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久遠寺翁が榎さんを信頼したわけ

ちょっと前にノベルス版で読み返していた姑獲鳥。

以前、どこやらで、「鉄鼠」で久遠寺の爺さんがなぜ榎さんをあんなに信頼したのか謎、みたいなことが書いてあって、そのときは、確かに、とか言って笑ってたんですが、
真面目な話、なぜなのか、わかるような気がしました。

異例の事情聴取、というか、いわゆる謎解きの場面ですが、
中禅寺が涼子の「母」の人格がやったと思われることについて語ったとき、
敦子が、そんなことのできる母親なんかいない、と叫ぶんですね。
それに対して榎さんが平然と
「いるじゃないか。その人だってしたことだ。その人の母親だってしたんだろう」
と言うのですね。

マイナスもプラスも何の評価もない、単なる事実として。
内藤に対するのとは違って、怒りも蔑みも、なんの個人的感情もない言い方ですよね。
こういう反応のできる人って、なかなかいないと思う。

そして、最終的に涼子の足を止めたのは、なぜかいつの間にか先回りしていた榎さんだった。

それに、最初何の関係もないと思われた箱根旅行の際に泊まった旅館の名前。
それが実は関係あったと分かったわけだから。
もし久遠寺翁が、榎さんが写真だけで涼子と梗子を見分けていたと知ったら、
もっと驚いたかもしれないね。

そんなわけで、箱根で何だかわけのわからない混乱した状態で、久遠寺先生が榎さんのことを思い浮かべたのは、ほかに頼れる人もいないわけだし
当然と言えば当然かなと思う。