 その材料の提供者たる不死身豆腐の正体は杳として知れないが、そういう事は人生において、生活において、恋愛において、仕事において、身の回りの安全において、それほど重要でない。吾輩にとっての一大事は、食べものであり、暖かい寝床であり、安心できる縄張りであり、そしてこれが最も重要な事だが、記録するに値する面白い現象が日常に存在するという事である。昔の主人の家を経験した猫にとって、平凡な場所は死よりもつらい。そして、その意味において、この喫茶は吾輩の居候すべき条件を完全に満たしている。故に、あの事件から1週間たった今も、この店に居候しているのある。けっして、犯人として拘束されていた為ではない。
 居候の経緯は慧眼なる読者に説明の必要などなかろう。吾輩が勝手に居座ったのは勿論の事だが、それ以前にここの常連に大歓迎されたのである。それほどに、この店に住み着いた時は甚だ人気が良かった。オーナーを除く全てのメンバーが可愛がってくれたものだ。もっとも、可愛がるとは、もちろん喫茶店的な意味であり、危険を伴う事は言うまでもない。例えば、ラビン髭の男は尻尾でぶら下げたり尻尾を踏んだりする。黒コートの男…彼はいつも爆弾で吹き飛ばされているのだが…は常に爆発の巻き添えに連れていく。おでん屋の女将は包丁を振りかざし、隙さえあればおでん鍋にほおり込もうとする。しかしながら、これをもっていじめと解釈するのは凡猫である。吾輩はこれでも文学猫である。複雑な人間の心理を理解すべき高等動物である。昔の主人の所で得た知識と、ここ十日程で得た現代知識を総合するに、これは『屈折した愛情表現』とか言うものに違いない。明治の時代にも『回りくどい表現』というのは沢山あり、うんざりさせられたものだが、それが百年の間に進化した姿が、この種の屈折であろう。不便でじめじめとして分かりにくいのはなべて近代人の特徴である。
 常連連中の仕打ちをもって愛情表現であると判断した根底には、全員が吾輩の日記をきちんとヒト語に翻訳してくれたという事実がある。翻訳すらしてくれるのだから単なるいじめでない事は明らかだ。もっとも、この『屈折した愛情表現』という代物は、吾輩にとって有り難い表現方法とは決して言いがたい。ただただ、不便な時代に来たものだ、と思って仕方なく付き合っているのである。タイムマシンは必ずしも幸福をもたらす訳ではない。しかしながら、吾輩は不平を言う積もりは毛頭無い。無視されていないだけでも有り難いと思っておる。この世知辛い世の中に贅沢は言えないのだ。昼寝の最中に尻尾を踏んづけられるのには閉口するが、文学猫にとって、存在価値を認められている事は極めて重要な事である。幸福と言うべきかもしれないのだ。いや、そう思うようになったという事からして、この喫茶に感化されたと思われないでも無い。

 この喫茶…『不倫喫茶』だの『爆弾喫茶』だの『コスプレ喫茶』だの妙な名前がついているようだが…に1週間も居候すれば、常連客の特徴はほぼ正確につかめる。喫茶店や従業員の様子は後日記述する事にして、今日は常連の説明をしよう。この常連は先ず第一に妖怪である。連中は吾輩の事を妖飼猫と呼ぶが、とてもここの常連連中には敵わない。不死身豆腐は措くとしても、例えば黒コートの男だが、TERU と名乗るこの浮気男は、来るたびにshionとか言う爆弾女に爆弾で飛ばされ、にもかかわらず空中で不敵な笑いを絶やさず、最後は見事に着地してくる。爆弾で死ぬかわりに空中サーカスを見せるとは、とても生身の人間とは思えない。しかも、噂によると、女を見るや、5秒以内に必ず直接的な愛情表現を試みるそうである。その証拠に、コートの下には何も着ていない。これは最短の行動をする為であると言われている。彼の自宅はもちろんハーレムである。昔ドンファンという妖怪男がスペインに存在したそうだが、彼の血を受けている事は間違いなかろう。
 ラビン髭の男は文字ゲリラとかいう名前で、油揚げならず和菓子ばかり食べる瘋癲である。フーテンと言っても寅さんのようなお人好しでは決してない。人をからかう事と猫を虐待することしか考えていないような危険人物であり、彼のカレンダーには1月1日と4月1日しか存在しない。噂によれば、某縁切神社の裏山にアジトを持って危険な同士たちとゲリラ活動を行っているらしくいが、その他については年齢職業ともに不明である。この事から類推するに、ラビン髭には尻尾が9つあるに違いなく、尻尾を出すのを待っているが、未だに尻尾がつかめない。
 おでん屋の女将はButapennとかいう舌を咬みそうな名前で、喫茶店の中で勝手におでんやおにぎりを売っている。おにぎりについては美味しいとの評判があるが、おでんの中身については何を使っているのか保証がない。時折、ラビン髭の男がドクダミだのナズナだのをこっそり鍋に入れたりしているし、shionとかいう女が黒い塊を入れたりしている。それでいて、ちゃんと売り物になっているのだから、鍋に秘密があると思うが、吾輩が近づいたら最後、吾輩まで煮込まれる危険があるので、遠くから眺める事にしている。もっとも、ゴボウ天とかガンモとか美味しい材料をも使うので、吾輩は寝たふりをしながら、それらを奪う機会を常に伺っている。猫たる者、旨いものは盗まなくては肩身が狭い。吾輩の辞書に泥棒を働かない猫という言葉はない。
 shionという凶暴な爆弾女については既に記述した通りである。それにしても初日の光景には驚いた。女性がかくもあからさまに男性をとっ ちめてるとは時代も変わったものである。もちろん痴話喧嘩は我が先祖がエジプトで始めて人間と同居するようになった昔から存在する日常茶飯事であり、本邦でも今昔物語の時代から、妻にとっちめられる男の話があり、身近な話、昔の主人も毎日朝晩細君にガミガミ言われていた。しかるにそれは家庭内の話であって、少なくとも公衆の面前では女は男を立て、特に実力をもって何かするという事は無かったものである。ところが、喫茶店の前の道路で起った事は… いや、書きたくも無い。
 彼女の爆弾は何故か男だけを選択的に吹き飛ばす。故にこの喫茶で男は無事には済まない。もっともニューハーフとかいう性別不明な者に対して爆弾が使用された事は無いので、生物学的なオスを吹き飛ばすのか、外見だけオスというのを吹き飛ばすのかは定かではないが、少なくとも外見が豆腐であっても猫であってもオスであれば吹き飛ばす。かの豆腐がオスであることは爆弾で吹き飛ばされることから検証出来る。shion は爆弾だけでなく地雷も大量に埋めており、それもオスのみを選択的に飛ばす。地雷は重量探知方式になっているという噂があるが真相は不明である。ここの男たちが飛ばされる唯一の理由は黒コートの男であり、それが必要十分条件である。元々は黒コートの男が浮気をする…実際、彼は全ての妙齢女性客に声をかける…のをとっちめる為にshionという女が彼に爆弾を投げつけていたのだが、言うまでもなく黒コート=浮気は永遠の公式であって、爆弾ごときで変わる筈がなく、故に爆弾は条件反射的に投げつけられる結果となって、それはとりも直さず常に巻き添えを生んでいてところから、いつしか爆弾=愛という間違った公式が彼女の心にインプットされて、常連の男全員が飛ばされるようになったのである。
 男だけが被害を受けると言えば、バケツの水についても述べておかなくてはなるまい。この危険な喫茶に時折場違いのような和服美人が現れる事があるが、この正体不明の人物については最後に説明するとして、その彼女が、奇麗好きである故か、はたまたオーバーヒートしたパソコンの冷却用の為が、常に冷水を張ったバケツを持ち歩いており、その冷水を男共にぶっかけるのである。一説によれば、パソコン=男という公式に従う愛情表現であるとも、黒コートの男を懲らしめるために始めた水掛けが習い性になったとも、祇園祭の山車を引く男たちに掛けていた時の名残とも言わているが、いずれにせよ、ここで被害を受ける男にとっては迷惑な話であろう。

 このようにこの喫茶はトリップだらけである。そのトリップに最近新しい機械が加わった。隠しカメラである。店の要所要所に取り付けられている隠しカメラは、けっして改悪警察法によって設置させたものでも、某大統領によって取り付けられたものでも、ゲリラ対策に設置された監視カメラでもない。確かにこの喫茶は危険人物というか妖怪のたむろしているが、今の所、官憲によるその手の施設は取り付けられていない。監視カメラを置かないのはオーナーの見識である。しかし、その代わりオーナーは桜蘭とかいう二十歳の娘さんが隠しカメラを設置する事を完全に黙認している。
 オーナーが若い娘に甘いのは今に始まった事ではない。吾輩が観察するに黒コートの男は30歳代の女性に、オーナーは20歳代の女性に目がないと思われる。もちろん本人は否定している。オーナーが得意なのは若い女性だけでなく、借金をためる事と、主人公を陰険にいじめる事である。この『吾眠ハ猫デアル』においては吾輩が主人公なので、戦々恐々としている。事によれば、常連客よりも危険な人物かもしれぬ。一方、借金がむやみに溜まるのは、キリリクとかいう無担保無利子のサラ金から借りているからであり、催促を何年も無視する心臓を持っているからである。なんでも、この心臓は黒コートの男に鍛えられたそうだ。
 話を元に戻して、「霞 桜蘭」なる妙齢の娘のことである。春の野を思わせるまことに麗しき名ではあるが、だまされてはならない。この娘はなんと、かの爆弾女shionと義姉妹の契りを交わし、せっせと手榴弾、地雷、タイマー爆弾などの奥義習得に励んでいるらしい。かと思えば、ラビン髭の元に弟子入りしては山を駆け、地に潜ってゲリラ戦法を学ぶという、まことに戦慄すべき嗜好の持ち主だ。
 この時代の医学によれば、各々の身体の細胞の中にはDNAという螺旋状のものが存在し、それが個々人の遺伝的要素すべてを決定しているらしいが、まさに彼女のDNAの中には爆弾魔とゲリラの素質が螺旋の捩れとなって脈々と流れているのだろう。そのせいか、この女の血はドロドロだと言う。動物にとって生命の源ともいうべき血液、「血潮」という言葉があるごとくに、母なる太古の潮の成分を宿しているはずの血液がドロドロだというのだから、もはやこれは人間というよりは、妖怪の部類に属するのだろう。というより、自らの血をわざと毒物に変えて、襲い掛かる敵を返り討ちにする魂胆ではあるまいか。まさに肉を切らせて骨を断つ戦法である。そんなことともつゆ知らず、あの黒コート男は、若い女と見るや黒マントの吸血鬼に変身して、血を吸う機会を狙っているらしい。南無阿弥陀仏。

 上記の常連ほどでは無いが、時々姿を現す半常連もいる。彼らは本常連でないお陰で、爆弾や地雷の餌食になる事はめったにないが、だからといってマトモな人間ではない。否、1匹は犬であり、1頭は鹿である。
 鹿というのは、「鹿の子」という女性であり、実は吾輩はその実体をまだ拝んだことがない。いつも鹿の着ぐるみを着ているのだ。この着ぐるみたるや、脱いでも脱いでもまだその下に着ているというところは、まさにかの露西亜の民族人形「マトリョー鹿」を彷彿とさせる。ときどきティッシュ(ティッシュとは要するに便所紙である)配りの副業をしているらしく、よくこの喫茶店でも余り物のティッシュを配ったり、お祝いと見るや、その紙で作った花飾りを贈っているのを見かけたことがある。
 彼女の本業はと言えば、「日々楽々」という店の経営だ。まあ言わば旅巡業の芝居小屋のような場所で、そこでしばしば「日ワイ劇場」という聞くだに卑猥そうな名前の芝居を上演している。筋立ては、市井の三文探偵が殺人事件に遭遇し、登場人物ががやがやと言い合っているうちに、いつの間にか犯人が見つかるという他愛もないものであるが、問題はその役者をこの喫茶店の常連たちが務めるというのだから、どれほどいかがわしいか想像がつく。観客の中にはあまりのくだらなさに卒倒する者もいるらしく、鹿の子はいつも「救心」という心の臓の薬を持ち歩いているほどだ。
 先般の、豆腐が豆板醤にされたあの擬似殺人事件も、この「日ワイ劇場」の再来などと一同が興奮していたのは、ご承知の通りだ。あれ以来、ここの連中は隙さえあれば、『また「日ワイ」をやりたい』などと話し合っているので、早晩また新作芝居がかかるかもしれぬ。まったく迷惑な話ではあるが、吾輩も生来こういうお祭り騒ぎは好きなので、これは一枚噛まねばならぬと思っている。
 犬の方は実は姿を現した事がない。この喫茶の外には普段空っぽの犬小屋があるが、たまに深夜気配がするかと思うと犬が眠っているのである。起きている姿は決して見た事がない。吾輩に感づかれずに犬小屋に出入りしているところから、彼犬もまた妖怪である事が知れる。そもそも、オスである癖に爆弾で吹き飛ばされた事も水をかけられた事もないなぞ、妖怪以外には出来ない事ではないか。
 妖怪とは修行を積んだ動物に他ならないのであり、それはとりも直さず、人語を巧みに操る事を意味するが、実際、美しい日本語を紡ぐ事に関して、彼犬の右に出る者はごく少ない。そして美しいものが危険である事は自然界人間界妖怪界の真理であり、故に吾輩は間違っても犬小屋に近づかないようにしている。
 半常連にもう一人、これまた文学表現の上手い男がおる。自称文士だそうだが、「自称」という接頭語がつく当たりが、その昔吾輩を猫又呼ばわりした某自称美学者を彷彿とさせる。実際、確かに吾輩にはとうてい真似の出来ない表現をするところは、かの迷亭に比べる事が出来、そして、その行動が意表をつく所もまた、かの迷亭大先生にひけをとらない。その事は、吾輩の日記に勝手に外伝を加えた行為によって知る事が出来よう。

 いやはや、こうして見るとこのかふぇなるものは本当に奇想天外な人間のたまり場という他あるまい。もちろん時間帯によっては普通な客も来ているのであるが、そう言う者達は異様な雰囲気を醸しだす常連達におされてか、カウンターには近寄らず、用が済めばさっさと店を出て行ってしまう。君子危うきに近寄らず。食事が目的であれば、それに専念し、それ以外には手を出さないということだ。
 吾輩も他の客を見習って、常連には近づかないのが懸命とは思っている。思ってはいるがなかなかそうはいかないのが現実というものである。こちらがどんなにそれを望まなくても、相手が吾輩を放っておかぬ。現に今も吾輩の目の前には一人の客が紙とペンを手に鎮座しておるのだ。
 ふたつの黒い瞳が吾輩をじっと見つめる。
「さあて、今度はなにをするのかな〜」
 そう呟きながらもふたつの眼は瞬きひとつせずに吾輩を見続ける。
 この風変わりな客、名前を「muraさん」と言うらしい。女性である。間違ってもデカ部屋で片目を細めて唇を突き出し鷹揚に頷いているオジさんとは似ても似つかないので混同しないように。
 なに? そんなのは知らぬ?
 今どきのものが太陽に吠えろも知らぬのか? 嘆かわしい。刑事ドラマの代表作だと言うのに。
 明治生まれで平成の世に転生してきたお前が何故昭和のドラマを知っている等と言うなよ。ここの奥方がミステリーファンで、「やっぱりミステリーと言ったら刑事ドラマよね」とか言って先日も「太陽に吠えろ スペシャルエディションDVDBOX」なるものを(注 そんなものは存在しません緒で真剣にAmazonとかで検索をかけないように)買って毎日見ておるのだ。この奥方がそのむらさんと言う親父が大好きなのだ。
 さて話が逸れたが、このmuraさんと言う客、実は女性である。そして漫画の原作家でもあるらしい。吾輩に張りついて片時も目を離さないのも、その漫画のネタの為だと言うことだ。
 娯楽の少ない明治の御世ならともかく、現代社会において猫の観察記録など読むものがいるのだろうか?
 吾輩のそんな疑問を察したかのように彼女はこう答えた。
「宇宙の大海原を駆けめぐる戦艦や、汽車の話を描いた偉大なるSF漫画家だって昔は猫が主役の少女漫画を描いていたんだからね」
 それが彼女が吾輩を観察する理由になるのかどうかはいま一つわかりかねたが、まあそんなものなのだろうと思うことにした。終始見つめられると言うのはあまり落ち着かぬ気分ではあるが、それ以上の実害はない。爆弾で飛ばされることや、おでんの具になる危機を考えれば問題などないに等しい。それどころかまたまた吾輩が主役となる話が世に出るのであれば、それは実に誇らしいことであると言えるかもしれない。ただ、ひとつ注文をつけるのであれば、用を足す時ぐらいは一人にしてほしいと思うものである。

 さて、この店の常連客も残すところはただ一人。やはりトリはこの人物しかあるまい。
 活動写真のテロップ等なら主役、脇と紹介された後、最後に少し離れてほとんど画面に一人だけで名前が出てくるような大物である。それ故に扱いも難しい。なにか気に障るようなことでもしようものなら、「ややわぁ、そんなことしはって。ぶ・す・い」とか言いながら笑顔で土手っ腹にドスでもブスリとやりそうな怖さがある。
 この大物常連客、店に入ってくるなりいきなり啖呵を切ると言う。「姓は☆Hit !! 、名はMe !!☆ 」等といきなり叫ばれたときには、すわ! 出入りか!? と一同飛び上がったものだ。
 一節によるとこの御仁、PSと言う部類に属するとも言われている。PSとはおそらくは「ぱーふぇくと・そるじゃー」の略ではないかと考える。と、言うのもこの御仁をPSと定義づけた人物が無類の特撮・アニメ好きであるのだ。詳しくは黒コートの男の店へ行き、Gift-textのページを見てほしい。いろんな都合でここでは多くは語れないのである。

ガッコーン!

 いきなり吾輩の頭の上にタライが降ってきた。
「だまって聞いていれば、好き勝手言ってくれはりますなぁ」
 主人公イジメの好きなオーナーが仕掛けた罠かと思ったら、どうやらこの御仁が仕業であったらしい。
「それじゃあまるでわたしが極悪人みたいやないの」
 いや、いきなり人の……いや猫の頭の上にタライを落すなど十分極悪人だと思うのだが……。
「ややわぁ。これはお約束やないの」
 お約束って……。
「ちゃんとボケと突っ込みが出来ひんかったら、次は水バケツやからね」
 そう言うと彼女は吾輩の尻尾をつかみグリグリと回した後に離れた行った。

 全くもって生きた心地がしない。
 しっぽをつかまれた時にはそのまま投げ飛ばされるかと思った。
 さらにはボケと突っ込みだと? 出来ねば水バケツとかも言っておったような……。
 吾輩のこめかみに一筋の冷や汗。そんなのは猫じゃないと言う突っ込みは勘弁してもらいたい。要は「いめーじ」の問題なのだ。とにかくあの御仁の言葉から鑑みるに吾輩にも漫才をやれと言っているように思われた。
 吾輩はガックリと頭と垂れる。
 やらねば次は本当に水バケツを被るであろう。あの御仁の水バケツも某爆弾女の爆弾と同じで何故か牡にのみ有効と来ている。猫とて同じであろう。猫に水とはこれほどの拷問があろうか……。
 吾輩はそのときの自分の姿を想像し、途方に暮れるのであった。

 今日も非常に疲れる一日であった。
 ここの常連客にかかると、身も心も休まる暇がない。
 このままではせっかく助かった命もいつ果てるとも判らぬ。そんな危機感を覚える今日この頃である。
(明日にはここを出て、新しい住処を探そう……)
 ここに来るまでも苦労したが、今ここで味わう苦労に比べればそれがいか程のことがあろうか。
 吾輩がそう決心した瞬間、目の前に小さな皿が差し出される。
 その皿に主が牛乳を注いでくれた。
 ここの牛乳は牛乳と言ってもただの牛乳ではない。引佐の低音殺菌牛乳だ。六十三度で三十分以上かけて殺菌する本当の牛乳だ。その味は百二十度で加熱する高音殺菌牛乳や百四十度加熱のロングライフ牛乳などとは比べるべくもない。
 吾輩は皿に注がれた牛乳を舐め取りながら、先程の決心はどこへやら。もう少しここに居てみようかなどと思っている。いつもこの繰り返しなのである。