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戦後の動乱期を我が家は何とか乗り切ることが出来、華族と云う身分は無くなったけれど、父の手腕もあって経済的に落ちぶれることはなかった。
そのお陰もあって、私は二十歳を過ぎても結婚する気になれずにいた。
私のような立場の娘にとって、結婚相手は親の、家の利益になる者でなければならない。それを理不尽だとも不自由だとも思ったことはない。当然のことだった。
実際父も母もそのようにして親の決めた相手と結婚したけれど、互いに愛情もあれば敬意も持っている。だから何の不安もなかった。
かと云って早く結婚したいと思ったことはなく、当然両親も親類も何度か縁談は持ってきたけれど、心動かされることもなく、断っていた。
べつに秘かに想う相手がいたわけでもない。只単に、そんな気になれなかった、としか云いようがない。もう少し、好きな乗馬や習い事をして、気儘に過ごしていたかった。それだけのことだった。
何度目かの見合い話の時だった。母は、相手の名前も告げないうちに、にこにこしながら、一度会うだけでも会ってごらんなさいなと云って私に写真を差し出した。
些か不審に思いながら受け取って開いてみて、私は一瞬息を呑んだ。
これは慥かに、訊かなくても判る。
戦前にその姿を垣間見た時から、十年程も経っただろうか。記憶の中の彼よりはやはり少し大人の貫禄というものが付いたようにも思うけれど、私よりも十も年上にはとても見えない。
少し変わり者だという噂は事実だったのか、見合い写真だと云うのに、彼の視線は写真機に向いていないようだった。
そもそも写真館で撮った写真ではないようだ。背後の様子から察するに、恐らく榎木津のお屋敷で撮られたものだろう。いや、それ以前に、どうやらこれは何人か、多分御家族で何かの折に撮った写真の一部のようで──。
普通見合い写真などと謂えば、少しでも自分を良く見せようとしているものだ。私だってそうだった。媚びるつもりはないけれど、写真だけでつまらなそうな女だと思われるのは厭だった。
この人は、屹度そんな格好付けも気負いもないのだろう。なのに、今まで見たどの男性の写真より、彼のほうが凛々しく見える。
会いたい。
直接会って話してみたい。彼ならば、独身生活に終止符と打っても善いと、そう思った。
親にとっても、榎木津の家柄も財力も、本人の経歴も申し分なく、彼が次男であることが更に好都合だった。
今は何でも探偵業などを営んでいるそうだけれど、いずれ何時までもそんな仕事をしているわけではなかろう。次男ならば、来宮家の事業を継いでくれることも可能なのだ。
彼が戦地から無事戻ってきたことはそれ以前に聞き知っていた。
しかも、只生きて帰ってきただけではない。彼は海軍内で高い評価を得ていたという。
学徒出陣した者たちは、その高学歴故に最初から下士官として入隊した。それは長く戦地で戦ってきていた兵士達には概ね不評だったという。
本当の戦のことなど何も知らない若造がいきなり自分たちの上官になるのだから、それは不満や反発も起ころう。
けれど彼は、単に学業優秀なだけの帝大生ではなかったのだ。
少しも臆することなく、部下を虐げることもなく、機転を利かせて上からの命令は確実に遂行したという。
それは私の人生で最後の、一点の染みもない幸せな日々だった。
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