さようならと云えるまで




注:エノミユ前提ですがエノミユではありません。



 の時に、もう一生分の涙を流してしまったと思っていた。
 あれより辛いことが自分の身に、私たち家族の上に起こるなんて、想像もしなかった。
 なのに、妹が死んだ──。

 けれど、その事実は少しずつ私の思考を動かし始めた。
 何故なぜ、何故こんな事が。何故私たちがこんな目に。
 それは勿論、あの日以来数え切れない程繰り返してきた答のない問いではあったけれど、ただただ嘆き、絶望するだけの状態から、鉛のように思考停止し、自分を哀れむだけの日々から、真実を知りたいと、私をそのように突き動かし始めた。妹の死が。

 ある日妹が姿を消し、その翌朝には彼の男の屍体が発見されたという新聞記事を目にした。
 正直に言えば、私はほっとしていた。これでもう脅迫されることもない。世間に対し、彼の事件を隠しやすくもなった。何より、あの汚らわしい男には、当然の報いだと思った。
 同時に、恐ろしくもなった。
 どんな理由であれ、人の死を喜ぶなどとは。
 何より、妹の失踪と彼の男の死が、無関係とは思えなかった。
 それは何を意味するのか。
 真実を知ることは、恐ろしかった。私一人の不幸であるべき事に、将来ある利発な妹を巻き込んでしまった。真相がどんなものであろうと、きっとそれは間違いないのだから。
 にもかかわらず、私は動けなかった。行動できなかった。どうすれば善いのか、両親にさえ相談できなかった。
 警察へは行けなかった。万一妹が何らかの罪を犯してしまったなら、それは私の為なのだから、何があっても私が守らなければいけない。
 それに脅迫されていたことを両親に知られたくなかった。彼の事件のことを、警察に根掘り葉掘りかれることも耐え難かった。
 両親も、私の事件に触れられることを恐れ、捜索願も出せずにいた。
 何重にも枷をかけられたように動くことのできないまま、私はただただ妹の無事を祈るだけだった。

 しかしその願いは、わずか一週間で砕かれた。
 妹の遺体が神奈川県大磯の海岸で発見されたと、警察から連絡があった。事情があって、公には自殺か事故か判らないと発表するが、他殺であると告げられた。
 妹は恐らく何者かに誘拐されて殺害されたのだ。
 では、彼の男が殺された件に関しては妹に罪はないのか。せめて、せめて妹が無実であってほしいと願った。普通に考えれば、まだ少女に過ぎない妹に、あんな野蛮な男を殺せる筈はないのだから。

 惣領娘である私が傷物になり、護衛まで付けて守ろうとした妹が無惨な姿になり、この家の行末ゆくすえまでもが危うくなった。両親はすべての希望を失って、抜け殻のようになった。
 この家の中で、ただ私だけが考え続けていた。妹のことを。あれ以来初めて、自分のことではなく、妹のことを想い続けた。もう何もかも、遅かったのだけれど。

 真実を知りたいと思いながら、恐れ、動けずにいた私のもとに、その夏の終わり、一本の電話が入った。男性からだと云う。
 取り次いだ使用人にその男は、中野で京極堂という古書肆を営む者だと答えたそうだ。  美術商だの古物商だのが我が家と縁を持ちたがるのは珍しいことではない。だが古書店が私個人になどというのは初めてのことだった。
 お断りしましょうか──。気遣ってそう云った使用人を制し、私は受話器を取った。何か、関係があるのかもしれない。事件と。寄りによってこんな時に電話をしてくるななどということは。ならば私が出なければ。怖がっていたら何も進まない。関係ないなら猶のこと、恐れることなどないのだから。

「榎木津礼二郎の友人で、中禅寺秋彦と申します」
 落ち着いた、けれどく通る声が聴こえてきた。










いらないといえばいらない話。ただ、探偵に幸せになってもらうために、私の中で避けて通れない問題になってしまっているのです。  


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