そして僕は 3 

   翌週末には、今度は僕はビルのところを訪れた。ビルとフラー、それに小さな姪っ子たちには、年に数回実家で会っていたけれど、ここへ来るのは久しぶりだった。
 ビルの家に行く前に、僕はその海のそばにある小さな墓を訪ねて、持参した花束を飾った。そこにはもうすでに、少ししおれていたけれど、それでもまだ新しい花束が供えてあった。ビルやフラーが常々気にかけてくれていることは知っていたし、ほかの誰かかもしれない。
 ビルの家のほうから、姪っ子が可愛い声で僕を呼ぶ声が聞こえた。歓迎してくれているのは僕自身なのか、僕が抱えてくるお土産のほうなのかはわからないけれど。

 あらかじめ、相談したいことがあると告げてあったので、ビルは家にいてくれた。僕はハーマイオニーに話したのと同じことを繰り返した。ビルは案外驚きもせず、真面目に、最後まできちんと話を聞いてくれた。フラーも、僕たちにお茶やお菓子を出してくれたり、子供たちの相手をしたりしながら話を聞いていた。
 僕が話し終えると、ビルは左手で顎を支えるような格好をして、しばらく考え込んでいた。是でも否でもいいのだが、どちらの反応もないことに不安になってきた。
「クッキーをもう少しいかーがですか?」
 間が持てなくなった僕に、フラーが勧めてくれた。
 フラーは相変わらず綺麗だった。それに加えて、母親になってから少し、落ち着きというのか貫禄というのか、そんなものが出てきたようだ。もちろんそれはあくまでそういう雰囲気がにじみ出てきたというだけであって、体形の問題ではない。願わくはこのままずっと、僕の母親のようにはならないでいてほしい。
 その声で、僕の心配そうな視線に気づいたのか、ビルがやっと顔を上げた。
「僕はおまえに無理だとは思わないよ。問題はおまえが自分には無理かもしれないと考えていることじゃないかな」
「どういうこと?」
「おまえはいつも自分に自信がなさすぎるってことだよ。自信過剰は良くないが、なさすぎるのも、自分の力を正当に評価してることにはならない。やれると思ったとたんに、できなかったことができるようになった経験てあるだろ?」
 それは確かにある。思い出すのも嫌なぐらいある。
「こんな僕で合格するんだろうか、合格したとしてやっていけるんだろうか、そんなふうに思ってるうちはダメだろうね。半端なことで務まる職種じゃない。そこから脱却できないなら今ここで諦めなさい」
 僕は返す言葉がなかった。さすがに鋭いといおうか、厳しいといおうか、弟のことをよくわかってる。
 黙り込んだ僕に、ビルはちょっと複雑な笑顔を向けた。
「いや、おまえがそんなふうに考えてたっていうのは嬉しいと思うよ。きっとできるさって、背中を押してやりたいとも思う。ただ、ジョージのことが心配なのも事実なんだ」
 ああ、と僕はうなずいた。
「フレッドを失って、今度はおまえが去ってしまったらジョージも困るだろう。困るというより、寂しいんじゃないかな」
「あー、うん。でも、それはどうかな。わかんないけど……」
 僕はべつに謙遜ではなく、ちょっと口ごもってしまった。仕事の上ではともかく、それほどジョージが僕を頼りにしてくれてるという自信はない。そう言ったらまたビルに叱られるのかもしれないけれど。
「いずれにしても、辞めるなら辞めるできちんと後任が決まって、引き継ぎができてから辞めなさい。それが社会人として当然の責任というものだよ」
「うん。わかった」
「ねー、ロン、泊まってくの? 泊まってって」
 姪っ子が横から僕の腕にぶら下がった。僕は決して自分を「おじさん」とは呼ばせなかった。
「わたし、おいしいフランス料理、作ります。ゆっくりしていってね。子供たちと遊んでいてくださーいね」
 体よく子守を押しつけられて、僕はお土産に持ってきたW.W.W.の品物を開けて相手をしながら夕食を待った。  ビルもフラーも、こういうものを持ってきても、子供の教育上悪いなんて固いことは言わずに面白がってくれるところが僕は大好きだ。ビルは昔から、フレッドとジョージの良き理解者だった。

   フラーは、ふだんは普通のもの、普通というのは僕らの口に合うような料理を作ってくれるが、たまに、クリスマスでみんなが集まったりとかご馳走のときは、フランス料理の腕を振るってくれる。家族には概ね好評だ。概ね。
 この日は、牛肉の玉ネギ漬けみたいのを焼いたステーキとか、ゆでた大きなエビにバターたっぷりのソースをかけたものとか、料理の名前も教えてもらったけれど、一度として覚えたことはない。それ以前に発音することも不可能だったからしょうがない。でも、とろとろの米にキノコが入っているこの料理は知っている。生まれて初めて食べたフランス料理、ずっと前ホグワーツで、フラーたちが来た日に食べた「リゾット」だ。
 にぎやかに食事をしながら、ビルが、
「さっきの話だけど……」
と、蒸し返した。
「もう一つ考慮しておくべき問題があるな」
「何?」
 正直これ以上頭の中をごちゃごちゃにはしたくないんだけど。
「経済的な問題だよ」
「それなら当面……」
「将来のね」
「将来?」
「闇祓いは魔法省のほかの部署よりは給料は高いだろうけど、それでも所詮役人には違いない。ステイタスは高いが収入はまた別問題だ。しかも、万が一何かあってケガでもしたら、続けられなくなるかもしれない。今の仕事を続けていたほうが、安定していい暮らしができることは間違いないと思うけどな。将来おまえも結婚して、子供たちが生まれて、育って。そのときになっても、あのとき辞めなければと後悔しないかい?」
 何を言われるかと思ったので、僕は少しほっとした。ビルが心配してくれるのも分かる。ママの苦労を見てきたんだから。
「大丈夫だよ。僕は僕の意志を分かってくれる人じゃなきゃ結婚なんかしないよ。それにそんなこと言ったら、事業なんていつまで成功するかなんて保証はないじゃないか。もしかしたら、あの時転職していれば、なんて後悔するかもしれないじゃないか」
 僕の答えに、ビルは少しだけ驚いたような顔をして、それから満足そうにうなずいて笑ってくれた。
「そうか。おまえもちゃんと大人になってたんだな」
「何それ」
褒めてくれてるんだと分かって、僕はちょっと照れた。
「それでジョージはどうなんだ? 休業って、どっか悪いんじゃないのか?」
 ジョージは滅多に実家に帰らない。理由は幾つかあるようで、少しは僕も分かってはいる。だから僕以外の兄弟たちは、あまりジョージと顔を合わせることはない。
「いや、元気だよ。少なくとも見た目は」
「そうか」
「精神的疲れはたまってたのかもしれないね。旅行に出たいなんていうのは。でもほんとに元気にしてたから大丈夫だよ」
極力ビルを安心させるように軽く言ってみせた。
「半年ぐらい前かな……」
 ビルは姪のヴィクトワールがべたべたにした口の周りを拭いてやりながら言った。
「ビリアス大伯父さんのとこに行ったそうだよ」
「へえ……ビルも行ったの?」
「いや」
なんだかこの前も似たような話を聞いたような気がするな。
「なんか古い家系図やら何やら調べてたらしくて、特に伯父さんとも話をしたわけじゃないらしい。変わった様子がないならべつにいいんだ……」
 ハーマイオニーから聞いた話が頭をよぎった。何か調べたいことがあるんだろうか。でも無駄に心配させてもしょうがないので、その場はビルには何も言わなかった。


 ビルのところは居心地がいい。料理はおいしいし、子供たちは可愛い。夜、ベッドに横になると、波の音が聞こえてくる。それが耳障りにならずに、むしろうとうとと眠りを誘う。きっと本能的に人間には落ち着く音なんだろう。
 結局僕は居心地の良さに甘えて、週の半ばまでそこに居座った。



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