人の心


静寂が辺りを包んでいた。

町全体を巻き込みつつあった騒動は、アリアとアルベルトの奮闘によって鎮静された。

今2人のいる場所、いや、3人がいる場所は例の教会だった。

「では本当にあなた達の旅に同行させて頂けるのですね?」

「あの子はもう、この町では暮らしていけない。教会の子ども達だけではなく、町中の人から迫害される事になる。

 先程の騒動の中で私が言った事だ。約束した以上、責任は持つ。」

「ジーナさん、あなたも本当にそれでいいですか?」

「・・・。」

言葉に出せないジーナは、小さく頷いた。

その手には、アルベルトの買ってきた猫のぬいぐるみが抱き締められている。

「分かりました。この子はあなた達にお任せする方が良いかもしれません。

 私には何も出来なかった。この子を救う為にあなた方の様に戦う事すら・・・。」

アリアとウイッツはジーナのこれからの事について話していた。

ウイッツは何も出来なかった自分に、ひどく後悔している様子だった。

今回の騒動を止められなかった自分に対して・・・。




◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




まばゆい光に包まれて、少しの時間、3人は意識を失っていた。

その3人の中で、最初に目を覚ましたのはアルベルトだった。

「うっ・・・ここは・・・僕は・・・どうして・・・?」

とっさに取った行動に我を忘れ、アルベルトは一瞬何が起きたのか、自分が何をしていたのかを忘れてしまっていた。

頭をさすりながら起き上がると同時に、その視界に入ってきたのは血を流して倒れているアリアだった。

「アリアさん? アリアさんっ!!」

慌てて駆け寄るアルベルト。

アリアを支えながら半身を起こすと、ガクガクと体をゆする。

「アリアさん、大丈夫ですか!? しっかりして下さい、アリアさん!!」

普通、血を流している人間にそんなことはしない。

安静にしておくことが大事なはずなのだが、流血しているアリアを見てアルベルトは気が動転してしまっている。

勢いよく体をゆすられて、アリアは目を覚ました。

「お、落ち着いてくれ、アル。そんなに体を揺らされたら傷口が広がってしまう・・・。」

アリアの声は、普段より若干弱々しい声だった。

「す、すみません・・・えっ? き、気がついたんですね、良かった!」

そう言ったアルベルトの目には、うっすらと涙が浮かんでいた。

「この程度の傷では私は死なない。それよりジーナは? ジーナはどうしてる?」

「そうだっ!」

当初の目的、ジーナを救う事を忘れていたアルベルトは慌てて周囲を見回した。

すると、彼らと同じ様に、ジーナもまた気を失って倒れている。

彼女に恐る恐る近づいてみる。

すると・・・。

「あぁ・・・。」

アルベルトは思わず泣き出してしまった。

恐ろしい魔獣の様に姿を変えていたジーナの姿が、本来の彼女の姿に戻っている。

先程まで暴れていたとは思えないほど、今はくぅくぅと可愛らしい寝息をたてて眠っている。

「よ・・かっ・・・たぁ・・・。」

安心のあまり、アルベルトはその場にへたり込んでしまう。

それと同時に再び意識が薄れ、力なく倒れ込んでしまった。

アリアはそれを見て驚いたが、しばらくして静かな寝息が聞こえてくると、ようやく彼女も落ち着きを取り戻した。

だが、それだけでは終わらなかった。

アリアとジーナが戦っている最中、その迫力に身動きが取れなかった町の人々が、またも武器を持って近寄って来ていた。

「その子をどうするつもりですか?」

アリアが先頭に立って武器を構えている一人の若い男に聞いた。

すると、男は悪びれた様子も無く言い返してくる。

「殺しちまうに決まってるだろう? こいつを生かしておいたらまたこんな事件が起きるんだぞ!」

冷たい言葉だった。

確かにそれが正しいのかもしれないが、このような大人が躊躇なく一人の子供を殺そうと言うのだ。

アリアは傷口を押さえ、静かに言った。

「確かにそれが正しいのかもしれない。だけど、あの子がどのような気持ちでああなったのか分かりませんか?」

「そんな事分かる訳無いだろう。『化け物』の気持ちが俺たち『人間』に分かるものか!」

「あの子はあなた方と同じ人間だ。教会で同じ子ども達にいじめられ、それに抵抗することなくひたすら耐えてきた。

 その気持ちが分からないのか? あの小さな子どもがどれだけ追い込まれていたか。」

「それは俺たちのせいじゃねぇ。教会の神父様の責任だろ?」

「そうだ、そんな責任を俺たちになすり付けられても困る!」

二人の会話を聞いていた周りの人間から声が上がる。

それを聞きつつ、アリアはなおも話を続ける。

「あの子は化け物なんかじゃない。イレギュラーへと変化した状態でも私の声は届いていた。

 殺せ・・・死ね・・・その言葉が持つ重みを考えた事はないのか?」

「それは・・・。」

「追い詰められたあの子の気持ちが暴走した。それでもあの子は抵抗していた。

 もしあの子が全ての力を解放して暴れていたなら、ここにいる全ての人間が死んでいたかもしれないんだ。

 ・・・あの子は優しい子だ。その優しさを踏みにじってあの子を殺そうというのなら、私が容赦しない。」

アリアは本気だった。

その場にいる全ての人間に、本気でプレッシャーを与えていた。

そのプレッシャーに見た目以上の迫力を感じ、最初の男が絞るように声を出した。

「ならどうするんだ? もし今回のような事が起きたら誰がそいつを止めるんだ!?」

「心配は要らない、私達は旅人だ。この子は私達の旅に同行させる。それで文句はないだろう?

 だから、今晩だけはこの町で休ませてほしい。連れも疲れで倒れてしまったし。

 この子を連れて行く事を、教会で神父様と話がしたい・・・。」

「・・・。」

集まった人々はアリアに強く反発する事が出来なかった。

今ここでアリアが何と言おうと、イレギュラーから救ってくれた事には間違いないからだ。

・・・あのイレギュラーと互角とも呼べる実力を見た後では、下手に逆らう事も出来なかった。

「分かった、あんたに従おう・・・。」

そこでようやく一件落着となった・・・様に思えた。

熟睡と言うよりは、爆睡の域に達しているアルベルトと、暴れていたジーナを恐る恐る運ぶ人々。

アリアは一人で立ち上がったが、怪我が予想外に重く顔を苦痛に歪ませる。

それに気が付いた一人の女性が駆け寄り、心配そうに聞いてきた。

「ひどい怪我、あなたが一番傷付いているじゃないですか。なぜ何も言わないんです!

 すぐに治療をしないと、この出血じゃ・・・。」

「気にしないでほしい。この程度の傷ならすぐに治る。それよりも暖かいところで休みたい。

 肩を貸してくれるのなら、早く教会に連れて行ってくれないか。」

「でも・・・その傷、とても見ていられません!!」

「大丈夫だ。大した事は無い。」

「駄目です、あなたは女の子ですよ!? 強がりを言わないで、病院で診てもらって下さい!!」

「だから、私なら大丈夫だと・・・」

「絶対に駄目です!!」

「・・・。」

「・・・。」

結局、アリアは町の病院に連れて行かれ、そこで治療してもらう事になった。

(何でこんな事になったのだろう・・・?)

慌ただしい数時間の騒動が終わり、アリアは考えていた。


自分の取った行動。

アルベルトの取った行動。

ジーナの取った行動。


それぞれが、それぞれの思いを胸に行動した。


だが、自分はいったい何をしているのだろう?

何かが変わりつつある自分、それが本当に正しい事なのだろうか?

答えは見つからないが、間違った事をしたとは思っていない。

ただ、少し気になる事がある。

突然激しく痛む頭痛。

そして、ジーナと対峙している時に聞こえてきた声。


(目の前の障害を排除しなさい。マリアヴェールの意思に従うのです。)

(殺せ、マリアヴェールの邪魔になるものは排除せよ・・・!!)


忘れたくとも忘れられない。

あの声が頭に響いた瞬間、我を忘れたようにマリアヴェールの力を使おうとした。


そして、アリア、アルベルト、ジーナの3人が接触する瞬間に放たれた光。

意識を失う間際で、はっきりとアリアは見ていた。

アルベルトをかばい、ジーナの攻撃を受けた時、光に包まれた。

その光に包まれる事により、ジーナは元の姿に戻ったと言ってもよい。

不思議な力だと思った。


・・・力?


あの光が力と呼べるものだとしたら・・・自分の力ではない。

もしかするとアルベルトが?

・・・考えれば考えるほど今日は混乱する事ばかりだ。

だが、自分を縛り付けている何かから開放されているような気がしていた今日の出来事。

逆に、自分を縛り付けている何かが姿を表したような気もする。

(本当に、私は何なのだろう? 今まで何をしてきたのだろう?)

やはり答えは見つからぬまま、お節介な女性に病院へと連れられて行った。




◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




「気にしない方が良い。あなたは立派な神父だ。

 町の人々は子のこのことを化け物扱いしかしていなかった。だがあなたは違った。

 殺意の溢れるあの場所で、この子の事を思い続けた人間はあなただけだ。

 優しさを失った人間の姿をあの場で見ただろう? この世界は病んでいる。

 あなたの様に他人を思いやれる心が必要なんだ。」

アリアのその言葉は、今日初めて教会へ足を運んだ時、ウイッツ自身がアルベルトに対して言った言葉に似ていた。

その言葉を聞き、うつむいていたウイッツは顔を上げ、何かに気付いたような顔をしている。

「アリア殿、あなたは不思議な人だ。何処か普通の人とは違った雰囲気を感じられる。

 もしやとは思いますが貴方のその耳の十字架、それはマリアヴェールの十字架では?

 貴方はマリアヴェールの生まれ変わりの様な人ではないですか?」

マリア信教の神父だけはある。

勘が鋭い訳ではないだろう、町の人々を救った者。

その事から連想したのがマリアヴェールだったという感じだ。

その言葉を聞いたアリアは、珍しく笑って答えた。

「そんなおかしな話は無いですね。私がマリアヴェールの生まれ変わりだと? ・・・私はただの旅人。」

そこでほんの少し間を取る。



私は『ただの人間』です・・・



そう言うと、アリアはジーナを伴って寝所へと歩いていった。

一人大聖堂に残ったウイッツは、そこに飾られているマリアヴェールの彫像を眺めて祈った。

(神よ、女神マリアヴェールよ。貴方に感謝します。

 町の人々を救って頂いた事。教会の子ども達を救って頂いた事。ジーナさんを助けて頂いた事。

 ・・・アルベルト、そしてアリアという若者をこの教会へと導いてくれた事を。)




深い雲が晴れた空に、静かに月が昇っていた。

静かに眠りについたアルカの町で、一つの物語が幕を閉じた。