中禅寺さんから、再び私のところに電話があったのは、それからほんの数日後のことだった。
 澤井を殺害したのは、やはり妹だったようだ、との事だった。
 只、澤井はたくさんの悪事を働いていて、澤井を殺したいと思っていた人間に、妹は利用されたのだろうと中禅寺さんは云った。
 ほんの少し、人間の皮膚に触れさせれば確実に死に至らしめさせる毒薬があったのだと云う。
 妹は、澤井殺害を企んだ人間から、その毒を受け取ったのだと云う。
 慥かに、それならば妹にもあの男を殺せるかもしれない。と云うより、そんな物でもなければ常識的に考えて無理だろう。
 そして妹も、その同じ毒によって殺され、その犯人も又既に死んでいるのだそうだ……。
「それは……口封じだったと云う事でしょうか?」
「解りません。その可能性は高いかもしれませんが、犯人が既に死亡しており、物証がないという状況ですから、本当の動機など我々には解らない事なのです」
 正直な答だと思った。
 彼は、以前と同じように淡々と言葉を続けた。
「妹さんに、明確な殺意があったかどうかも解りません。そんな都合の好い毒があるなど、普通は考えません。もし、相手がすぐに死ななかったら。もし、相手に何か苦痛を与えるだけで死に至らしめる事ができなかったら。その時は自分の身が危ういわけですから。妹さんは、もしかしたら何か澤井と揉み合うような事にでもなって、その拍子に……」
「いえ、それはないでしょう」
 私は中禅寺さんの優しい言葉を遮った。
「きっと、妹はあの男を殺そうとして殺したに違いないのです」
「しかし……」
「私には解るのです。何故なら、妹は私のことを我が事のように憤ってくれていたからです。そして──」
私自身が、あの男を殺したいと思っていたのですから。
 私のそんな告白を、中禅寺さんは少しの動揺も嫌悪もなく、今までと同じように落ち着いた声で返した。
「そんな事は誰でも同じです。只、実際にそれを実行に移せるだけの好機チャンスが在るか無いかだけの違いなのです」
 涙が、溢れた。
 だからと云って、それで私の罪が軽くなるわけではない。妹が犯した罪は私の罪。
 それでも尚、結果的に妹を死に追いやった自分自身の内に宿った殺意を、間違ったものだとは私には思えなかった。
 私の将来を、両親の希望を、凡て奪ったのだ。あの男は。
 そのほかの被害者達のことや、その毒薬がどこから来たのかなどといったことは、公安が関わっているとのことで教えてはもらえなかったけれど、私には最早どうでも好いことだった。
 私以外の澤井の犠牲者のことは気になったが、当然、彼はその女性達について、ほんの僅かの仄めかしになる事さえ云わなかった。
   屹度彼は、私の事も余所よそで云う事はないだろう。私はその事に、既に何の疑いも持っていなかった。
「最後に一つ教えてください」
「何でしょう」
「榎木津様は……今回の事件とはどのような……」
 最初に中禅寺さんが私に電話をかけてきたときに、彼は榎木津の名を出した。そして榎木津礼二郎は今、探偵をしていると云う。
 無関係、とは思えなかった。
 どんな内容も常に沈着に、そして滑らかに語ってきた彼が、初めてほんの一息、躊躇ためらった。
「……彼は、凡てを知っています。探偵ですから」
「それは……」
 今回の一連の事件に、探偵として関わったと云うことなのだろうか。何処から、何処まで……。
「貴女の身に起こった事も、と云うことです」
 何処かで覚悟はしていたことだった。もしこんな事件が起こらなかったとしても、いきなり見合いを理由もなく断ったりしたら、相手は不審に思うのが当然だ。興信所でも使って調べれば、屹度すぐ判ってしまうだろう。
 今さらこんな事、向こうに知れても知れなくても、変わりはないことなのだ。
 それなのに、未だにそんな体面に拘っていたのかと、私は自分で自分を嘲笑わらった。
「只、これだけは信じて下さって構わない事なのですが……」
 中禅寺さんは、やはり声音を変えることなく、最後にこう告げた。
「榎木津にとっては、如何でも好い事なのです。善くも悪くも」
「善くも悪くも?」
「ええ。あれヽヽは女性をそんなことで蔑視はしませんし、かと云って特別扱いもしません」
偏見も同情もないのです、貴女に対しても──。
 榎木津礼二郎に対して、見合いをする筈だった相手に対して、私はまだプラスにもマイナスにも、何の心象も与えていないと云うことだろうか。
 私は、中禅寺さんに礼を云って受話器を置いた。







 
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