歩みだす時間


それはこの世の物とは思えない光景だった。

たった一人の女性が。しかも、自分よりもはるかに大きくはるかに力を持った大男を息一つ切らさずに全て切り刻んだのだ。

そして・・・フランクに見せたあの一撃。

一瞬にして彼を氷付けにし、その後、消滅させた。


僅かだ。

ほんの僅かの間にこの出来事が起きたのだ。


信じられるか?


これが現実のものだと言うのか?


全てを見ていたとはいえ、アルベルトにはこれが現実のものだと信じる事が出来なかった。

自分の最も身近にいた人達が、今は命の無い塊となっている事を。

それでも目の前で起きた事実は変わらない。

もう一度辺りを見回してみる。

アリアに切られた武装兵20人は、見るも無残な姿で雪の上に横たわっている。

すると突然、その死体となった20人の体が、無数の光となって昇天したのである。

その様子はフランクの時と同じ様だった。

ただ一つだけ違うところは、光が空に向かって上っていった後消えた事だ。

フランクの時はその場で跡形も無く消滅していた。

更に、流血によって赤く染まっていた雪の地面も、何も無かったかのように白く輝く雪に戻っていた。

全てが無くなると、不自然にあらされた雪の大地だけが残った。

それ以外に残っているもの、自分とアリア・・・いや、あの伝説のマリアヴェールだけ。

不意にアリアが振り向いて、こちらをうかがっている。


ビクッ


アルベルトは背筋に緊張が走った。

今、自分の目の前に立っているのはアリアだ。

だが、十字架によって全てを裁く『伝説のマリアヴェール』でもある。

緊張しないはずは無い。

現に、自分を育ててくれた叔父は、目の前で十字架によって裁かれ。

自分を馬鹿にしていた兵士達も一瞬にしていなくなった。

そんなアルベルトの緊張を知ってか知らずか、アリアはゆっくりと近づいてくる。


・・・。


・・・・・・。


(あ・・・。)

アルベルトは気が付いた。

初めて会った時のアリアと全く異なる物。


紫の瞳


青ではない。

この世界では忌み嫌われているイレギュラーとしての証。

ラキの人間の持つ、氷のように冷たく輝く青い瞳ではない。

かと言ってガラの人間の持つ、炎のように激しく赤い瞳でもない。

不思議な光を放つ紫の瞳。

アルベルトは、その輝きを生まれて初めて見たのだ。

一方、アリアもアルベルトが自分の紫色の瞳を確認した事に気付いた。


・・・。


どうやら同じらしい。

アルベルトも自分の瞳を見た反応は、他の人間と一緒。

心の奥で何かの感情が働いている。

だが、彼女はその感情を知らなかった。

しかし・・・。


アリアがアルベルトの前までたどり着いた時、彼の口から意外な言葉を聞いたのだ。

「綺麗、ですね。」

「!?」

生まれて初めて聞く言葉。

「僕は生まれて初めて紫色の瞳を見ました。・・・綺麗です。

 ガラの人間にもラキの人間からも感じられない、なんだか、そう、暖かさを感じます。」


「・・・?」

アリアは自分の頬をつたう何かに気が付いた。





どれくらい自分の涙を見た事が無かっただろう?

マリアヴェールの力を受け継いで、十字架の運命に捕らわれた時。

あの時が最後だっただろうか?

だが、アリアは自ら流したこの涙の意味が分からなかった。

慌ててアルベルトが話しかける。

「ご、ごめんなさい。僕、変な事を言いましたね。気に障ってしまったのなら誤ります。

 あ、あ、あの、アリアさん、本当にごめんなさい!!」

立ち上がって深く頭を下げるアルベルト。

「違う・・・。初めてなんだ、私の血縁者以外で綺麗なんて言ってもらえたのは。

 だけど、自分でもなぜ涙を流しているのか分からないんだ。驚かせて・・・ごめん。」

アリアもアルベルトに向かって頭を下げる。

「私とあなたは同じ・・・。他人に受け入れてもらえない時を過ごした。

 街であなたの話を聞いたの。そう、ガラの人間なのに異常なほど小さい体を持ってることを馬鹿にしていた。

 だけど、それが何だと言うのだろう? 見た目は確かにおかしいのかもしれない。

 でも、みんなと同じ人間。この町を支配していたあなたの叔父、フランクだってそう。」

「アリアさんはあの・・・マリアヴェール様・・・なんですか?」

「私はマリアヴェールの血を引く者。私はこの十字架に導かれてここまで来た。

 あなたの叔父をこの十字架で裁くために。これが私の運命だから。」

「僕は気付いていたんです。僕の叔父がどんな事をやっているのか。その仕返しとして僕に街のみんなが当たってくる事も。

 でも、それで町のみんなの怒りが治まるのなら、叔父がこれ以上人を殺さなくなるのなら、って。」

「そう・・・。」

二人の会話の最中、止んでいた雪がまた降り出した。

「私はあなたも殺すつもりだった。マリアヴェールの存在を世界に広めないために、口封じとして。

 でも、私にはあなたを殺せない。何故・・・だろう? マリアヴェールの意志とは違うのに。」

「・・・。」

アルベルトは何も言わず、ただ黙って聞いている。

「この街にいる理由はもう無くなったから、私はすぐにここを立つ。

 恨んでくれてもいい。あなたの叔父を殺した事を、あなたの生活を奪った事を。」

アリアは歩き出した。

その後ろ姿は冷たく、孤独に見えた。

少し離れた所でアリアは振り向いた。

「でも、あなたに会えて嬉しかった。少し、少しだけ、救われたような気がしたよ。ありがとう。

 約束の紅茶は次に会えた時にでももらおうかな。」

そう言い残すと再びアリアは歩き始めた。



アルベルトはずっと考えていた。

今までの自分の事。

これからの自分の事。

叔父に引き取られてから、何も出来ず、周りに左右され、ずっと一人に閉じこもっていた自分。

非力な事を馬鹿にされ、ただ現実から逃げる事を選んだ自分。


だけど、彼女はどうだろうか?

イレギュラーという世間の冷たい目にただ耐えるだけじゃない。

マリアヴェールという運命を背負い、苦しむ人々の為に一人で戦っている・・・。


孤独、辛くはないだろうか?


運命、マリアヴェールの力を持った事を彼女はどう思っているのだろう?


今、僕が出来る事。

何を?

何をすべきだろう?


アルベルトは答えを導いた。

「待ってください!!」

遠くに離れたアリアを追って、アルベルトは全速力で走り出す。

「マリアヴェール様、僕も、僕も一緒に連れていって下さい。僕に今、出来る事。

 僕と同じ様に苦しんでいる人達を助けてあげたい。だからお願いします。」

アリアはその言葉を背中を向けて聞いていた。

アルベルトは膝をつき、手をついて土下座をしながら懇願した。

「足手まといになるのは分かってます。だけど、生まれ変わりたい。周りにびくびくして何もしようとしなかった自分から!

 強くなりたい。僕は確かに非力だけど、そんな事に負けないくらい強くなりたいんです!!」

アルベルトは必死で懇願した。思いを全て言葉にして。


アリアはしばらく考えた。

マリアヴェールの意思と葛藤しながら。


答えはこうだった。

「私についてくるのなら、必ず死の危険と隣り合わせになる。アルベルト、あなたがもしも殺されようとしていたとしても、

 私はマリアヴェールの意志の通りに動く。あなたを見殺しにするかもしれない。それでも・・・あなたはいいのか?」

「僕が決めた事です。今までの生活に嫌気が差して死ぬのも仕方がないと一度は思いました。

 でも、今は違う。僕に出来る事をしたい。その中で死ぬのなら・・・それでも構いません!」

「たとえこの街を出たとしても、別の街であなたは迫害を受けるかもしれなくても?」

「それでもいいです。僕は今の自分から一歩でも前に進みたい。」


「・・・。」


「・・・。」


しばしの沈黙。

お互い力強い意思の光を持った眼差しを相手に向ける。

その意思に負け、アリアが口を開く。

「分かった。そこまで覚悟しているのならもう何も言わない。辛い旅になるけど・・・よろしく、アルベルト。」

それを聞いてアルベルトは立ち上がってこれ以上無い喜びの表情を見せる。

「ありがとうございます、マリアヴェール様! 僕の事はアルでいいです。少しだけ待っていてもらえますか?

 屋敷に戻って旅の為の準備をしてきます!!」

言うが早いか、アルベルトは今来た道を全速力で戻っていく。

慌ててアリアが声をかけた。

「ふふ、マリアヴェール様なんて呼ばなくていいよ。私もアリアで十分。」

「じゃあアリアさん、すぐに戻ってきます! 先に行っちゃ駄目ですよ!!」

それだけ行ってアルベルトは再び全力で走り出す。

それを見つつ、アリアは微笑んだ。



私も変わってきている。


涙を流す事。


今、心から笑えた事。


マリアヴェールと私の意思は同じ・・・はずなのに、何かが違う。


自分の胸に手を当て、アリアはそんな事を考えていた。

アルベルトが今までの自分と戦う事を決めたように、アリアもまた、自分の運命と戦い始めたのだった。


それはパルメラの町での偶然の出来事。

世界にマリアヴェールの存在が甦り、大陸を巡る運命が動き始めた、まだ、間もない頃の話であった。