記事一覧

ドリー夢なんだけどさ

実は以前から、榎さんて何でも持ってるようでいて“諦めた”ものがたくさんあるんじゃないかなと思ってたんです。
興味がないとかやってみて駄目だったとかいうより、諦めた、という表現が一番私としてはしっくりくるんですが。

ただ、それはちょっとセンチメンタルに過ぎるかなとか。
第一京極先生は妙に悲壮感のある人物として描く気はないんだろうと思うんですよ。
だから「自分の話」をさせないんだろうと。
邪魅でさえ、結局本人はほとんど何も語らなかった。

シリーズ中唯一と言っていい榎木津目線で語られているのは魍魎の最初の一部分だけで
そこでは、あの短い中でさえ、
船酔いしたように気分が悪くなるとか、
秩序を獲得せんがために混沌を容認せざるをえないという矛盾を抱え込んで生きているといったように
やはりいささか悲壮感を匂わせることになってしまっている。

その辺りからの類推と、ああいう体質だったら実際どうなんだとか想像するに
やはりそれは周り(関くんとか、もしかしたら木場修でさえ)が思っているほどには
能天気に勝手気ままに唯我独尊に生きてきただけではないのだろうと思ってしまう。

私は自分の二次の中で、少なくとも直接的にその辺を書くつもりはないんだけど
つか、書く力がないって言ったほうが正しいんだけども(^^;)
先日ふらふらと旅をしてて(ネットでですよ、もちろん)
♂×♂サイト様で、榎さんについて同じように「諦めた」という表現を使っていらっしゃるところを見つけまして
諦めた内容はもちろん若干の差異はあるんだろうけれども
榎さんを見て(っていうか…)いて、やはりそう感じるんだ、同じように感じた人がいらっしゃるんだと思って
なんか心強くなっちゃったので

ここで一度妄想吐き出してもいいかなあ、なんて思ってたりします。