榎木津礼二郎──その人の噂を初めて聞いたとき、私はまだ中等部に通う、ほんの少女だった。
 まだ恋愛感情というものがどういうものかも解らなかったし、ましてや結婚などは遠い将来のことで、現実に自分の問題として考えることなどできなかった。
 それでも、華族たちの社交的な集まりで、年上の御婦人たちの口の端によく上るその名は記憶に残った。
 今思うと、彼女たちはかなり現実的に自分の夫としてどんな人物が相応しいか、品定めしていたように思う。
 なのになぜか、彼についての噂話は、どうにも現実感がなかったような気がした。
 彼の父親である子爵の変人振りは知らぬ者もなく、その子息たちが少々おかしな人たちであってもそう驚くには当たらないのだけれど、少し風変わりな方で、などとお喋りに興じているお姉様方は少しも厭そうではなく。
 学習院ではなく一高から帝大法学部へ。もちろんそれだけで少しぐらい変わり者なのは相殺されてしまうのに、妙齢の令嬢達が頬を染めて語る彼の風貌ときたら、聞いている私には絵空事としか思えなかった。
 文武両道に秀で、その上この世のものとも思えない美青年などと、そんな都合の良い話があるのだろうか。
 肝腎の当人は、そのような社交的集まりについぞ顔を見せたことがなく、私には真偽のほどを確かめることはできずにいた。
 それがある日、私は偶々その姿を見ることができた。友人たちに引っ張られるようにして、帝大の傍まで行ったときのことだった。
 友人たちの中に2人ほど、一高の生徒の誰だかしらに熱を上げている子がいて、他の友人たちも好奇心から付いていったのだった。
 そのとき、門から出てきた帝大生の一群の中に、彼がいたのだ。
 勿論、話しかけたわけではない。少し離れていたので、声は聞こえたけれども、何を話しているかまでは判らず、誰かが彼の名を呼んだわけでもない。
 それでも、一目見ただけであまりにもそれは慥かに榎木津礼二郎その人だと判った。
 すらりと伸びた背。遠目にも瞭然はっきり判るほどの、陶器のような白い肌、美術室に置いてある石膏像のように整った顔立ち。日本人とは思えないような明るい色の髪。
 ああ、本当にいたのか、と思った。
 噂話は大袈裟どころか、寧ろ言葉が足りないようにすら思えた。
 御学友達に囲まれて、何やら楽しげに笑いながら何処かへ出掛けていく彼を見送って、ふと周りを見ると、友人達も全員目を瞠って茫然と彼の後ろ姿を見詰めていた。
 
 
 その後、戦局の悪化によって私は幼い妹と共に疎開することになり、疎開先のラジオで学徒出陣のニュースを聴いた。
 文系の学生ということで、帝大生も例外でなく徴集されたという。あの人は法学部だった。では彼も戦地へ向かうのだろうか。
 どうぞご無事でと祈ることすら憚られる社会状況の中、それでもやはり私の胸は少し痛んだ。
 やがて終戦を迎え、東京に戻り、何時しかそれも只の想い出の一つになっていった。







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