記事一覧

京極夏彦の世界感想川崎賢子氏編前編

いや~、進まない進まない。
今度こそさっぱり意味が解らない。
ジェンダーの話なのに。
私だって女性なのに(笑)。

字数の関係もあるんだろうけどね。

私はフェミニストだと思ってるんですよ。
自分自身のいろんな経験もあるし、言いたいことは山ほどあるけど、その点については控えておきます。

でも、構えてそんな「論」などは勉強したことがないからさっぱり理解できない。
改めて字面を見てみれば、「女性解放」ってなんだ?
何から解放するんだ。そしてそれは本当に可能なのか?
どんな意味のあることなのだ?

女権拡張のほうがまだ想像ができる。
だけど多分私は女権拡張論者ではないような気がする。
それに近いとは思うけれど。
だから中禅寺とは微妙に齟齬をきたすだろう。
川崎氏の論によれば葵は女権拡張論者である。
私が葵という人物には非常に好感を抱きつつも、彼女の論旨にはどうも100%首肯しにくいものを感じていたのはそのせいかもしれない。

いずれにしても、彼女がセックスとしては完全な女性でありえなかったために
女性解放ではなく女権拡張を追求しなければならなかったという辺りがどうにも理解できない。

しなくてもべつにいいんじゃないかとも思うけど(笑)。

ただ、私は女権拡張論者ではないけれど、中禅寺言うところの、女権の時代はなくとも日本には母系の理があったこと、それを大和言葉(日本語、ではない)が証明しているということは
一応大学で国文学だの国語学だのを学んでいた身としては、葵のように、その前提が切り崩されたとは感じず、ごく当然のこととして受けとめていた。
だから多分、女性の神性というものについても、中禅寺の言うところと川崎氏の言うところとはちょっと違っているのではないかという気がする。

男尊女卑の思想が陰陽五行と共に入ってきた(中禅寺言)ということで、川崎氏は陰陽師たる中禅寺の「ジェンダーも微妙」と評しているが、
彼はあくまで憑物落としのために相手に合わせて弁をふるうだけであって、
相手が葵とは別の考えのフェミニストであったなら、あるいはフェミニストでなかったなら、また別の論旨を持ち出すだけのことだろう。
そしておそらく彼は、厳密に陰陽道を伝えるなんてことには使命感を持ってないと思う。
だからそんなことはどうでもいいんじゃないだろうか。


ところで、実はフェミニズムについても、私は榎木津に期待を寄せているのだ。
おそらくは彼のフェミニズムが私の感性と一番近いのではないかと思うから。
可愛い女の子を可愛いと言って何が悪い。
そして可愛いのは何も女性の専売特許じゃないぞ。
便所の蓋はともかく(笑)老人でも動物でも物でも、可愛いものは可愛いでいいじゃないか。
だけど、女性を力でもって、しかも性的関心の対象として支配しようなんてことは我慢できないぞ。
もちろんその女性がそれを望むなら他人がどうこう言うことではないんだろうけれど。

つまり他人に(親にも)生き方や価値観を押しつけられることなく、強制されることなく、自分が生きたいように生きられることが理想なのであって
望むなら外で働かなくたって、貞淑な妻、子供のために尽くす母であってもいいじゃないか。
逆に結婚しなくても子供も生まなくてもいいじゃないか。
自分が女性だと思うなら堂々と女性だと名乗ればいいじゃないか。
どっちだって。
好きに生きれば。
榎さんはそんな生き方を体現してるように思うから。
そして美由紀を「解放」してくれた榎さんは、女性の(私の?)そんな気持ちをわかってくれると思うから。

ちなみに、私の先輩には性同一性障害の方がいます。
ジェンダーにしろセックスにしろ、本人の「脳」が選んだ生き方を選べるのが一番いいと思っています。

あれ、結局結構語ってる(笑)。