奮闘
クオォォォォーーーー!!!
人の声? それとも獣の遠吠え?
クオォォォォーーーー!!!
再び同じ声が響いた。
暗く暗く、雲に覆われた空へその声は飲み込まれていった。
クオォォォォーーーー!!!
再び・・・声。
アルカの町全体に響き渡るその声は、教会へと向かうアルベルトの耳にも届いた。
「これは? この声は・・・?」
どこかで聞いた事のあるような声。
悲しくもあり、戸惑うようでもあり、何かを訴えている様な声。
今聞こえている声をはっきりと聞いた覚えは無い。
だけど、どこかで聞いた事のあるような声・・・。
一瞬立ち止まったアルベルトだったが、何かを思い出したかのように教会へと走り出した。
その教会では、混乱が生じていた。
「痛い、痛いよ〜。」
「うわぁぁぁ〜。」
「皆落ち着きなさい、騒いでは駄目だ。傷口が広がってしまう。」
子どもの数人は血を流して倒れている。ジーナをいじめていた、あの子ども達だ。
全員死んではいないようだが、かなりの重症には違いない。
教会の神父ウイッツが、必死になって子ども達の間を駆け巡っている。
「神よ、我が信仰の女神マリアヴェールよ。ああ、この幼き子供らに救いの手を差し伸べたまえ。
・・・ジーナさん、あなたは本当に暴走する者(イレギュラー)なのですか?」
ウイッツの取った行動は逆効果となってしまった。
自分の怪我の具合を確認した子ども達は、更に激しく狂った様に泣き叫けび始めてしまった。
クオォォォォーーーー!!
子ども達の泣き叫ぶ声をよそに、教会の屋根の上では再び叫び声。
叫び声? もしくは遠吠え? それとも・・・。
どちらとも取れない声がアルカの町に響き渡る。
その『声』を聞きつけて、町中の人間が教会へと集まって来ていた。
「何だ、どうしたんだ!?」
「子どもの叫び声が聞こえたぞ、何があった!!」
次々に集まってくる住人達。
その中の一人が教会の屋根の上の声の主に気が付いた。
「あれはなんだ、あそこに何かいるぞ!!」
突きつけられた指、それが指し示す先にはジーナがいた。
ジーナ・・・だろうか?
先程アリアとアルベルトが会った時のジーナとはまるで様子が違う。
牙が生え、手の爪は伸び、背中を丸めた状態で『ハッ、ハッ』と、犬の様な呼吸をしていた。
何より違うと思えるのはその瞳。
おどおどしながらウイッツの後ろに隠れていた、あのジーナの瞳ではない。
獲物を狙う獣の様に凶暴なその眼差しは、とても『ヒト』の姿ではなかった。
瞳の色・・・紫だった。
「イレギュラー・・・。」
集まった群衆の中で、誰かがポツリとつぶやいた。
騒がしい雑音にかき消されたその言葉。
だが、別の人間が再びつぶやいた。
「もしかして、あれがイレギュラーって奴なんじゃないか!?」
その声が聞こえた瞬間、大きなざわめきが水をうった様に静かになる。
イレギュラー・・・噂に聞くだけでも、子どもとは思えない身体能力で目に止まるもの全てを殺し続けたという存在。
それが今、目の前の教会で子ども達を傷付け、そして現実にそこに存在している。
イレギュラー!!!!
声にならない悲鳴が教会を中心とした空間を包んだ。
と同時に、堰を切った水のようにどっとあふれ出た。
「うわぁぁぁぁ〜〜〜〜!!! 逃げろ、殺される!!!!!!」
その場から逃げ出すもの。
「嫌よ、わ、私、まだ死にたくない・・・!!」
体が動かせず、ただ立ち尽くす者。
「殺しちまうんだ、どんなに貧しくたってこの町は今まで平和にやって来たんだ!!!」
勇み、そして抵抗を試みる者。
それぞれが別の行動を取り、アルカの町はわずか数分の内に大混乱となった。
「武器だ! 武器を持って来い!!」
「そうだ、この人数で一斉に攻撃すればなんとかなるぞ!!」
教会には殺意が満ち満ちていた。
武器を持って構える大人は、どの人間も血走った目をしていた。
ただ一人、ウイッツを除いて・・・。
「お願いです、皆さん止めて下さい。あの子は・・・あの子は教会の子どもなんです!!」
先頭で武器を構えている男にすがり付く様に、ウイッツは懇願した。
ウイッツ自身もどこか怪我をしているようで、その表情は苦しみに満ちている。
そんなウイッツの姿を気にすることも無く、男は冷酷に言った。
「いくら神父様の頼みでも、そんなことが出来るわけ無いでしょう!
あの化け物を今ここで殺しておかなけりゃ、俺達が皆殺しにされちまうんですよ!!」
「確かにそうかもしれません、ですがほんの数分前まであの子は何も問題の無い良い子だったんです・・・。」
「だったらどうするんですか! このまま何もしないで殺されるのを待つんですか!?
冗談じゃない。神父様、これ以上邪魔しないでくれっ!!」
振りほどかれた神父・・・ウイッツは、力なくヨロヨロとその場を離れるしかなかった。
近くの木に寄りかかり、うずくまると、十字架に向かって祈り始めた。
「神よ、我が信仰の女神マリアヴェールよ。もう一度お願いします。
あの子らに救いの手を。そしてジーナを、罪の無いあの子を救って下さい・・・。」
そんなウイッツの願いも空しく、住人たちは戦闘体制に入っていった。
膨れ上がる殺意。
住人の目の前にいる存在は、もはや人間とは思われていない。
「ヒト」でもない。
ただ、自分達に害を及ぼす危険性のある『化け物』なのだ。
クオォォォォーーーー!!!
その気配を感じたのか、屋根の上のジーナはもう一度、更に大きい声で吼える。
ビクッ!!
その声が殺気に満ちた住人を瞬間的に恐怖させる。
と同時に、屋根の上にいたジーナが地上へと飛び降りる。
慌てる住人の群れに飛び込むと、刹那の時間で数人を切り刻んだ。
「う、あぁ・・・。」
「痛ぇ、ちくしょう、何なんだよアイツ・・・。」
悲鳴、うめき声、そんな物はお構いなしに、ジーナは次々とアルカの町の住人を傷付けていく。
しかし、どの人間も殺されはしなかった。
確かに怪我はしているが、即死に至るような致命傷を負った人間はいない。
それが不思議ではあった。
話に聞いていたイレギュラーとは少し様子が違うのだ。
『見るもの全てを殺していく』程の攻撃をしてはいない。
ひどくても出血さえしっかりと止めてしまえば、それほど日数もかからずに治りそうな怪我ばかりだった。
その事に住民たちは気が付いていただろうか?
否。
「殺せ! アイツを殺せ!!」
・・・その場にいる誰一人として、その事実に気が付いていなかった。
傷つけられた仲間の事を思えばそれも仕方が無いかもしれない。
だがむしろ、住人達の方が狂った『化け物』の様に思えた。
そこに駆け付けた青年が一人、アルベルトである。
彼はその光景を見て、自分も狂ってしまいそうになった。
雲に月が遮られ、本当の闇になっているにもかかわらず、白い雪が赤く染まっていた。
ほんの数日前、パルメラの町で見た光景。
あの光景と変わらない現実がそこにあった。
「ひどい、誰がこんな事を・・・。」
口ではそう言っているものの、アルベルトにはその犯人が誰なのかが頭に浮かんでしまっている。
「嘘だ、あの子がこんなことをするはず無い!」
認めたくない事実を振り払うように、ブンブンと左右に頭を振ってみる。
「ぎゃっ!!」
目の前にある建物の裏側で、男の声がした。
「行かなきゃ・・・確かめなきゃ!!」
アルベルトは再び走り出した。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
(殺せ!)
(死ね!)
(殺せ!!)
(死ね!!)
(化け物!!)
(化け物!!!!)
クオォォォォーーーーーー!!!
少女の中に次々と流れ込んでくる、冷たく暗い言葉。
それに合わせる様にして、目の前に浮かぶのはいじめられている自分の姿。
どんなに忘れようとしても、どんなにごまかそうとしても、浮かんでくるその姿。
少女はそれを振り払おうとして、幾度となく声を上げた。
幻と現実とが交錯した光景に、ジーナは抵抗していた。
自分をいじめている友達に対して腕を振り下ろす。
すると、次の瞬間誰かのうめき声が聞こえる。
もう、自分が自分なのかも分からないほど、精神が不安定になっていた。
『殺せ』『死ね』
それしか聞こえてこなかった耳に、不意に別の言葉が飛び込んで来た。
「ジーナちゃん! これ以上町の人を傷つけちゃ駄目だ!!」
なんだか聞いた事のある声。
ぼんやりと浮かぶ目の前の人物は、確か知っている人だ。
・・・アル・・・アル・・・ベルト・・・?
今日、教会に来た人。
いじめられていた自分を助けようとして、すごい転び方をした人。
もう一度教会に来てくれて、旅の話をしてくれると約束してくれた人。
・・・約束?
他にも何か約束したような気がする・・・。
何だっただろう?
とても嬉しくて、ワクワクして、早く来てくれないかなと待ち遠しかった。
約束・・・。
「ジーナちゃん、これ、約束のぬいぐるみ! 買ってきたんだ、だから、落ち着いて僕の話を聞いてくれっ!!」
ぬいぐるみ。
・・・そう! ぬいぐるみ!!
約束していた。
用事があって、一度教会から帰ろうとした時、約束してくれた。
何か欲しいものはあるかと聞かれ、何も答えられなくて、じゃあと言って選択肢を出してくれた中の一つ。
嬉しかった。
物をもらう事が嬉しかったんじゃない。
『優しさ』が嬉しかった・・・。
アルベルトの必死の呼びかけに、ジーナは動きを止めた。
動き回っている時には確認出来なかったが、確かにイレギュラーと呼ばれる姿に変わっている。
そこにいるのはジーナのはずだが、ジーナとは思えない姿だ。
鋭く伸びた爪と牙。
獲物を狙う獣のような瞳。
それに、今でも信じられないが、こんな小さな子がほんのわずかな間でここにいる大人達を行動不能にしたのだ。
・・・。
アルベルトは体が震えていた。
恐怖、とは少し違う。
武者震い、そう呼んだほうが合っているかもしれないが、戦う為にここに来た訳じゃない。
教会に遊びに来た。
そして約束したぬいぐるみをジーナに渡す、ただそれだけのはずだった。
それが何故こんな事に・・・。
ただし、悩んだり迷ったりしている時間は無かった。
殺気立った住民達が、今も武器を構えてこちらを見つめている。
「約束しただろ、ほら、どれにしようか迷ったけど、猫のぬいぐるみにしたんだ。」
とにかくジーナと話す事だ。
自分に出来る事はそれしかない。
イレギュラーになった子供が、自我を取り戻して元の生活に戻ったなんて事実は無いのだから・・・。
「怖がらないで、さぁ、教会に帰ろう? あまり面白くは無いかもしれないけど、僕が話をするから。」
アルベルトの口調はとても優しかった。
泣いている子供を大人がなだめる様な、そんな雰囲気だった。
考え込むようにじっとしていたジーナだったが、それを見て少しずつだが表情が緩んできた。
いからせていた肩が、次第に下がっていく。
暴れ回っていた事が嘘のように、落ち着きを取り戻しつつあるジーナ。
「そう、あまり遅くなると僕がアリアさんに叱られちゃうんだ。だから、ね?」
安心だと思ったアルベルトがジーナに近づいて行く。
だが!!
「この化け物めっ、よくも妻を傷付けてくれたな!!」
大人しくなったジーナに向かって、一人の男が剣を振り上げた。
それは愚かな行為だった。
落ち着きを取り戻したジーナの感情を、再び激昂させた。
クオォォォォーーーー!!
何度も町に響いた声を再び甲高く上げ、先程よりも更に恐ろしい表情を浮かべてジーナが宙へと跳ねた。
怒りに我を忘れて剣を振り上げた男は、声を上げる事もなく地へと倒れた。
「くっ!!」
アルベルトは唇を噛み締めると、倒れた男へと駆け寄った。
「大丈夫ですか!?」
うつぶせに倒れた男を仰向けにし、アルベルトが訊ねる。
だが、男はアルベルトを突き飛ばし、皮肉を込めて言い放つ。
「あいつはイレギュラーだぞ、説得なんて出来ると思ってんのか!? 殺しちまうしかねぇんだ。
一番近くにいるあんたが何にもしねぇから俺がやってやろうと思ったんだよ!!
・・・その腰の剣はただの飾りか? 飾りじゃないなら早くあいつを・・こ・・ろ・・・」
そこまで言って男は気絶した。
慌ててアルベルトが胸に耳を当てると、心臓はまだ動いている。
死んではいないが、外から見ただけでも重症なのは分かる。
「誰か、早くこの人を病院に!! このままだと死んでしまう!!」
見ていた人々に呼びかけながら、アルベルトは考えていた。
(言われなくても分かってる。だけど、だけどあの子は、イレギュラーになってしまったけど、あのジーナちゃんなんだ!!)
アルベルトの思考を壊すように、今度は呼びかけていた人の群れから声が上がる。
とっさに顔を上げるアルベルト。
すると、悲鳴の原因はアルベルトに向けられたものだったと言う事が分かる。
ジーナが今度は彼に向かって跳びかかっていた。
ほんの一瞬剣に視線を落とす。
そして鞘を握り、剣の柄を握り締める。
だが、抜けなかった。
どんな事であれ、このジーナという幼い少女を傷付けたくなかった。
しかし、ここで何もしなければ、もしかすると自分が死ぬかもしれない。
すぐ目の前にいる男の傷は、それまでの人々の怪我とは比べ物にならなかった。
ジーナの攻撃の力は、もはや手加減されていなかった。
ほんの一瞬の思考。
振り下ろされる凶器と化したジーナの右腕。
激突の瞬間、アルベルトは目をつぶった。
・・・。
・・・。
何かが自分の体を隠すように立っている。
「町中が騒がしいと思えば、やはりこんな事か。」
立っているのは人、その背中越しに聞こえてきたのはアリアの声だった。
アリアは剣を鞘に収めた状態で、ジーナの攻撃を受け止めていた。
弾かれる様に飛び下がるジーナと、変わらずに剣(鞘に収めた)を構えるアリア。
「アリア・・・さん?」
まさか自分を助けに現れたのがアリアだとは思いもしなかった。
この旅に出る前、アリアは確かに言っていた。
(アルベルト、あなたがもしも殺されようとしていたとしても、私はマリアヴェールの意志の通りに動く)
(あなたを見殺しにするかもしれない)
アリアにとっては、自分が死ぬ事などどうでもいいはずだった。
自分の身は自分で守れと、そういう意味の言葉だった。
だが、紛れも無く、そこにいるのはアリアだった。
「何をしている、アル! 早くその人を連れて行くんだ。あの子の相手は私がする。」
「でもアリアさん、僕はあの子を死なせたくありません。」
「分かってる、だけどその人の方が先だ。そのままだと手遅れになるぞ!」
「は、はい。・・・ありがとう、アリアさん。お願いします!!」
アルベルトは気絶している男を背負い、ゆっくりとその場から立ち去った。
住人たちは、その男の様子を見て、ジーナに向かっていく事が出来なくなっていた。
本能的に、勝てない、イレギュラーに手を出すべきではないと悟ったようだった。
(・・・血まみれになっている男を見れば、本能と言う程でもないかもしれないが)
そんな自分達の前に、一人の女性が現れた。
受け止める事も交わす事も、誰一人としていなかったイレギュラーの攻撃を防いだ女性。
対峙する二人から視線をそらす事が出来なかった。
(ありがとう・・・か。自分でもよく分からない。何でこんな事をしているのだろう?
私はただ、マリアヴェールの意志によって旅をし、亡者を裁いて来ただけだったのに・・・なぜ?)
アリアは自分自身に疑問を投げかけていた。
宿に戻り、特にすることも無くベッドに横になっていると、外から声が聞こえた。
狼の遠吠えのようで、何処かそれとは違う声。
騒がしくなって来ている宿の外の様子を気にもしなかったが、どうしても頭から嫌な予感が離れなかった。
そんなことは今まで一度も無かった。
他人との係わり合いも、必要最低限のこと以外は迷惑だし、わずらわしかった。
どんな事があっても十字架が導くまま、その意思に従って来た。
だけど、アルベルトに会ってからおかしくなり始めていた。
時々ではあるが、ひどい頭痛もするようになった。
どこかで何かが狂っていた。
いや、狂い始めていた。
そう思うことしか出来なかった。
今もそうだ。
何故私はここにいるのだろう?
こんな騒ぎ、自分にとっては何も関係ないはず。
無視して宿で休んでいれば、こんな事を考える必要はなかった。
(狂っているのではない、変わりつつあるんだ・・・。)
なんとか自分に言い聞かせ、目の前に事態に目を向けた。
アリアは剣を抜かなかった。
だが、先程の動きを見てジーナは警戒を怠らなかった。
迂闊に飛び込んだりはして来ない。
慎重に間合いを取り、跳びかかるタイミングを見計らっている。
おもむろにアリアが口を開いた。
「あなたはジーナなのか? あの教会にいたジーナならこんな事は絶対しない。
ならばあなたは誰だ? 本当にただの化け物か?」
その言葉にジーナが反応した。
怒り狂ったように、突然アリアへと跳びかかった。
凄まじいまでのスピード、瞬発力。
それを上回る反応速度でかわすアリア。
ジーナが飛び込んだ地面は、何か重たい物で押しつぶされたように押し潰されていた。
(これほどまでとは・・・。)
アリアは単純にそう感じていた。
たかだか10歳の、しかもあれほど気弱だった女の子がこの様な力を見せているのだ。
驚かない方がおかしい。
大地にその力を放つと同時に、身を返し連続で攻撃を放ってくるジーナ。
それを紙一重でかわしつつ、アリアはなおも言葉をかけ続ける。
「化け物ならば私がここで滅ぼしてくれる。だがそれでいいのか?
あなたは自分がただの化け物だと思われながら死んで行くのが望みか?」
厳しい言葉だった。
ジーナの様な幼い子供に受け止められる言葉ではない。
だが、それでも容赦なくアリアは言葉を投げかけ続ける。
「化け物と言われるのは嫌か? ならばその力を自分でコントロールするんだ。
それが出来た『人間』はいない、それならジーナ、あなたが最初の人間になればいい!」
ジーナの激しい攻撃をかわし続けながら、再びアリアは考えていた。
(化け物か・・・この子を化け物と呼ぶのなら、私はいったい何者なのだろうな?)
そんなことは考えた事もなかった。
心のどこかで、やはり何かが狂い始めている・・・変わり始めている。
そんな自分の変化に嫌な感じはなかった。
むしろ閉じ込められていた何かが開放された様な、そんな気持ちになっている。
「化け物と呼ばれて悔しい? それとも悲しいか? そう思えるのなら私について来るといい。
そんな感情すらも忘れてしまったならここで好きなだけ『人』を殺せ。その瞬間、あなたは完全に『人』ではなくなる。
どうする? あなたはどうしたい? どう生きたい!!!」
ジーナからは、はっきりと迷いが見えた。
動きが鈍くなり、攻撃の勢いも初めの頃とは全く違っている。
「そう、あなたは人間だ。誰がなんと言おうと人間なんだ。
私のこの言葉の意味は分かるな? 人として生きようと願うのなら、自分で自分をコントロールするんだ。」
これまでかわし続けて来たジーナの攻撃。
そのアリアの腕に何かが当たった。
水・・・違う、これは、涙。
ジーナの目から涙が溢れていた。
アリアに対する攻撃は止めていない。今もなお、一撃受けただけで体を破壊されそうな攻めは続いている。
だが、泣いていた。アリアの声はジーナに届いていた。
ただ、厳しい言葉だった。
『化け物』と何度も呼ばれ、本当に我を忘れそうになった。
だが、その言葉に耳を傾けるほどに、優しさが伝わって来ていた。
こぼれ落ちる涙はだんだんと大粒になっていく。
クオォォォォーーーー!!!
再びジーナが咆哮した。
今度の叫び声は悲しみではない。
何かを決意した、そんな声だった。
それでも、ジーナは激しい感情の行き場を失い、アリアへの攻撃の手を緩める事はなかった。
それを巧みにかわしながら、徐々にアリアは人込みから避けていった。
(私について来るといい? 何を口走っているのだ、私は。本当に狂ってしまったのか?
・・・それとも、私の本心がこうする事を望んだと言うのか?)
分からなかった。
自分が本当は何をしたいのかすら分からなかった。
唯一つ分かっている事は、自分が、『アリア』が変わってきていると言う事だ。
今はそれだけで充分、そんな気もする。
とにかく、望まない形で始まったこの騒動を、早く終わりにしてしまいたかった。
だが、決定的な決め手が見つからない。
言葉での説得はどうやら効いたようだった。
話で聞く『イレギュラー』への突然変化は、全て噂通りではなかった。
確かに強靭な身体能力を開放するようだが、心の無い化け物とは違うらしい。
こちらの言葉は通じている。
なんとか自分の意思で力を押さえようとしている様にも思える。
それでもまだ足りなかった。
前例の無い事実を行うには、今までには無かった『何か』が必要なのだ。
その時、突然アリアに強烈な頭痛が走った。
同時に頭の中に直接響いてくる声が聞こえる。
(目の前の障害を排除しなさい。マリアヴェールの意思に従うのです。)
「・・・っ!!」
激しい頭痛と聞いたことのない声に動揺したアリアは、思わず体制を崩してしまった。
そこへ向けられたジーナの一撃!
バキッッッ!!
辛うじて剣で受け止めたものの、ジーナの握力が鞘ごと剣を握り潰した。
ジーナ自身はそれを望んでいた訳ではないが、どうしても体が言う事を利かなかった。
剣を失い、無防備になったアリア。
間合いを計るジーナ。
そこへ、怪我をした男を運んでいったアルベルトが駆けつけて来る。
約束通り、アリアはジーナを殺してはいない。
しかし、アリアは剣を失い、追い込まれている状況が視界に飛び込んでくる。
(アリアさん・・・!!)
自分には何も出来ない事は分かっていた。
それでも走るしかなかった。
ふと手に触れた感触に、アルベルトは思いついた。
(そうだ、この剣をアリアさんに渡せれば・・・。)
自分に出来る事はそれしかない。
役に立たないかもしれないけど、やれる事があるならやっておくべきだ。
息が切れ、胸が苦しくなっても、アルベルトは走った。
二人は対峙し、動きを見せていない。
間に合え・・・。
間に合ってくれ・・・!!
そんなアルベルトの思いとは裏腹に、アリアが行動に出た。
左耳の十字架に手をやっている。
その手が触れた瞬間、辺りに凄まじい冷気が充満してくる。
アリアの瞳は、青から紫へと変化していた。
マリアヴェールの力を解放しようとしているのだ。
「どうして!? 嘘でしょう、アリアさん!!」
二人のいる所まであと10メートル。
凄まじいまでの冷気に併せ、見る者全てを凍て付かせる様なプレッシャー。
そのプレッシャーに耐えらず、アリアに跳びかかるジーナ。
紫にまばゆく輝く光が剣へと姿を変え、具現化されてくる。
アリアには、目の前のジーナしか移っていなかった。
この子を殺してしまいたくない。
だが、声が頭から離れない。
(殺せ、マリアヴェールの邪魔になる者は排除せよ・・・!!)
その声に自分の意思を乗っ取られ、光の刃をジーナに向ける。
剣とジーナとが交錯する瞬間、手を広げ、ジーナをかばう様にアルベルトが立ちふさがった。
「アリアさんっ!! この子を殺しちゃ駄目だっ!!!!」
・・・!!
そのわずかな瞬間で我を取り戻したアリア。
だが、自分が剣を下げた所でジーナの攻撃はアルベルトを引き裂いてしまう。
「く・・・!!」
「・・・っ!!」
「クアァァァ!!」
3人が激突する瞬間、白く柔らかな光が辺りを包んだ。