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思い入れが深すぎてこぼれ出す戯れ言

榎さんが諦めたかもしれないもの、というか
これは諦めてはいなかったと思うんですが、すいません、話が最初から外れてる。

榎さんて多分、ご幼少のみぎり、友達っていなかったろうなと思うんですよ。
木場修ぐらいだったんじゃないでしょうか。本当に友達と呼べるのは。
それは榎さんが変人だから、じゃなくて、いやそれもあったにしても。
本人の意思とは無関係のところでという部分もあったんじゃないかなと。

「敵か、下僕か、どうでもいい人間か」

この対人関係観はどこから来たんだろうと思うわけですよ。
この分類項目は帝王学の賜物だとしても、
実際の人間関係において、御前様が、友達を作るなと教えたとは思えないし
一々子供の人間関係に、その子は敵だとかそれは下僕だとか口出しする人でもないですよね、御前様は。
本能的に子供って(人間って)友達を求めるものだとも思うし。

だけど、実際少なくとも学校には、敵か下僕かどうでもいい人間しかいなかったんじゃないだろうか。

いくら子供でも、見た目も綺麗だし、勉強も運動も何でもできる子がクラスにいたら
対等に友達であるのはなかなか大変だろう。
憧れの目で見てしまったらそれは友達というより下僕に成り下がってしまうだろうし
その上変人だとわかったら遠巻きにしてどうでもいい人間になっていくだろう。

そして敵も多かったんだろうと夢想するわけですよ。
上流階級なんて狭い世界が嫉妬心と無縁なはずはないと思ってしまうのは偏見でしょうか(笑)。

敵が多かった別の理由は、榎さんの外見です。
今だったらハーフみたいでかっこいいってことになるでしょうけど
戦前でしょ?
ハーフ自体が奇異の目で見られてたんじゃないかな。
ましてや華族様だし。
明らかに御前様とお母様とは色が違うわけで。
総一郎さんはまだ不明だけど、多分榎さんとは違うと思ってるんですよ。
色素が薄いということと、視える体質であるということは関係があると思っているので。
そうでなければべつにただの美形でいいわけで、色素が薄い必然性はない。
以前も書いたけど、アルビノの人に視覚障害が多いということや
物語などの中で特殊な能力を持った人間として登場することが多いというのは
やはり榎さんの設定と関係あると思う。

というわけで、家族の中で1人色が違うことや、ハーフに対する見方が今と違うだろうことを考えると
悪い意味で奇異の目で見る人間は少なくなかったと想像できるし
子供って良くも悪くも正直でストレートだから時に残酷だし
榎さんの外見的特徴というのは、褒めそやされるばかりではなかったろうと思うんです。

ああいう人でなければむしろいじめの対象だったかもしれないけど
まあ、榎さんだからそうはならずに「敵」認定されたってことじゃないかな。

きっと、木場修は、そして後の中禅寺や関くんは、榎さんにとって、この3人が思っているより、大切な存在なんじゃないかなあ。


司くんについては謎ですが(笑)。