そして僕は 2 

 その次の日、月曜日、貧乏性というのか、僕はやはり店に行ってしまった。シャッターが下りて、3週間休店するという知らせがしっかり張ってあった。
 それから上に上がってジョージの部屋へ行ってみた。何度ノックしても返事はないし、人のいる気配もない。もう出かけたのか。鍵を預かっているのだから勝手に中に入ることはできるが、3週間たたないうちに入るのは賢明ではない。ジョージのことだ。そんなことをしたらどんな防犯魔法が作動するか分かったものではない。それぐらいの学習能力と洞察力は僕にもある。
 本当に今日からしばらくのんびりできるんだ。だけど3週間遊びほうけるつもりはなかった。一度落ち着いていろいろ考えてみたほうがいい。ジョージにもゆっくり考えたいことがあったんだろうけれど、僕こそこの機会に本当に自分のことをよく考えて、腹をくくらなければならない。
 僕は1週間、思いっきり寝坊したり、それなりに家の手伝いをしたり、ママには内緒で闇祓いについて調べ直してみたりして過ごした。
 闇祓いになりたいというこの気持ちはもう確かなものだ。けれど、なりたいと思うことと、実際になれるかどうかはまた別問題だ。それが自分にとって最善の道かどうかも。
 誰かに相談したくて、客観的意見がほしくて、という理由をつけて、その週末、土曜日の午後、僕はハーマイオニーを呼び出した。
 僕たちは結構頻繁に(と僕は思うんだけれど……)手紙で連絡を取り合っていたし、もちろん時々は会うこともあった。2人だけで会うのはそのうちの多分3分の1ぐらいだろう。あとはハリーと一緒だったりハリーとジニーと一緒だったり。
 彼女なら魔法省に勤めているから、僕よりも闇祓いの仕事について、採用試験の内容やレベルについて、いろいろ知っていることもあるだろう。ハリーなら僕に遠慮して、僕には無理だとは言わないかもしれないが、彼女なら……想像するとちょっとへこむものがあるが、僕は彼女のそういうところもまた……。
 僕はハーマイオニーとダイアゴンの中のとあるカフェで待ち合わせをした。フローリアン・フォーテスキューよりもすこし大人びた雰囲気で、客にも子供はあまりいない。ここのタルトがハーマイオニーのお気に入りだった。
 ほかにやることもないので、約束の時間よりかなり早くそのカフェに着き、天気が良かったので外の席を取ってハーマイオニーを待った。
 周囲を見回して、楽しそうに笑ったりおしゃべりしたりしている人たちを見ると、なんだか不思議な感じがする。少し、腹立たしい気になってしまうときもある。  もちろん、分からないのだけれど。今笑っているこの人たちも、もしかしたらあの暗黒時代に誰か大切な人を失っているのかもしれないのだけれど。それぞれの立場で、できることを精一杯やって闘っていたのかもしれないのだけれど。
「どうしたの、ぼんやりして。随分早いのね」
 その声で我に返ると、ハーマイオニーがテーブルの脇に立っていた。腕時計を見たら、約束の6分前だった。随分てこともないだろう。まるで僕が早く来ることが珍しいみたいじゃないか。
 ハーマイオニーはあの収まりの悪い髪を、今は魔法で少しだけまっすぐにして、後ろで一つに束ねている。薄くだけどお化粧もしている。そのせいもあって、前よりずっと大人っぽく、綺麗になったと思う。
 ハーマイオニーの注文したものが来るのを待って、僕は話を切り出した。
「今日は聞いてほしい話があるんだ」
 周りにはあまり聞かれたくない話だから、僕はテーブルに身を乗り出すようにして彼女に顔を近付けた。
「な、何よ、改まって」
ハーマイオニーも少し声を落として僕のほうに顔を近付けた。
「大事な話なんだ。笑わないで真面目に聞いてほしい。将来に関わることなんだから」
いきなり闇祓いになりたいなんて言い出して一笑に付されたらかなわないから、僕は慎重にそう前置きをした。
「わ、笑ったりしないわ。何?」
ハーマイオニーはなぜだか少し顔を赤らめて、落ち着かない様子で、砂糖も入れていないティーカップをスプーンでかき回した。
「実は……」
「うん?」
 一度深呼吸をした。
「実は、今の仕事を辞めて闇祓いになりたいんだけれど、君、どう思う? 僕になれると思う? やっていけると思う?」
 ハーマイオニーの、スプーンを回す指が止まった。それどころか彼女のすべてが固まったように見えた。やっぱり突拍子もなかっただろうか。無謀すぎる話なんだろうか。
 僕が答えを待ってじっと見ていると、ハーマイオニーは姿勢を元に戻して、ノンシュガーの紅茶をすすった。
「本気なの?」
「もちろん」
 ハーマイオニーはどうやら僕が本当に本気で言っていると分かったらしい。
「入れるかどうかはもちろんあなたの努力次第だと思うわ。以前のようにNEWT試験でいい成績を取らなきゃいけないってこともないし。魔法省全体で中途採用も増えてるわ。でも採用試験が難しいことに変わりはないの。まず今みたいに忙しい仕事を辞めて、受験勉強をする必要があると思う」
「当然そうするつもりさ。何の準備もなしに合格できるとは思ってないよ」
「でもね」
 ハーマイオニーはもう一度身を乗り出した。
「そうやって仕事を辞めても、合格できるとは限らないし、できるとしてももしかしたら何年もかかるかもしれないわ。その覚悟はできてるの?」
「で……きてるさ」
 幸い蓄えはかなりできた。慎ましい生活には慣れてるし、しばらくは働かなくても食べていけるだろう。  だけど、そんなに何年かかっても合格できなかったら、それは根本的に僕には闇祓いは向いてないってことになるんじゃないだろうか。もちろん1回や2回落ちたからって諦める気はないけど、どこでどうやって見切りを付けたらいいんだろう。
「そう。それからもう一つ。もし首尾良く試験に受かったとしてよ。その後の覚悟もちゃんとできてるの?」
「決まってるだろ。厳しい仕事だってことぐらい分かってるよ」
  「そういうことじゃあないわ」
 ハーマイオニーの顔が少し厳しくなったが、彼女が何を言おうとしているのか分からなくて、僕は困惑した。
「闇祓いになったら、あなたハリーと同じ部署で働くってことになるのよ。もちろん、中でまた幾つものグループに分かれているけど、ハリーがあなたの先輩になることは確かなのよ」
「そうだね……?」
 僕にとってはむしろ心強いことじゃないか。何が問題なのか分からない。僕が本気で分かっていないことにあきれたように、ハーマイオニーは小さな溜め息をついた。
「あなたね、学生時代を思い出してごらんなさいよ。あなたいつもハリーの後塵を拝して、ハリーの陰に隠れて、それでさんざんいじけてきたんじゃないの?」
「……」
 随分な言い方だと思う。反論はできないけど。
「ハリーと同じ場所で働くことになったら、同じことが繰り返されるかもしれないのよ? 将来ハリーだけ昇進してあなたが取り残されても、それでいじけたりしないって誓える? わたし、そんな愚痴は聞く気はないですからね」
 ピシャリと言い切られてしまった。そう言われると自分でも自信がなくなってくる。
 いやいや、そんなことはない。僕だっていつまでも十代の子供じゃないし。それにここ何年かの経験を通して学んだことは、単に商売のやり方だけじゃない。以前の僕とは違う自分に対する自信というものが少しはある。
「ハリーは関係ない」
僕はきっぱり言い切った。
「二度とあんなことが起こらないために、僕は自分にできることをやりたい。いや、しなければならない。自分にできることが何もなかったらそれは情けないと思う。でもそれだけだ。ハリーだろうとほかの誰だろうと、他人は関係ない」
 ハーマイオニーはちょっと驚いた顔をして僕を見つめてから、両手で僕の手をばっと握った。
「わかったわ。あなたがそのつもりなら、わたし、できる限り協力する! 週末には勉強を見てあげるわ」
「ああ。当てにしてるよ」
「何か知りたい情報があったら何でも聞いて」
「ありがとう」
「ハリーに直接聞きにくいことがあったらわたしが調べてくるから!」
「う、うん。よろしく頼むよ……」
「もし生活に困るようなら」
「それは大丈夫だから」
「そ、そう……」
 ハーマイオニーはすっと手を離して、今度はブラックベリーのタルトを手に取った。一口頬張ってから、ふと何かに気づいたような顔をした。
「ロン、そのこともうご家族には? ジョージはもう承知してるの?」
 ちょっと痛いところを付かれたような気がした。
「いや、まだ……。第三者の意見がほしかったんだ。僕なんかにはとても無理だからバカな考えは捨てろと言われたら、考え直そうかとも思って」
「でも、ジョージがもし絶対反対だって言ったら? あなたに辞められたら困るって言ったら?」
 僕は返答に詰まった。
「わからない……」
「わからないって、そんな」
「でもそれが今の正直なとこなんだ。べつに今の仕事に不満があるわけじゃないし。もし、ジョージにそう言われてそれで揺らぐ決意なら、その程度ってことさ」
 そう。だから言い出せなかったというのもある。自分に本当に闇祓いなんて務まるのかどうか自信がなかったから。反対されたらきっと何も言い返せないと思っていた。
 ハーマイオニーにあきれられるかと思ったら、彼女は意外なことを言い出した。
「わたし、しばらく前に妙な所でジョージに会ったのよ。会ったというより、入っていくのを見かけたっていうほうが正確だけど」
 それだけで僕には意外な気がした。ジョージとハーマイオニーの行く先に接点があるとはとても思えない。
「意外な所? ってどこ?」
「大英図書館」
「大……何?」
「図書館よ。マグルのね」
 それこそあまりにも意外すぎて、反応のしようもなかった。もっともジョージは以前から妙なところでマグルの生活に詳しいところがあったし、それが商売にも生かされてるみたいだから、そんなところで何か知識を仕入れていたとしても説明のつかないことではないんだけれども。
 それ以上彼女にも情報はなく、しつこく追及するような話でもないので、その後はいつものように、たわいもないおしゃべりをして、少しダイアゴンをぶらぶら歩いてからハーマイオニーと別れた。



目次に戻る    次へ