そして僕は 1 

 無我夢中の何年かが過ぎた。
 いつのまにか、僕は兄のフレッドの年齢を追い越していた。
 それは頭で何かの折にそう思うことはあっても、とても奇妙な感覚で、訳の分からないパラドックスに陥った気になる。
 なぜって、ジョージのほうは今もやはり僕より二つ年上であり続けているからだ。
 僕にとってフレッドとジョージが別々のものになるなんていうのは、未だに信じられないことだった。
 それでも、単に幾つかの年齢を重ねたというだけではないジョージの変化を目の当たりにするとき、それが現実のことだと僕は認めないわけにいかなかった。
 ジョージはもう以前のようには僕をからかって笑うことはなかった。ここまで来るまでに随分と罵声は浴びせられたけど。それでも、最近はそんなこともほとんどなくなった。
 自惚れでなく、僕はW.W.W.の経営者としてジョージの片腕になれたと思っている。もちろんフレッドの代わりになることは不可能だけれども。それでもジョージが僕を認めてくれていることは、フレッドがいたら彼が取ったであろう分と同じだけの取り分を、僕に与えてくれていることから確信できる。
 今はスタッフも増えて、事業は安定成長している。そして僕はふと、足を止めてしまった。

 ジョージは僕にも家族にも、本当の笑顔を見せることはなくなった。でも、店に出て、楽しそうに騒ぐ子供たちを見ているときだけは、幸せそうな顔をしている。僕は、そんなジョージを見てほっとする。そもそもW.W.W.をやりたかったのはフレッドとジョージであって、僕は一人になったジョージを助けたかっただけだ。
 もちろん仕事はやりがいがあった。大変なことはあっても最終的には気分のいい仕事だ。子供のころ何かというと貧乏をかこっていた僕が、今やちょっとした青年実業家だ。何の不足も不満もあるわけじゃない。
 それでも僕は自分の中に、別の道に進みたいという感情が湧き起こるのを抑えることができなかった。

 僕は、闇祓いになりたい。

 それは単なる子供のころからの憧れなんかではない。衝動と呼ぶほど一時的な感情でもない。あの日から少しずつ、静かに、でも確実に僕の中に培われてきた確信だった。ただ闇祓いになりたい、というより、なるべきだと感じている。べきだ、と言っても義務感ではない。自己犠牲に陶酔するつもりもない。この気持ち、この意思をなんと呼べばいいのか僕は知らない。
 だから僕は何度も何度も、自分で自分の感情を打ち消そうとしてみた。
 例えば、僕はきっとあまりにも残酷なことを経験しすぎて、その傷のせいでこんなことを思うようになっただけかもしれない。要するにただの感傷なのだ、とか。
 あるいは、結局僕はまだまだ子供のままなのだろう。ハリーが闇祓いになったから、張り合って自分もなろうとしているだけなのだ、とか。
 どんな自己否定の努力も虚しく、闇祓いになりたい、なろうという気持ちは膨らむばかりだった。にもかかわらず、僕は誰にも、ましてやジョージにはそんなことは言い出せずにいた。そんな時だった。

「明日から店を閉める? 3週間も?」
 突然のジョージの宣言に僕は面くらい、自分の進路どころの騒ぎではなくなった。
 ジョージは今でもフレッドと二人で独立したときの、店舗の上階にあるアパートに一人で住んでいる。今の収入ならダイアゴンでももっといい部屋を借りれるだろうし、自分の家を構えることだってできるだろう。他の兄貴たちが何度かそれを唆しても――もちろんそれは少しでもフレッドの思い出にとらわれずに生きていってほしいと願っているからで――便利だから、の一言で取り合おうとしない。
 もっとも僕も、いまだに実家にいる。便利だからだ。食事の支度をママにしてもらえる。甘えていると言わば言え。仕事で疲れて夜遅くに帰ってから、自分で料理も洗濯もするなんてまっぴらだ。
 そのジョージのアパートにある日仕事が終わってから呼び出され、何やら真面目な話だという様子に、話の流れによっては僕も自分のことを打ち明けてみようかなどと考えていたのだけど。
「なんで?」
 僕は思考停止状態でバカみたいにシンプルに尋ねた。
「しばらく旅に出てみようかと思って」
 店の壁の色を塗り替えようと言い出したときと変わらない口調でそんなことを言われて、僕はさらに驚くと同時に心配になった。ジョージが何を考えているのかさっぱり分からない。今まで商用以外で旅行なんてしたことがなかったのに。
「なんで? どこに?」
 またまたシンプルな質問に、ジョージは僕から視線をそらして考え込んだ。どう答えようか迷っているその様子にかえって、とりあえず旅に出るというのは嘘ではないと僕は感じて、少し安心した。
「だったら3週間といわず、ゆっくりしてくればいいよ。何も店閉めなくても、僕たちだけでちゃんとやれるよ」
 実際今までだって、ジョージが数日不在のことはあった。それは仕事の都合というときもあったし、特に理由も言わず、今日は休むと言って休むこともたまにあった。僕はそれを咎めたことは一度もなかった。ひどく気分の沈む日のあることは分かっていたから。無理をするより、そのほうがむしろいいと僕は思っていた。
 僕の勧めに、ジョージはまた少し考え込んでから、僕に視線を戻して、落ち着いた声で言った。
「いや。一度閉めたいんだ」
「閉めたい? 一度?」
「うん。もう、少し休んでも大して影響がないところまで来てると思う。だからおまえもスタッフも骨休めというか、リフレッシュというか、一度落ち着いていろいろ考えてみたほうがいいと思う」
 なんだかここのところの僕の気持ちを見透かされてるようで、僕はどうリアクションしていいか分からなくなった。ずっと忙しかったから、たっぷり3週間も休めるなんていうのはもちろんありがたい。だけどなぜだか、何か、じゃあありがたくそうさせてもらうよと言えないものがある。
「それに、店が開いてると思うと、どうしてもいろいろ気にかかる」
 答えあぐねていた僕に、ジョージはそう付け加えた。そう言われてしまえばその気持ちは分かる。ジョージがそのほうがいいと言うのなら、反対する理由は僕にはない。
「ほかのみんなには?」
「連絡しておくから。ただ……」
ジョージは立ち上がると、テーブルから鍵を取り上げた。そのテーブルの上には何も書いていない羊皮紙が数枚に羽根ペン、テーブルの横にはすでに旅行用の荷物をまとめたらしい小さなトランクが一つ、置いてあった。
「もしかしたら3週間で帰らないかもしれない。それより早いかもしれない。はっきり決めてないんだ。だから3週間たってももし俺が帰ってこなかったら……」
 店を開けてくれと言われると当然予想したのに、ジョージは鍵を僕に差し出して
「ここに入って掃除しといてくれ」
「はい?」
 きっと僕はそうとう間抜けた声を出したと思う。
「埃がたまるし、空気も入れ換えないと」
「なんで僕がそんなことしなきゃいけないんだよ」
 そう文句を言いながらも、僕は鍵を受け取ってしまった。
「一人暮らしをしたことがないのは兄弟の中でおまえだけだ。いつもママに家事を任せてるんだから、これぐらいやってみろ」
 いかにも弟のためを思ったようなことを言うな。単にこき使いやすいだけのくせに。僕としてはすっかり一人前に、むしろ自分がジョージを今まで支えてきたつもりなんだけど。
 でもまあ、それで店のこともこの部屋のことも気にせずジョージがゆっくりできるならそれでいいかと思い、結局僕は言われたとおりにすると約束した。
 部屋を出るとき、僕は突然何か不安になって振り返った。ジョージは座って、でもまだ僕をじっと見ていた。
「帰ってくる、んだよね? ジョージ。ここに」
 ジョージは動揺した様子もなく、ふっと笑った。苦笑した、という感じだった。
「何、おまえお兄様と3週間も離れるのが寂しいの?」
にやっとしてそんなことを言われて、僕はしまったと思って赤面した。
「おみやげはキャンディーでいいかい? ロニー坊や」
「そんなわけないだろ! バッカじゃないの!?」
 僕は悔し紛れにそんなことを言って、乱暴にドアを閉めて出た。それからやっと、自分の話を切り出せなかったことや、ジョージが少しだけ、以前のように戻った気がしたことに気がついた。



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