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 何度も何度もその光景が頭の中で繰り返され、諦めや悲しみよりも、焦燥感が募っていく。
 まだ、ほんの少女だったではないか、彼女は。あるいは私の見方が穿ちすぎていたのではあるまいか。もしかしたら、互いにまだ確とした恋愛感情などないのかもしれない。潜在的にはどうあれ。少なくともまだ今のところは。
 ならば、まだ少しは望みはないだろうか。
 自分の浅はかさを呪いたい気持ちと、諦めたくない思いが交錯し、如何という思案もないまま、次の日曜にまた一人で神田へ赴いた。

 駅から探偵社に電話を掛けた。
 日曜日。学校は休み。
 あの女の子はまた来ているだろうか。
 来ていたら、彼は断るだろうか。来ていても、応じてくれるだろうか。
 何処かへ行くためではなく、只彼に会うためだけに電話をしたのは初めてだった。
 だから、電話口で行き先を訊かれて、咄嗟に答えることができなかった。
 口籠もった私に、彼はそれでもあまり気にした様子もなく、今から行くからそこで待っているようにと云って電話を切った。
 彼が来てくれるまで、酷く時間がかかったように思えた。
 はっきり時間を確かめたわけではなかったけれど、私の不安が時間を長く感じさせていただけではないこともまた慥かだった。
 もしかしたら、やはりあの女の子が来ていたのではあるまいか。あの子を納得させるのに時間がかかったのだろうか、などと埒も無いことを勘繰ってしまう。
 それでも来てくれた彼は、私を見てふと不審そうな顔をして眉を顰めた。
 どろどろとした自分の胸のうちを気取られたような気がして、思わず俯いた。
「何かあったの?」
 咎めるでもなく、問いただすでもなく、寧ろ子供に問い掛けるようなのんびりした口調にも、私は答えることができずに、ただ首を横に振った。
「これから何処かに?」
 私は何だか泣きたくなるのをこらえて顔を上げた。
 彼の口元は綺麗な笑みの形を造っていた。
「街を、歩きたいと……」

 只黙って神田の街を宛もなく歩いた。
 本を探しにか、珈琲の香りを楽しみにか、学生と思しき青年や女の子たちが賑やかに行き交う中を、私たちは黙って歩いた。
 暫く歩いて、急に彼が足を止めた。
 そこが何処だか私には判らなかったけれど、古書店街の外れのほうなのだろうか、舗道を歩く人の数もいつの間にか少なくなっていた。
 そのまま一、二歩先へ行きかけて慌てて振り返ると、私を見る彼の視線とまともにぶつかった。
 私を通して何か別のところを見ているようなあの視線ではなく、私自身を真っ直ぐに見ていた。
 どきりとした。
 射竦められるようで、凡てを見透されるようで、何か怖いような気さえした。
「貴女は、何をしたいんです?」
「わ、私は……」
 私は、このまま歩いていられればいい。貴方の隣で。
 いいえ。それだけでは厭。
 貴方の本当の笑顔を見たい。
 人形のように整った笑みではなく。あの少女に向けたような、心底からの無邪気な笑顔を。
 如何したら、あんなふうに私にも笑いかけてくれるの?
 私は、如何したら……。私は……?
「目を閉じたって、そこにある物が消えるわけじゃあないよ」
 その言葉の意味が、今度は私にも解るような気がした。
 それでも探偵の声にはやはり私を咎める色は無かった。
「──帰ります。駅まで送ってください」


 駅で、私は無言で頭を下げて帰ってきた。
 また今度、とは言い出せなかったし、謝るのも変に思えた。
 自室のベッドに横になって、彼の言葉を何度も反芻した。
 私は一体、本当に立ち直ろうとしていたのだろうか。
 私は只、以前の私に戻りたかったのだ。事件が起こる前に、戻りたかった。出来ることなら時間を戻したかった。
 そんなことは出来ない。
 何も無かったようにやり直そうとしても、起こったことは消えない。
 そうではなくて、本気で新しい自分の人生を生き始めるのでなければいけなかったのに。
 只他人に何かを望むだけの私に、彼の隣を歩く資格なんか無かった。
 ふと、サイドテーブルに置きっ放しになっていた小さな冊子に手を伸ばす。
 篠村さんは何故、こんなことを始めようと思ったのだろうか。
 彼女一人ではない。大勢の人が、恐らくは女性達が、このプロジェクトに関わっている筈だ。
 一体如何いう人たちが、どんな理念でこんな事を。

 数日後、私は学生時代の恩師に連絡を取った。    







 
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