Abend Lied 18




 伝蔵の帰宅は昔から不定期だ。忍術学園の教師になった今でさえ、休暇とはいっても生徒のことやなんだかんだで帰ってくるのが遅れたり、休み中でも出かけたりはしょっちゅうだった。
 そのため昔は伝蔵が帰ってくると走り出てとびついてきた一人息子の利吉も、13歳にもなった今では、その母と並んできちんと手をついて、おかえりなさいませ、などとあいさつをする。それから……。
「父上、火縄銃の狙いがまたうまくいかないのです」
「明日は出かけないでくださいね。剣術の手合わせをしてくださいね」
「何かまた新しい型の手裏剣など手に入れられましたか?」
「兵法書で分からないところが……」云々。
矢継ぎ早に質問したり教えを請う。
 久々に対面した親に対する、これが子供の態度かと思うと、いささかの疑問を覚える。もちろんそのように育てたのはほかならぬ伝蔵自身だ。たしかにそうなのだが……。
 夜も更け、利吉が床に就いた後、細君が茶を入れてきて、伝蔵の隣へ座った。
「あなた、利吉のことですけれど……」
「ふむ」
「どこかで預かって修行させてくださるところはないかしら」
「どうした。何か問題でもあるのか?」
「問題、というなら、あなたがもっと家にいてくだされば問題は解決するのですけれど」
伝蔵は苦笑いをする。
「分かった分かった。で、何だと言うんじゃ」
「親の欲目で言うのではありませんけれど、この辺りではもう利吉の稽古相手になる方がいないのですわ。同世代の子たち相手では、もう利吉はかなり手加減しないといけませんの。でも、それより上となると、今度はもう仕事に出ていらっしゃる方々になりますでしょう?」
「なるほど」
「これでは修行になりませんし、何より心配なのは……」
「うん?」
「あの子が増長しかねないことですわ。このごろでは早く実戦に出たいなどと言ってみたり」
「ふむ……」
いくら利吉が優秀でもそれはまだ早い。3流で終わらせるならまだしも、伝蔵は利吉に中途半端なことをさせるつもりはなかった。満を持して独り立ちさせたい。今の利吉ではまだまだだ。しかし自我が強くなるあの年頃、そろそろ口で言ってもきかぬかもしれない。
「そうじゃな……」
伝蔵はしばらく考え込んだ。そして、
「ふむ、そうじゃ、もしかしたら一石二鳥、いや、三鳥ぐらいはいくかもしれんな」
「なんですの?」
細君が不思議そうに、しかしどこか面白そうに尋ねる。
「ちょっと思うところがあってな。心配しなくてもよいぞ」
伝蔵は細君にそう言っただけであったが、それで細君は納得したように自分も湯飲みに口をつけた。

 翌日、伝蔵は利吉を伴って再び翠庵宅を訪れた。
 翠庵のところへは患者が来ているようだったが、半助は裏で薪割りをしていた。伝蔵は直接そちらへ行って声を掛けた。
「半助、忙しそうじゃの」
半助はすぐに手を止めて、伝蔵に笑顔を向けた。
「いえ。それよりどうぞ中でお待ちください」
それから伝蔵の少し後ろに立っている利吉に目を向けて、わずかに首をかしげた。
「いや、今回はおぬしに用があって来たんじゃ。こいつはわしの倅の利吉じゃよ。今13歳じゃ」
それを聞くと、半助は利吉に向かってにっこり笑ってみせて、
「はじめまして。わたしは土井半助といいます。君のお父上には大変お世話になったんだよ」
と自己紹介をした。
 が、利吉は
「はじめまして。山田利吉です」
と一言言って軽く頭を下げただけで、愛想笑いの一つも浮かべなかった。伝蔵はちらと、困ったやつじゃと言いたげに利吉を見たが、半助は全く気にしていない様子だった。
「それで、わたしにご用とは?」
「うむ、わしのいない間おぬしに利吉を指導してほしいと思ってな」
「「はあ!?」
利吉と半助は同時に声を上げた。
「わたしがですか? 無理ですよ、指導なんて」
 半助は抗議の声を上げたが、さすがに利吉は黙っていた。黙ってはいたが、なぜこんなどこの誰ともしれない者に自分が指導されなければならないのか、と、反感を込めた目で伝蔵を見上げていた。
 だが伝蔵はどちらにも取り合わない。
「無理かどうかやってみなければ分かるまい。なに、指導などと構える必要もない。ちょっと相手をしてやってくれればよい」
「ほかにいくらでもふさわしい方がいらっしゃるでしょう」
「それがなかなかの。おったらわしだってそっちに頼んでおるわい」
それはたしかに事実なので、おのずと伝蔵の言葉にも真実みがこもる。
「しかし……」
それでもなお半助は困惑顔だ。
たたみかけるように伝蔵が言った。
「わしがおらん間だけでいいんじゃ。助けると思って引き受けてくれんか」
命の恩人の伝蔵にそうまで言われて、断れるはずもない。
 半助は今度は利吉の顔を見た。ありありと不満の色を浮かべて半助を見返している。それでも行儀良く、父親に反論したりせずに黙っている。
 半助はそのまっすぐな瞳をしばし見つめた。
「少し、利吉くんと二人で話をさせていただいてよろしいですか?」
「うん? ああ、よいとも」
伝蔵は大きくうなづくと、
「ではわしは翠庵殿にあいさつをしたら先に帰っておるからな」
と言って、さっさと利吉を置いていってしまった。
「先にって、父上!」
 利吉は少しあわてた。ということは、自分はこの、どこの馬の骨ともしれない男に「指導」されることが決定なのか。父のような一流の忍者になりたいと思っている自分が指導してほしいのは、その父ただ一人だというのに。大体翠庵のところで助手をしているということは、この人は「元忍者の医者」なのではないのか。
 憤懣やるかたない利吉の内心を知ってか知らずか、半助は利吉に向かってにっこり笑って言った。
「ちょっと手合わせしてくれる? 今、刀を取ってくるから」
半助は利吉の返事も待たず、一度中へ入って刀を持ってくると、そこから少し離れた場所まで利吉をいざなった。
「実はわたしは今リハビリ中なんだよ。だからお手柔らかに頼むね」
なんだそれは、と利吉は思う。この辺りの若者で、たとえ利吉より年上であっても利吉にかなう者はすでにないというのに。「お手柔らかに」などと言うような者に「指導」できるのか。
 が、そのときの不思議な感覚を、利吉は後々までずっと持ち続けることになる。  半助の剣はどこか不思議だった。瞬間に手強いという感じは少しもしなかったのに、では軽く一本取れるかと思うとそれがそうはいかない。軽く手合わせをしているだけのようでいて少しの隙もない。
 簡単に捕まえられそうで手を伸ばすとふわりと逃げてしまう、空中に舞う羽のようだった。
 一方半助は利吉の目を見ていた。剣を合わせれば相手がどのような人間かおのずと伝わるものだ。13歳の子供とも思えぬ、よく鍛えられた鋭い動き。そして何よりもそのまっすぐな眼差し。まっすぐな剣。自分は今までこんな目をした人間を知らなかったような気がする。
「ちっ」
だんだんと本気になり始めた利吉が思わず舌打ちをしたとき、半助がすっと引いた。
「?」
「ありがとう。もういいよ」
「あ、は、はい。ありがとうございました」
一応そう言ったものの、利吉は屈辱感を覚えた。
「ちょっと動くと暑いね」
半助はにこやかにそう言って、持参してきた竹筒で近くの清水をくみ、利吉に渡した。
利吉は無言で受け取って飲んだ。熱くなった自分の感情さえもすっと冷めていくようだった。
 半助は水際に腰をおろし、利吉にも座るように言った。
 涼やかな風が吹き渡り、半助は気持ちよさそうに顔を少し上に向けてわずかの間目を閉じた。
 その横顔を、利吉は複雑な思いで見つめていた。年齢不詳、経歴不詳、実力不明……。
「君はなぜ忍者になりたいの?」
不意に半助が尋ねた。
 なぜだと? なぜそのようなことを聞くのか。
「当然でしょう。父のようになりたいからです」
「そう」
半助は小首を傾げて利吉を見返した。
「君は本当にお父上を尊敬しているのだね」
「もちろんです」
そう答えて利吉はまっすぐに半助を見据えた。
 父を尊敬している。けれど、だからこそ、いつか父を超えてやると決意もしているのだ。
 強い意志を秘めた利吉の目を、半助は見ていた。
 まっすぐに前を見据えているその瞳。
 半助の道はもうすでに曲がりくねって、どこを歩いているのか自分でも分からない。だが、利吉の道はまっすぐに、どこまでもまっすぐに続いているのだ。そしてその先にはきっと父の背中がある。この少年ならば、いつかそれに追いつくこともできるのかもしれない。
 だが、まっすぐであっても平坦であろうはずのないその道。いつか彼が敬愛する父の背中に追いつくまで、道を間違えることなく、途中で倒れることなく進めるように、自分は何かしらの手伝いができるのだろうか。
 きっとこのことは伝蔵が利吉よりもむしろ自分のために言い出したことと、半助には気付いていた。
 自分が今まで生きてきた道を捨てるのでなく、だれかのために役立てる。そんな生き方もあるのだろうか。
 半助はもう一度、目を閉じた。そして再び利吉を見たとき、利吉はまだ自分を見つめていた。
「よろしく」
 半助はにっこり笑って手を出した。
 心地よい風に、山桜の花びらが舞っていた。
半助が伝蔵の勤める忍術学園に教師として赴任するのは、それからさらに1年後のことであった。     








おつき合い下さいましてありがとうございました。
いつか別バージョンの過去話とかやるかもしれませんけども、とりあえず自分の中で一区切りつきました。




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