『吾眠ハ猫デアル』その10



  -- タイムスリップした漱石猫 --
    第10話

  原作(猫語): 書き猫知らず

  人語翻訳:劇団『爆弾中毒年』

 今日はラビン髭の男が朝7時だというのに喫茶店に顔を出している。マスター一家はまだ起きていない。暫くすると、こんどはオーナーまでやってきた。珍しい事もあるものだ。
「さすが優良社員で表賞される事はありますね、たった23分17秒の遅刻じゃないですか」
「あのですねえ、休日ぐらい、もっとゆっくりしてくれません?」
そういいつつ2人は外に出る。あとについていくと、外には窓のない中古バンが駐車していて、そこでは例の爆弾コンビが仲良く缶コーヒーを飲んでいる。
「なんで窓が無いんです?」
「機密保持の為に決まってるじゃないですか」
どうやらラビン髭が運転するようだ。
「とっとさん、大丈夫よ、中にはテレビもパソコンもゲームもあるから」
とshionが言うのに促されてオーナーもバンに乗り込んだ。
こんな時は面白い事件があるに決まっているから、こっちも外でニャーニャーないていると、shion が
「あなたもいらっしゃい」
と言って吾輩を車に入れてくれた。

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「わたし歩きくたびれちゃった」
「なんで馬を用意しないんだ」
「鹿で我慢しときなさい」
「あーあ、お腹がぺこぺこ」
「鹿せんべいならあるよ」
「鹿の子が鹿の餌なんか食べる訳ないでしょ!」
がやがや言いながらいつもの連中が山の上までやってきた。吾輩は豆腐の上にに乗って登る。考えてみれば、豆腐が歩くというのも、その上に乗って豆腐が崩れないというのも、常識的には変だが、この連中を前に常識は通じない。常識なんぞ捨てた方が賢明である事は経験で知っておる。

「ええ、本日は我が山塞にまでお越し頂き有難うございます」

そう言いつつラビン髭は紙をあずまやに貼る。そこには
  『清風山』
と書いてある。山腹は黒焦げだ。
「ああ、すがすがしい、この焼けあと」
「ハニー、まさかこれを全部ひとりでやったのかい?」
「なんでわたしなのよ? 動機が無いわ」
「あれ、TERU さん、さっき麓の鹿にモーションをかけてませんでした、確かメスでしたよ」
「え、ダーリン! また鹿の子さんに手を出すうとしたの?」
「キャー嬉しい、TERU さん、私に何かおごってくれるんだ!」
この程度の会話のずれに驚いていては、あの喫茶には住めまい。
「馬鹿言え、あれは本物の鹿に餌をやっていただけだ」

 あずまやの横には火の用心と大きく書かれたバケツ、一面の焼け野原の向こうには奈良市街が見える。吾輩でも奈良ぐらいは知っていおる。そう、ここは奈良若草山の山頂、山焼きがあったばかりだ。

「これの何処が清風山よ」
という女将の文句にTERUが相槌をうつ。
「誰が見ても若草山じゃないか、なんでわざわざ窓のない車に載せる必要があったんだ」
それにはラビン髭が答えるまでも無くとっとが答えた
「でも、あのパソコンを独占してたのはTERUさん御本人ですがねえ」
一方の鹿の子は
「清風山ってなあに」
と無邪気に尋ねている。
「おおかた鹿を焼いて食べる所だろう」
「じゃあ、今日は鹿の子さんが死体なのね」
「鹿の子は鹿じゃない!」
「そうですよ、鹿の子といえば羊羹です。焼いて食べたら不味くなります」
「文字ゲリラさん、そんな悠長なこと言ってる場合じゃないでしょ、早くこの焼跡から焼死体を探し出してください!」
「なぜここで焼死体が出て来るんです」
「だって、日ワイで焼跡が出てきたら焼死体に決まってるじゃない?」

日ワイとは、喫茶店の連中が興業しているミステリー劇場の事である。5人で死体役と犯人役と探偵役を交替でやるのだが、役者が役者だけに、どうしてもシリアスな劇にならない。このオリジナルメンバーに最近ラビン髭の男と巨大な豆腐が加わった。

「焼死体じゃなくて焼き豆腐でもいいけど」
「えっ? 二回続けて死体役をやるんですかあ?」
「じゃあ、鹿の丸焼き」
「鹿の子、食べてみたーい」
「げ、共食い。こりゃ日ワイも凄いテーマを扱いますなあ」
「なんで共食いになるの? 鹿の子は鹿じゃ無いって言ってるでしょ!」
そう、彼女は鹿の着ぐるみを無限に着た鹿の妖怪である。鹿の妖怪と言えば、西遊記の第79回に出てくるが、その飼い主は南極老人とかいって、不老長寿の薬と称するいかがわしい健康食品を作っている。とすれば、鹿の子はこの妖怪の子孫かもしれない。

「あのう、焼け野原の事は忘れて頂けないでしょうか? ここは中国青州の清風山という事になっているんですが」
「中国青州? ここは関西よ」
「仕方ないじゃないですか。中国ロケをしようと思ったらいくらかかると思ってます? それとも各人十万ずつ出します?」
「鹿の子、十万円あったら、オーロラ見に行きたい!」
「わたしゃ新しいパソコンが……」
「僕だって十万円あったら……」
「十万円なんてダーリンにははした金でしょ?」
黒コートの男は、オフの世界はともかく、オンの世界においては、貧乏探偵か、泥棒が本業のスマートな大企業トップか、或は英国風紳士のどれかという事になっている。過去1ヶ月は泥棒大富豪モードであった。
「でもハニー、この連中と一緒に中国に行くのと、2人きりで浜辺に行くのとどっちがいいかい?」
「えっ、いつ、いつ? このあいだのタヒチは野暮用でヨーロッパに行ったから海辺を楽しんでいないわ」
先日フランスでダイヤの盗難があったが、期を同じくして2人はタヒチに出かけていた事になっている。その日程表をみると、タヒチからフランス往復がギリギリ可能である。但し、真相は誰も知らない。
「タヒチより素敵なところさ」
ダイヤの次はおおかた携帯ミサイルでも盗む積もりだろうか。

ラビン髭が続ける。
「まあ、そういう訳で、ここは清風山ということでお願いします」
「清風山って、水滸伝の?」
「はい」
「市街が見えてるのに?」
「清風鎮の街に見立てて下さい」
「車の騒音がひでえなあ」
「宗代の昔だってこんなものでしょう」

水滸伝と言えば、中学教師の主人…正確には元主人というべきであろうか…が、暇な時に読んでいた記憶がある。確か、清風山は、第33回あたりの前後数回の舞台であった筈だ。

「ところで、なんで水滸伝が日ワイなんだ」
「そうよ、水滸伝の話なら皆知ってるわ」
「じつは、私は読んだ事がないの」
「恥ずかしながらわたくしも」
「ええええ?」

その言葉に応じて、白い壁みたいな物体が説明を始める。最近の朧豆腐は硬派に走っているらしく、豆腐と言うよりは岩である。吾輩がその上に乗れたのも、彼が硬派に走っているお陰である。
「ええ、清風山の一場は、水滸伝の中でも特に宋江の険悪さが出ている場面で、彼のせいで、3人の堅気武官が山賊に身を落とす事になります」
講談話で出てくる宋江は正義の味方のヒーローであるが、なるほど事実だけを見ればそうかも知れない。

「ふーん、で、それと日ワイとどう関係あるの?」
「そりゃ、陰険な奴を殺すのよ!」
とshionが目を輝かせる。それを聞いたとっとは、すぐさま
「違いますよね、文字ゲリラさん」
どうやら、彼は自らを陰険だと心得ているらしい。さすがサド会長だ。
「とっとさん、御安心下さい。一番陰険な人間は生き残りますから」
一番陰険という言葉に不満そうなとっとが文句を言う前にラビン髭は続ける。
「で、この話では、悪役の劉高とその妻が殺される事になっていますが……」
「ワーイ、鹿の子のうれしい連続殺人だあ」
「でも話では兵卒も皆殺しだったような」
「戦争で殺すのはチャップリンによれば殺人とは言わないから除外ね」
「……それがどのような殺され方をしたか検証しようという訳です」
「どういう殺され方をしようが、ミステリーにはならないじゃないか、刺した人間は分かっているんだから」
一応筋を知っているらしいTERUが疑問を呈する。
「いや、始めに刺した人間で無く、致命傷を与えたのが誰かが問題です。昔の中国の法律によりますと、多人数が一人を殺した場合、致命傷を与えた人間を死罪にするってなってまして」
「そんな事どこに書いてあるんだ」
「棠陰比事。ミステリーを書く人にとっては必携ですよ」
「では、我々で真相の究明をやろうという訳ですね」
「まるで黒沢の羅生門ね」
「じゃあ、死体役は何度も殺されるんだ」
「キャー、連続同一人殺人だわあ」
「死体役はTERUさん以外にありえないわねえ」
「なんで僕なんだ」
「だって何度女の人に殺されても死なないじゃないですか、その為にどれだけ喫茶店が爆弾被害を受けているか知っていますか?」
「しかしだ、僕がパフォーマンスをしなければ、誰があの寂れた喫茶店に行くのだ。僕は出演料を貰っても良いぐらいだぜ」
「朧豆腐さんがいます」
「彼は女将さんに料理されるだけで何もしないじゃないか」
「文字ゲリラさんがいます」
「彼は和菓子を食べるだけで何もしないじゃないか」
「私がいます」
経営のまずさを突かれて、とっとは頭に血の昇ったとみえる。それもそうだろう、あの喫茶は借金だらけで首が回らないのだから。

「あのう、おとりこみ中を申しわけありませんが、TERUさんには別の適役があるから、残念ながら死体役にはなれません」
「適役って何だい」
「ナンパ専門の豪傑役です」
「お、そいつは素晴らしい……ゲホゲホ……残念だ、僕が間違って誤解されて。まあ、仕方ない引き受けてあげよう」
「ふっふっふ、私の前で浮気役をするとは好い度胸ね。死体役で無くても死体にしてあげるから」
「でも、水滸伝にナンパばかりする役ってあったかしら」
「西門慶じゃあないの」
「それは清風山とは関係ないわ、それに西門慶は豪傑じゃなくて悪徳商人よ」
「ああ、いたいた、王の矮股」
「ちょっと、僕は足は短くないぞ、ホームページの写真をみたまえ、写真を。それに王矮股と云う名前でなく王矮虎だ」
「矮股虎って名前もあるわよ」
「足の短い虎って、ますます短いイメージじゃないの」
「ああ、僕のイメージが…」
「でも、王矮虎といえば、女好きという事のみで名前を覚えてもらえる唯一の豪傑でしょ? こんなユニークな豪傑他にはいないわよ」
「そりゃあ、なるほどぴったりだ!」
と水滸伝を知らないとっとが思わず感嘆の声をあげる。TERUは不満の態である。
「王矮虎は単なる女好きではないか。僕は女を楽しませるのが好きなんだ。分かるかね、この違い」
「そんな事知りませんよ」
「王矮虎は女好きだが女にもてない。僕は何も言わなくても女がよってくる。分かるかね、この違い」
「ダーリン、さっきから何だか素晴らしいことをいっているわねえ?」
「ハ、ハニー、誤解しちゃいけない。どんなに女に慕われても僕の心は君だけのものだ」
「TERUさん、言い訳はいくらして下さっても構いませんが、この配役は僕が絶対の自信を持って推薦するものです。何なら投票にかけます? 王矮虎が良いか死体役が良いか」
とラビン髭が言うや、答が次々にあがる。
「王矮股」
「王矮股!」
「王矮股になってついでに死ぬ」
「それいい!」
「あのう、王矮股が死ぬのは清風山じゃないんですけど」
「じゃあ、私が殺してあげるわ、ねえ、ダーリン」
余り拒否しつづけるとますます不利になると悟ったTERU はしぶしぶ王矮虎役を引き受けた。

「次にとっとさんの配役ですが」
ラビン髭が全部言う前にTERUの王矮虎が口を出す
「そりゃ、宋江だろう。なんたって一番陰険なんだから」
「そうかしら、劉高のほうが陰険じゃない?」
しかし、さっきラビン髭はとっとさんに御安心下さいと言っていた。宋江しかありえないと思っていたら、鹿の子が声をあげた。
「わーん、さっきから話がみえなーい」
とっとも賛同する。
「そうですよ、もうちょっと詳しく筋書きを説明してくれません」
「だから、さっき朧豆腐さんが説明した通りです」
確かに、このままでは水滸伝を知らない人間や妖怪には何にも分かるまい。こういう時は某エッセイストの登場である。
「文字ゲリラさん、筋はともかく、登場人物だけでも説明しなきゃ駄目だろう」
そう言って王矮虎のTERUが説明をはじめた。

 清風山の場の主要登場人物は、清風山の山賊が3人、頭領の燕順、女好きで矮股の王英、白面美男の鄭天寿。これに水滸伝の名目上の主役たる宋江、弓の名手で一番かっこいい花栄、短気ながらも愛すべき将軍の秦明、ちょい役の黄信の4人が加わって、一応、正義の味方を名乗る。その一方で清風山の麓の街で賄賂を取りまくっている文官の劉高…本人に言わせれば当時の慣習に従っただけの事ではあるが…と、その妻が悪役という配役で、当然ながら悪役2人が最終的に殺される訳である。途中で秦明の家族も殺されるが、ラビン髭の口ぶりからして、今日の日ワイではそっちは目玉ではないだろう。というのも秦明の家族まで役に入れると、とても日ワイの役者だけでは足りないからだ。いや、それどころか、以上の9人だけに絞っても役者が足りない。

「……そういうわけで、役者は十人以上必要です」
そうTERUが説明しおわると、ラビン髭が付け加えた。
「これらの配役のうち、ストーリーに関係ないのが白面美男の鄭天寿ですので、彼と秦明の家族を除けば必要なのは8人です」
「ちょっと待って、ここには7人しかいないわよ」
「6人と豆腐一丁と言った方が正しいな」
「だって、そこに猫がいるじゃないですか」

ラビン髭のこの言葉に吾輩はびっくりした。吾輩が役者を?
「猫に何が出来るっていうの」
「いや、君たち、ラビン髭の言う事は正しいかも知れん、なんせ、こいつはかの爆弾喫茶に住み着いて平気に生活しているのだからただ者ではない筈だ」
「じゃあ、TERUさん、この猫に何の役をやらせようと仰るのでしょうか」
「もちろん死体役に決まっているではないか」

その言葉に吾輩は一瞬のけぞった。三味線にでもなるのだろうか。
「死体役? それ贅沢だわ」
「そうよ、このあいだも犯人役だったじゃないの?」
「でも一応ここは日々楽々ではなく、猫祭りの会場だ、猫に敬意をあらわしても悪くなかろう」
ここまで聞いて思い出した。そうだ、日ワイでは、犯人と死体の2役が美味しい役どころなのだ。それが日ワイの日ワイたる所以である。ちなみに日々楽々とは日ワイの脚本を載せているサイトで、鹿の子が経営している。
「こんな妖怪猫のどこに敬意を払えっていうの」
「いや、わたくしとしては、この猫のお陰で喫茶店の売り上げが増えているので、敬意を払ってかまいませんがねえ、どうでしょう、その劉高とかいう悪役をやらせては」
「劉高っていいわねえ。確かに書生あがりの癖に他人のあらを捜しては、それをネタに強請っているから、この猫にぴったりよ」
吾輩は不満である。第一に吾輩の意見が無視されている。第2に、他人のあらを捜すのが一番得意なのはとっとであり吾輩では無い。第3に劉高が一番のサドである事が看過されている。清風山の幕では、拷問が一ヶ所あるが、それは劉高が宋江に対して行なうものであり、、、とここまで考えて、吾輩はふと気付いた。宋江はとっとの役に決まっている。ということは吾輩が彼をひっかこうか、彼のパソコンに小便を引っ掛けようが、自由なのである。不満を云うのは止めにしよう。

「劉高は良いとして、劉高の妻は誰がやるのでしょう?」
「劉高の妻って一番の悪役でしょ?」
白い壁と着ぐるみ妖怪が次々に尋ねる。
「かなり変った悪役ですよ、とにかく殺される前に2度も浚われる訳ですから。美人だったんでしょうなあ」
「じゃあ2度も乱暴を受けたのでしょうか?」
とっとの興味はどうしてもそっちに走る。
「水滸伝は子供も聞いていた講談だから、乱暴はすべて未然に防がれています」
「じゃあ、おいしそう! 鹿の子がやる!」
「鹿の子ちゃん、あなたいつも猟師の罠にはまって浚われているじゃないの。たまにはわたしにやらせてよ。一度、誰にでも良いから浚われてみたかったの」
「あの、女将さん、何か勘違いされてません? この世に、女将さんを2度も浚うような奇特な人がいると思っているですか?」
「そうですよ、少しは浚う僕の身になって下さいよ、山まで持ち上げたら重くてぎっくり腰になります」
こめかみにしわを寄せる女将をよそにshionが言う。
「ふふふ、やっぱり私しかいないわね、ダーリンに浚われる役」

しかし、それには全員が反対した。
「またそのパターン?」
「面白みがないわ」
「新鮮味も無いな」
「日ワイって、もっと、こう刺激的でなきゃ駄目よね」
ワンパターンはともかく、この組む合わせでは、最後に殺されるのは劉高の妻ではなく、清風山の山賊になってしまう。黒コートの王矮虎ならそれも心配するに違いない。そう思っていたら、
「ハニー、そういう訳だ、今回は諦めよう」
矢張りそうだ。
「どうしてダーリンまでそんなつれない事をいうの?」
shionはTERUを見据える。
「ハ、ハニー、そう怒る事はないだろう。実はハニーにはもっと良い役があるんだ」
「えぇ?それなあに」
突然機嫌が良くなる。現金な女だ。いや、彼女の場合はダイヤモンドな女と言うべきか。
「扈三娘さ。美人で武芸達者で、水滸伝では一番素敵な女だよ、ねえ文字ゲリラさん」
とTERUはshionが美人という言葉を追及する前に話を振る
「なんで、そこで僕に振るんです?」
「だって、君が同意したらハニーも納得するではないか」
「まあ、いいですけどねえ、、。shion さん、扈三娘が最高の女役である事は僕も認めますよ。しかも、その女がこともあろうに王矮虎のTERUさんと結婚するんです」
「それこそ私の役じゃないの!」
「但し、この清風山では出て来ません」
「出てこないものを出すのが日ワイでしょ? ねえ、扈三娘を出してよ」
「それはこっちの能力を越えてまして」
黒い塊を手にしながらそう要求する女の前に、さすがの文字ゲリラもしどろもどろだ。
「ダーリン! あなたの頭は何処にあるの? こんな時に脚本を変えるのがあなたの役でしょ?」
「そうですよ、TERU さん、扈三娘の名前を出したのはあなたですからね、責任とって書いてください」
文字ゲリラはここぞばかりに責任回避に走る。
「ちょ、ちょっと待った、扈三娘の名前を出したぐらいでどうして僕が書かなくちゃならないんだ」
「これは確定ですな。中国もののエッセーを書くか、扈三娘の出る日ワイを書くか」
扈三娘を全く知らないとっとまで加勢に出る。日ワイと聞いて鹿の子が黙っている筈がなあ
「嬉しい! もう1本、日ワイが楽しめるのね。で、その扈三娘って何したの?」

ここに至って、諦めたのか、或いははぐらかすつもりなのか、TERU は扈三娘の出る場面の説明をはじめた。
「まあ、まず説明をしなくちゃね。扈三娘というのはね、このあとの祝家荘の闘いで登場する女武者なんだ。敵方としてね。しかも一番強い事になっている。その彼女が登場した時……」
「ああ、わかった。王矮虎のTERUさんが早速口説きに行って、こてんぱにやられたんだ」
このあたりは鹿の子でも簡単に想像出来る話である。
「げげ、どうしてその秘密を」
「秘密って、水滸伝に書いてあるじゃないですか、王矮虎は醜男で弱い、一丈青は美人で強い、って」
とは文字ゲリラ。一丈青とは扈三娘のあだなである。文字ゲリラが続ける。
「で、これを見た宋江は、王矮虎に一丈青をめあわせたら、王矮虎も女の尻を追い掛ける事が出来なくなるだろうと考えたのです」
「いんけーん、まるでどこかのサド会長みたい」
「私には陰険というより深謀遠慮に思えますがねえ、なんせ相手はあのTERUさんですよ」
さすがにサド会長は視点が違う。
「僕じゃない、って。これは王矮虎なんだから。とにかく宋江の意を察した林冲が、扈三娘を生け捕りにするんだな」
「林冲ってだーれ」
「冒頭からかっこよく活躍するスマートな男、彼がやもめになったのは勿体ないわあ」
「扈三娘だって、林冲と一緒になれたら良かったのに」
「駄目駄目、私はダーリンの方がいいわ。林冲なんて浮気絶対しないでしょ? そしたら爆弾を投げる相手に困るじゃないの。それに、女って愛された方が幸せなのよ…」
さすがに爆弾魔は考える事がちがう。
「ああ、すばらしきロマン。王矮虎と扈三娘の組み合わせなんて、馴れ初めからその後に至るまで私たちそのものね」

そうであろうか? 王矮虎が扈三娘に首っ丈だったか首根っこを捕まえられていたか知る由もないが、扈三娘と一緒になって以来、王矮虎が女女と騒がなくなった事は確かだ。その点はshionの目を盗んで浮気に走る男とは大違いである。王矮虎の方が、黒コートの男よりも数段も上等である事は明らかである。
「で、TERUさん、殺人はあったのでしょうか」
とっとが珍しく真面目に尋ねる。日ワイの必須条件だ。
「それが、あるんだなあ。敵方の一番の豪傑で、陰険オーナーの宋江すら惚れ込んだという欒廷玉が乱戦の内に死んで誰が討ち取ったのか分からないんだよ。だから、その犯人を糾明しようというミステリーは成り立つ」
「キャー、嬉しい、で、いつ書くの?」
「ちょっと待て、誰が書くといった?」
「そこまで言いながら書かないのは卑怯よ。まるで何処かのオーナーじゃあない」
「今の意見には賛同できかねますなあ。気を持たして書かないのは何処かの和菓子好きだと思いますが」
「僕がいつそんな真似をしたかい?」
「ほら、女将さんのおでんのおごりで、昔の恋愛経験の事を話しかけた事があるじゃないですか」
「記憶に無いなあ、ほら、それより今日の日ワイを続けなくっちゃ、劉高の妻の配役がまだ決まって……」
「誤魔化してはいけませんなあ」
「あ、そう、じゃあ、今日の日ワイは無いほうが良いと仰るわけで」
そう言いながら、ラビン髭は強引に話から逃れた。黒コートの男もほっとしている。

 その時、新しい顔があずまやに現れた。桜蘭だ。
「よくここが分かったわね」
「そりゃ隠しマイクをとっとさんの鞄に入れておきましたから」
彼女は隠しカメラをあちこちに備え付けている。鞄で小さかったからマイクにしたのだろう。
「ああ、そうだわ、劉高の妻は桜蘭さんがいいんじゃない」
と早速女将が提案する。同じ事を黒コートの男も言いたかったに違い無いが、shionの手前で黙っている。
「えっ、それどんな役なの」
「殺される役」
「ちょっとお、死体になるの?」
「僕なんか始めからいきなり死体ですよ。劉高の妻はその前に2度も花があるからよっぽどマシですよ」
とは岩のような豆腐の言い分だ。
「花って?」
「王矮虎のTERUさんに浚われる役」
ここまで聞いてshionが黙っている筈が無い
「ダーリン、私の義妹に手を触れたら、どうなるか分かってるわね」
と、黒い塊を見せつける。
「ハニー、ちょっと待ってくれ、これは単なる役なんだ。その役では僕は劉高の妻をお姫さまだっこしなければならないんだ」
「へえ、じゃあ、いいわ、その役とかいうのをおやりなさいよ。この山の山腹と同じ色にしてあげるから」
この会話を女将は楽しそうに聞いている。なるほど、それで桜蘭を推薦した訳か。進退窮まったTERUはやけくそで吾輩の驚くような提案をした。
「そうだ、この猫を劉高の妻の代役しよう。つまり王矮虎は無類の猫好きで、それで猫を浚ったと」
この意見に文字ゲリラが賛同する。
「なるほど、そりゃ面白い。日ワイの水滸伝に相応しいかもしれないですね」
そういう訳で、吾輩は劉高の飼い猫の役に抜てきされたのである。

 吾輩の配役が決まったところで、昼寝を決め込こむ。日当たりの良い斜面は、山焼きの跡の余熱もあって気持ち良い。猫灰だらけと言うではないか。ここは吾輩の場所だ。
 うとうとと虎だかライオンだかになってサーカスで演技をする夢を見ていたら、突然首筋を掴まれて起こされた。王矮虎役のTERUの声が聞こえる。
「さあ捕まえたぞ、ゴッホ、げっ、なんだ、ゴッホ、この灰は、ゴッホ、ゴッホ」
「さすがTERUちゃんね、黒いコートに灰をつけて山賊らしい格好になろうって訳かしら」
「女将さん、じゃなかった、一の頭領、あのですね、僕は何も好きでこの役をやっている訳ではないんですから」
どうやら女将が燕順の役のようだ。清風山の山賊のボスである。王矮虎は二番ボスだ。目の前にはもう一人某オーナーがいる。と言う事は、彼が予想通り宋江なのだろう。
「あら、さっきとっとさんの肝を抉るのを楽しみにしてたの、TERUちゃんじゃあ無かった?」
「それは女将さんでしょう? おでんに入れたいとか言って。僕は単純に王矮虎の役をやっていただけですよ、ねえ、とっとさん」
「わたしゃ、あの時の女将さんのサド的目つきにびびって、あやうく宋江ですって言うのを忘れるところでしたよ」
 吾輩の記憶によると、あの国では百年前まで平然と人肉を食べていたそうで、その人肉の中でも肝が一番美味しいという事が山賊もの講談の決まりであった。肝を食べる話は水滸伝原作でも何度も出て来る。清風山の場では、その冒頭で主人公の宋江が清風山の麓の清風鎮という街に行く途中、山賊の仕掛けた罠にかかって、それこそ鹿のように縛られて、文字どおり料理されかけたのだが、あわや殺される直前に宋江だと分かって、頭領の燕順があわてて助け起こして平伏した事になっている。
「ふう、やっと灰が取れた。さあて、この妖怪猫をどうやって可愛がろうか」
吾輩は劉高の妻の代わりであるから、灰コートの王矮虎は女の代わりにペットが欲しくて吾輩を攫った事になる筈だ。
「かん袋に押し込めて蹴鞠でもしたら?」
残虐な事を言っているのは女将である。燕順は、というか燕順に限らず水滸伝の豪傑は一般に女に恬淡と言う事になっているが、恬淡の意味を女将は曲解しているとしか思えない。
「女将さん、一応、この猫は文字ゲリラさんが創造したものだから、あまり虐めるとあとが怖いですよ」
と言うのはとっと。一応は諌めているのだろう。
 原作によると、宋江が清風山に到着したあと、王矮股が清風の街の文官筆頭:劉高の妻を攫って来たので、これ幸いとばかり、彼女を街に送り返す為の口添えをして、旧知の武官筆頭:花栄に恩を売ろうとした事になっている。
「とっとさんも客商売は大変ねえ、猫と文字ゲリラさんを除くと閑古鳥が鳴くもの」
「いえ、決して利害の事なんか考えておりません。なんせわたくしは善良なサラリーマンですから」
そういえば、宋江も役所の書記という薄給サラリーマンである。
「それより、とっとさん、ちゃんと僕を諌めて、猫を文字ゲリラさんの所に送り返すようにしてくださいよ。僕は雄猫には興味ないんだから」
と、灰色の黒コートの男は明らかに女の方が良かったと言う顔つきで劇の進行を促す。危険を承知で女を手に入れるのが彼の趣味だ。先ほどはshionとの会話の成りゆきで吾輩を攫う事にしたが、それを如何にも後悔している様子である。
「諌めるのは簡単ですよ。第一にその猫は祟りますね。猫又伝説を御存じでしょう? しかもTERUさん今年前厄と来ている。いいんですか、そんな危険な妖怪を手元において」
さすが妖怪喫茶のオーナーだ。吾輩が黒コートの男の不幸を喜ぶ事を良く知っている……、と一瞬思ったが、考えてみれば、あの喫茶の常連で黒コートの男の不幸を喜ばない者はいない。3時間居候すれば、充分に分かる真理である。
「そうかあ、しょうがないなあ、せっかくいたぶってやろうと思ったが、それは仕方ない、文字ゲリラさんに返してやるか」
と、いきなり吾輩は山腹に放り投げられた。手荒い連中だ。

 連中から逃げると、目の前でラビン髭がおいでおいでしている。彼の所に『送り返す』という話だったから、あのラビン髭が劉高の役なのだろう。吾輩はこれでも役と言うものを心得ておる。一応この男は飼い主役だから、近付いてやった。彼は例によって携帯コンロでぜんざいを暖めている。日ワイの進行よりもぜんざいのほうが大切らしい。上を見ると、あずまやまで100mぐらいしかない。清風鎮は山の麓の筈であるが、さすが、この連中ならではの手抜きだ。横手では20mほど離れた所でshionが桜蘭に黒い塊の投げかたを教えている。どうやら、爆弾魔は花栄の役らしい。
「見ててごらん、こう投げるの」
直球というよりビーンボールである。何処に当るか分からない。
「お義姉さま、それでは正確には当らないんじゃないですか」
あの二人は義姉妹だから、配役でも花栄とその妹という事になっているのだろう。
「いいのよ多少の巻き添えぐらい。どうせオスしか飛ばさないのだから」
花栄と言えば巻き添えの可能性が絶対にない名人である。実は、悪役の劉高もその妻花栄の矢で殺される訳ではないのだが、爆弾魔の花栄では原作通りになるとはとても思えない。

ふと、あずまやの方から声がした。さほど遠くないから、猫の耳には良く聞こえる。
「それでわたしゃどうすればいいんですか」
宋江役のオーナーが尋ねている。
「宋江は友人の花栄に会いに行く事になっています」
「花栄って?」
「弓矢の名人ですよ。もっとも今日は矢の代わりに爆弾を持っていますがね」
やはり、shion が花栄の役らしい。
「それはそれは、急いで行って敬意を表わしておかなくては」
と云って、とっとがすたすた降りて始めると、何故か黒コートの男もついてくる。
「TERU さん、なんで付いて来るんです」
「そりゃ護衛役に決まってるじゃないか」
「でも、行き先は一応山賊を退治する仕事を受け持った武官ですよ。かえって危ないんじゃないですか?」
「実は原作には書いていないが、王矮虎は女好きだから、女郎屋に行くチャンスを狙っているに決まっているんだな。だから、旅人風の宋江と一緒に降りた方が街に入りやすいと考えている筈だ」
「じゃあ、なんですか、わたしゃ隠れ箕だと仰る訳で」
「当たり前じゃ無いか。王矮虎は宋江の顔を立てて女を解放したんだぜ、そのくらいの見返りがあって当然だろう」
「TERU さん、山の上には女将しかいないから逃げ出して来たんじゃありません?」
「しーっ。それは禁句だ」
女将に監視されていては、浮気男でなくても逃げ出したくなるだろう。しかも下には桜蘭も鹿の子もいる。
「TERU さんの行動にいちいち口を挟む積もりはありませんがね、巻き添えにはしないで下さいね」
とっとが当然のように言う。陰険宋江にぴったりの発言ではある。というのも、水滸伝で義理人情を持ち出して山賊の自由気ままな復讐人生に縛りをつけたのが宋江であり、他人を巻き添えにして自分だけが良い生活をしているのも宋江がからである。しかも彼はそれを自覚してないふりをしているのだ。

その時、いきなり2人とも吹き飛ばされた。
「あら、地雷に誰かがかかったようね」
とshionが桜蘭に言っている。上空から2人の男の声が聞こえて来る
「TERU さん、巻き添えの責任を取ってください!」
「ちょっと待った、これは爆弾ではなく地雷だ。僕を狙ったものではないぞ」
「女を掠める山賊がいるから、地雷が置かれたんですよ。とどのつまりは王矮股のTERUさんの責任じゃありませんか」
「そんな文句を言わず、奈良市街の景色でも楽しんだらどうかね、ここは大和のまほろば、豊川稲荷の喫茶店と違って景色が良いんだから」
そう言いつつ2人とも降りてきた。
「ハニー、素晴らしい歓迎だな」
「ダーリン、山賊を吹き飛ばすのは武官の役割りよ」
「こっちはいい迷惑ですよ」
「あらあら、とっとさんの宋江お兄さま、私が出迎えもせず、大変な目に遭いましたねえ」
「大変な目って、あの地雷、shionさんでしょ?」
「あれは義妹の桜蘭ちゃんが仕掛けたものよ」
こうも後継者作りに熱心であるからには、爆弾喫茶は永遠に続きそうだ。
「そうは言っても、指導をしてるのはハニーだろうが?」
「当たり前じゃないの。…それより、ダーリン、聞いたわよ」
「な、何をだい」
「とっとさんと一緒に降りてきた理由。桜蘭ちゃんが盗聴器を仕掛けてたの知らなかったんでしょうねえ…」
「い、いや、あれはだ、ハニーに会いたくて降りて来たんだ。な、とっとさん、そうですよね」
「わたしゃ知りませんよ」
「本当かしらねえ」
「そりゃもちろん本当だ。そ、それより、ハニー、山賊と武官が仲良く話をしては、筋から離れてしまう」
確かにそうだ。犯罪組織と裏取り引きするのは文官だと相場が決まっている。
「だから僕はこのへんで上に戻るよ」
そういって、黒焦げコートの男が戻ろうとすると
「ダーリン、ちょっと待って、私も行く。目を離す訳にはいかないみたいだから」
と薄笑いをしながらshionが言う。
「ちょっと待て、ここで花栄が宋江をほったらかして清風山に行っては筋が滅茶滅茶だ」
「じゃあ、私は鄭天寿の役をやるわ」

鄭天寿とは清風山の3番目の親分で、色白の美男子である。爆弾魔には適役かも知れない。そして、何よりもあの浮気男を監視するには最適であろう。なんせ上役と下役がそれぞれ女将とshionである。
「えっ、ということは僕は夜叉と爆弾魔に挟まれ、、、」
黒コートの男が焦るのも無理はない。
「ダーリン、何か言った?」
「いやいや、両手に花だと」
「じゃあ、文句無しね!」
「でもハニー、それでは花栄の役がいなくなるだろ?」
「それは義妹が…」
とshionが答える前に、TERUの頭に水がバシャっとかかった。バケツ座の姐ごの、いつものように神出鬼没な登場だ。
「山賊は♪黙って山に帰らはれ♪♪大和撫子のあたしがヒットマンやるよし♪」
確かに Hit!!Man!! である。TERUだけが水をかぶり、横にいるshionには一滴もかからない。花栄も真っ青だ。
「とっとさん、つぎ行きまひょ♪ さっさと文字ゲリラはんに会いに行きなはれ♪」「桜蘭はん、妹役なんてやめなはれ♪ 性格悪いとっとさんの宋江に、政略結婚の駒やて利用されるだけですわ」
山を降りて花栄の所を訪問した宋江は、まず花栄の妹に紹介される。花栄としてはやもめの宋江に差し出すつもりだったようだが、宋江はこの妹を本人の了解もとらずに秦明にめあわせる。それが決定打になって秦明は山賊に仲間入りするのである。
「あのう、Hit!!Me!!のおねえさま、私はどうすれば良いのでしょう?」
「サドやりたい言わはるんうやったら、劉高の役を文字ゲリラはんに替わって貰いよし♪ とっとさんを廃人級に苛めらますから♪♪」
さすがにバケツ撫子だけあって立て板に水だ。劉高は確かに宋江を拷問にかける。公式には虐待で、劉高自身に言わせれば取り調べに過ぎないかも知れないが、ともかく本格的サドは、清風山の幕ではこの時だけである。サド役をやりたければ、劉高の役しかない。

桜蘭は早速こっちにやってきた。ラビン髭はぜんざいを食べている。
「師匠! お食事中申し訳ありませんけど」
「もぐ、もぐ、なんだね、もぐ、もぐ、この餅は上手い」
「花栄の妹以外の役はありません?」
「役を替わるってのはゲリラ的で非常によろしい。それでどんな役が望みかね」
「女将さんを上回るサドがやりたいなあ」
「サドと言えば劉高だが、汚れ役だよ」
「いいでーす!」
「じゃあ譲ってあげよう」
「よろしいんですか?」
「ああ、せっかくのデビューだしね」
「それでは師匠は何の役を?」
「その前に、このぜんざいを食べさせてくれない?」
そういって、ラビン髭は4杯目のぜんざいを食べ始めた。

 ここまで来れば、いよいよ吾輩の登場である。原文では、正月15日の灯籠祭に宋江を見かけた劉高の妻が、彼は山賊の大ボスだと劉高に告げ、それを聞いた劉高が、警察に宋江を逮捕させるのである。この直後に桜蘭の大好きなサドが始まる。つまり、吾輩はとっとの宋江を捕まえる為の証人にならねばならぬ。
 ちなみに劉高の妻は見た事実を述べただけである。ただただ、宋江が身柄解放の口添えをしたという事実に気付かなかっただけの事だ。山賊に浚われてあわや犯されそうになった状態で冷静に観察しろというのが土台無理であり、にもかかわらず女が解放の恩を覚えていると思った宋江に落ち度があるのは明らかだ。とすれは、とっとが現れしだい引っ掻こうが噛み付こうが悪い事は無いはずである。そこまで考えたところに、とっとが近付いてきた。
「ニャアー、にゃあー」
悲しいかな習性とは恐ろしいものである。吾輩の居候先の主人の姿を認めるや、いつものように鳴き声をあげてしまった。すかさず、ラビン髭が
「お、妖飼い猫が何か言ってるぞ」
としゃべりだした。
「ふむふむ、彼猫の言うには、この男が山賊だ、捕まえてしまえ」
吾輩は何もいっておらん。ましてやラビン髭の主張するような言葉は一言も発しておらん。これではオーナーを虐待するという吾輩の楽しみが無くなるではないか。抗議のつもりで
「フギャー!」
と鳴くと、文字ゲリラは
「おお、なんと、この男こそが清風山の大首領か、一番椅子にふんぞりかえっていたそうだ」
と言って桜蘭と2人でとっと宋江を縛り上げた。とっとがラビン髭に抗議する。
「文字ゲリラさん、わたしゃ、頭領の役なんて貰ってませんよ。殺されかけた役は貰いましたが」
「えい、黙れ黙れ、この猫は確かにお前に誘拐されたと証言しておる」
「わたしには、ニャーとかフギャーとしか聞こえませんがね」
「猫語で可しか取れない癖に何を言う」
「そういう文字ゲリラさんは?」
「試験なぞ受けた事ないわ」
吾輩は抗議しても無駄なので黙る事にした。というか、積極的に黙る事にした。第一、これなら吾輩は罪をかぶらなくて良いし、第2に、宋江に落ち度がある以上、文字ゲリラの言い分は一理あるし、第3に、ラビン髭がオーナーを如何に虐めるか見てみたいからである。
「さあ、我が弟子よ、ここから劉高の役だ。この得体の知れぬ宋江役にドロを吐かせてみたまえ」
バトンを受けた桜蘭は嬉々として十八番の着せ替えセットを持ってきた。
「やってみたかったのよねえ、オーナーの着せ替え」
そういって、尋問の代わりにオーナーをマネキンよろしく色々な服を着せた詳細はいちいちここに書かない。おそらく本人が掲示板に書くであろう。最後の着せ替えは、当然中国宋代の重罪人の首枷足枷の格好である。
 
着せ替えの終ったところで、突然、ラビン髭の持っていたぜんざい腕に水がバシャっと当って、腕がたたき落とされた。ラビン髭には返り水すら当らない。
「その格好でええから♪ とっとさんを返すよし!」
とHit!!Me!!の花栄がバケツを持って話している。
「そんなあ、お姐さま。せっかくの着せ替えマネキン人間を…」
「返さへんのなら、次は椅子にあてますがな♪」
と言うなり、椅子にバシャッ。ただでさえ寒いのに冷気がもうもうと立ち昇っている。
「次は文字ゲリラはんの髭♪♪」
そう言われて、あわててラビン髭は逃げ出した。どうやら、ラビン髭は清風の街の武芸師範の役という事らしい。
「桜蘭はん、あんたの玩具をちょいと借りてくね♪」
「えっ、じゃあ返してくれるんですか」
「当たり前ですわ、原文でもそうなってるし」
ここまで聞いていたとっとは思わず抗議する
「えぇー? また虐められるんですか?」
「なんせ相手はゲリラさんやし♪ 楽しみですわあ」
「捕まる前に早く逃げなくては」
「それは、あっちに戻ってからよし♪ なら、桜蘭はん、後で」
そう云って、バケツ撫子ととっとが帰って行くと、ラビン髭が戻って来る
「よし、とっとさんを捕まえに行こう」
「えぇ? 師匠本気です? 花栄に逆らう者も、お姐さまに逆らう者もいませんよ」
「ふふふ、そこは謀略さ」

ここは水滸伝にしては珍しく敵味方陣営の思惑を現実的に記述した部分である。花栄に助けられた宋江は、劉高がこの強奪を公文書化して上級官庁に送り、花栄の立場を危うくすると予想する。まともな文官なら確かにそうするだろう。花栄はいかなる争いも厭わない立場だが、肝の小さい宋江が、こんな街にいては、いつまた捕まるかもしれないと思い、しかも、強奪の証拠たる宋江自身が姿を消せば、上級官庁も手を引くだろうと考え、さっさと清風山に逃げる。一方の劉高は、宋江が逃げると考えて山の麓で待ち伏せをする。
 そこで宋江のとっとの方を注目すると、例の姐ごがノートパソコンをいじくっている。とっとのパソコンだ。
「とっとはん、コスプレ、なかなか似合っておましたで♪」
「えっ、見てたんですか」
「当たり前ですねん♪ 結構、楽しみはってたんちゃいます?」
「まさか、まさか、そんな趣味はありませんよ」
「ほなら、なんでですやろ、パソコンが痛めつけられてんのは。着替えに夢中で気付かはんやったかいな♪♪」
「ちょっと、どこか壊れてます?」
「そら拷問ですねん。猫の小便の臭いがしますわ」
吾輩は悪役の筈である。さっき、唯一の悪役チャンスをラビン髭の男に取られたのだから、このくらいしないと割があわない。
「ええええ! そんなあ。修理出来ます?」
「とっとはんやから、勉強して3万円にしときますわ♪」
「ちょ、ちょっと、それは何でも」
「日ワイにパソコン持って来るのが阿呆ちゃいますか♪」
「それ、文字ゲリラさんに言われて持ってきたんですよ」
「知りまへんがな」
「じゃあ、請求書は文字ゲリラさんに送って下さい」
これを遠くで聞いていた文字ゲリラが突然怒鳴る。
「とっとさーん、勝手に僕のせいにしないでくださーいよ。とっとさんが借金を溜め過ぎて、寸暇を惜しんで書かなけらばならなくなかったから、ノートを持ってきて良いって言ったんですよー。自己責任ですよー…」
話が食い違うのは水滸伝でも同じである。宋江の言い分だけを聞いては確かに問題がありそうだ。
「…もしも請求書を出すなら、とっとさんの喫茶の妖飼い猫に出すべきでしょう−」
ラビン髭の男を擁護するのも止めよう。2人とも目くそ鼻くそだ。
「ほなら、今日だけ特別ですねん、直したげますからに、とっとさん、さっさと山に登りなはれ」
と言って Hit!!Me!! の花栄はパソコンに没頭しはじめた。

とっとの宋江は10歩と歩くまもなくラビン髭の男とコスプレ魔に捕まった。
「ひええ、花栄の Hit!!Me!! さん、助けてえ!」
しかし返事は全く無い。
「とっとさん、パソコンに没頭した姐ごが宋江なんか気にする筈はないでしょう?」
「師匠、これのどこが陰謀です?」
「これは陰謀じゃあない、原作に忠実な当然の成りゆきだ、陰謀はこのあとに…」
成りゆきと聞いて桜蘭が急にはしゃぐ
「じゃあ、もしかしたら拷問の第2段?」
「原作にはあからさまには書いていないがね」
「原作に忠実にお願いしますよ」
とっとが思わず抗議する。
「とっとさん、これは日ワイですよ。つまり推理しなきゃいけないんです。推理とは即ち、当時の社会風習に忠実に小説の行間を埋めるって事です。いいですか、虐待があったのは当時の牢の風習からして自然に予想できるんです…」
彼が話を終らないうちに突然外野から
「そうよねえ、でないと面白く無いわあ」
という声がする。女将の声だ。見ると、割烹着を着た燕順が、ほおずえをついてこっちを見ている。とっとは訳が分からないと云った顔付きだ。
「もしかして、助けに来てくれたんでしょうか?」
「まさかでしょ、偵察に来たのよ」
宋江が清風山を降りた後、山賊が宋江の身を案じて偵察を出したというのは原典にある。
「文字ゲリラさん、私を無視して続けてよ。とっとさんが男の拷問を受けるのを楽しみにしているんだから」
それを聞いてとっとがぎくりとする。
「あのう、どう行間を読んでもそういう言葉を清風山の首領が吐くとは思えないのですが」
「そうかしら、私が燕順だったら、矢張りちゃんと拷問の様子を確認しててよ」
「それは女将さんだからですよ」
「これは女将さんに分がありますな。水滸伝の108人は強い絆で結び付けられているから、拷問の様子を確認しに来たというのはあり得る話です。その時、思わず本性が出て、もっとやれ、って呟く事もありえます…」
文字ゲリラとて、さすがに女将を敵には回したくないらしい。
「…それにです、さっきのコスプレでは全然拷問になっていないとの読者の声が強いんですよ。だから、その埋め合わせをしなきゃならない。皆の楽しみにしている拷問・虐待を省略すると、僕が読者に殺されるじゃないですか」
「そうよ、あんなじゃ拷問じゃないわ」
「女将さん、助けもせずに見てたんですか」
「当たり前じゃ無いの、ずーっと偵察してるのよ」
どうも偵察の意味が違うような気がするが、そんな事は気にしてはならないのだろう。そう思っていると、ラビン髭が桜蘭に引き継いだ。
「我が弟子よ、今度こそしっかり虐待しないと、劇団のメンバーから外されるから、そう思いなさい」
「がんばりまーす!」
そう答えた新人桜蘭は、さっそく提案した。
「師匠、色仕掛けなんてのはどうでしょう? とっとさんは恐妻家だそうだから、私がとっとさんにべたべたしている様子を師匠が写真に撮って自宅に送りつけるというのは?」
とっとの扮する宋江は、己の妾を殺してそれを自慢話に加えるような男であるが、それ故に、女に未練のある様子を見せたら最後、軽蔑される運命にある。だから、色仕掛けの写真を黒旋風:李逵のような凶暴かつ単純な男に送りつけたら確かに効果があろう。但し、李逵が宋江の女遊びに腹を立てたのは、物語もずっと後ろの第72回である。今はまだ第33回だ。
「それじゃあ、とっとさんへの拷問というよりTERUさんへの拷問だなあ」
「どうしてTERUさんなんですか?」
「20歳の娘が中年男を口説いている様子を目の前で見せつけられて、しかも隣にいるshionさんの手前、それを指をくわえて見るしかない、そういう境遇に彼が満足すると思うかい?」
ラビン髭のあとに女将が続ける。
「そうよ、とっとさんが喜ぶだけよ。しかも、この人、20歳代の女の人には見境がないんだから」
とっとは恐妻家だが、同時に不倫喫茶のオーナーでもある。数ある名前…爆弾喫茶、コスプレ喫茶、文士喫茶…の中でも不倫喫茶の名前を一番好んでいる男である。
「ちょっと待って下さい、わたしがいつ若い女性を口説きました?」
「とある25歳の娘さんに、自分の養女にならないかって言ったのはどなた?」
これは事実である。この不倫オーナーは、彼の書いたうちで、最も純文学に近い作品を彼女に捧げ、しかもそれを掲示板でも宣伝している。
「あ、あれは黒コートの浮気男が彼女を口説いたので、その魔の手から守る為ですよ」
「僕には、あの時のとっとさんはTERUさんと同類にしか見えませんでしたがねえ」

3人の会話をよそに、桜蘭は携帯電話を取り出して、猫祭りサイトのねこいたを読んでいる。
「弟子よ、何を見ている」
「拷問のリクエストです。意外に少ないんですよ」
「じゃあ、全部云ってごらん」
「ええっと、『縛られて吊るされて青竹でバシバシ叩かれる所や、逆さ吊りにされて水おけに突っ込まれる所や、縛られてベッドの上で足の裏とかをコチョコチョくすぐられるシーン』『精神的な拷問』『吾眠乗っ取り計画』、の5つ」
そのうちはじめの3つと最後の1つは、現在縛られている宋江役のとっとが書いたものだ。
「あのう、わたしはリクエストのつもりで書いたんじゃないんですが」
「書いたイコール希望じゃあないか。つべこべ云わずに請君入甕」
「それ、何です?」
「中国唐代に取り調べで有名なサド警察長官がいて、ある時、彼の所にやってきた司法省の役人が、どうやったら上手く自白させられますかと質問したら、彼は得意になって、容疑者を甕に入れて熱すれば良いと答えたんだ…」
「カメってなんですかあ?」
と若い桜蘭が尋ねる。
「昔、死人を埋蔵するのに使っていた大きな壺さ」
「ひえー、それだけでも十分にサドだ」
「…話はここからだ。その時、司法省の役人がサド長官に向かって『請君入甕』、君こそ甕に入ってくれたまえ、って言ったんだよ。クーデター計画に参加していた嫌疑がかかっていたんだな。サドの警察長官はやむなく容疑を認めたんだが、因果応報もここまで来ると気持ち良いねえ」
これを聞いて、とっとが不安げに尋ねる。
「あのう、冤罪って事はありえないんでしょうか?」
「そんなこと誰も気にしていないさ。たとい彼が冤罪だとしても同情する人はいないだろう」
「師匠、じゃあ、とっとさんを甕に入れるんでしょうか?」
ラビン髭の答える前に女将が口を出す
「そしてアリババのように熱い油を注ぐのねえ! ついでだからダイコンとかガンモとか入れて…」
「アリ婆婆の女将さん、そんな事をされたら、わたしゃ死んでしまいますよ。殺しちゃ拷問にならないじゃないですか。ちゃんと千一夜物語を読んで下さい」
さすがにサド会長だけあって筋が通っている。
「とっとさんの宋江もたまには良いこと言いますねえ。あの西遊記ですら、熱い油を風呂の如く楽しんだのは孫悟空だけで、羊の妖怪すら焼けただれて死んでしまったんです。原作で宋江が生きている以上、ここで殺す訳にはいきません」
そこまでラビン髭が言った時、桜蘭が重大な発見をした。
「あのう、師匠、甕は何処にあるんでしょうか」
肝心の拷問道具がなくては始まらない。かくて甕の拷問は次の機会にお預けとなり、リクエストに移った。

1つ目のリクエストは青竹叩きである。とっとはぐるぐるに縛られ、そのうえ首枷手枷足枷をしている。
「青竹ってのは間違いだね、水滸伝では棒を使うんだ。その名も殺威棒ってやつで、牢の新入りが百回打たれる事になっている」
と早速ラビン髭が訂正する。
「師匠、竹にしろ棒にしろ、今は山焼きのあとで見当たないのですが」
「そのあたりを探せば、焼け残ったセイタカアワダチ草ぐらいはあるだろう?」
そういうや、直ぐに炭になりかけた短い茎を見つけ桜蘭に渡した。
「きゃあ、嬉しい。……さあ、陰険宋江、覚悟!」
と云ってとっとを打つや、棒はポキっと折れて、とっとの服が真っ黒になった。
「せっかくの服があ、、」
ととっとは歎いている。怪我はない。ラビン髭の男はこれでも虐待と認定したのか、
「じゃあ、後は任せたから」
と唐突な事を云う。
「あれ、師匠、どこに行かれるんです?」
「陰謀さ。劉高である君の要請を受けて、花栄の上官を青州からここに派遣するからね」
どうやら、ラビン髭は今度は青州の知事の役をやるらしい。州に2つの意味があり、一つは文字どおり一番大きな行政単位を指し、もう一つは、その州都を街を指す。いずれにせよ、最終的に捕まえた山賊を断罪するところだ。
「師匠、青州って、もしかして、そこでも拷問をするのですか?」
「常識的にはそうだろうな。水滸伝に書いてある拷問の全てをみっちりやるのが筋だろう」
そう云ってラビン髭は場を離れた。水滸伝には確かに多くの拷問場面がある。例えば第28回には囚人達が最も恐れている拷問として盆吊と土布袋の2つが紹介され、前者が
『黄色く黴びた古米を2杯と臭い干魚でもって御馳走し、満腹になったところを縄で縛った上に藁むしろでぐるぐる巻きにして、更に目鼻口耳を塞いで逆さ吊りにすると、1時間もしない内に御陀仏』
後者が
『逆さ吊りの代わりに土牢に転がして、その上に重い土嚢を載せれば、2時間しないうちに御陀仏』
という事になっている。殺せば残虐殺人、直前で解放すれば見事な虐待だ。他にも爪を責めるってのが一般的だと聞く。オーナーには悪いが、これは面白そうだ。

ラビン髭と入れ代わりに鹿の着ぐるみがやってきた。という事は鹿の子が黄信の役なのだろう。武官の癖に文官の劉高の言う事を真に受けるような早とちりの名人で、それを青州の知事に見込まれて、身分の上は花栄の上官だ。その彼が青州から『文官と武官の諍いを仲裁する』という名目の元に派遣されるのだが、その裏で花栄を逮捕する秘密指令を受けている。武官どおしなら気を許して花栄も隙を見せるだろうという青州知事の知恵だ。
「ここに来れば、宋江のとっとさんが年貢を納める場面に立ち会えるって文字ゲリラさんが云ってたんだけど?」
鹿の子も鹿の子だが、文字ゲリラも文字ゲリラである。ものは言いようだ。
「そうよ、桜蘭ちゃんが今から払わせる所だわ」
「やったー! やっと書いてくれるのね。私ったら、リクエスト権を得る為に夜更かし早起き何でもしたのよ、それなのに約束の日から3ヶ月以上経つのにまだ第1話しか出来てないなんて詐欺だわ」
鹿の子の話は噛み合った事がない。
「ああ、忘れてたあ。そうよねえ、私だって頑張ったのよう」
と桜蘭も思い出したように云う。どうやら、喫茶店開店3周年の3題噺の事を話しているらしい。聞く所によると、オーナーは3題噺を書くと称して、3題のリクエスト権を餌に客よせをしたことがある。そのリクエスト期間はメニューが普段の倍の値段だったにもかかわらず、普段の倍の客がやってきた。それなのにオーナーは多忙を理由になかなか書かなかったのである。その時にリクエスト権を得たのが、今、とっとの回りに入る3人である。
「ちょっと待って下さい、どうしてここで3題噺が出て来るんです、今は水滸伝ですよ」
とっとはうろたえている。
「じゃあ、ここで拷問の代わりに、とっとさんが執筆するのを監視しない?」
「賛成!」
なるほど、これは良い拷問だろう。下手な拷問より余程効きそうだ。とっとは
「いや、実はパソコンがあの妖飼い猫に壊されまして」
と苦し紛れに云う。
「なーんだ」
「ざんねーん」
「普通の拷問で我慢するしかないわねえ」
しぶしぶ、なのか嬉々とというべきか、とにかく桜蘭が普通の拷問を始めたが、その様子は本人かあるいは偵察中の女将が語るであろう。

拷問が半分ほど終ったところで、少し離れた所から声が聞こえる。
「とっとはん、パソコン出来たよし♪ はよ、続きを書きなはれ♪♪ 1週間更新せんはったらHD壊れるプログラムつけたで(ヲニ)♪」
花栄らしからぬ言葉を発する花栄である。
「そうや、鹿の子はん、はよ籠持って迎えに来るよし♪ とっとはんと一緒に青州行くよって♪ とっとはんの拷問あたしも見たい♪」
かなり乱暴な解釈だ。原典では、黄信に騙されて捕まった花栄が黄信に対し、武官どおしの宜しみで官服を来たまま護送籠に乗る事を要求し、それが認められる。同じく青州に護送される宋江が、拷問でぼろぼろになって気を失った状態なのとは対照的である。
「えぇっ、あたしが籠をかつぐのお?」
「あのう、お姐さま、籠なんて何処にもありませんけど」
「しゃあないわー。歩いていったげる」
そう言いつつ、手枷足枷のとっとを引き連れるて、劉高の桜蘭と黄信の鹿の子と花栄のバケツ撫子は山を横切るように歩き出した。待ち構えているラビン髭は、盆吊と土布袋の準備を手にもってとっとを待ち構えている。

あずまやのほうから話し声が聞こえる。
「あ〜あ、やだなあ。なんで男のとっとさんを助けなくちゃならないんだ」
王矮虎役のTERUの声だ。
「だって、ダーリンったら、かっこ良く助けるって言ったじゃない。わたし、ダーリンの活躍をいつも期待してるのよ」
鄭天寿役のshionは、ここが山賊3人そろって助けに行く場面である事を知らない。
「あれは場の勢いで云ったんだ。宋江に惚れ込んでいるのは一の頭領の燕順だから、本来なら女将さんが一人で行くべきなんだよなあ」
「TERUちゃーん、なに駄々を捏ねているのー。私だっていやいや助けに行くのよー。ちゃんと原典どおりになさい!」
とっと達からつかず離れずの所にいる女将が遠くから反論する。サド連合幹部の彼女は、とっとが拷問を受けるさまをもっと見たいらしい。
「でも女将さーん、王矮虎だけは宋江を良く思っていない筈ですよー。なんせ、せっかく攫って来た美人をー、手付かずで送り返さなきゃあーならなくなったんですからねー」
美人を攫うと聞いてshionが黙っている筈が無い。
「ああ、如何にもダーリンだわ! 私以外の美人の話をした事は許してあげるから、つべこべ言わずに助けに行ってらっしゃい!」
と爆弾を投げ付けた。TERUは若草山上空へと打ち上げられる。まあ、実際にも燕順と鄭天寿の2人が王矮虎の尻を叩いて救出に向かったのかも知れない。

shionの爆弾が男だけを飛ばすのは現代科学の知識では理解できないそうだが、黒焦げになった男の放物線軌道は物理法則に従って正確に計算できる。上空の風の効果を考慮すると、どうやら宋江役のとっとに落下するようだ。と、その時、王矮虎のTERUはぼろぼろコートを脱ぎ捨てて黒マントを取り出した。
「フッフッフ、ハニーも甘いな。僕はこれを見越していたんだ。山賊は血を好む。だから僕も当然血を好む!」
どうやら未だにドラキュラ気分が抜けていないらしい。彼は昨秋の一時期、ドラキュラ仮装に凝っていたのだ。
「桜蘭さーん、あなたの若々しい血を頂きにあがりますよー」
と言って、マントを繰りながら劉高役の桜蘭に向かっていった。山賊ドラキュラの襲来に驚いたのは桜蘭である。あわてて十字架を取り出す。
「ドラキュラよ、くたばれ!」
だがTERUは微笑んでいる。
「ふふふ、物理の好きな僕に、十字架は効かないのだ」
そう答えてドラキュラ風の王矮虎は急降下を始めた。
「ダーリン、私の義妹に何するの!」
当然ながら、このshionが手榴弾が投げ付ける。同時に
「これで煩悩を洗いなはれー♪」
とバケツ撫子のお姐さんも水をかける。鉄砲水は正確に浮気男に向かうが、手榴弾が少し外れて、その水の頭にぶつかった。かくて水鉄砲の勢いを浮気男の直前で止めて、手榴弾自体は水をかぶって爆発しない。男だけを選ぶハイテク爆弾の癖に、水ごときで爆発をやめるというのも奇妙だが、今はそんな事を詮索する暇は無い。桜蘭の劉高、危機一髪!

清風街の長を浮気山賊の毒牙から守れるのは、もはや黄信役の鹿の子のみである。そもそも黄信はそれが仕事だ。鹿の子は懐から必殺道具を取り出すや浮気マント男に向かって、
「覚悟!」
と叫んだ。彼女の出したのは当然ながら救心である。こんなものの何処に効果があるのだろう思ったが、意外や、突然ドラキュラ王矮虎のバランスが崩れた。
「ま、まぶしい!」
見ると、鹿の子の手鏡に映った太陽がTERUに当たっている。鹿の子を見た瞬間に目に入ったらしい。ドラキュラは太陽に弱い。夜型の浮気男もしかり。しかも逆光だ。写真家のウイークポイントである。かくてバランスを崩したマント男は、哀れ、とっとの頭上に墜落した。
「ドーン」
そのままとっとは気絶する。そうして、同時に手枷足枷首枷が外れた。度重なる拷問虐待で、救出時に宋江が意識を失っていたというのはいかにもあり得る事だ。
「えっへん、なんて私は強いのかしら。さあ、残りの山賊も勝負!」
そう自慢する黄信役の鹿の子の傍らで花栄役の姐ごが
「えーっと、あたしの役は…、宋江を助け起こす、か。なあんだ」
と言いつつ、とっとにバケツの冷水をぶっかける。
「つ、冷たあ!」
「はー、はー、はっくしょーん!」
とっとのみならず同時に水をかけられたTERUも震えている。吾輩には拷問の続きにしか思えない。
「あのう、Hit!!Me!!の花栄さん、一応、我々は親友という事になっていんだから、手加減して貰えません?」
「あら、ごめんなさい、あたしTERUさんにかけた積もりだけど」
この言葉にTERUが文句を言おうとした矢先に、
「寒いなら花火であっためなさーい」
というshionの声がするや
「ドッカーン」
と爆弾が爆発し、TERUはとっとを道連れにあずまやの山塞に向かって飛ばされていく。既に鄭天寿役のshionが降りてきている以上、頭領役の女将もいる筈だ。そう思って鹿の子のほうに目を遣ると、割烹着を着た燕順が懐から包丁を取り出している。
「ねえ、鹿の子ちゃんの肉を使わせてえ、ピックニックでの鹿の焼肉は絶品なんだからー」
冗談なのか本気なのか分からない所が恐ろしい。鹿の子は慌てて吾輩の方に逃げてきた。女将相手では、本物の黄信でも逃げるだろう。
 一方、劉高役の桜蘭の方を見ると、shionが義妹の桜蘭に話し掛けている。
「桜蘭ちゃんは一緒に山に登るわよね」
と有無を言わせない口調で云う。桜蘭の扮する劉高は肝の小さい文官だから、本文では山賊の前では金縛りになって、そのまま山塞に連行される。違いは縛られているか腕を掴まれているか差だけだ。残った2人、即ちバケツを手にした花栄と割烹着の燕順もあずまやに向かった。

皆があずまやに戻った頃、とっとの声が聞こえる。
「山塞に着いたんだから、もうこれ以上の拷問は無いでしょうね。わたしゃもうズタズタですよ」
「とっとさん、心配せんとサドに専念しなはれ♪ あたしが助けてあげますによって」
宋江と花栄の救出された後は、確かに宋江が山塞の顧問として事実上君臨する事になる。
「とっとさんへの拷問がこれ以上見られないのは残念だなあ」
とはもちろんTERUである。
「わたしも拷問をもう少し見たかったわ。じゃあ、いよいよ桜蘭ちゃんのお仕置きに移りましょうか」
「お義姉さま、何をするんです?」
桜蘭は女将の義妹でもある。
「あら、劉高役のあなたを殺して肝を取り出すに決まってるじゃないの」
「きゃぁ! 本気なの?」
「桜蘭ちゃん、義妹だからって手加減しないわよ。日ワイの世界は非情なんだから…」
原文によると、山賊3人に捕らえられた劉高は燕順に縛られて宋江の目の前で肝を抉られて殺される。
「…さっき、とっとさんの生き肝を取り損ねたけど、今度こそ念願が果たせそうね。犯人役をやってついでに若い乙女の肝でおでんを作る、日ワイ始まって以来の最高の役だわ!」
「女将さん、ちょっと待った。殺してしまっては生き血が吸えないじゃ無いですか」
「ダーリン、生き血、生き血って、わたしの可愛い義妹を捕まえて、何のつもり?」
「ハ、ハニー、こ、これは役なんだ。つまり、山賊は生き血をすするってのが決まりなんだ」
「へえー、そうなの! じゃあ私が優先ね。だって私の義妹なんだから。ついでに生き肝も食べようっと」
「2人とも黙んなさい! 一の頭領がわたしって事を忘れているわよ。桜蘭ちゃんの肝はおでんの具になるって決まっているんだから」
3人とも己の趣味に夢中で、本来の目的を忘れているらしい。確か、劉高殺しの主犯を考察する為にこの劇を始めた筈だ。
「あのうー、わたしの意見を述べてもよろしいでしょうか? 確か文字ゲリラさんは…」
3人の剣幕に怖れをなして、とっとが恐る恐る口を出す。
「とっとさん。宋江は椅子に座っているだけで、手は下さないんだ。だから桜蘭さんの始末は僕達に任せてもらいたいな」
やくざマフィア暴力団のボスは手を下してはいけない。最近では具体的指令すらしてはいけないそうだ。
「そうよ、黙っててよ。さっきまで散々主役として虐められたんだから、それだけで満足すべきじゃないの」
女将が理事を勤めるサド連合の規約によると、主役はかっこ良ければ良いほど虐めらなければならないそうだ。とっとはその連合の会長である。
「とっとさんは3題噺の執筆に専念する! この劇が終るまでにその2をアップしなかったら、そのパソコンが粉々になると思ってね」
とshionは爆弾と見せる。

一方、傍らでは花栄役のHit!!Me!!が桜蘭に耳打ちしている。
「あの連中ほっときよし。劉高に手え下すのヒットマンや♪って水滸伝に書いてありますから」
無言の命令を誰が下したかはともかく、手を下したのは確かに花栄である。
「あのう、お姐さまはどうされるのです」
恐る恐る桜蘭が尋ねると
「そやなー、あの3人、あんたの血欲しい云うとるねん、二十歳の献血ってどうですやろ」
「私の血を飲ませるんですか、不摂生だから健康に悪いですよ」
「つべこべ云わんと、そこに寝なはれ」
桜蘭は死体よろしく横になった。Hit!!Me!!の花栄は採血している。
「本物は赤十字のぼっくりに送ってぇと、…代わりに鉄錆水にケチャップとニンニクとニコチンと混ぜてぇ、…はーい、そこの皆さーん、桜蘭さんの生き血ですー」
っとバケツ一杯の赤い液体を4人に持って来た。議論に夢中で、劉高殺し役をいつの間にか Hit!!Me!!に取られた3人は、一瞬毒牙…毒気と言うよりこっちが正しいであろう…を抜かれた態だったが、そこは喫茶店のメンバーである、直ぐに気を取り直して乾杯となった。
「不味ーい」
「なーに、これ」
「姐ご、それ本当に桜蘭さんの血?」
おそらく黒マントの王矮股は、さっき桜蘭に食い付けなかった事に安堵しているに違いない。

皆がしかめっ面をしている時、山の横手から大音声がした。
「出会え、出会え、そこの山賊どもよ!」
時代がかりな登場は朧豆腐である。持てない筈の棍棒を豆腐の肩に載せるぐらい、真面目に役に徹している。もちろん秦明の役だ。山賊に宋江と花栄を取り返されて劉高を殺された、と云う急報を受けて、青州の知事が州全体の武官筆頭を派遣した事になっている。
「秦明の朧さん、上手く全員捕まえたら、南禅寺の湯豆腐に入れてあげますからね」
と、知事役の文字ゲリラが後ろで声をかけている。南禅寺の湯豆腐は豆腐の誉れだ。

あずまやのほうは皆が青い顔をしている。
「まずい! うー、ぺっぺっ、まずい」
さっきの山賊ドリンクで気分が悪くなったらしい。とても戦う所ではない。
「心配いらへん、あたしに任しときー」
唯一元気な姐ごが立ち上がる。彼女だけは飲んでいないのだ。まあ、あれを知ってて飲むのは自殺行為だろう。
「カンカンカンカンカン」
バケツをしきりに鳴らす音に誘われて、白い塊がそっちに向かう。
「バシャッ」
花栄役の姐ごの水が豆腐に降り注いで、その勢いで白い塊はごろごろ下に転がる。その跡には無惨なかけらが散らばっている。しかし、その程度で諦めては秦明役は勤まらない。
「カンカンカンカンカン」
勝鬨をあげるバケツ音へと、白い塊は再び向かう。
「バシャッ」
またも水が豆腐に降り注いで、白い塊がごろごろ下に転がる。その跡には再び無惨なかけらが散らばっている。
「カンカンカンカンカン」
「バシャッ」
「ごろごろごろ」
「カンカンカン」
「バシャ」
「ごろごろ」
「カ…」
「バ…」
「ご…」
「……」
「……」
「……」
これだけ続けば豆腐も随分スリムになっただろうと思いきや、砕け散った筈のかけらが本体にくっついて、豆腐は一向に巨大なままだ。吾輩の居候先で毎月のように爆破されながらしぶとく生き延びている秘密はここにあるらしい。
「秦明豆腐どの、その調子! その分だとカリフォルニア知事になれますよ」
と後ろからラビン髭の男が応援している。朧豆腐は
「ワシは政治家になるほど落ちぶれてないぞ!」
と答える。当たり前だ。武官の秦明が知事のような汚らわしい仕事をする筈がない。豆腐は清く美しくなければならないのだ。

秦明豆腐とバケツ花姐の戦いは永遠に続きそうに思えたが、やがて姐ごは、豆腐妖怪を山の正面におびき出すや、巨大なバケツもろとも水を投げた。
「カーン」
水だけの積もりだった豆腐は、当ったバケツにすっぽりかぶさって、そのまま斜面の窪みに落ち込んだ。バケツはつるつるして這い上がれない。
「ひえー、落とし穴だ」
そう言ながらもがいている。一方のバケツ花姐のほうは、とみると安心してビールを飲んでいる。
「あー汗かいたー。これで美味しく飲めるー。……ウマー。あとよろしく」
そう、妖怪を捕らえる役を終えて、さっさと見物役に回っているのだ。バケツ花姐からバトンを受けた4人は、先程までの腹痛が嘘のようにすっかり元気を回復している。さすが、女将のおでんを食べ慣れている連中だ。或いは、単にサドが出来ると思って元気のなったのかも知れない。4人が近付いて来るのを見て一瞬あせった朧豆腐であったが、そこは何と云っても秦明の役である。すぐに不敵な表情に戻る。
「ふっふっふ、そう簡単には参らないぜ!」
 朧豆腐への拷問は、先ずは浮気男の王矮虎が
「とりあえず水攻めだろうな」
と云って大バケツの中の朧豆腐に冷たい水を注ぐ。朧豆腐は
「おお、これぞ最高の冷ややっこ」
と云いつつ、懐から刻みネギと生姜を取り出す。これでは拷問にならない。次は燕順の女将だ。
「火攻めじゃないと駄目よ」
といいつつ、バケツをバーナーで熱する。
「こりゃ好い湯加減だ。湯豆腐はこうでなくっちゃね」
そうなのである。この豆腐は自ら料理され人に食されるのを無上の喜びとしている妖怪なのだ。念のために鄭天寿のshionが爆弾で朧豆腐を粉々にするが
「麻婆豆腐には挽肉が必要です。山賊の誰かの肉を取ってきて下さい」
とのたまう次第である。この豆腐妖怪に普通の拷問を当てはめようというのが土台無理なのだ。

一向に降参する気配の無い朧豆腐に、しぶとさで名を売る3人の山賊メンバーも音を上げる。
「煮ても焼いても食えない奴って、まさにこれだなあ」
「ワシは最高級の遺伝子非組み換え国産大豆しか使っていないから、煮ても焼いても美味しく頂ける筈ですぞ!」
「なんて頑固な豆腐なの!」
「そうよ、ここまで来たら降参して、山賊の仲間に入るべきよ」
「それじゃあ秦明じゃあないっす」
確かに、落とし穴にはまったて捕まった後も、そのあと酒食の歓待を受た後も、意志を変えずに、山賊になるぐらいなら殺してくれ、と主張して、結局解放された事になっている。秦明といえば、そのくらい単純で頑固な武将なのだ。
「ねえ、ダーリン、頑固な麻婆豆腐は食べてしまって、次に進行しない?」
とうとう爆弾女は辛抱を切らしたようだ。
「それもそうだな。無理に朧さんを降参させる必要は無いだろう」
黒コートの王矮虎が答えるや、割烹着の燕順が矛盾を突く。
「TETU ちゃん、劉高の妻の役が雄猫なもので消極的ね。これが桜蘭ちゃんだったら言う事絶対に違っているわよ」
「えっ、女将さん、どういう事?」
「秦明には、部下の黄信に清風の城に手引きさせる役があるの。その時に王矮虎が劉高の妻を攫う事になっているの」
秦明は一旦清風山から戻るものの、諸般の事情により最終的に山賊に加わり、その手みやげ代わりに、清風の街を守る黄信を説得する事になっている。そうして山賊一同は花栄は家族を救い出し、加えて劉高の妻を捕まえて制裁を加える事になっている。劉高の妻に役が浮気男の守備範囲内の女であれば、かの浮気男は筋を端折るなどとは絶対に言わないであろう。
「ダーリン! 役だから役だからって言ってたけど、やっぱり下心があったのね!」
「ハ、ハニー、そ、それは違う。ハニーがここにいると余りにも幸せで、劉高の飼い猫を攫う役目を忘れてしまったんだ」
「そうかしらねえ? じゃあ、あたしが許してあげるから、さっさと猫を捕まえて来なさい!」
こうでなくてはならぬ。これは吾輩が再び登場する最後の機会なのである。あの危険な連中にどう料理されるか分からないが、よもや本当に殺される事は無い筈だから、吾輩としては登場を心待ちにしていのだ。劉高の妻は一番の悪役の筈だが、実際には殆ど登場しない。
「そうだ、ハニー。言い忘れていたけど、あの妖飼い猫を捕まえるには、護衛役の鹿の子さんをたらしこまなくっちゃならないんだ。それじゃハニーに悪いと思って我慢してたんだ。でも鹿の子さんを誘惑して構わないんだね」
さすが天下公認の浮気男である。しっかり次善の策を考えている。鄭天寿役の爆弾女は爆弾から手を離した。
「ちょっと待って、それなら話は別だわ」
そこへ、とっとが口をはさんだ。
「お二方駄目ですよ、ちゃんと猫を捕まえてくれなくっちゃ。わたしもあの猫には恨みがありますからね、しっかりお仕置きしないと」
お仕置きは余分だ。
「shion ちゃん、騙されちゃ駄目、鹿の子さんをたらし込むのは秦明役の朧さんの仕事なんだから。TERU ちゃんは猫を捕まえるだけなのよ」
「ダーリン!」
shionは再び爆弾を持ち直す。
「でもさあ、この頑固豆腐を降参させる方法がない以上、僕しか鹿の子さんをたらしこめる人間はいないじゃないか」
と抵抗するに
「朧さんを降伏させるなんて易しいですよ」
と宋江役のとっとは簡単に答えた。
「へえー、さすがサド連合会長のとっとさんね」
「どうやるんだい」
感心する山賊の面々を前に、とっとは自信たっぷりに言い放つ。
「すでに準備は出来てます。だから3分後に朧さんを解放して下さい」

そのままとっとは足を引き摺りつつ、白いシーツをかぶってラビン髭のところにやってきた。ハローインじゃあるまいし、さすがにサド連合会長のやる事は吾輩の理解を超える。
「青州の知事さーん。その役をやっている文字ゲリラさーん」
と掛ける声に、ラビン髭が答える。
「おお、これは秦明役の朧豆腐さん、首尾はいかがで」
 明らかにとっとの声と分かるのに、と思ってはたと気付いた。ニセ秦明を見破れなかった知事の役を演じているらしい。原典では宋江の策略で、秦明を装って青州城周囲の村で無垢な農民を虐殺し、村を焼いた事になっている。そうして秦明を陥れ、彼を孤立無援にしておいて山賊に加わる事を再び勧めるのである。しかも濡れ衣ゆえに家族全員を処刑された秦明に再婚相手を準備している手回しの良さだ。陰険宋江の残虐無道がこの場面ほど良く現れている所は水滸伝全編を通じて殆どない。確かにサド連合会長に相応しい役ではある。しかし、ここには燃やすべき村も殺戮すべき村民もいない。
「ふふふ、文字ゲリラさん、これを御覧なさい」
とっとの宋江は、そう言って、ゆで小豆をばらまくや、それを踏みつぶし、羊羹を握りつぶしてラビン髭に投げ、饅頭を岩角に叩き付け、抹茶の粉末を空中にほうり投げた。
「あ、あずきが、なんたる。なんと酷い事を」
ラビン髭は、思わず、そのもじゃもじゃ髭を掻きむしった。
「わが愛する小豆よ、和菓子の基本よ、なんと無惨な。羊羹の兄弟も、饅頭の従弟も、抹茶のお姉様も……。小豆の神様に誓ってこの仇はきっと討ってやるぞ」
のたうちまわりながら喚き続けるラビン髭を後に、ニセ秦明のとっとはあずまやに戻り、代わりに朧豆腐が巨大熱バケツごとラビン髭の男の前に投げ出された。バラバラだった筈の体はいつしか合体している。

その彼にいきなりラビン髭の怒鳴り声が聞こえる。
「こら、秦明! よくも裏切って山賊の仲間に入ったな、この無垢な領民を殺しよって!」
そう言いながら彼の指差す先には小豆や饅頭が踏みしだかれて散乱している。今の今まで巨大バケツの中に陥れられていた朧豆腐には訳が分からない。いや、同じ豆の仲間として、彼だって、無惨な小豆を歎き悲しんでいる筈だ。
「あのう、食べ物を粗末にしたのはどなたでしょうか」
「しらばっくれるとは顔の面の厚いやつ。厚揚げよりも厚いぞ。あのニセ豆腐がとったさんの滅茶滅茶下手な変装である事は分かっているが、ここは日ワイだ。あずきをおろそかにしたのはお前という事をこの目でしっかり見たのじゃ」
「あのう、文字ゲリラさん、仰る事が分かりませんが」
「何を今更。お前が此処に戻って来たのは、家族を引き取る為であろう。だが、その手は効かないぞ!」
ラビン髭は醤油ビンを取り出した。朧豆腐が普段から愛用している最高級たまり醤油だ。
「お前の連れ合いなんぞ、こうしてくれる」
そう言うが早いか、ラビン髭は醤油ビンを地面に叩き付けた。
「ガチャン」
「ああ、我が愛しのタマリ醤油が!」
今度は豆腐が我が身を掻きむしる番である。

そこへとっとが再び現れた。
「朧さん、愛用のお醤油を亡くされたのは誠にお気の毒ですが、不幸中の幸いと言うか、京都の出汁醤油をバケツの姐ごが持っています。それを使ってみては如何でしょうか」
なるほど、これがとっとのたくらみか。伊達にぼったくり喫茶を経営している訳ではないようだ。
かくて、さしもの朧豆腐もあっけなく山賊仲間に加わった。但し山賊仲間というよりサド仲間と言った方が良い面々ではある。
「花栄役のHit!!Me!!さん、姐ごの出汁醤油を朧豆腐にあげても良いですよね」
「そら、ええねんけど、ここにはあらへんわ」
「どこです、ワシが取ってきますから」
熱心なのはもちろん豆腐だ。
「あの猫のとこにありますねん。鹿の子はんを説得せななかん思いますけど」
 吾輩の目の前には確かに薄黒い液体の入った壜がある。姐ごの所有物だからパソコン用の油とばっかり思っていたら、同じ油でも醤油だったらしい。ラベルをよくよく見ると「南禅寺すてーき・東山醤油」と書かれてある。いかにも豆腐の喜びそうな名前だ。
「鹿の子さんなら簡単です」
白い塊はそう言うとこっちに向かって来た。
「鹿の子さーん」
と呼び掛けられた鹿の着ぐるみは、さっきから奈良特産のパンフレットを読んでいる。余程暇だったのだろう。まあ、黄信役では仕方ない。吾輩と同じぐらい出番が少ないのだ。
「黄信役の鹿の子さーん」
「あら、朧さん、何の用事?」
「そろそろクライマックスだから、鹿の子さんにも皆の宴会に加わって貰おうと思って」
宴会と言った途端に鹿の妖怪は目を輝かせる。
「やったあー。やっと本物の奈良漬けが食べられるのねー」
これでは説得でも何でも無い。
「じゃあ、さっさとあずまやに行って下さい。ワシは、Hit!!Me!!の姐ごの醤油を持って行きますから」
「だーめ、あれは今はわたしのよー」
美味しい醤油には鹿の子だって執着がある。
「じゃあ、ワシの一番良い所を食べさせてあげるから、その交換というのはどうですかい」
これは鹿の子にとって確かに魅力的な提案ではある。悩む鹿の子を前に、豆腐はその体から高級豆腐を取り出す。絹ごし木綿焼き豆腐に、高野豆腐、卵豆腐、厚揚げ、胡麻豆腐。喫茶店では決して見せない上質の品揃えだ。この誘惑には鹿の子も我慢できず、交渉は難無く成立した。朧豆腐でなければ出来ない技だ。

鹿の子が豆腐を食べはじめるや、あずまやからドカーンという音が聞こえた。ここまで来れば誰にでも予想がつく。
「ダーリン! さっさと猫を捕まえてらっしゃい!」
やっぱりだ。いつもの空中遊泳をやった黒焦げコートの王矮虎は、37秒後に吾輩の目の前に降り立った。醤油壜はとうに朧豆腐が持って行っている。豆腐は猫には興味がないのだ。
「こら、そこの妖飼い猫、年貢の納めどきだ」
そう言いつつ吾輩の背中を掴もうとする。失礼な奴だ。人の背中を掴む法があるものか。猫リレーの主人公を何と心得ておる。それに吾輩は妖怪ではない。吾輩猫である。何処ぞのネット小説家よりも遥かに多くの読者を得ているスーパースターだ。その吾輩が浮気男に年貢を納める義理あいなぞ全くない。そもそも猫が税金を納めるなんて世界が何処にあるものか。こういう輩は懲らしめなくてはならぬ。そこで、思いきり引っ掻いて、小便を引っ掛けてやった。なあに、劉高の妻だって女たらしの王矮虎に攫われた時、失禁しながら彼を引っ掻いたに決まっているのだ。
「うへー、これだから嫌だったんだ」
かくて黒焦げ女たらしは、傷だらけで小便にまみれた。これを見ると胸がスーとすると共に、少々可哀想になる。さすがに、これ以上虐める必要もあるまい。あとは彼の肩の上に乗っておとなしく付いて行ってやる事にした。

あずまやでは宋江役のとっとが恨めしそうな顔で吾輩を待ち受けている。ふん、こんなサラリーマンから逃げるなんてお茶の子さいさいだ。そう思って油断していると、いきなり後ろからかん袋をかぶされた。
「ふふふ、とうとう捕まえたわ」
ぬかった。最も危険な人物の事を忘れていた。パチパチパチという拍手に混ざって浮気男の声が聞こえる。
「これは、もう蹴鞠しかないですな」
「何言ってるの、この猫は今日のおでんの材料よ」
「え、そんなあ。先ずは恨みを晴らさせて下さいよ。散々酷い目にあってきたのだから」
「ちょっと待った。とっとさんは、さっき文字ゲリラさんに十分復讐してきたじゃないか。それに比べて僕は一度も良い目をみてないんだ。僕にも少しは楽しい目をさせて貰いたいな」
「駄目駄目、捕まえたのはあたしよ。猫はあたしが料理する事になっているのだから」
そう言いながら女将は吾輩のうなじを捕まえて袋から出した。
 確かに原典でも劉高の妻は燕順が一刀のもとに斬る事になっている。そして現に女将も包丁とまな板を目の前に置いている。これは本気かも知れぬ。

「大平は死ななければ得られぬ、南無阿弥陀仏なむあみだぶつ」
ほんの数ヶ月前、水に溺れて観念した時の記憶が蘇る。どのみち吾輩はあの時死ぬ運命にあったのだ。たまたま99年後の世の中にタイムスリップして時代の変遷を知る身になったが、それも1幕の夢と思えばよい。
「大平は死ななければ得られぬ、南無阿弥陀仏なむあみだぶつ」
ここに至って再びそう唱えていると、とっとの声が聞こえる。
「あのう、燕順が劉高の妻を斬るって決まっているのでしょうか?」
「そうよ、本を読んで御覧なさいよ」
「じゃあ、今日の劇は何だった訳で? わたしゃ、最後の推理だけを楽しみに数々の拷問に耐えてきたんですよ」
「えーっ。ミステリーじゃないのぉ?」
と爆弾女も残念がる。日ワイに一番熱心な鹿の子は胡麻豆腐を食べるのを止めて
「ミステリー? どこどこ?」
と皆の所にやってくる。そこへ何故かラビン髭の男までやってきた。
「ああ、大切なあずきが。ああ、美味しい羊羹が」
殆ど聞き取れない声でぶつぶつ言いながら、夢遊病者か酔っ払いの如きその足取りだ。どうやら小豆の後を辿ってここまで彷徨い出たと見える。
「お、張本人の文字ゲリラさんが来たぞ」
と黒コートの男が言うや、
「文字ゲリラさん、ミステリーはどうなったの」
「そうよ、殺人犯人は始めから分かってるじゃ無いの」
ようやくラビン髭の男ははっと気が付いて
「えっ、何の事?」
それは短気な日ワイメンバーを前に最悪の答えてある。

 ボカボカ、ガーン、ドシャッ、ドッシャン、バーン、ドカーン、ブチャ。

次の瞬間、ラビン髭は地面に伸びていた。同時に吾輩は女将の手を離れて危機を脱した。
「やったー、死体だわ!」
「これってやっぱり殺人よね」
「でも全員が犯人じゃあ、推理の楽しみがない」
「まてまて、さっきラビン髭が言ってたな、誰が致命傷を与えたかが問題かって」
「そりゃ私の爆弾に決まってるでしょ」
「ちがうわ、私のまな板よ」
「うちのバケツやあらへんか」
「あのう、私もコーヒー用の薬缶でぶん殴ったんですが」
「僕のベレッタだって活躍してるがな」
「ワシだって……」
どうやら、全員が真犯人になりたがっているらしい。しかし、これは決して決着が付かないであろう。何故ならラビン髭が気絶した本当の理由を知っているからである。それは、吾輩がどさくさに紛れて彼の餡餅に小便を引っ掛けたからである。

ーーーーーーーーーー
 1月の日は短い。若草山にも夕暮れが訪れる。
 喫茶店常連に居候する事わずか2ヶ月にて、吾輩は、この世界が、かの中学教師の世界と何ら変わらない事を知った。すなわち奇人変人の集まりである。思えばこれは僥倖と言えるだろう。日々退屈する事なく過ごす事が出来るからだ。今日のような日々が毎週繰り替えされる喫茶店は、たといオーナーがケチで新鮮な魚を食べさせてくれなくても居候するに値するところだろう。かくて吾輩はここを終の住処と決めたのである。但しオーナーが借金の余り夜逃げしなければの話であるが。

とりあえず終り。

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配役:

 頭領の燕順:女将(Butapenn)
 女好きの王矮股:黒コートの女たらし(TERU)
 白面美男の鄭天寿:爆弾女(shion)
 性格のわるい宋江:オーナー(とっと)
 生き肝を取られる劉高:ラビン髭 →劇団の新人(桜蘭)
 一番悪役の劉高の妻に代わって劉高の飼い猫:吾輩猫
 弓矢の名人の花栄:爆弾女 →バケツ座の姐ご(Hit!!Me!!)
 花栄の妹:劇団の新人 →京都の特製醤油
 単純豪快な秦明:巨大な白い塊(朧豆腐)
 ちょい役の黄信:鹿の着ぐるみを着た妖怪(鹿の子)
 青州の慕容知事:ラビン髭の男(文字ゲリラ)