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榎さんの年齢について(もういい? 笑)

関くんより1期上で年齢が木場修と同じ、
という矛盾点の解決が見えた、ような気がした(笑)。

榎木津家のことだから、海外に行っていた期間があったとも考えられるけど
それを匂わせる記述は全くないし、教育制度が今よりフレキシブルだったようなので、
しかも普通よりずっと賢かった榎さんが
日本に戻ってきてブランクの分遅れるとは思えない。

とはいえ、実際どうなのかというのは作者が書かなければ真相はわからないので、「考えるだけ無駄」ではあるんだけれど。
まあ、無駄なことを考えるのが同人だから(そうか?)。

ポイントは、そのフレキシブルな教育制度。
よくご存じの方は、今さらかい! と私の無知を笑いながら読んでください。
いや、読まなくてもいいけど(笑)。
戦前、義務教育は8年だったらしいのですね。
尋常小学校6年、尋常高等小学校2年。
私、尋常小学校で終わりかと思ってたんですよ。
でも尋常小学校を出た後、旧制中学に行く道もあったわけですね。
中学は「12歳以上」で入学ということだから、高等小学校を出てから中等学校に行くことも可能だったと思うんです。
ただ、その際、中学3年に編入できたのか、1年からだったのか分からないんだけど、
もし榎さんが尋常小学校6年、尋常高等小学校2年、中等学校5年とフルに通った後、一高に入り
関君は尋常小学校卒後すぐ中学に入り、4年修了時に一高に入ったとすれば
一高での学年は一つ違いでも、年齢は榎さんが四つ上になりませんか?
計算苦手だから間違ってるかもだけど。
それだと、姑獲鳥の年に榎さん35歳になり、木場修と同じになります。

その場合、中禅寺の学歴は不明なので、年齢的にはもしかしたら関君と同じではなく
榎さん>中禅寺>関君
の可能性もありますね。

その場合でなくても、複線式の学制の下では、もしかしたら
榎さん=中禅寺>関君
もあり得ますね。それも面白いかも。


が、榎さんが人並み外れて優秀だったのは周りより年齢が上だったからとはとても思えない。
そんなこつこつ型じゃないですもんね(笑)。
単に本人がそうしたかった(全部通いたかった)という可能性もなくはないけど。
どちらかというと学校の勉強が好きとは思えないし。

計算上成り立つというだけで、説得力は皆無だなーと自分でも思う(笑)。